スクープの恋人『スクープ!ブラッド・ビームス、熱愛発覚!』
パトロール中、湖の綺麗なセントラルパークに立ち寄るのはキースのささやかな習慣だ。今日も、ランチ後にタバコを一服しようと軽い足取りでパークに足を踏み入れた。そこでふと目についたのは、ニュースペーパーやマガジンを売る売店に並んだ一冊のゴシップ誌。
(へぇ、あの堅物がこんな下品な雑誌のカバーを飾る日が来るとはな?)
ありがちな煽り文だと冷めた目で見つつも、あのブラッドの記事となると興味が湧いた。キースの知っているブラッドという女は、その見目麗しさと文武両道さから、アカデミー時代より男女問わず人気があった。それなのに、相手がいるという話は一切聞いたことがない。ブラッドの恋愛についてキースが質問しようものなら、あの綺麗に整った眉毛をひそめて怪訝な顔で見られたものだ。どうせガセネタだろう、とは思いつつも、ゴシップ誌のページを捲る手は止められそうもなかった。
(どれどれ…このパパラッチ、ブラッドをツけてたんだな。『スマートフォンを耳に充てながら、隠れ家風のバーに入店するブラッド・ビームス。エリオスヒーローの仕事疲れを癒す、深夜デートのお相手は…』)
途中まで文章を読んでふと、誌面に載ったパパラッチ写真の背景に見覚えがあることに気づく。これ、ウエストセクターのバー街じゃないか?店の看板も、建物の装飾も、やけに既視感がある。途端に嫌な予感がして、キースの心臓がドッドッドと荒く暴れ出す。
(いやいや、まさかな…。)
手汗握る手で次のページをめくったキースは、ニ枚目のパパラッチ写真を見て膝から崩れ落ちた。写真には、店内のバーカウンターに立つブラッド。そして、彼女の腰を抱き、首元に顔を寄せているのは…
(オレだーーーーーーーーーッッ!)
男は後ろ姿しか写っていないが、くすんだグリーンの髪、着崩したエリオスの制服、ブラッドより頭ひとつ高い背丈…知る人が見ればキースであるのは明らかだった。正直、こんなことをした記憶はない。無いが、写真を見れば酔い潰れたキースと、キースを迎えにきたブラッドのワンシーンであることは想像に容易い。
キースはバッと誌面から顔を上げると、売店の気の良さそうな店員に声をかける。
「おい、このゴシップ誌っていつ発売された⁈」
店員はキースの剣幕に驚きつつ、今朝発売ですよと控えめに返事をする。
(今朝…ってことはオレが午前のパトロールに出る直前か⁈)
なるほど、今日はパトロール中にやけに市民たちからの視線を感じたわけだ。オレは今日、あのブラッド・ビームスの恋人として名を広めたのだから…。
キースは右手に例のゴシップ誌を握りしめ、早足でエリオスタワーの廊下を駆ける。騒がしい足音に、姿勢の美しいロングヘアの麗人が振り返る。
「ブラッド!」
「キース。もうパトロールから帰ってきたのか。」
「これ見たか⁈」
キースは例のページをブラッドの目の前に広げてみせた。ブラッドはじっと誌面を見つめると一息つき、極めて冷静に言い放った。
「知っている。私と貴様は『熱愛中』らしいな?職場と家族も公認、結婚も秒読みだと書いてあった。」
「なんでそんな落ち着いてんだよ…。」
キースは頭を抱える。コイツ、ちゃっかり記事を全部読んでるじゃねえか。恥ずかしい、穴があったら入りたいとキースは切実に願う。特にニ枚目のパパラッチ写真は、まともに見るのもはばかられる。ブラッドの細い腰に回した自分の腕とか。ブラッド長い髪をかき分け、そこからのぞく白い首筋に顔を埋めた自分の屈んだ背中とか。ニ人の体が密着した部分が、しわしわになっているエリオスの制服シャツとか。写真は全ての詳細を生々しく捉えていて、見てはいけないものを見ているような気持ちになる。
「オレら、付き合ってないじゃん…。」
キースは頭をかきむしりながら、声を漏らした。ブラッド、なんでオレを殴ってでも止めなかったんだ。泥酔した挙句に馴れ馴れしく体を抱いて、しかもその様子をパパラッチされるなんて、お堅いコイツから説教されても文句は言えない。
