猫の日 おれのババア(母ちゃん)には特殊能力がある。ババアは他人が性行為を経験済みか否か見ただけで分かるというしょーもない能力をもっていた。
この、何の役にもたたない能力でおれの友人たちがチェリーボーイであることを見抜き、本人に見抜いたことを言ってしまうという暴挙に出たのである。
今思い出してもデリカシーが無さすぎて信じられない。客人に出すカルピスも薄いし。大体玄関で煎餅食いながら何してたんだよ。
ともかく、ババアはそういう生き物で、おれはその血を濃く引き継いでしまっている。だから変な世界に迷い込んでしまったのだ。
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二月下旬。ようやっと春の気配がし始める季節。
おれはババアにお使いを頼まれて仕方なく商店街へ向かっていた。
外はまだ寒い。ポケットに手をつっこみダラダラと歩くおれとは対照的に、石塀の上を軽やかに渡るものがいる。三毛でかぎしっぽの猫だ。
てててて、と小走りの猫になんとなくついていく。なるべく足音を立てないようにしていたが三毛猫は足を止めて振り返った。
あ、逃げちゃうかな。
おれも足を止めると三毛猫はまた、ててててと歩きだし、石塀からプレハブ小屋の屋根へ飛び移る。おれは三毛猫を早歩きで追いかけながら家と家の間の細い道を進んだ。
とくに理由はない。商店街の方向では無かったが寄り道したい気分だった。
猫がまたこちらを振り返る。今度は「ニャーン」とひと鳴き。ついてくるなと言っているのか屋根から屋根へジャンプして姿が見えなくなる。
急いで細い路地を走って緩やかな坂道を駆け上がった。道は建物に挟まれどんどん狭くなっていくけれど、まだ先があるようなので進んでいく。一本道なので迷うことはない。
道の先のひらけた場所に出る。しかし真正面は店の裏側のようで、道はここで行き止まりだった。
戻るしかないか。
その時、三毛猫が屋根からタンッと降りてきて「ニャッ」と鳴く。
「おまえ、さっきの?」
しゃがんで人差し指を三毛猫へ向ける。三毛猫はクンクンと人差し指を嗅ぐとゴロゴロと喉を鳴らしスリンと懐いてきた。
「なんだ、人懐っこいじゃん」
首輪はつけていないが飼い猫なのだろう。綺麗な毛並みを撫でて、三毛猫と戯れる。
「ナーウ」
「どこん家の子? まださみぃのにお散歩してたん? もう夕方なんだからそろそろ帰えらないとお家の人が心配するぞ?」
三毛猫に話しかけながら小さな頭を撫でる。撫でられ待ちでペタンとなった耳とピンッとたってるかぎしっぽが可愛いかった。
しばらく三毛猫をモフっていたが、商店街に用があったのを思い出して立ち上がる。暗くなる前に買い出しに行かないといけない。クシュンッ、とくしゃみをしてから踵を返した。
「ナーン」
「またね」
その時からおれの世界は一変する。
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異変はすぐにわかった。来た道を戻り、大通り沿いを歩いて商店街に行く道すがらすれ違う人々の様子がおかしいことに気付く。
集団仮装かもしれないが、それにしては普段着過ぎる。それに、ショーウィンドウに反射した自分の姿もおかしかった。身に付けた覚えのないものが、頭に二つと尻の上に一つ。
おれは一体いつから猫耳猫尻尾をつけて歩いていたんだ?
商店街にいる人たちは奇妙な格好をしているおれを気にもとめてない。猫耳猫尻尾を付けてる人もつけてない人もみんな普段通りに過ごしている。
どう考えてもおかしい。
幻覚かどうか確かめるべく自分の猫耳を触ってみる。毛と皮膚の感触はちゃんとあった。軽く引っ張ってみても取れない。地肌から生えているようだ。人間の耳と猫の耳、合わせて四つ耳がある。
怖っ。
尻尾も同様に尻の上から生えていて、自分の髪の毛と同じ色だった。自分のフッサフサな尻尾を両手で持って青ざめる。
なんでこんなことに……。
信じ難い現実を受け入れてる途中、背後から声をかけられる。
「何ウロウロしてんだ。迷子か?」
最初は“内側”から話しかけられたんだと思った。けど違った。よく聞いてた声は“外側”に存在していた。
「智将?」
「お前が遅いから俺が迎えに行くはめになった。まだ買い物も済ませてないなんて、どこで道草くってたんだ」
「うわ、おれと同じ耳ある……」
智将にも猫耳猫尻尾が生えている。けど、智将の猫耳は何故かおれより尖ってるし尻尾も太い。同一体だったら同じはずなので見るからに違う個体だった。
え、どういうこと?
