ロストエンディング「サンズ」
ラタンのドレッサーに向かい、鏡の前に座っていた背中が振り返る。ヴェールを無造作に頭に被ったフリスクは、結婚式前夜だからといって特に変わることもなく、いつも通りに睫毛を伏せたまま静かに声を発した。
窓の外は暗い青色の夜が深まっている。フリスクの部屋の暖かな色の照明が、ぽっかりとこの部屋だけを照らしていた。
透けるヴェールの中のフリスクはサンズが記憶するより幾分か頬が細くなった気がした。
ここでじっとしているだけで時間は過ぎ、明日が来て、フリスクの結婚式が行われる。
相手は現在最もモンスター居住区を広く持ち、就業支援などに手厚い国の王太子にあたるニンゲンだ。
間違っても昔馴染の、ジョークが好きな、ふざけたスケルトンなどでは、ない。
「よう。明日の主役にひと足先に挨拶に来たぜ」
「…昼間からいたじゃん」
「アンタが大人気だったからな。なかなか近寄れなかったのさ」
昼間この家の中はそれは大騒ぎだった。式の準備のためにひっきりなしに電話が鳴り、ドリンクの変更やら警備の確認やら、お祝いを言うためにとフリスクを尋ねる友人たちもたくさん押しかけて来ていて、フリスクが笑顔でその対応をする様をサンズは遠くから眺めていた。
今はもう、たくさんのざわめきや足音も聞こえない。まるでこの部屋が世界から切り離されてしまったかのようだ。
ハンガーにかけられた純白のドレス。窓からの夜風でその裾が揺れるたび、縫い付けられた小粒の真珠がオーロラのように揺らめく光を反射する。フリスクの呼吸の音すら聞こえそうなほど辺りは静かだった。
「えーと…おめでとう、で良いのか?」
「え?」
「誰がどう見ても政略結婚なわけだけど」
サンズがあけすけに言うと、フリスクがヴェールの中で苦笑する。なんてことないというように「まあね」と頭を掻いた。
「あっちこっちからせっつかれたよ、アンタの真意を聞き出せってな。アンダインにアルフィーに、トリィとか、なんと王様にまでだぜ?なんでみんなしてオイラに言うんだか」
「そりゃ、まあ…私がサンズを好きだから」
はっきりと、子供のように素直な声がサンズのタマシイに届く。ジョークの一種かと考えてしまうのは、コメディアンを自称する身としては許して欲しい。
「アンタなぁ…オイラをフッておいて言うことじゃないだろ。神経通ってないスケルトンより無神経ってやつだぜ」
「ん…そうかな、ごめん」
「で、だ。その元カレがこうしてここに居るのは何のためだと思う?」
「……………」
「アンタがもし責任感だけで明日結婚するっていうのなら、本当はしたくないって思ってるんだったら、逃してやってくれってさ。まあ、つまりはバイトだ。この辺の近道には詳しいからガイドも込みでな。お望みならSightseeingもつけるぜ」
たたみかけるサンズに、フリスクは疲れたような下手くそな笑顔を向ける。伏せられた睫毛の奥に、一瞬強く眩しいケツイの光が煌めくのを見た気がした。
「みんな、この結婚をしたら私が死んじゃうみたいに言うよね」
もうとっくに未来を見てきたかのような、諦めの悪い子供を諭すような笑顔だ。
「お互いに利があってすることだから、あっちも私を大事にしてくれると思うし、私も彼を大事にする。ちゃんと幸せになるよ」
それはおそらく、その通りなのだろう。これは政略結婚であり、互いに国益になるからこそ結ばれる契約なのだ。
「オレは、フリスクに来て欲しい」
フリスクがぴくりと肩を揺らす。
言うべきでない言葉だとすぐに後悔がサンズのタマシイを締め付けたが、溢れた水が落ちるように、止めることができなかった。
「…オレは、想像力が足りてなかったと思う」
苦い苦い、後悔だ。声にするのも大変な労力が要る。言わずにおくべきだと今この瞬間にもサンズは思っている。
今更。そう、全てが今更のことだ。
取り返しがつかない。
「…アンタさ、棚の下からボール見つけて泣いてたよな」
フリスクが飼っていた猫が死んでしまって暫く経ってからのことだ。
模様替えのために普段動かすことのない棚をずらしたとき、壁と棚の狭い隙間からボールが転がり出てきた。
中に鈴が入った小さなそれは、あの猫のお気に入りのおもちゃだった。ボールを拾い上げて、フリスクは黙って泣いていた。
「…アンタが死んだ後、アンタが本に挟んだ花を見つけたら死にたくなるんだろうなって、そこで初めて思った」
フリスクとサンズの恋人という関係は一度破綻している。寿命差を考えたとフリスクは言ったが、それが全てでは無かっただろう。真意は分からない。
フリスクはサンズに別れを告げ、あの家から出て行った。
もっと広い家に引っ越そうという誘いも、新しい猫を迎えいれようという提案も、差し出した指輪も、全てを拒絶して。
「人間は、短く繋いでいく生き方しか出来ない。私も私のカケラを撒いて、残していくしか出来ない」
