もう、何年一緒に居るだろう。
何年、この気持ちを押し隠しているだろうか。
エーリッヒは気づかれないようにそっとため息をついて、ソファでスマホを弄っているシュミットを見やる。
ルームシェアをするようになったのはつい最近。
シュミットに話を持ちかけられた時に断るべきだった。
同じ大学に通うのだから、ルームシェアをすることは不自然ではない。子供の頃から一緒に居た二人なのだからなおさらだ。
だから、断る口実を見つけられなかった。
外ではぴしりと凛々しく優雅にしているシュミットは、慣れた相手の前では案外と気を抜く。
細腰でゆるく縛っただけのバスローブから、風呂上がりの薄桃色の肌が覗く。
セピア色の髪からはぽたっと水滴が垂れて。
何が楽しいのか、うっすら笑みを浮かべる唇は、薔薇もかくやの。
ああ、何もかもが愛おしい。
抱きしめたくなる衝動を必死に、それはもう何度目かも分からないため息を飲み込んで堪えて、エーリッヒはタオルを持ってシュミットの隣に座る。
「ほら、風邪をひきますよ」
そう言って髪を拭いてやれば、「メイドじゃないんだからそんなことするな」と口を尖らせるシュミット。
………母親ではなくメイドに喩えるあたりが、なんとも彼らしい。
「お前の面倒見の良さは知っているが、もうこどもじゃないんだ、髪くらい自分で乾かせる!」
「はいはい。失礼しましたー……」
はぁっ、と今度は聞こえるように、嫌味ったらしい芝居がかったため息を。
するとシュミットは、むーっと眉根を寄せて、
「お前、図太くなったよな」
とぷいっとしながら言う。
「シュミットは変わりませんね」
膨れた頬を可愛いなと眺めてエーリッヒは微笑した。
「昔から、誇り高くて眩しく美しい」
「……この状況にそぐわない褒め言葉をありがとう」
シュミットは、複雑そうな顔でそう言い、一瞬の後耐えきれないように破顔した。
「ははは、エーリッヒはほんとうに俺の扱いが上手いな!」
「そりゃあね。何年あなたを見ていると思ってるんです?」
ふふふ、とシュミットはまた笑って、手元のスマートフォンに視線を落とした。
「懐かしいな、出逢った頃が」
つられて画面を見ると、子ども時代のシュミットとエーリッヒが一緒に写っていた。
「実家から送られてきたんだ、この写真」
懐かしそうに目を細めるシュミット。
手を繋いで、仲良さげに画面に収まる自分たち。
無垢な自分が目に痛い。この頃は一緒に風呂にも入ったのに、今となっては風呂上がりのシュミットなんて、目の毒でしかない。
想いが爆発したら、自分はこの大切な人に、何をしてしまうのだろうか。
……何を、したいと、望んでいるのだろうか。
答えなんて、分かっていた。
何度夢で唇を重ねたか。何度妄想で高潔な彼を穢したか。
「エーリッヒ?」
声をかけられ、はっと我に返る。
「どうした、難しい顔をして。泣きそうにも見えるが……」
「まさか。……泣きそう、なんて。そんなこと………」
だんだん語尾が小さくなる。
シュミットに対して申し訳なく、しかし自分の欲望を認めざるを得ず。
唇を噛み締め、俯くエーリッヒ。
すると、シュミットは、うーん?と首を傾げて。
ぎゅ。
と、エーリッヒを抱きしめた。
「シュ………シュミット?」
「悩みがあるなら話せ。一緒に悩むから」
背中をぽんぽんとあやす様にたたかれ、エーリッヒの瞳に涙が滲む。
「シュミット………僕は………」
「うん」
「…………好きな人が、居るんです」
「……………………うん」
顔を埋めたシュミットの首筋は、バスルームに置いてあるソープの香りがした。
エーリッヒは自分の顔が熱くて熱くて、シュミットに変に思われないか、気が気ではなかった。
