酷い嵐の夜だった。
ぴかぴかと空は光り、轟音と共にその光が落ちてくる。
シュミットは、幼い頃に雨宿りをしようとした目の前の樹に雷が落ちたのを間近で見て以来、雷はどうしても苦手だった。
大樹を裂き、焦がし、びりびりと空気を震わせたあの日の雷のことを思い出してしまうと、今でも足がすくみ涙が滲む。
今日はまさに、あの日にも劣らない酷い雷雨だ。
シュミットはひとり、布団の中で丸まって、ひたすらに耐えていた。
「──シュミット?大丈夫ですか…?」
不意に、布団ごと締め付けるように抱かれ、エーリッヒの声がした。
「エーリッヒ?どうして……」
「あなたのことが心配で」
「…………ッ!」
シュミットは、瞳に涙を浮かべたまま盛大に舌打ちをし、布団から顔を出した。
「ミハエルのところに行っていた筈だろう!こんな……こんな天気の中、雷だって、鳴って………なのに、ミハエルをひとり置いて来たのか!」
「……シュミット」
シュミットは知っていた。
ミハエルが、エーリッヒに想いを寄せていることを。
だから、シュミットはエーリッヒを、ミハエルのところに行かせた。
本当は自分がミハエルの一番そばに居たい。近くで抱きしめてキスをして安心させたい。
だが、ミハエルを安心させることができるのは、自分ではなくエーリッヒだけなのだ。
自分がこんなに情けないことを差し引いたとしたって、エーリッヒには敵わないのだ。
だと言うのに、エーリッヒは全くミハエルの気持ちに応える素振りを見せない。
どころかこうしてまめにシュミットの世話を焼き、時折シュミットへの愛の言葉すら口にするのだ。
今日だって、ほら。
「シュミット、ミハエルよりあなたが僕は心配なんです」
「雷に怯える、情けない私を心配しているのか」
「違います。情けなくなんて……」
「ミハエルが悲しむ。早く戻れ!」
シュミットが怒鳴ると、
「いやです!」
とエーリッヒはシュミットを抱きしめる腕に一層の力を込めた。
「泣いているあなたを、ひとりになんて出来るわけがない」
「……エーリッヒ」
シュミットだって分かっているのだ。
優しいエーリッヒにも、譲れないものがあること。
その譲れないものが、自分への恋心であることも。
どんなにシュミットがミハエルを想っても届かないように、ミハエルがエーリッヒをあんなに想っていたって、エーリッヒには届かないのだ。
……………自分のせいで。
「…………………もう、いやだ」
シュミットはぽつりと呟くと、真っ白な頬を涙で濡らした。
シュミットの柔らかな肌を転がり落ちる雫を、エーリッヒは唇で受け止める。
「もういやだ、優しくするな、離してくれ」
「いやです。離したくない」
「頼むから……ミハエルを、幸せにしてやってくれよ………」
「僕には出来ません。僕には、あなたが必要です。そして、あなたにも僕が必要なんですよ」
エーリッヒは、切なげな声でシュミットに訴えかけた。
「僕が抱きしめていないと、あなたはひとりで泣いて震えているつもりでしょう。そんな強がりなあなたを、ほっとけるはずがない」
「……エーリッヒ」
シュミットは、そっと目を閉じた。
たしかに、エーリッヒに抱きしめられ、雷への恐怖からくる震えは止まってはいたが。
それ以上の感情に、こころがぐるぐるしてしまっていて、まともな言葉が紡げない。
「………………エーリッヒ、」
不意にミハエルの声が、シュミットとエーリッヒの相部屋に響いた。
シュミットは弾かれたように部屋のドアの方を見る。
「ミハエル!」
「シュミット、泣いてるの?」
ミハエルは、首を傾げて訊ねながら部屋に入って来た。
「な、泣いてません。それよりミハエル、どうして……やっぱりひとりがこわくて……?」
「ううん。……僕は、へいき。エーリッヒに、戻っていいよって言ったのも僕だよ」
「え?」
ミハエルは、それ以上二人のいるベッドへ近づきはせず、足を止めると、にこっと微笑んだ。
「エーリッヒは、シュミットのそばにいたいんだよ。シュミットだってそれは分かるでしょ」
「……でも」
「僕は、エーリッヒには幸せになって欲しいんだ。だから………僕のことは、いいの」
じゃあね、とミハエルは踵を返し、部屋から出て行った。
「ミハエル!待って……」
シュミットの声は、閉められたドアに遮られてしまう。
「……シュミット。もう、諦めましょう?」
エーリッヒの手が、そっとシュミットの頬を優しく包み込み、甘い毒のような声がシュミットの鼓膜を犯した。
「僕と、幸せになりましょう。僕の幸せがミハエルの幸せなんですよ?」
「エーリッヒ……」
「あなたの幸せは、なんですか?」
「私は……私より、ミハエルが……」
「ミハエルのことを好きでも、報われないんですよ。失恋し続けるのは辛いでしょう?大丈夫。すぐに僕がその傷を癒してあげますからね……」
すす、と頬を撫でられシュミットはぞくりと身体を震わせる。
エーリッヒの指先が、シュミットの唇を柔らかく押した。
「私は……」
「もう黙って」
エーリッヒの唇はシュミットの言葉を優しく残酷に封じた。
狂おしいまでに甘い、巧みなキスに、流されてしまえば。
もう、悩まなくてすむ。
…………シュミットの陥落まで、もはや時間の問題であった。