初めて、フリスクが顔を歪ませた。伏せられた瞼が持ち上がり、内側から滲むような不思議な色の瞳がサンズを映す。
めったに見られないこの色を覗き込むのが好きだった。
「…王様が何度もモンスターと人間が手を取り合う未来の話をしてくれても、本当は…私は、私の近くにいるひとたちにしか心を砕けないんだと思う。普通の人間なんだよ」
息を深く吸い込んだフリスクが、けれど小さな声で言う。涙を堪えているのだと、サンズにはすぐに思い当たった。
「だから本当は、私、サンズのことしか考えてないんだ」
その頰を撫でて涙を拭うことは、もう許されなくなるのだ。躊躇って浮かせた手をフリスクの両手が掴み、ヴェールの中に導かれた。頰を寄せて、フリスクが長いため息をつく。
「幸せな時も、辛い時も、病気してても、眠ってても、いつもいつも、私はサンズのこと…」
ミトンの生地に温かい涙が染み込む。
別れの言葉だとわかるのに、フリスクのタマシイから伝わってくる感情はただただまっすぐにサンズに愛を伝えてきていた。
子供の頃からずっと変わらず、拙く、熱い。
「…叱られるのにはもう疲れちゃった。私、サンズには褒めて欲しい。私が最後まで上手くやれたなら、よくできましたって褒めてよね」
たとえそれが困難な道のりであったとしても、最善と信じたものを諦めない。
それがフリスクだった。
翌日はよく晴れた素晴らしい日だった。
抜けるような青空の下、鈴蘭や百合をまとめた白いブーケを持ち、ヴェールの中で別人のような顔をしたフリスクをサンズは他の参列者とともに見送った。
春の気怠い日差しが足元に木漏れ日を振り撒いている。
「ここで良いかな?」
「ああ、本当に助かったわ」
小さな子供を連れた二足歩行の猫のようなモンスターが、バックパッカーらしいニンゲンの青年に笑顔を向ける姿が目に入った。坂道が多い丘の上の墓地だ。乳母車を押すのに難儀していたところを助けられたのだろうと予想がつく。
「ありがとう、フリスク」
ニンゲンの青年は少し照れたようにして、手を振って坂道を降りていく。その背中に猫の子供が声をかけた。
「ばいばいフリスク!」
振り向いたニンゲンが大きく手を振る。笑顔を交わし合った親子が花束を抱えてそこを去るまで、サンズは黙ってそれを眺めていた。
口の中で溶かしていた飴玉を音をたてて噛み砕き、寄りかかっていた墓石を覗き込む。
「見たか?今の。フリスクだってさ」
王族のものとしてはかなり質素な白い墓石だ。フリスクと名が刻まれてはいるが、誰もこれが王妃フリスクのことを指すとは思うまい。
「モンスターに親切でフレンドリーなニンゲンのことを『フリスク』って呼ぶんだと。アンタのせいで妙な流行りが出来たもんだ」
死の床でフリスクは国家教を捨て、改宗を望んだのだという。国としてはまさかそんなことを公にするわけにもいかなかったのだろう、王妃としてのフリスクの葬儀は大きく執り行われ、遺灰も王族が入る墓地に納められた。
ここは天使を祀る教会の管理するモンスターの墓地で、この墓に入っているのは、ほんの僅かなフリスクの遺灰を振りかけた遺品だ。
「…アンタじゃない『フリスク』がそこらじゅうにいるんだぜ」
フリスクが死んだのは、ニンゲンとモンスター、両種族の孤児を受け入れている孤児院への訪問を終えた帰り道のことだったらしい。
バイク数台がフリスクの乗る車に迫り、護衛が陽動に気を取られている隙をついて運転手が狙撃された。
車は横転して炎上、助け出されたフリスクはすぐさま病院に運ばれたが、数時間後には息を引き取った。
サンズがそれを知ったのは、職場の古いラジオが伝える雑音だらけの速報でだ。
国を支える王族となったフリスクと、全く関係のない職に就き、会うことも言葉を交わすことも無くなったモンスターのサンズの、永遠の別離はそんな一瞬のことだった。
「アンタのおかげだ。ホント、よくやったよ……なんてな。言うと思ったか?このアンポンタンのクソガキんちょ」
歯を食いしばる。安っぽいイチゴ飴の香りが場違いで滑稽だった。
「冗談じゃないぜ。アンタはもういないのに」
あれから十年の月日が流れた。フリスクの功績は大きく、また痛ましい事件で命を落としたことから、皮肉にもフリスクが生涯をかけた両種族の友好の架け橋となる取り組みにますます注目が集まることとなった。
ニンゲンたちに「フリスク」が増えたのもそのおかげだ。モンスターたちは穏やかにニンゲン達の日常に受け入れられている。
地上の暮らしに馴染み、時に衝突しながらも確かな足場を築いてきた。
「……フリスクは、もういない」
フリスクがいない平和な世界は明日も何事もなく続くだろう。時間軸は淀むことなく正しく流れ、生まれては死に、死んでは生まれる。
「フリスクには、二度と会えない」
けれど、フリスクが振りまいたカケラはそこここで光り、フリスクは見渡す世界全てに満ちている。
眩しくて目も開けられず、サンズは空を仰いだ。