ウサギさんのちょっと困った一日少し前に引っ越してきた広い部屋には、自慢の大きなスクリーンが鎮座している。休みの日には映画を見たり、ゲームをしたり。値段は少々したけれど、ここ数年の買い物の中でも1、2を争うほど〝買って良かったもの〟だと思う。それに流されているアニメの映像をじいっと見て、銃兎はハァ、と盛大なため息を落とした。カラフルな髪の色をしたかわいらしい顔の少女達が、良く解らないモンスターと死闘を繰り広げている。もちろん、それは銃兎の趣味ではない。突然押しかけてきた来客が好んでいるものだ。
「……コホン」
わざとらしくため息をつけば、食い入るようにスクリーンを見つめていた来客、こと一郎がようやく目線を銃兎へと動かした。赤と緑の瞳が申し訳なさそうに揺れているけれど、銃兎はあいにくそれを見て絆されるような人間ではない。じっとりと見れば、一郎はポリポリと頭をかいた。
「あ、すんません。やっぱ良いっすね、このスクリーン」
俺も家に欲しいな、でも無理かな、なんて言っている一郎に、銃兎は「ところで」と言葉を続けた。
「左馬刻から連絡は?」
言ってやれば一郎は少しだけ頬を膨らませて「無いっすよ」と呟く。随分子供じみた表情は、昔であれば珍しいな、と思っただろうけれど、今となってはレアなものではない。三兄弟の長男で、イケブクロの代表で、ラップの腕前はピカイチで。そんな男が、左馬刻を前にすればいつだってこんな風に感情を押し隠すこともなく子どもっぽい態度を取ることを、銃兎は嫌と言うほど知っているのだ。
「あまり言いたくは無いんですけどね、」
と前置きはしたけれどそれは建前だ。実際は言いたくって仕方が無いのだから。
「今日はせっかくもぎ取った年休なんですよ」
そうなのだ。今日は五月二十九日。明日には己の誕生日が控えている日でもある。別に三十路を迎えるにあたって誕生日を盛大に祝いたいと言うわけではなかったけれど、ここのところ激務で休みもろくに取れていなくて、そんな銃兎の姿を見て上役から与えられたありがたい休日なのだ。美術館ではみたい特設展示もなかったし、特別気になる映画も上映していなかった。一日寝て過ごすくらいなら、せっかくだから理鶯の野営地にでも行って、昼間っから酒を飲んで、日をまたいで時間を過ごすのも良いななんて思っていたのである。迷った末に左馬刻にも連絡は入れた。今までだったらすぐに誘いの連絡を入れたのだけれど、銃兎が少し躊躇したのには理由があった。
2ndDRB以降、詳細は知らないけれど左馬刻と一郎との間にあった確執はなくなり、そのあと周囲を、(というより主に銃兎を)、巻き込んだ復縁劇を繰り広げた結果、二人は再び恋人同士の関係に収った。まさかあのバチバチに火花を散らしていた二人がかつて恋人同士だったとか、決別していた期間もずっと未練たらたらだった、だなんてことはその時まで銃兎も想像していなかったけれど、なかなか素直になれない一郎と、それ以上に素直になれない左馬刻の間を(決して自ら進んででは無いけれど)取り持つことになった結果、二人が素直に思いを告げ合った瞬間には思わず目頭が熱くなったものである。
二十七歳を超えたくらいから、周囲には既婚者が増えて、そうすると飲みに誘う機会もだんだんと減っていった。家庭持ちを夜気軽に呼び出すことも出来ず、そのうち子どもが出来ればなおさらだ。と言うわけで、家庭持ち、と言うわけではないけれど、恋人もち、となった左馬刻に声をかけるのはどうかと思ったのだ。少し寂しくはあるけれど、我らがリーダーの幸せが長く続くように応援したい。あれだけ拗れた二人なのだ。再び拗れるようなことがなければ良いのにと思う。……まあ、実際の所は、拗れた二人に巻き込まれたくない、と言うのもあるのだけれど。
