昼休みの、カフェテリア。
思い思いに昼食をとる学生で賑わう中に、見慣れた二人組が談笑しているのを見つけてエッジは気安く近寄った。
「ハローお二人さん!今日も仲良くランチデートか?」
声をかけられたシュミットとエーリッヒは、エッジの方を見てそれぞれに笑う。
「やあ、エッジ。席はあるのか?」
「これから探すとこ」
「じゃあここに座るといい」
シュミットは自分の隣の席の椅子を軽く引いて示して、それからまたエッジに視線を戻し微笑んだ。
エーリッヒを見ると、特に異存は無いらしく、頷いてくれている。
そこでエッジは、持っていたトレイをテーブルに置き、シュミットの隣の席に座った。
「ひとりか?今日はブレットは?」
「さぁ?俺らはそんなにベッタリいつでも一緒に居るわけじゃないしね」
エッジが肩を竦めると、エーリッヒが苦笑し、
「その言い方だとまるで僕達がベッタリいつでも一緒に居るみたいじゃないですか」
と言うのにシュミットが明るく笑う。
「ははは、確かに私たちは良く一緒に行動するよな!」
「そうそう。いつもラブラブでさー?羨ましいよ」
エッジが軽口を叩くと、シュミットはにやりと笑い、
「君もラブラブな誰かが本当は居るんじゃないのか?いつも女子に囲まれてるだろう」
と返した。
「え?気になるの、シュミット?俺に興味がある??」
「いや、ないな」
「酷っ!興味持ってよ!」
「あははは!」
楽しそうに笑うシュミット。
いつもツンと取り澄ましているシュミットがこんなに笑うのは、一般生徒には珍しいことらしく、周りの席からチラチラと視線を感じる。
(本当は年相応な、可愛いとこもあるんだけどなー)
とエッジは周りを見回す。
シュミットは、その容姿の美しさと、グランプリレーサーであることから、非常に目立つ存在だ。
女子だけでなく男子の中にも時折色を含んだ熱い視線を送っている奴がいることに、エッジでさえ気づいていた。
ひとりにするのが心配なエーリッヒの気持ちもよく分かる。
とはいえ、エーリッヒは少々過保護すぎる気もするが……。
「エッジ?」
物思いに耽ってしまったエッジに、シュミットは首を傾げ名前を呼んだ。
ああもう、そういう可愛い仕草しないでよ!とエッジはエーリッヒを窺う。
エーリッヒは穏やかに、微笑みを浮かべてシュミットを見つめていた。
どうやらエッジはエーリッヒの中で恋敵にはなり得ないと判定されているらしい。
シュミットにちょっかいを掛けようと近づいた一般生徒に、冷たい視線を向けるエーリッヒをエッジは何度も見ていた。
一般生徒だけではない、ブレットのこともよく、エーリッヒは何か言いたげに睨みつけている。
確かに、ブレットがシュミットに好意を寄せていることをエッジは知っていた。
しかし、その気持ちを応援する気にはどうしてもなれない。
ライバルチームだからとかそんな理由ではなく、シュミットに振られて傷つくブレットを見たくないのだ。
いつもふたりで仲良く行動しているシュミットとエーリッヒが、ただの幼なじみだとか友人だとか、エッジには思えなかった。
エッジは何度も、「シュミットはやめときなよ」とブレットに告げているが、「あの二人が付き合っている証拠はない」とブレットは諦めない様子なのだ。
それを思い出して、苦い気持ちがエッジの胸に広がった。
「エッジ?どうしました?」
今度はエーリッヒから、声をかけられエッジはハッとする。
「んー、ごめん、なんでもないよ!」
と取り繕って、笑顔をふたりに向けた。
「さっきから変だぞ?」
シュミットがまた首を傾げる。シュミットの少しひんやりした手が、エッジの額に触れる。
思わぬ接触に、エッジは狼狽えた。
こんな風に気安く触れられては、勘違いもしてしまいそうになる。
「熱は無いな。だがぼーっとしているし食欲もなさそうだ」
手付かずのエッジのランチをシュミットは見た。
「医務室に行くか?調子が悪い時は無理をしない方がいい」
「いや!大丈夫!平気!!食欲もあるよ!」
慌ててエッジはフォークを手に取り、サラダに突き刺す。
「そうか?大丈夫なら良いが……」
そう言ってシュミットは手を離して、尚も釈然としない顔でエッジを見ていた。