ブラッドとは、アカデミーからの仲だ。正直、それなりに信頼のある関係だと思う。だからこそキースは気をつけてきたのだ。男と女の一線、友情と慕情は絶対に履き違えないようにする、と。綺麗なままで残しておきたかった。オレたちの関係も、ブラッド・ビームスという美しい人間のすべても。
「キース。これは、よくあるゴシップ雑誌の憶測記事だ。身近な人間には、私たちから誤解だと説明しに行けばいいだろう。」
うなだれるキースとは対照的に、ブラッドはよく通る声で答えてみせた。しかし、キースも譲らない。
「恥ずかしいだろ、お前はエリートヒーローのブラビ様なんだ。オレみたいな男と、こんな記事が出回ること自体さ…。」
「記事を見た時、周りの誤解を解いて回るのは面倒だと思ったが…お前と恋人だと書かれたこと自体は、恥ずかしいとは感じなかった。」
きっぱり言い切ったブラッドの瞳は、日光が反射してきらきらと光っていた。白い肌に映えるマゼンタのそれは、キースの視線を奪って離さない。
「お前は、嫌だったのか。」
ぐ、とキースは下唇を噛むしかなかった。
嫌なもんかよ。
オレは、いまのブラッドとの関係に満足している。これ以上の関係とか、もっと違う距離感でとか、そんなこと望んじゃいない。それなのに、この写真や記事を「あり得ない」と一蹴できない自分が嫌なのだ。それどころか、「あり得たかもしれない」と目を離せない自分が、浅ましくて恥ずかしい。
アカデミーの卒業パーティーで、オレがお前をダンスに誘っていたら。バレンタインの日に、お前に薔薇を一輪贈ってやっていたら。ヒーローの制服を着たフェイスの背中を不器用に見つめる、お前の肩を抱いていたら。
オレたちはこんなふうに、当たり前のように連れ添っていたんだろうか。
そんな風に考えて、キースは懺悔するように首を垂れるしか無かった。ブラッドはその様子を静かに見つめていたが、キースが口を開かないことを察すると諦めたように目を逸らした。
「今回の件は、エリオスの広報を通してタブロイド社に抗議する。ヒーローは公人とは言え、芸能人と混合した扱いをされるのは本意では無いからな。」
「おー、そうかよ…。」
キースは半ば呆れた様子でブラッドに返事をする。
(全く、自分のことだってのに、まるで他人事だな…。)
脈なしもいいとこだ、とキースはごちたい気分になる。別に、こんな記事がきっかけでニ人の関係が変わることなど望んではいないが、ブラッドの反応がここまで淡々としているのは面白くなかった。だから、少し揶揄ってやりたくなった。
「お前は、オレと恋人って書かれても嫌じゃなかったんだな?」
あの写真のように、キースはブラッドを軽く抱き寄せる。引き締められた腰に腕を回し、耳元で囁いてみせた。どうせ、ふざけるなと小言を言われる。きっと腕を振り払われて、あの綺麗な顔で睨まれるのだろう。そしたらキースはおどけて見せて、今までの二人の関係に戻るのだ。同期で、親友で、口うるさい堅物とだらしない酔っ払いに。戻るから、自分のこの腕をブラッドに振り払って欲しい。玉砕覚悟で告白する奴ってこういう気持ちなんだろうな、とキースは頭の片隅で考えた。
「…嫌ではなかったし、安心した。」
ブラッドはキースの腕を振り払うどころか、素直に答えて見せた。キースの腕の中に収まったブラッドからは、あいかわらず石鹸の良い匂いがする。
「周りに誤解されるなら、お前とがよかった。」
マゼンタの瞳にかかる長いまつ毛を震わせて、ブラッドはすこし掠れた声で続けた。お前とがよかった。それは親しい友達としての信頼なのか、そうでないのか、キースには言葉の意味を図りかねた。ただ、振り払われないキースの腕が、赤く染まったブラッドの耳が、揺れるマゼンタの瞳が、言葉以上に彼女の意図を伝えている。
嗚呼神様、スクープは大変なものを置いていきました!