メッセージを送って、そうして三十分くらい置いて左馬刻から返信が来た。「ちょっと予定があるから無理だ」。なるほど残念だとは思ったけれど、恐らく理鶯はベースキャンプにいるだろう。どんな食材を振る舞われるかは賭けではあるけれど、天気予報によれば快晴のようだし、野営地まで出かけてみるのも良いかなと思っていたのだ。
今日の朝までは。
「……左馬刻と喧嘩したんっすけど」
いざ出かけようとしていればベルが鳴り、扉を開ければ珍しい来客の姿があって銃兎は驚きのあまり目を見張った。扉を開けた先に立っている一郎は、酷く申し訳なさそうな顔をして俯いていて、
「ちょっと、匿って貰えませんか?」
と思いもかけない言葉を口にしたのである。
とりあえず玄関先で話をするようなことでもないと室内に招き入れ、スクリーンのすぐ側においてある二人がけのチェアに座らせた。自分はひとつだけ置いてあるそれに腰を落ち着けて、「で……どうしたんです?」
と問えば、
「昨日、」
言って一郎はハァとため息をついた。
「俺、アイツ……左馬刻の家に泊まる約束してたんっすよね」
付き合ってはいたけれど一緒に住んでいなかったか、と銃兎は今更そんな事思う。それもそうか。一郎にはイケブクロの家に弟たちが居るのだ。
「夜遅くになっても全然帰ってこなくて、連絡もよこさねぇし。せっかく飯作って待ってたのに」
「はぁ」
文字通り、「はぁ」である。ディビジョン代表として領土を争う死闘を繰り広げているはずの二人が、世の中の夫婦喧嘩の理由ランキング上位に君臨しそうなネタで喧嘩をしたというのだから呆れるしかない。
「あやまんねぇし、腹が立って」
で、と一郎は言った。
「朝になって飛び出してきたんっすけど、行くあてもなくて」
「家に帰れば良かったのでは……?」
別に電車が走っていない時間でも無いのだ。そう言ってやれば、一郎はポリポリと頬をかいて、照れくさそうにして見せた。
「いや……左馬刻ン家に二泊するって出てきたんで……。アイツらに理由言いたくなくて」
「はぁ」
二度目のはぁ、と口にして、銃兎は「そうですか」と言葉を続けた。
「この辺で頼れるの、銃兎さんくらいしか思い浮かばなくて」
「……」
そう言われれば、なんとも言い返せないのが悲しい性なのである。悪徳警官だの、目つきが悪いだの散々言われることもあるけれど、根本をただしてみれば面倒見が良い方なのだ。
「アイツが謝りに来るまで、ちょっとここに居て良いっすか?」
その言葉を受けて数秒。考えるようにして黙ったけれど、銃兎は渋々その申し出を引き受けた。もし断ってふらふらヨコハマの街をさまよい歩かれれば、また厄介なことになりかねない。さっさと迎えに来い左馬刻、と思いながら、当の本人に「一郎くんは家にいる」とメッセージを送るのも忘れずに。
朝食は食べてきた、という一郎に、とりあえず紅茶をいれてやった。そうして少しだけ気まずい時間が流れていたのだけれど、「あの……」と遠慮がちに口を開いたのは一郎だった。
「このスクリーン、凄いっすね」
「ああ、これですか」
そんな風に返したものの、本当のところは触れてくれてありがとう、と言いたいくらいだった。誰かに自慢したかったのだ。
「ゲームをするのにもいいですし、家庭で気軽に映画館気分も味わえますし」
「へ~……」
めっちゃ良いっすね、なんていう一郎は、先ほどまでのしおしおしていた姿から一転目を輝かせている。
「……つけてみます?」
いくら知った仲とは言え一郎と二人きり、静かな空間では時間を持て余すのだ。それならばスクリーンで何かを流していた方が良い、そうやって提案をすれば、一郎は目をキラキラさせて「お願いします!」と元気よく返事をしたのだった。
