こどものころ、世界グランプリで競い合ったドイツのシュミットとエーリッヒがアメリカに来ると連絡があった。シュミットと仲が良く、その後も何かと交流のあったブレットがその話をエッジにした。
「折角だから食事を一緒にすることになっている。お前も来ないか?」
今では浅からぬ、お察しの仲となったブレットに言われてエッジは勿論頷いた。
ブレットのセッティングしたレストランで、シュミットとエーリッヒと共に過ごすディナータイムは楽しかった。
久しぶりに会った二人はすっかり大人になっていて(それはエッジ自身も、ブレットもそうなのだが)、そして変わらず睦まじかった。
精悍な美青年となったエーリッヒの隣に並ぶシュミットは、昔と変わらず──むしろ益々美しく、それに加えて大人の色気を纏っていて、ああエーリッヒに愛されまくってんだな、とエッジは思った。
お察しの仲、とは言うものの、正直自分からのベクトルが一方的なのではないかとたまに思ってしまうエッジに比べて、目の前の二人はどこからどう見ても相思相愛!付き合ってます!もうすぐ結婚します!と言わんばかりだ。
それは今に始まったことでは無いが、昔と比べてなんとも言えない全てを許しあった雰囲気で──あ、一線越えたのね?そりゃそうか、もうガキじゃねーもんな。とエッジは思うなどした。
対するエッジとブレットは、どう見えているのだろうか。ちゃんと自分はブレットの隣に並ぶに足る存在に見えるのか?とエッジが思案しているうちに、あっという間に食事は終わってしまった。
「話し足りないな」
「そうだな、飲み足りなくもある」
ブレットの言葉にシュミットも同調したので、四人は次の店に行くことにする。
それにしても。シュミットは結構飲んでいたのに、飲み足りないだなんて。一歩後ろを歩くシュミットの顔を振り返って見るが、ほんのり頬が赤いような気がするようなしないような、と言った程度で足取りも軽やか、酔っているようにはとても見えない。
「結構飲むのなーシュミット?」
エッジが言うと、シュミットは
「ん?そうか?エーリッヒの方が飲むぞ」
と隣、車道側を歩くエーリッヒを見やる。ちなみにブレットは自分が車道側を、エッジに並んで歩いている。危ないから歩道側歩いてね、なんて言って聞くブレットではない。
「エーリッヒはいかにも酒強そうだよな」
「だろう?いつも気がついたら私ばかり酔っていて。エーリッヒが酔ったところを見たことがない」
ふふ、と笑うシュミット。愛しげだ。
「うちのブレットはあんま酒強くねーから、潰さないでくれよ?」
エッジの言葉にシュミットは目をぱちぱちし、そして今度は吐息でふ、と笑った。
「うちのブレット、か。リーダー呼びはもうしてないんだな」
「まーね。一応、恋人なんで」
「はいはい、知っているよ。ご馳走様」
「なにそれー。シュミットこそ、ずっとエーリッヒとラブラブなんだろ?ご馳走様はこっちだよ」
するとブレットが、肘でエッジを小突き、
「おいエッジ、あまり余計なことを言うな」
と苦い顔をする。
「なんだブレット?エッジと付き合ってるのはもうとっくにバレているんだから、今更照れるなよ」
「そうですよ。仲が良くて微笑ましいですよ」
シュミットとエーリッヒが口々に言い、それにまたエッジやブレットが
「ブレット、照れ屋なんだよ」
「うるさいな、エッジもシュミットも調子に乗るなよ?」
などと返す。
そうしてじゃれ合いながら歩くうちに、エッジの馴染みの店に辿り着いた。
ここだよ、と告げるとエーリッヒが当たり前のように前に出て扉を開けた。シュミットのことを主人のように扱い甘やかしているのは昔から変わっていないようだ。
「相変わらず主従みたいだな」
エッジに言われたシュミットは全く心当たりなどなさそうに驚き、「え?そうか?」なんて言うのだから、本当にこの二人にとってはナチュラルな事なのだろう。
「賑やかな店ですね」
シュミットの後に店に入ったエーリッヒが広いが人でいっぱいの店内を見回して言う。
「そうだね。騒がしくて落ち着かない?」
「いいえ?好きですよ、こういう雰囲気」
と言いつつエーリッヒはひどく自然な仕草でシュミットの腰を抱いた。酔っ払いばかりの酒場で、シュミットをガードする必要を感じたのかもしれない。シュミットは特にそのアクションに対して発言もなにもしなかった。これも二人にとってはナチュラルな事らしい。
ちなみにエッジは、人前でブレットの腰を抱いたことなど無い。正直羨ましかった。