「シュミットはあれで結構優しいところがある」なんて、ブレットから聞いたら「惚れた欲目なんじゃない?」と鼻で笑いそうだが、今のシュミットの心配の仕方を見ると、自分の方がその台詞を言ってしまいそうだ。
ましてや、身体的接触を伴うとなると。
自分はシュミットの意外な一面を知っていて、しかも触れられるほどに好意を持たれている、と、良い気になってしまう勘違い野郎がそこかしこに居てもおかしくは無い。
なんと言うか、シュミットは、無自覚に思わせ振りなのだ。
サラダをモグモグと食べながら、エッジはシュミットをちらりと盗み見た。
シュミットは優雅な仕草で、食後のコーヒーを飲んでいるところだった。
長い睫毛、すっと通った鼻筋、微かに色づく唇と滑らかな肌。
じっと見ていては触れたくなってしまう。
危険だ……と、エッジは視線を逸らした。
それを見ていたエーリッヒから、
「やっぱり少し様子がおかしいのですが。落ち着きがありませんね」
と不意に言われてエッジは目を白黒させた。
シュミットをそういう意味を含む目で見て観察していたなんて、知られたら困る。
「大丈夫か?体調不良でないなら……悩み事でもあるんじゃないのか」
カップを置いてシュミットが、眉を寄せて訊いてきた。
「ブレットや、チームのメンバーには言い難い悩みか?お兄様が聞いてやらんでもないぞ」
ふと優しく微笑みかけられ、エッジはドキリとする。
やっぱりシュミットはずば抜けて美しい。
そのシュミットにこんな風に話しかけられて、自分は周りから見れば、さぞや羨ましい存在なのだろう。
しかし、エッジはシュミットに恋をする気にはなれない。
エーリッヒと、ブレットと、争ってまでシュミットを手に入れるなんて、面倒だし勝ち目があるとも思えないのだ。
「……じゃあさ。ちょっと聞いてよ、俺の悩み」
エッジはため息をついて、フォークを置いた。
シュミットとエーリッヒはそれぞれに頷き、黙ってエッジが話し出すのを待つ。
「俺の事じゃないんだけどさ、まぁ、…知り合い?が、ある人のことを好きでさ」
「恋愛相談か」
「それは……僕達、お役に立てるか分かりませんね」
「おいおい頼りねーなー!悩み聞いてくれるんでしょ!?」
顔を見合わせるシュミットとエーリッヒに、エッジは苦笑を向けた。
「でさ、その好きな相手ってのがさ、多分なんだけど別の恋人がいるんだよ」
「三角関係ですか」
「エッジの知り合いとやらは横恋慕しているってことだな」
「横恋慕…………いやでも、相手に恋人がいるってのも多分、だからね?とは言え確率はかなり高いんだけどさ。で、俺は知り合いが振られて傷つくのを見たくないわけ。だから早く諦めさせたいんだけど、どうすればいいと思う?」
やや早口に、周りの目を気にして小声で捲し立てて、エッジはふたりの返事を待った。
「私は見守ってやるのがいいと思うぞ。振られるのだって人生経験だ」
したり顔で、シュミットは腕を組んで頷いた。
「えー、人生経験ったって……」
それは嫌だなぁ、とエッジは思い、エーリッヒは?と水を向ける。
「……そうですね。好きなお相手に、恋人がいる証拠を突きつけたら、諦めるんじゃないですか?傷つくのは避けられませんが」
エーリッヒは困ったようにやんわり、微笑んで答えた。
「やっぱりそうだよねー……証拠………証拠かぁ…………」
エッジが机に突っ伏したいのを堪えて頭を抱えると、エーリッヒが穏やかな口調で、
「ちなみに、そのお知り合いって、ブレットですか?」
と図星を突いてきた。
「え、ブレット?あいつ好きな人がいるのか?」
急にシュミットが、強く興味を引かれたようにエッジを見る。
「いや、リーダーのこととは言ってないじゃん」
ひらひら手を振り、エッジは一応否定をしておく。慌てそうになるが、努めて冷静に。
「まあ、ブレットなら、どんな相手でも簡単に落とせるんじゃないか?今付き合っている恋人よりブレットの方がハイスペックだろうし、好きな相手も恋人と別れてブレットを取るかもしれないし。だからエッジ、君はあまり悩まなくていいと思うぞ」
にこやかにシュミットが、ぽんとエッジの肩に手を置いた。
(ほらぁ、またぁ!こういう気軽なボディタッチ、リーダーにはしないでよね!)