銃兎が持っているDVDは古の名作映画が多かったし、ゲームソフトは最新のものが揃ってはいるけれどそれを一郎とプレイするのもいかがなものか、と思っていれば、契約している動画配信サイトに一郎のおすすめするアニメ映画があったらしい。一郎は一覧からそれを発見して、「これ、めっちゃ名作なんですよ。何が良いってテレビアニメ本編で触れられていなかったあーちゃん、ってこれ主人公なんですけど、彼女の過去についてあきらかになっていって物語に深みが増すって言うか……。さすが脚本に木村先生が加わっているだけあるって言うか、あ、木村先生っていうのは……」なんてそう言えば左馬刻が〝一郎はオタクだからよぉ〟なんて言っていたなというのをしみじみ思い出させる態度で説明するものだから、若干ひきながら「では、それを見ましょうか……」と提案したのだ。流れ出したアニメ映画は確かにパッケージ的には美少女アニメかなと思っていたのだけれど、内容は割と深くて暗い。ターゲットは大人なのかもしれず、存外楽しめるものだなと銃兎も思ってはいたのだけれど。物語が日常ターンに入り、そこでチラリと時計を見た。一郎がここにやってきてから1時間ほど経過している。アプリを開き左馬刻に送ったメッセージを確認すれば既読の形跡が有り、それにしては電話もなければここに来ることもないなと首を捻った。
「一郎くん」
真剣に見ている所悪いな、とは思ったけれど会話の内容を反芻すればすでに何度か見ているはずなのだ。なので遠慮無く声をかければ、じいっとスクリーンに見入っていた一郎はくるりと銃兎の方を見た。
「なんか、気になることでも?」
それは物語中の事を言っているのだろう。いえ、と銃兎は一度首を振って、
「左馬刻から連絡は来ていませんか?」
と問うた。あの左馬刻が、一郎が銃兎と二人きりだと言うことを知って何もアクションを起こさないとは考えがたいのだ。けれど一郎は一度スマートフォンを見て、そうして首を横に振った。
「なんもないっすね。アイツ、俺のことどうでもよくなっちまったのかな……」
やけに暗いトーンで言う一郎に、銃兎は「いえ」と大きな声を出した。
「それだけは無いと思いますよ」
別に必死で否定してやる義理もないのだけれど、この二人が揉めて碌な事にならないのは解っている。銃兎は「そもそも」とアンダーリムの眼鏡を持ち上げながら、呆れたように言った。
「あれだけ迷惑をかけられたのに、こんな事で別れられたら困るんですけどね」
その言葉に一郎は僅かに目を見張って、そうして恥ずかしそうに頬をかいた。あの時の事を思い出しているのだろう。二人が恋人同士に戻ったきっかけ。それはそもそも、銃兎の言葉が発端だったのだ。
「なぁ左馬刻」
ヨコハマの繁華街で暴れている男がいる、との一方を受けた銃兎が駆けつけたときには、すでにそのヤクザものは左馬刻によって押さえ込まれた後だった。後輩にその男を任して、そうしてお礼とばかりに左馬刻を伴って行きつけのバーにやってきたのである。カラン、とグラスの中に入った氷が音をたてる。琥珀色の液体が、オレンジ色の光を取り込みながら揺れていた。
「ン? どうした?」
珍しく上機嫌な左馬刻は、煙草の煙を吐き出しながら言う。銃兎は「昨日な」とアルコールを喉に流し込んでから、言葉を続けた。
「一郎くんに会ったぞ」
言えば左馬刻はピクリと眉を上げた。これまでは名前を出せばすぐに切れ散らかしていたのだけれど、2ndDRBで二人の関係はどうやら変わったらしい。ホテルからの帰り、「じゃぁな」「おう」なんて今まででは見たことも無かった挨拶を交わしている二人を見て、銃兎も理鶯も目をまん丸にしたものだ。一郎の側では二郎と三郎も同じような顔をしていたから、驚いていたのは自分たちだけではなさそうだった。その場で追求するわけにもいかず、それからホームに戻って話を聞けば、「まぁ、なんつーか、すれ違ってたみたいでよ」なんて左馬刻が言うものだから、どうやら二人が和解したことが解ったのである。