「じゃあ改めて。アメリカにようこそ!乾杯!」
丸テーブルを囲み、酒が行き渡ったところでエッジは気持ちを切り替え努めて明るく言った。
ブレットが、久しぶりに会えたシュミットと話せて楽しそうだから、良しとしよう。イチャイチャするのは家に帰ってから。そう、今夜は絶対お持ち帰りしてやる。
エッジがそんなことを考えているとはこの場の誰も気づいていないだろう。
「ブレット、次何飲む?」
エッジは下心たっぷりにブレットに酒を勧め、ブレットは普段よりずっと早いペースでグラスを次々に空ける。
「いい飲みっぷりじゃないか」
けらけら笑うシュミットの様子がおかしいことに、エッジは気づかなかった。やはりシュミットの異変にはエーリッヒが真っ先に気づく。
「シュミット、大丈夫ですか?酔ってるでしょう」
エーリッヒに言われ、シュミットは色気たっぷりな流し目を隣に座るエーリッヒに送り、
「だったらどうする?……大丈夫だ、このくらい」
と返すが、言われてみれば確かにやや舌足らずな喋り方に聞こえた。
「ごめん、飲ませすぎた?」
ブレットを酔わせてお持ち帰りしようとするあまりシュミットの酒量に気づいていなかったエッジは焦る。
するとシュミットは正面からエッジを潤んだ目で見つめてきて、
「心配しなくていい。私はまだ飲める」
と酔っ払い定番のセリフを吐いた。
「……水を貰いましょう」
エーリッヒが店内を見渡すも、店員が客に対して圧倒的に足りていない。
「僕、貰ってきます」
エーリッヒは仕方なく、カウンターまで水を取りに行った。
すると向かいのシュミットが、さっきまでエーリッヒが座っていたエッジの隣の席にすとんと移動してくる。
「どうしたのシュミット?」
「んー?ふふふ、エッジ、君には色々聞きたいことがあるんだ」
にこぉ、とシュミットは麗しい顔をいかにも機嫌良さげに笑ませた。
「聞きたいこと?」
「ふふふ。………なあ、ブレットとはいつから付き合っているんだ?」
こそっと耳元に顔を寄せて、シュミットは内緒話のように訊いて来る。
「お前らに比べたらまだ全然最近だよ。一年も経ってない」
エッジは同じようにシュミットの耳元でひそひそと囁いた。
それを見ていたブレットが、据わった目をして、「おい!」と声を上げる。
「どうした?ブレット?」
シュミットはエッジの肩に両手を置いた酷く近い体勢でブレットを見た。
「お前ら、今、キスしたな?」
「はぁ?」
声を上げたのはエッジだ。
ブレットの角度からは頬にキスをしたように見えたらしい。
「俺の目の前で浮気とは、良い度胸だなエッジ!」
「してないよキスなんか!」
弁解するも、酔っ払いブレットは「いや、してた!」と言って譲らない。
「あのなぁブレット?」
シュミットが口を開いた。
ブレットの勘違いを正してくれるんだと、エッジは思った。
「浮気の時のキスっていうのはこう言うのを言うんだよ」
ちゅっ……と、シュミットはエッジの唇に不意打ちにキスをしてきた。
「ちょっ……と、シュミット!」
抗議の声を上げた拍子に、シュミットの舌がエッジの口内に入り込む。
「んっ……!」
「ん、んぅ、…っはぁ、…っん」
気持ちよくなってしまったのかシュミットのキスは終わらない。エッジの頬を両手で挟み込み、キスに興じるシュミットの吐息はあまりにも艶かしい。
エッジは驚きのあまりシュミットを引き離せない。
と言うか、シュミットのキスはあまりにも巧みで、正直もっとしたい、と思ってしまっている。エッジもそれなりに酔っていた。
「………っ、お前らっ!」
ぽかんとしていたブレットが、我に返りガタッと身を乗り出し、エッジの後ろ襟を掴んで無理矢理に引っ張った。
エッジと強引に引き離されたシュミットは、濡れた唇を拭いながら「ヤキモチか?可愛いことだな」と余裕の笑みを浮かべる。
「あっ、当たり前だろう!エッジは俺の……!お、俺、の…だな、………!」
ブレットがシュミットを睨みつけて声を荒げる。が、声は段々小さくなってしまった。
「俺の、なんだ?大事な可愛いペットか?」
「……このっ!」
シュミットに煽られ、ブレットは怒りに震えた。
「ま、まあまあ。怒んないでよブレット。シュミット泥酔してるみたいだしさ、浮気じゃないよ?俺はブレットのことがちゃんと好きだよ?」
「黙ってろエッジ」
ブレットがエッジに向けた視線があまりに冷たく、エッジは二の句が継げなくなる。
やべー、誰か助けて!
