花屋の君④「はい、これチョコレート」
頼んだ花束を受け取りに来た五条さんから出会い頭に有名チョコレートメーカーの袋を渡される。
「私にですか?」
「伊地知にというより、僕宛に届いたけど被ったからあげる」
「全部ご自身で食べれば良いのでは?」
「んー…僕甘い物好きで自分でも買っててさ。このチョコレートも貰ったので五個目なんだよね。だからあげる」
「分かりました。そういう事でしたら頂きます」
花束にリボンを結んで領収書を書く。書いている間、五条さんはキョロキョロあたりを見回していた。
「フラワーバレンタイン…花屋でもバレンタインの文化ってあんの」
貼り付けているポスターを見ながらこちらに問いかけられたので領収書を書く手を止めず答える。
「最近増えてはきてますよ、バレンタインにお花贈る方」
「ふーん…そういう伊地知はバレンタインに花を贈るわけ?」
「そうですね…贈るかもしれないです」
領収書を書き終え、そこに市販の小さなチョコレートを添えた。
「へぇ、くれるんだ」
「キャンペーンの一環で皆様にお渡ししています。ブランド物には敵いませんが」
「気にしないよ、そんなの」
領収書を胸ポケットに入れ、花束を片手で持ち上げる。
「ねぇ、伊地知。僕が来た時に作ってたハーバリウム…だっけ?それ、売るの?」
数日前ハーバリウムの作り方を講習で教わった。売り物にする事をまだ考えておらず、自分用にひとつ作り終えた所に五条さんが来店されたのだった。
「まだ個人的に作ってるだけなので…なんとも」
「誰かにあげるの」
「え?」
ガラス玉のようにキラキラとした瞳が私の顔をじっと見る。
誰かにあげる、そんな事思いもしなかった。しなかったのに今の問いで頭に一人の人物が思い浮かんだが言えるはずもなかった。
「いえ、あげる予定は今のところ…」
「そうなんだ」
何もかも見透かすような瞳で私の顔を見て彼は踵を返す。
「じゃあね、伊地知。またよろしく」
去ってゆく五条さんの背中を見送りながら先程思い浮かんだ人物のことを考えた。
金色の髪、オリーブ色の瞳、この場に居なくても明確に思い起こせる。
彼を思いながらハーバリウムの花材…黄色の薔薇やヘリクリサム、ミモザなど黄色の花が作業机の上に広げる。アクセントにグリーンの花材を出した。
湯煎済みのガラス瓶を用意し、ガラス瓶の中に花材、ハーバリウムオイル、花材と繰り返し順に入れていき、入れては花材の位置を綺麗に見えるようにピンセットで調節する。
ガラス瓶いっぱいに花材を入れたら最後はオイルをボトルとキャップ境目まで慎重にそっと入れ、後は気泡が無くなるまで放っておけば完成ーー。
「伊地知くん」
かけられた声に驚いてピンセットを落としてしまう。それを拾ってくれたのは先程まで思っていた人物だった。
「な、なみさん…いつから…」
「2、3分前くらいからです。落としましたよ」
作業机の上にピンセットが置かれる。あぁ、また私は集中して周りが見えなくなってしまったのか。
「すみません…」
「気にしていませんよ、君が作っているのを見るのは面白いので。注文していた花束を取りに来ました」
キーパーから花束を取り出し、作っておいたリボンをつけてレジを打って金額を伝えると丁度の金額が出された。
領収書を書き終え、市販の小さなチョコレートを添えて渡す。
「これは…?」
「バレンタインなので皆様にお渡ししています…よろしければ食べてください」
「ありがとうございます。では、私からも」
そう言って机の上に五条さんから渡された物とは別の有名チョコレートメーカーのマークが入った袋が置かれたので思わず後退りしてしまう。
「良かったら食べてください」
「えっ、そんな…そんな、気を遣って頂かなくても良いんですよ?」
七海さんが私を見て目を細めて微笑む。その表情が何を意味しているのか分からず言葉に詰まっていると彼が話し始めた。