となれば、と、銃兎はこれまでは左馬刻のこともあるしと遠慮をしていた萬屋ヤマダへの仕事の依頼をすることにした。これまでだって界隈では安くて早くてたくましいと評判が上々だったから、一度は利用したいと思っていたのである。一度仕事を頼めば評判通りの腕前で、それからは頻繁に捜査関連の調査を依頼するようになっていた。
なんとなく左馬刻にそれを告げるタイミングを見失っていて、別に後ろめたいことはないけれどいつまでも黙っているのも……と思って今日に至る、というわけだった。久しぶりに左馬刻と呑むタイミングで、そして珍しく機嫌も良い。伝えるのなら今しかないような気がした。
「最近よく仕事を依頼しているからな。顔を合わせる機会も多いんだが」
言えば左馬刻はなんとも言えない顔をして、「ふーん」と頷く。機嫌を損ねたかと思ったけれどそうでも無いようで、銃兎はよかれと思って言葉を続けた。数年ぶりに和解した後輩のことだ。左馬刻だって気になっているだろう。その頃の様子は人づてにしか知らないけれど、左馬刻は随分と一郎を可愛がっていたらしい。
「最近、弟くん達も随分頼もしくなったようで、仕事を任せることも多いらしい」
「ふーん……」
「萬屋の仕事も随分評判が良いようだな。実際利用してみて解ったが、今まで使ってきた情報屋よりクオリティが高いぞ」
銃兎としてみれば、〝お前の後輩、とても良い奴だぜ〟、位の意味合いだった。話題のひとつ、とでも言うのか。共通の知り合いの事を伝える、と言うのか。左馬刻の事だからまだ素直に一郎と話が出来ていないのだろう、と言うことくらいは想像が付いたし、であるなら気になっている後輩の近況を教えてやろうという親切心でもあった。
――なのに。
「なぁ銃兎ォ……」
先ほどまで上機嫌だった左馬刻が、急に渋い顔をしているものだから驚いた。二人は和解したのではなかったのか。まだ名前を出すのは早すぎたのか。そう思っていれば、左馬刻は眉間に皺を寄せて、銃兎を軽く睨むようにした。
「てめぇ、どういうつもりだ?」
「……は?」
「一郎の事ばっかり話題にだしやがってよォ……。まさか、惚れてるとかいわねぇよな?」
「は?」
左馬刻の口から飛び出した単語に、銃兎は渾身の「は」を口にした。今、なんと言ったか。ほれている。掘れている? 彫れている? 予想外すぎて言葉の意味が掴めない。
「は?」
もう一度言えば、左馬刻はガツン、と音をたててグラスをテーブルの上に置き、銃兎の胸ぐらを掴むようにした。驚いて受け身を取ることも出来ない。バーテンダーはまたいつもの喧嘩が始まった、という素振りで、特段気にしては居なさそうだった。
「アイツは俺様がずっと目にかけてきたンだ。いくらてめぇが相手だからって渡すつもりはねぇ」
「……」
いや、まて。である。左馬刻が一郎をずっと目にかけていたことは知っている。けれど、この口ぶりからすると。
「お前……山田一郎に惚れているのか……?」
絞り出すように言えば、左馬刻はチッと舌打ちを漏らした。肯定も否定もされなかったけれど、それだけでその言葉が事実だと言うことが分かる。
「誤解だ、離せ」
キツく言ったところで状況が悪化するのが目に見えているからできるだけ柔らかい口調で言えば、左馬刻はふぅと、息を吐きながら手を離すと、「誤解ってなんだよ」とまだ疑っているような目つきでそう言った。
「俺は、お前が一郎くんの近況を気にしてるんじゃないかとおもって話題に出しただけで、それ以上の感情も意図も全くない」