と言いたくても言えないエッジは、はは、と乾いた笑いで誤魔化した。
「もし、そのお知り合いと言うのがブレットのことだとしたら…」
エーリッヒがまた話し始めたので、シュミットがそちらに注目する。
白くしなやかな指が肩から外れて、エッジは少しほっとした。
「可哀想ですが、ブレットは振られますよ」
エーリッヒは同情するような顔をして、そう予言した。
「ブレットが?なんで!」
シュミットは驚いて声を高くする。
「ちょっ……!声抑えてシュミット!注目されちゃう!」
「あっ…」
ここが昼休みのカフェテリアだと思い出したのか、シュミットが慌てて自分の口を押さえて周りを見回した。
エッジは、ふーっと長く息を吐いた。
「あとさー?さっきも言ったけど、別にリーダーのことじゃないからね」
「そうだぞエーリッヒ。ブレットが振られるなんて、そんなことあるか?」
「だからリーダーじゃないってば」
エッジはもうため息も出なかった。
「僕は多分、ブレットの好きな人が誰か知っています」
エーリッヒはエッジに視線を向けて、そう言ってきた。
「え!」と上げた驚きの声はシュミットのそれと重なった。
「なんでお前が知っているんだ?私は知らないぞ、ブレットからそんな話聞いた事はない!」
シュミットは機嫌を悪くしたことを隠しもせず、眉を寄せてむっとした顔をした。
「私の方がお前よりブレットと親しいのに!」
(あーそれ。そういうのが良くないってば。勘違いさせるって!ほんっとシュミットってば、もう……)
エッジは心の中でそう思ったが、顔には出さずエーリッヒに、「続けて?」と先を促した。
「ブレットの好きな人には、残念ながら恋人がいて、しかもその人が恋人と別れてブレットを選ぶことはまずありません」
淡々と告げるエーリッヒに、エッジは全て見透かされているなと悟った。
どうせ、恋人というのはエーリッヒ自身のことなのだろう。
婉曲的な交際宣言をされ、エッジは肩を竦めた。
「なるほどね。やっぱそうか」
「え?ちょっと待て、やっぱりブレットの話なのか?」
ひとり話についていけていないシュミットが、エッジの方に身を乗り出す。
「内緒にしてよね、俺がこんな相談したなんて」
エッジが言うと、シュミットはますます体ごと顔を近づけてきて、
「ブレットの好きな人って誰だ?」
と真剣な顔で訊ねた。
「どうして私にはなにも言ってくれないんだ?エッジはともかく、エーリッヒまで知っているというのに。友人だと思っているのは私だけなのか」
「いや……エーリッヒも、リーダーから聞いたわけじゃないと思うよ。でしょ?」
エッジは身を仰け反らせながら、エーリッヒに助けを求めた。
「シュミット。エッジが困ってますよ」
「だって」
ぷーっとシュミットは頬を膨らませる子どもっぽい仕草で不満を表す。
「僕は、ただ、見ていて気づいただけです。ブレットは結構頑張ってアタックしているのでね」
「そんな場面見たことがないが?」
その頑張ってしているアタックが、想い人であるシュミットには全く通じていないと知ったら、ブレットはさぞやがっかりすることだろう。
エッジは(シュミットって鈍いんだな…)と思いつつ、椅子をガタガタ言わせてシュミットから距離を取る。
「それで、その相手が恋人と別れないなんて、何故お前が言いきれる?ブレットはかなりいい男じゃないか」