「君が作る作品に日々助けられているので…個人的に渡したかったんです」
そんな言葉、よく照れずに言えますねと心の中で彼に向かって叫ぶ。体温が急上昇して顔が赤くなっている事が鏡を見なくても分かる。あぁ、倒れそうだ。
「…あ、ありがとうございます」
今言える精一杯のお礼を言うが、自分からの対価が市販のチョコレートなんて割に合わない。
そこで先程まで作っていたハーバリウムを思い出した。
「な、七海さん!」
「ど、どうしました伊地知くん。大きな声だして」
「あの…荷物がもう一つ増えても大丈夫ですか?」
七海さんは「?」を頭の上に浮かべたような顔をして「はい」と答えたので作業机に向かう。
ハーバリウムの中に気泡が入っていない事を確認しガラス瓶の栓を閉め、プレゼント用の透明な箱に入れ簡単なギフト用の包装をして七海さんに差し出した。
「これは…先程まで作っていた物では」
「個人的に作っていましたが出来栄えが良かったので…出来れば貴方に受け取って欲しいんです」
貴方を思って作っていたなんて口が裂けても言えない。せめて、今日くれたチョコレートの対価になれば良いと思った。
「本当に頂いても良いんですか」
「はい…貰って下さい」
ハーバリウムを手に取って箱越しに見るその顔は綻んでおり、小さな声で何か言われたが聞き取ることが出来なかった。
「ありがとう、またよろしくお願いします」
「こちらこそありがとうございました!」
店を出て彼の車が道路に出た事を確認してから貰ったチョコレートの箱を開けると、そこには薔薇の形で彩られたチョコレートが並んでいる。
息抜きにひとつ食べるとビターだったようでほろ苦い味が口内に広がる。
「おいしい」
次来られたらお礼をしよう、その他になんて話そう。七海さんと色々な話をしたい。何が好きなんだろう、普段何をしているんだろう。
チョコを口内で溶かしている間、彼の事を考えており次の来店がますます待ち遠しくなった。
〜七海視点〜
「ハーバリウムじゃん」
先程まで調べていた単語をいとも簡単に五条さんは口にした。
「ご存知なんですか」
「それくらい知ってるよ僕だって」
ハーバリウム。植物標本とも言うらしいが最近流行りのギフト商品だと知ったのはつい先程。彼から貰わなければ知ることも無かっただろう。
「誰にやるの?ギフト包装されてるけど」
「いいえ。貰ったんです」
すると五条さんは、珍しいのか黙り込んでそれを凝視する。
「ねぇ…もしかして伊地知に貰った?これ」
「…ええ。五条さん、伊地知くんを呼び捨てなんてそんなに親しいんですか」
「お前こそ。僕が行った時、ハーバリウムは個人的に作ってて誰かにあげる予定なんて無いって言ってたけど…そのくらい仲良しって事だよね」
からかう様な笑みを浮かべ、机の上のハーバリウムを指でつつく。
「やめて下さい!人が貰ったものを」
「おーこわ」
そう言って五条さんは帰って行った。
『誰かにあげる予定なんてないって言ってたけど…』
黄色の花が入ったハーバリウム。チョコレートの返礼としてその場で渡された物だとしても、まるで…自分の為に用意されたような……。
「いくらなんでも驕りすぎでしょう、私」
黄色の花が入っているのは偶々だろう。
だが…手渡されて、これを見た時あまりにも素敵で「嬉しい」と声に出してしまった。幸いにも伊地知くんの耳には入らなかった様だが柄にもない事を言ってしまった事は恥ずかしかった。
車に乗ってバックミラーで自分の顔を見ると真っ赤だったので彼に見られてはいなかっただろうか…。
彼から貰ったチョコレートを食べるとミルクチョコレート特有の甘さが口に広がる。
「甘いな…」
次あの店に行った時、このハーバリウムについて聞いてみようか。もっと彼の事を知りたい、彼と穏やかな時間を過ごしたいと思いながら口の中のチョコを溶かした。