エッジが天を仰いだ時、酷く落ち着いた声が
「はい、そこまで」
と場の空気を変えた。
「エーリッヒ?」
シュミットが不機嫌に名前を呼ぶのに、エーリッヒは冷静に
「いい加減にしなさい、この酔っ払い」
とシュミットの前に水の入ったグラスをこんっと置いた。
「邪魔をするな、私は今、エッジとブレットの仲を確かめて……」
「ブレットがどのくらい本気か、知りたかったんですね?だからって、僕以外の男とキスなんてしたら駄目じゃないですか」
酷く低いエーリッヒの声に、シュミットはびくんとして、一転上目遣いにエーリッヒを見るとその首に抱きついた。
「悪かった、もうしない。許してくれ」
「後でゆっくり懺悔は聞きます。今日はもう帰りますよ」
エーリッヒに促され、こくりと頷いたシュミットは席を立ち、エーリッヒにふらっと凭れかかった。
「あ、れ…?」
「真っ直ぐ立てないんですね。全く……慣れない安酒で悪酔いしましたね」
「うう……すまないエーリッヒ………」
シュミットは申し訳なさそうに俯く。
「僕たち、もう失礼しますね。あなたたちはどうします?」
エーリッヒはシュミットを支えて、エッジにそう話しかけた。
「あ……俺たちも帰ろっか、ブレット?」
エッジがブレットを見ると、ブレットはやたらとぶすくれた顔で頷いた。
「エッジ」
席を立ったエッジに、ブレットが手を伸ばした。
「はいはい、立てないのね。いっぱい飲んだもんね」
その手を取ろうとエッジが近づくと、ぐいっと強い力でブレットに引っ張られ、バランスを崩してエッジはブレットに抱きついてしまう。
「ちょ、ブレット?」
「シュミットより俺が良いって言え」
「は?」
ぎゅっとエッジを抱きしめたブレットの言葉に、エッジは耳を疑った。
「俺のことが好きって言ったじゃないか。嘘だったのか?浮気者」
「ちょ、ブレット!何言ってんの?」
「っ、エッジの馬鹿……」
エッジがなんとか身を離してブレットを見ると、ブレットは目を潤ませていた。
「は?え?まじでどうしたのブレット?変な酔い方してる?」
「酔ってない!」
「酔ってないわけないだろ?」
「………酔っ払いは嫌いか?シュミットの方が良いのか」
「なんでそうなるの?てかシュミットも酔っ払いだしね?そんなことより、自分とシュミット比べて拗ねるの止めなよ。俺が好きなのはブレットだけだってば」
そこまで言うと、ブレットはようやく強ばっていた表情を少しだけ緩ませた。
「ほんとだな?」
「ほんとだよ。信じられないならここでキスでもなんでもしてやるよ」
エッジが半ばヤケになって言った言葉にブレットは慌ててあたりをきょろきょろと見、今更声をひそめる。
「馬鹿、こんなところでそんなことできるか」
「大丈夫だって。周りも酔っ払いばっかりだし」
「だが……っ」
「黙ってよ」
エッジはブレットの口をキスで塞ぐ。
ただ唇を合わせるだけのキスではあったが、人前でするのは初めてだ。
ちゅ、と音を立ててブレットの唇を吸い、離れると、真っ赤っかになったブレットが視線を泳がせてこちらを見守っていたシュミットを見た。
「なんだブレット、ペットの躾がなっていないな。ちっとも言うことを聞かないじゃないか」
シュミットがそう揶揄うのに、ブレットはシュミットを睨みつけ
「ペットじゃない、恋人だ」
とはっきり告げた。
エッジは感動してしまい、「ブレット!俺嬉しいよ!」とブレットに再び、今度は故意に抱きつく。
「ほら、外に出ましょう。夜風に当たって酔いを覚ました方がいい」
ひとりけろりとしているエーリッヒが、溜息をついて言った。
店の前でシュミットとエーリッヒがタクシーに乗ったのに手を振り、エッジはブレットの手を握り自宅に向かい歩き出す。
「俺ん家来る?」
「……行く」
ブレットが頷いた。手は振り払われることはなかった。