シュミットは身体を戻し、今度はエーリッヒに詰め寄った。
「うーん。だって。僕はその好きな人のことも、その人の恋人も、よーく知ってるので……としか、言えません」
エーリッヒは困った様に微笑む。
「……私ばかり蚊帳の外か」
シュミットは、尚も不満げにしていたが、それ以上の追求は諦めたようだった。
エッジがほっとしていると、エーリッヒが優しい声音で
「ブレットの恋は実りませんが、あなたのように大切に思って心配してくれる人がいて、幸せなんじゃないですか?」
とエッジに向かって言った。
「そうだといいね」
エッジは力なく笑う。
「なあエッジ、この話、ブレットにどう伝えるんだ?ブレットの好きな人には、恋人がいて、別れる可能性はない……なんてこと、私ならとても言えないな…」
シュミットは、まるで自分が振られたかのようにしゅんとしてしまっていた。
「あー………まあ、チャンスがあれば言うけどさ」
「シュミット。そんな顔しないで」
エーリッヒが向かいから手を伸ばして、テーブルの上でそっとシュミットの手に指を絡める。
「エーリッヒ…」
シュミットは絡み合う指を見つめた後、エーリッヒの顔を見て、そして一瞬だけ泣きそうな顔をした。
「大丈夫ですよ。失恋したって、ブレットには慰めてくれる友人が居ますよ。…ね、エッジ」
「うん。そりゃもー、全力で慰めちゃうよ!」
エッジはわざと明るく、おどけた調子で言う。
「だからシュミット、そんなしょんぼりしないでよ。それから、これからもリーダーとはいい友達でいてくれる?」
「……ああ、もちろんだ」
シュミットは、花咲くように美しく微笑んだ。
エッジは「ありがと」と言いつつ、絡みっぱなしのシュミットとエーリッヒの手が気になって仕方がなかった。
「…………ごめん、その手、いい加減離さない?見てる方が恥ずかしんだけど」
「え?……恥ずかしい?」
シュミットはイチャついている自覚もないようで、きょとんとした。
「エッジは意外と奥ゆかしいんですね」
エーリッヒはそうからかうように言い、シュミットの手を離す。
「ああ…手を繋ぐのが恥ずかしいのか?ふうん」
こんなのが?と呟いたシュミットは、不意打ちにエッジの手を握った。
「うわ、」
「驚きすぎじゃないか?なんだ、私と手を繋ぐのが嫌なのか?」
「いや、そうじゃなくて……シュミット、こういうことリーダーにもする?」
「え?まあ、しないとは言いきれないが」
「あーもー!エーリッヒ!」
助けを呼ぶと、エーリッヒが苦笑して、
「あまりエッジを困らせないで」
とシュミットを諌めた。
「そろそろ行きましょう、シュミット」
「うん?そうか」
エーリッヒが席を立ち、シュミットと自分の分のトレイを持つ。
シュミットは時計をちらりと見てから、エッジに
「また悩みがあったら言えよ」
と笑いかけた。
「ありがと。そうするよ」
取り敢えず今の悩みは、シュミットが思わせ振り過ぎてリーダーが可哀想ってことなんだけど………とは言えず、エッジはお礼だけ言って笑い返した。
「じゃあな」
軽く手を振り、シュミットはエーリッヒと連れ立って去って行った。
「はー。やっぱりかー。そりゃなー、見てたら分かるよなー。…でも、あんなに思わせ振りな態度をとられちゃね。エーリッヒも苦労してんだろうな」
エッジはやり切れない思いで、項垂れた。