ミーティングテーブルで、次の試合の資料に目を通す。次はサバンナソルジャーズ……カイの所と当たる。いつにも増して負けられない。
ひっそりと闘志を燃やす俺に、空気を読まない甘ったるい声で
「なぁアーム。ルージュの色変えたんだな」
とカフェオレの入ったマグカップを俺の前に置きながら、レゾンが笑いかけてきた。
「似合っているよ」
ウィ、とも、ノン、とも言ってないのに、レゾンはぱちん、とコイツのファンが見たら黄色い悲鳴が起きそうなウィンクを投げて寄こした。
確かに、いつもと違うリップを今日は付けているが……まさか気づかれるとは。意外と人を見ている奴なんだな。
「えー、いいなぁ!ねぇねぇリーダー♡こんど、春の新作コスメを見に出かけましょうよ♡♡♡私にどれが似合うか、見立てて欲しいな♡」
向かいでは、シャリテがディアナにしなだれかかっていつもの風景だが。
レゾンの目は、なんだかいつもよりとろりとして見えた。
「アーム、ちょっと」
と、俺はレゾンに人気のない通路に連れ出される。
「……何だ?こんな所で」
「いや。アームがいつもよりピリピリしてるから。…緊張してるのか?」
「………。まさか」
ふんと鼻を鳴らすとレゾンは芝居がかった仕草で前髪をさらりとかきあげて
「嘘は良くないぞ」
と言った。
「何故嘘だなんて」
「俺は、いつもアームを見ているからさ」
ふふっとレゾンは微笑む。
……何なんだ?
「何が言いたい?」
「分からない?つれないな」
レゾンは肩を竦めて、自然な仕草で俺の髪をひと房掬い、そして髪にキスをする。
「!?」
「アームって、美人だなって前から思っていたんだ」
髪をさらりと落とすと、そっとレゾンは壁に手をつく。ふと気づけばレゾンの両腕に閉じ込められ、壁に張り付く形になっていた。
「なぁ、素顔を見せてくれないか」
甘く掠れた声が耳に直接吹き込まれる。
「つまらない戯れはやめろ」
「良いじゃないか、火遊びが消えない炎になることもあるんだぜ?」
「お得意の恋愛ごっこがしたいなら、相手を選べ」
「選んださ。極上の相手を」
仮面越しに、目を覗き込まれる。
「みせて」
レゾンが俺の仮面に手を伸ばした。
妙な威圧感で、俺はそれを阻止できなかった。
つ、と嫌な汗が背中を伝った。
ぱっと視界が明るくなる。
仮面に遮られることのない世界。
その世界はレゾンの整った顔で満たされた。
「──近い…っ」
拒否をするより早く、唇に唇が重ねられた。
「……!」
一瞬の出来事だった。
すぐにぱっと離れたレゾンは頬を紅潮させ、目を見開いて俺をまじまじと見ている。
「すっ…ごい、美人だな………」
俺は何も答えず、袖で口元をぐいと拭う。
「ああ、そんなことをしたらルージュが…」
レゾンは親指で唇の縁をなぞるように俺に触れた。
その指が微かに震えていた。
「参ったな。本当に、大火傷だ」
レゾンがうわ言のような独り言のような口調で何か言っていたが、俺は怒りと悔しさで何も言葉を発せなかった。
カイも、初めて口付けたあの時、今の俺のような怒りや悔しさを感じたのだろうか───?
「アーム?レゾン?何処にいるんだ?レースが始まるぞ」
通路の角の向こうの方から、クラージュの声がした。
俺はレゾンの胸板を両手でドンっと押し退け、身を翻し声の方に早足で向かう。
「ここだ。ちょっと作戦会議をしていた」
角を曲がった所に居たクラージュが、はっと息を飲んで目を丸くした。
「アーム。忘れ物」
後ろから追いついて来たレゾンが、指に挟んだ仮面をこれみよがしに揺らす。
「!しまっ……」
レゾンから逃げることに意識が集中しすぎて仮面を取り返すことを忘れていたことに気づいた俺は、今度は仮面に意識が集中してしまい。
がしっとクラージュに両手を握られた。
「何なんだ!」
「……美しい!」
「はぁ!?」
「朝露に濡れた薔薇の花のようだ」
クラージュは俺の手を握る手にぎゅうっと力を込める。
「痛い!」
「…あっ。すまない………お前の美しさについ、我を忘れて…」
「嬉しくない!」
俺は吐き捨て、レゾンから仮面を奪う。
そして、「レースが始まるんだろう!行くぞ」と踵を返して控え室へと向かった。
「ん?アーム…」
控え室に帰ると、シュヴァリエ・ド・ローズを手に携え愛しげに撫でていたディアナが目をぱちくりとさせた。
シャリテが、口元を手で隠し、うふふっと笑う。
「やだ、ルージュが取れてるし擦れてはみ出してるわ。まるで、意にそぐわないキスをされた後みたい」
………ああそうだよその通りだ!
とも言えず、俺は黙ってまた袖で唇を拭う。
「鏡」
「はい」
手を出すと、シャリテが私物の手鏡をぽんと乗せて渡してくれた。
ポケットから取り出した口紅を塗り直し、すーっと大きく息を吸う。
………俺は、アーム。
冷静で感情を出さない、アームだ。
土方レイではないんだ。
レゾンもクラージュも、レーサーの顔になっていたし、俺も奴らに無表情を向けられる程度には落ち着いた。
「よし、いくぞ。サバンナソルジャーズに革命の瞬間を見せてやろう」