「探偵事務所へようこそ」手に持ったチラシに書かれた住所と、スマートフォンに表示されているランプを確認する。本当にこんな人気の無い場所に? と思うけれど、何度見たって青いランプはこの場所で点滅しているのだから仕方ない。黒字に白で印刷された名刺の住所には、ビル名の横に2Fの文字がついている。恐る恐る鉄製の階段を上れば、カツンカツンと小さな音が響いた。
ゆっくりと階段を上りきれば、目の前には『碧棺探偵事務所』の文字。あ、あってた。私はほっと胸をなで下ろすと、ドアの隣にあるベルを勢いよく押した。
「あ! ちょっと待っててくださいね!」
ドアの向こうから聞こえた快活な声に、ホッと胸をなで下ろす。探偵事務所に調査を依頼するのなんて初めてで、偶然街を歩いているときに貰ったこのチラシに書かれていた住所を探してやってきたものの、内心凄く不安だったのだ。
ガシャン、と扉が開く。目に飛び込んできたのは、黒髪に、少し珍しい赤と緑の瞳の色をした青年だった。
「こんにちは! 予約の人ッすかね?」
「あ……はい、あの、」
予約の時に名乗った名前を告げる。そうそう、この男の人が電話対応だったのだ。感じが良かったから大丈夫かなと思って、この探偵事務所に仕事を依頼することにした。もう一つ候補はあったけど、もうここで良いかなって。そんなに大きな探偵事務所にも見えないし、きっとこの人が“碧棺さん”なのだろう。
「迷ったでしょ。ちょっと中の方にあるから」
私を招き入れながら“碧棺さん”は困ったように笑う。私が遠慮がちに頷くと、「ですよね、だから移転しようっていってるんっすけど」と言うものだから、あれ、と思った。
この人が、この探偵事務所の長では?
「あ……」
あの、と言いかけた私の言葉を封じたのは「所長、予約のお客さん」という案内人の大きな声で。
「あ? 客だァ?」
「……!」
応接室、と書かれていた扉の向こう側。革張りのソファには不機嫌そうな顔をした、白銀の髪に紅い瞳をした男がドサリと腰掛けていて。室内はおおよそお客様を招き入れる場所とは思えないくらい煙草の煙が充満していて、私はゴホッと咳き込んでしまった。
「おいおい左馬刻、お客様が来るときは煙草吸うなつっただろ?」
「うるせぇな、ここは俺の事務所だ。好きにさせろ」
「あのなぁ……、すんません、今窓開けるんで!」
てっきり“碧棺さん”だとおもっていた青年は“誰か”だったようで、私に頭を下げてから窓を開けに行く。なだれ込んできた風が少しだけ煙草のにおいを追い払ってくれて、私はようやく息をついた。
「あの……」
「あ、すんません、バタバタしちゃって。こいつ、ここに座ってるのが」
案内人に青年は、ソファに座っている白銀の髪をした男の方をチラリと見て、
「この探偵事務所の所長、“碧棺左馬刻”。んで、俺はこの探偵事務所の助手の山田一郎っす」
案内人こと一郎くん…(と私が彼のことを呼ぶようになるのはもう少し先なのだけれど)は、そう言ってニッコリと笑う。おそるおそるその隣に目線を移せば、紅い瞳をすっと細めた酷く美形な男と目があった。人を見透かすような、そんな鋭い目。私はドクドクと心臓が早鐘を打つのを感じて、思わず立ちすくむ。どうしよう、まちがっちゃったかも。いつだってそうだ。小さい頃から大事なところで選択を間違う。テストの選択だって、勘で選んだ回答は大体外してきたし、さっきだって迷った末に選んだBランチには食べられないセロリが入っていた。きっと本当はもう一つ渡されていた探偵事務所に連絡をすれば良かったのだ。肝心なところで、私はいつも間違う。
「こら、お客さん睨むなつってんだろ」
パシン、と一郎くんは碧棺さんを軽くはたく。こんな怖そうな人をそんな風に扱えるの、きっとこの世にこの人だけなんじゃないかと思う。
「睨んでねぇわ」
「すんません、目つきは悪いんっすけど……腕だけは確かなんで」
「あ……はい……」
今更引き返すことなんて出来無いのだ。私は一郎くんに促されるようにソファに静かに腰を落ち着けた。腕は良い、そうなのだろう。そう信じたい。
「で? なんか厄介な事にまきこまれてるっつったな?」
一郎くんがはい、と出してくれたアイスコーヒーに目線をやって、私はコクリと頷いた。そう、厄介な事。本当なら、探偵事務所なんて訪れるような人生送ってきていなかった。なんだって、自分で解決する術を持っていたんだもの。
「……婚約者が、」
私は指先に力を入れて、絞り出すように言った。本当はずっと誰かに助けて欲しかった。数ヶ月前から、ずっと。
「行方不明になったんです」
警察に相談することは出来なかった。友人にも。ずっと独りで探してきたけれど、もう限界だったのだ。
「ほーん……、」
碧棺さんは煙草をくわえようとしたけれど、隣の一郎くんに睨まれてやめたようだった。なんだか、少しだけ二人の関係性が垣間見えた気がする。
「で、探せばいいんか? まぁ、受けてやらなくはねぇが、アンタも俺たちに隠し事はするんじゃねぇ。特に、仕事の事はな」
え、と目を見張ったのが解ったのか、碧棺さんはにやりと口角を上げて笑った。
「アンタが堅気の仕事してねぇことくらいはここに入ってきたときから解ってンだ。婚約者が行方不明になったっつーんなら、それが原因って考えるのが一番納得のいく話じゃねぇか?」
「……」
腕は良い、と一郎くんは言った。確かに、その通りかもしれない。私の仕事の事、出会った瞬間で見破ったのは、この男が初めてだ。
「な、腕は良いんだよ。ただ、ちょーっと口と……あと、目つきがわりぃから、そこは我慢してくれよな!」
こくりと私が頷くと、ソレを契約成立と捉えたのか一郎くんがニッコリと笑う。
「ようこそ、碧棺探偵事務所へ」
――…そう、これが私と彼らの出会いだったのだ。
続きません!