「行ってきます」、を言った時はまだ幼なじみだった。
僕が二軍のリーダーとして一人で世界グランプリに参戦するため、日本に赴くことになった時には、半年もの間シュミットと離れることがこんなにも寂しく辛く苦しいものだとは思わなかった。
一軍がヨーロッパ選手権に出場している間、ひとりでミハエルを支えなくてはいけないシュミット。ひとりで二軍と共に戦わないといけない僕。お互いに忙しく、時差のせいもありなかなか連絡も取れない。
寂しさや苛立ちを感じながら戦っていた日々を終わらせたのは、シュミットからの一通の手紙だった。
見慣れた流麗な字で、「元気にしているか?」「戦況報告くらいしたらどうなんだ」「こちらは順調に勝ちを重ねているぞ」、等々書かれた手紙の最後の一文。
「お前が隣にいないことが、こんなに寂しいなんて。胸が張り裂けそうだ」
ああ、僕もです、シュミット!と、彼を抱きしめたかった。この一文を書こうかどうしようか迷いに迷うシュミットが目に浮かぶ。彼は強がりだから。文字が、少し震えているようにも見えた。
僕はすぐに返事を書く。思わしくない戦績は伏せさせてもらって。戦績なんかより、言いたい事があった。
「あなたがいない日々はとても空虚です。僕の日々を彩っていたのは間違いなくあなただった。何度も夢であなたに会い、目が覚めては虚しい気持ちになりました。こんなにもあなたに焦がれるなんて、これはもはや恋でしかありません。僕はあなたに恋をしています。きっと、ずっと前から。あなたに触れたい、キスをしたい、僕だけに笑いかけて欲しい。僕の恋人になってくれませんか?」
手紙を書き上げ、封をした所までは高揚していたが、いざポストに投函するとなると、躊躇いが生まれた。こんな手紙、迷惑じゃないだろうか。僕がシュミットの特別な存在だなんて、思い上がりの勘違いじゃないだろうか。………幼なじみの、男に、恋人になって欲しいなんて。気持ち悪いと距離を置かれたらどうしよう。
結局その日僕は、手紙を出せずに持ち帰り、抽斗にその手紙をしまいこんだ。
それから数日、悩んで悩んで…………そうしていたら、シュミットから電話がきたのだった。
こちらの時間に合わせた電話。気を遣ってくれている。電話に出ると、「今、電話して大丈夫か?」とまた気遣いの言葉。
「ええ、大丈夫ですよ。もう今日は練習もミーティングも夕食も終わりました。」
久々に聞くシュミットの声。なんて心地が良いのだろう。
「そうか。………手紙を書いたんだが、届いたか?」
「はい、届きました。ありがとうございました」
「うん。……………あの、な、」
シュミットは少し言いよどむ。僕は、「どうしましたか?」と促す。
「らしくないと笑ってくれていい。でも、………寂しくて………………」
シュミットの声が、急に震えた。沈黙の後、ず、と鼻をすする音がした。
「………泣いてるんですか」
「お前の声を聞いたら、堪らなくなった。早く会いたい」
「泣かないで、シュミット。僕もあなたに会いたいです」
ああ、こんなにシュミットを寂しがらせるなんて。僕は悪いやつだ。悩んでいないで、手紙の返事を出せば良かった!
「シュミット………僕はあなたがとても恋しい。何度も夢に見るほどにあなたに焦がれています。……再会できたら、あなたを抱きしめてキスがしたい」
「エーリッヒ……?」
「あなたの手紙に、返事を書いたんです。でも、出す勇気がなくて。………ラブレターになってしまったから、迷惑かもって」
シュミットが、小さく息を飲んだ気配がした。
でも、ここまで言ってしまったのだから、ちゃんと気持ちを伝えないと拗れてしまう。
僕は意を決して、手紙に書いたのと同じようなことをシュミットに伝えた。
「あなたが好きです。幼なじみとか、友人とかではなく、僕はあなたに恋をしています。……あなたと離れて、はっきり自分の気持ちが分かりました。いつまで一緒にいられるか分からない関係では嫌だ。あなたと一生を共にしたい。あなたの恋人になりたい」
「………ふ。告白を通り越して、プロポーズじゃないか」
涙声のまま、シュミットが笑った。
「私もお前が好きだよ、エーリッヒ。キスしたいとか、他の人間にお前を取られたくないとか、そういう種類の好き、だ。喜んでお前の恋人になろう」
「シュミット………!本当に?良いんですか?」
「良いんですかって。良いに決まってる。それともお前は振られるつもりだったのか?」
僕は胸がいっぱいになった。
ああ、僕はたった今、シュミットの恋人になったんだ!
「あなたがこちらに来たら、たくさんデートしましょうね。たくさんキスさせてくださいね」
「……ああ。楽しみにしてる」
照れたようなシュミットの声に、愛しさが爆発した。
「愛しています、シュミット!」
「私も………愛してる、エーリッヒ」
こんなに気持ちが通じたのに、ハグもキスも出来ないのがもどかしくて仕方がなかった。
「早く会いたい。あなたに触れたい」
「来月には、そちらに行くよ」
「ええ。待ってますね」
シュミットが電話を切っても、僕はなかなか受話器を置くことが出来なかった。
来月。ああ、来月には、僕の“恋人”に、ようやく会えるんだ。
早く再会の日になってくれ。
戦績が思わしくないことも頭から抜け落ちて、僕は浮かれた。
再会が楽しみで………その夜はなかなか眠れなかった。
シュミット…………ああ、愛しいシュミット。今夜はあなたの夢が見れるに違いない。あなたも僕の夢を見てくれますように。