「僕は、その人を大切にしたいのに。……めちゃくちゃにしたいとも、思うのです」
「めちゃくちゃに?」
「僕以外に笑いかけないように。僕以外を見ないように。閉じ込めて、キスをして、甘やかして依存させたくて」
「それで?」
「………もちろん、セックスもしたくて」
「うん」
「でも、そんなこと出来ないんです」
大人しく話を聞いていたシュミットは、静かなトーンで「なぜ?」と問うてきた。
「その人は、とても…………その、美しくて。僕がこんな汚い欲で穢していい人ではない」
「そうか?好きなら、独占したいのもキスしたいのもセックスしたいのも、当然だろう?」
「でも……」
「自信を持て、エーリッヒ」
シュミットは、そっとエーリッヒの頭を撫で、そして。
真っ赤なエーリッヒの耳に。
ちゅっと唇を寄せた。
エーリッヒは一瞬のフリーズの後、ばっと身体を起こし、ぽかんとシュミットを見る。
「……え、いま、シュミット……」
「好きだから、キスしたくなった。だからした。すまんな」
シュミットはそう言って困ったように笑って、それから不意に美しい宝石の瞳を潤ませた。
「自信を持て。俺が好きになるほど、お前はいい男なんだから。エーリッヒ」
「え、シュミット、……シュミット…」
「見るな。………こんなかっこ悪い俺なんて、お前の目に触れさせたくない」
シュミットは両腕で顔を覆い、エーリッヒの視線から自分を隠す。
「シュミット、いま、キスを」
「すまない、ほんとうに衝動的すぎた」
「シュミット、話を聞いて」
エーリッヒはシュミットの手首を掴むと、力任せに引き剥がした。
紅潮したシュミットの頬を、つつと涙が伝う。
「見るなと言った」
睨みつけてくる瞳はキラキラと涙が光を反射して輝いていた。
エーリッヒは、何度も夢でそうしたように、そっとシュミットの頬を両手で包んだ。
そして、壊れ物に触れるような慎重さで、繊細な砂糖菓子を口にするような気持ちでシュミットの唇にキスをした。
「…………え?」
「好きです」
「エーリッヒ……?」
「好きですシュミット、僕が好きなのはあなたなんです」
堰を切ったように言葉が溢れる。
甘いばかりではない、どす黒い欲望の言葉も。
「あなたの目に他の人間が映る度に僕は胸が苦しくなる。夢で、妄想で、僕は何度もあなたと身体を重ねた。僕に組み敷かれて啼くあなたを想って、何度も眠れぬ夜を過ごした」
「ま、まて、組み敷くって………俺が女役なのかっ?」
「そうですが?」
「それは………………」
「嫌なんですか?」
「………複雑だ」
真っ赤になるシュミットの唇を埒が明かないとばかりに再びエーリッヒは唇で塞ぎ、今度はねとりと舌で唇をなぞってみる。
経験が少ないのか照れているのか定かではないが、シュミットは口を引き結んだまま、舌を出してはくれなかった。
それを少し残念に思いながらも、エーリッヒは紳士的に身体を離し、焦ることは無い、と自分自身に言い聞かせた。
「ちゃんと言いますね。僕はあなたが、シュミットが、好きです。どうか僕と………ずっと一緒に居てください」
「………言われなくても、そのつもりだ」
「親友としてでも、幼なじみとしてでもなく?」
エーリッヒがじっと目を覗き込むと、シュミットはとろ、と瞳を潤ませ、
「ちゃんと言ってくれるんじゃないのか?」
と真っ直ぐエーリッヒを見つめ返してきた。
「そうですね。ちゃんと言います。……恋人として側にいてください。僕の恋人になってください」
「……………Ja.としか、言えないだろう」
こうして、エーリッヒはシュミットを手に入れた。
長い長い片想いの終止符は、ようやく打たれたのだった。