目の前にいる別人格に混乱していると智将はおれの手を引っ張って歩き始めた。
「さっさと買い出し済ませて帰るぞ」
精神世界では感じない他者としての温もりが、おれにまざまざとこれがリアルであることを突き付けてくる。
「どうしてここにいるの?」
「アホな弟を回収するために決まってるだろ」
「弟? おれが? 智将はおれの別人格でしょ」
「突然変な設定でごっこ遊びを始めるな」
「いや冗談じゃなくて……」
おれの疑問は軽くいなされ、手を繋いだまま馴染みの商店街を回っていく。八百屋、豆腐屋、肉屋。行く先々でいつものおばさんおじさんから「相変わらず仲良しだねぇ」「また二人でお使いかい?」「いつもありがとね。これはおまけだよ。またおいで」と話しかけられ、智将は愛想良く「ありがとうございます」と笑って答えていた。彼らにとってはこれが日常らしい。
おれ以外にも智将の姿は見えていて、昔から二人で商店街に通っていたようだ。もはや何が何だかわからないが、“そういうこと”になっていた。
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「ただいま」
「おかえり圭ちゃん。お迎えご苦労様。奎ちゃんもお買い物ありがとね」
帰宅するとババアが智将から荷物を受け取り、キッチンで夕飯の支度を始める。ババアはおれと智将のどちらも「けいちゃん」と呼んでいたが自室のネームプレートには『圭と奎の部屋』と書かれてあった。
自分の部屋のはずなのに見慣れない。家具の配置や、棚の中身も違っていた。
夕食が出来るまでの間、自分の持ち物を漁って現状について調べる。教科書、ノート、昔の写真、ユニフォームとミット、スマホの情報から交友関係はあまり変わりないことがわかった。
小手指で野球をやってることも、葉流ちゃんとバッテリー組んでるのも同じ。ただそこに智将がおれの兄として存在していることと、おれが『奎』という名前で猫耳猫尻尾がついている違和感が混じっている。
子供の時のおれと葉流ちゃんと智将が写った写真があった。アルバムには赤ちゃんの頃の写真もある。やはりどの写真も猫耳猫尻尾付きだ。おれは生まれる前から智将と一緒にいたらしい。
私物をガサゴソと漁っていたおれに勉強をしていた智将が注意する。
「おい、部屋散らかすな」
「ごめん。もうちょっと待って」
「夕飯までには片しておけよ」
ギッとデスクチェアを鳴らして体勢を戻す智将。彼は机に向かっているのに頭についている猫耳は後ろの方に向いていた。デスクチェアの上に収めていた智将の尻尾がパタンと上下する。
あれ、何だっけ。確か気にしてないフリをしつつ周囲の音を聴いている様子だったような気がする。
智将の様子はさておき、卓上カレンダーを手に取る。明日に何かあるのか赤いチェックマークがついていた。何も書かれていないので何の予定かは分からない。でも、引き出しの中にその日の数字が書かれた袋があった。その中に謎の冊子と錠剤が入っている。
「薬……?」
明日の分なのだろう。小分けにされてしまってある。これが何の薬なのか、それは明日判明する。
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夕飯を食べ、風呂に入り、自分のベットで眠る。その夜、夢を見た。
夢の中の自分はまだ子供だった。子供の頃は二段ベットだったらしいが、体の成長に伴い二人分のシングルベットに買い換えたらしい。そもそも親はおれたちが成長してから部屋を分けるつもりだったようで、智将も自分だけの部屋を欲しがっていた。でもおれが駄々を捏ねたため、今も同じ部屋を使っている。
それがなんともおれらしい。オバケが怖いからヤダとギャン泣きしていたが、本当は少しでも智将と離れるのが嫌なだけの寂しがり屋だった。このベットで眠る前も、智将はすぐそこにいるのに少し距離があるのが寂しくて黒猫のぬいぐるみを抱き締めながら寝たので、子供の頃の自分の気持ちがよく分かる。
二段ベットだった時代、眠るまで喋っていたかったのに智将が先に寝てしまい、寂しくなって智将の布団に潜り込んだことがある。翌朝、智将はため息をついて『狭い』と文句を言っていたけどおれに怒ったりはしなかった。
『また同じことするなら俺に何されても文句言うなよ』と、半ば脅しのような台詞も言われたのでそれ以降は我慢していた。二段ベットの下とはいえベットから蹴落とされたりしたら悲しい。