嘘はひとつも言っていない。左馬刻の紅い瞳が自分をにらみつけていることは解っているけれど、これ以上に説明する単語が見当たらない。名前を出してキレられていた頃が懐かしい。どうしてこうなってしまったのか。否、もしや元からこうだったのか。知らなかっただけで。
「ほんとかよ」
「ほんとだ! 信じろって言うのは悪魔の証明になるから難しいが、嘘は言っていない。俺たちに裏切りは無しだろ?」
少々早口にはなったけれどまくし立てながら言えば、左馬刻はグラスを煽って、ふぅと一度息をついた。どうやら少し落ち着いたらしい。その様子にほっとして、銃兎は「なぁ」と遠慮がちに問いかけた。
「それ、一郎くんは知らないんだよな?」
「あ?」
聞いてはダメだったのか、と思ったけれど、反応を見ていれば解る。これは片想いを拗らせている男のリアクションだ。非常に面倒くさい。出来れば関わりたくない。けれど……。
「お前、あれ以降一郎くんと会ったのか?」
「あ? うるせーな……会ってねぇよ」
カチカチ、とライターをならしながら左馬刻が言うのに、銃兎は肩を竦めて見せた。予想通りだ。好きなくせに素直に会話が出来ないなんて、小学生で卒業して欲しいけれどこの男に限ってはまだ継続中らしい。
「で、あれか? 一生片想い続けるつもりなのか?」
「てめぇ喧嘩うってんのか? それにTDD時代は付き合ってたから別に一生片想いっつーわけじゃ……」
「いや付き合ってたのかよ! つーかそう言う意味じゃねぇ」
二人が恋人同士だっただなんてことは今の今まで知らなかった。確かにTDD時代は距離が近いことで有名で、そんな噂が流れていたのは知っていたけれど、あくまで噂話だと思っていたのである。
しかしこれだけもてる男が、一人の相手に翻弄されているのが少し面白い。銃兎がからかっているのが解ったのか、左馬刻は拗ねるように唇をとがらせた。
「面白がってんじゃねぇ」
「いや、面白いだろ」
まさか左馬刻が一郎に惚れている、それも片想いを拗らせているだなんて面倒くさい以外では面白いの感情しかない。ただ、片想い、と言ってはみたけれど、と銃兎は僅かに目を細めた。一郎の方はどうなのだろう。仕事上の付き合いしかないから解らない。けれど、合間合間で左馬刻の話題を出すことはあったはずだ。「最近アイツどうですか」なんて、名前を出すことはないけれど、左馬刻の事を気にしていることは解った。「かわりませんよ」と答えたり「すこし危ない仕事をしているようですけどね」なんて教えてみたり。その時の一郎の表情は思い出せないけれど、脈が無いかと言われればそうでも無いのでは無いか。
「明後日も仕事の用件で会う予定が入っているな」
銃兎は頭の中でスケジュール帳を開いてそう言った。依頼している仕事の進捗の確認だったはずだ。イケブクロまでいく、と言ったけれど、一郎の方がヨコハマまで足を運んでくれる事になっている。
銃兎の言葉に、左馬刻はピクリと眉を動かした。
「だからなんだよ」
「その態度じゃ、なんも前にすすまねぇぞ」
面倒くさい、けれど、ここで銃兎が動かなければ、この哀れな男は一生一郎への想いを胸に抱いたままなのだろう。さすがにそれはどうか。リーダーのために一肌脱いでやるのも良いのではないか。
「付いてきても良いぞ。まぁ、お前次第だが」
言えば左馬刻は僅かに目を見張って、そうして煙草をくわえた。ガシガシと頭をかいて、ふいっと銃兎から目を反らす。
「今更何話せばいいっつーんだよ」
「ふはっ」
思わず笑って口を押さえる。じとっと左馬刻ににらみつけられて、銃兎はコホンと咳払いをした。
「小学生じゃ無いんだから自分で考えろ」
「うるせー……」
とはいったものの左馬刻は本気で悩んでいるようで、その日は日常会話でもしたら良いのでは、というアドバイスを笑ってしまいそうになりながら言い聞かせたのである。
――なのに。
結局銃兎と一郎との打ち合わせに付いてきた左馬刻は、一郎を怒らせるような言葉を口にして、そうして一郎もそれに乗っかって、その日は全く打ち合わせ通りに事が進まなかったどころか二人の関係はさらに悪化してしまったのである。
「お前、マジで小学生からやり直せ」
ズン、効果音が見せそうな位落ち込んでいる左馬刻にそう言ってやる。好きな子をいじめるのは小学生までだと懇々と言い聞かせて、渋る左馬刻を説得して一郎へ謝罪のメッセージを送らせた。
『さっきは言い過ぎた、悪かった。今度、ひさしぶりに飯でもどうか?』
男二人が額を合わせて数十分相談して決めたメッセージ。送った後の左馬刻は端から見ても哀れなくらいソワソワしていて、けれど『俺も言いすぎた。飯、明後日の夜なら空いてる』と一郎から返信が来た瞬間はわかりやすいくらい上機嫌になって居た。
それから二人は何度か食事に行き、その都度銃兎は面倒だと思いながらアドバイスをしたり、萬屋ヤマダに仕事を依頼する際はアシストしたりと忙しく立ち回った。
友人の恋愛の仲を取り持つ、だなんてこと、高校生時代にあったか無かったかくらいだったけれど、どうしたって素直になれない二人なのは端から見ても良く解っていたし、ここは自分がどうにかしなければ! と途中からは良く解らない責任感を抱いていた節もある。けれどその甲斐あって、半年、という微妙に長い時間をへて二人が再び恋人同士に戻ったのだから、銃兎は二人にとってキューピッドとも言える存在なのだ。
だからこんなことで別れられては困るし、逆に言えば、こんな理由で別れるような二人ではないことを、銃兎はよく知っている。
二人して当時の事を思い出していれば、どうやらスクリーンに流れていたアニメ映画はクライマックスを迎えているようだった。傷だらけの主人公を、支えるようにする相棒。熱いシーンが繰り広げられているけれど、話は半分くらいしか頭に入ってきていなかった。ただ、内容は気になるから今度時間があるときにゆっくり見ても良いかもしれない。夢中になっているのかなと思って一郎を見れば、そうでもなさそうで、時間を気にしているようだった。左馬刻からのメッセージというより、銃兎の部屋の壁掛け時計を見て。
(おや……)
そう思って、銃兎はふっと小さく笑った。この部屋に一郎が来た時から違和感はあったのだ。それが確信に変わったとでも言うべきか。
「一郎くん」
名を呼べば、一郎ははっと銃兎の方を見た。
「なんっすか?」
「いえ。……左馬刻、ですよね?」
一郎はそう言われて、一瞬言葉を飲み込む。何か言い訳を口にしようと悩んで、けれど諦めたようにため息をついた。
「……バレてました?」
「いえ……。ただ、左馬刻と喧嘩をして、迎えに来るまでこの家に居ると言っていた割には左馬刻からの連絡を待っている素振りがないな、とは思っていましたが」
左馬刻の謝罪を待っているのならば、スマートフォンを手元に置いておいて然るべきなのに一郎のそれはポケットに収っていた。別にメッセージに気がつかなくてもいいと言わんばかりに。それに一郎は時間を気にしているようだった。きっと、足止めを依頼されていたのだろう。2時間ほど。そう言われたのなら、このアニメ映画の上映をはじめたのだって納得がいく。一郎とそんなに付き合いが長い訳ではないけれど、恋人と喧嘩をしたからといって突然家におしかけてきて、自分の好きなアニメを永遠流すような人物ではない事くらい解っているのだ。
だから、今日ははじめから違和感があった。
「サプライズ……ってわけではないですよね?」
聞けば一郎は困ったように眉を寄せた。口止めをされているのだろう。そうして言葉を選ぶようにして、
「サプライズっていうか、まぁ色々準備する時間がいったみたいで……。昨日の夜、銃兎さんから連絡がきてすっげー焦ってて。まだ準備できてねぇのに理鶯の所いかせるわけにはいかねぇって」
そうか、と思ったらおかしくなって笑ってしまった。それは悪いことをした。まさか前日から誕生日祝いの準備をしようとしていただなんて想像もしていなかった。嬉しいし、くすぐったい。
「わかりました。では、連絡があるまではおとなしくしています」
「たのんます。あと、バレたってのは……」
「もちろん内緒にしておきますよ」
「良かった」
心底ほっとした様子で一郎が言う。銃兎は小さく笑って、「実を言うと」と口を開いた。言うか言うまいか悩んでいたけれど、今ならば口に出来る気がした。
「アナタに、嫉妬してたんですよ」
「へ?」
「そう。今までは気軽に飲みに誘えていた左馬刻を誘えなくなったり、アイツからの誘いが減ったり」
嫉妬、と言うと語弊があるかもしれない。ただ、少しだけ――。これまで近いところにいた存在が、急に遠くに行ってしまったような。
「左馬刻と一郎くんには幸せでいて欲しいと思っているんです。それは本心ですけど、ただ……少しだけ寂しかったんでしょうね」
これでは自分も左馬刻の事をガキだと笑えないか、と思って苦く笑う。そうすれば一郎が「俺も、」と口を開いた。スクリーンに映し出されていたアニメ映画はエンディングを迎えたようで、スタッフロール共に落ち着いたバラードが流れている。それにのせるように、一郎は静かに言葉を紡いだ。
「ずっと、嫉妬してたんですよ。銃兎さんと、理鶯さんに」
「?」
「あの人の横、ずっと俺のもんだと思ってたから」
少し恥ずかしがるように一郎は目を伏せる。まだ幼さの残るその表情は、誰にも告げたことのない本心を吐露した恥ずかしさが滲んでいるようでもあった。
「でも、あんた達が居たから今の左馬刻がいるし、それに、また俺はアイツの隣にいられるから」
感謝しかないっす、と一郎は続ける。そうしてまた時計を見て、「そろそろ左馬刻が来ると思うんで」と笑った。
「銃兎さんもよく知ってると思いますけど、ああ見えて不器用な奴だから」
「ええ」
まっすぐで不器用な男だ。そのせいで傷ついたことも沢山あるだろうに、それを見せない強さもある。だから、ついていきたいと思った。
「たのんます。これからも」
一郎が頭を下げるのに、銃兎は僅かに目を見張った。なんだか少しだけ胸が熱くなる。あの時の苦労は何だったのかと言うくらい、順調ではないか。
「私からも、頼みます」
「ははっ、任せといてください」
一郎はそう言って、スマートフォンを取り出す。メッセージが届いていたようで「あと五分くらいっすね」と笑う。銃兎はその顔を見て、「あの」と口を開いた。
「もしよければなんですが、一郎くんも参加しませんか? 自分で言うのもおかしいですけど、私の誕生日会」
「え? 俺が?」
「ええ。アナタが。だって、我らがリーダーの恋人ですから」
家族みたいなものなのだ。
そう言えば、一郎は恥ずかしそうに頬を掻く。そうっすね、と頷いて、銃兎さんが良いなら、と続けた。
寂しいと思っていた。一緒に馬鹿が出来る相手が居なくなったような気がして。けれどそれは違うのだろう。大切な仲間の大事な人は、きっと自分にとっても大切にしたい相手なのだ。だから、減ったんじゃなくて、増えたと思えば良い。
ピンポン、と来客を告げるベルが鳴る。「銃兎ォ、一郎いんだろ?」なんて芝居がかった声。
「すんませんけど、ちょっとのってやってください」
という一郎と笑い合いながら、銃兎は「さっさと仲直りしてください」なんて適当な台詞を言いながら玄関のドアを開けた。