夜中に目が覚める。部屋の中も外も暗い。ダルい体を起こして時計を見る。日付けは変わっていた。
無意識に智将を呼んだ。返事はない。眠ってるから当然だ。何故か酷く悲しくなって、もう一度彼を呼ぶ。
「にぃに……」
智将のことを一度もそんな風に呼んだことはないのに、妙にしっくりくるのが不思議だった。熱でもあるのか、頭がボンヤリとする。勝手に涙も出てきた。
おかしい。自分の体じゃないみたいだ。体調が悪いのかもしれない。
くすんくすんと泣きながら黒猫のぬいぐるみをギュッてする。ベットの上で蹲っているとそっと額に手を当てられた。
「……熱いな。フェロモンも出てる」
呼んだから起こしてしまったのだろうか。智将がおれの目の前まで来ていた。
「にぃ。にぃ」
「分かってる」
おれの体が勝手に智将を求めて動く。意思とは関係なく伸ばされた腕は智将から抱き締められるのを待っているかのようだった。
なに? どうなってんのコレ。
グズる子供を慰められるように頭を撫でられ、ハグしてもらうととても安心した。トントンと背中を優しく叩かれる。その行為はまさに兄のようで一切いやらしさは無かったが、首筋にキスされた途端下腹部がズクンとしてしまう。
おれは智将の服を掴んで「う〜」と唸りながら頭を押し付けた。熱で正常な判断が出来なくなっている自覚はあったが、コントロール出来ない以上どうしようもない。本能から来る欲求に従って、猫なで声を出した。
「にぃに、薬やだ。いつものして」
おれはあの薬が何なのか知らなかったが今になって過去の記憶が蘇る。あれは発情期抑制剤だ。飲むと副作用で吐き気が込み上げる。体は薬の苦みも覚えていて強く拒絶していた。
「………………」
智将が黙っておれから離れていった。スッと立ち上がり引き出しの中にあった薬を取り出している。
「おねがい、にぃに。おねがい」
自分が何を頼んでいるのか分からないまま、ボロボロと涙を零す。智将は薬の袋を持ってない方の手でおれの顎を持ち上げる。
「俺に何して欲しい?」
「……ちゅう。にぃに、ちゅうして……」
「それから?」
「……え、」
「これだけでいいのか?」
ちゅ、と唇に軽くキスされる。
「ぁ、ちが……、もっと……」
「うん」
「……うぅ……」
熱で思考が鈍る。なんと言えばいいのか分からない。智将にキスしてもらえて嬉しいのに、こうじゃないって思ってしまう。お互いの境界を溶かして無くしてしまいたかった。そしておれは既にその感覚を知っている気がする。
「……にぃにともっとくっつきたい。もっとぎゅーってしてほしいの……」
「なら、俺と交尾したいって言え」
コービって何? と思ったがおれの頬を撫でる智将の手にスリッと頬を擦り当てる。自分の言動は雄に媚びる雌のそのものだったが、そんなことは気にならないほど智将が欲しくてたまらなかった。
「ん、にぃにとこーびしたい♡」
智将が満足そうに目を細めると、薬が入った袋をゴミ箱へ捨てる。
「いい子」
優しいキスをされおれはふわふわとした心地になった。智将はおれの後頭部を支えながらベットにゆっくりと押し倒す。暗闇の子供部屋で二人分の体重を受け止めたベットがギシリと軋んだ。
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翌日、おれは元気に登校した。おれの体調を心配する葉流ちゃんの頭にも猫耳猫尻尾がついているし、葵っちと瞬ピーとヤマちゃんにもついてるからちょっと面白い。
みんなにも猫耳と猫尻尾は見えてるけどそれが普通って感じだった。ついてる人とついてない人の違いって何なんだろう。商店街のおじさんとおばさんには付いてなかったから元々生えてなかったんだろうか。
昼休み、みんなで一緒に昼食を取るため食堂に集まる。先輩と後輩にもメッセージを送って誘った。「りょ!」「ぜひ」という返信が来たのでヤマちゃんたちと彼らを待つ。
土屋先輩、鈴木先輩、佐藤先輩、照っち、正ピーが合流してはたと気付いた。
「ねぇねぇ、正ピーは何で猫耳無いの?」
「要くん!?」
正ピーに質問したおれにヤマちゃんが驚く。正ピーはあっけらかんと答えた。
「普通に卒業したからっスね」
「卒業?」
「はい。自分、彼女七人いるんでセックスくらいシたことありますよ」
正ピーの発言に食堂の空気がピシリと固まる。
「セックスすると猫耳取れるん?」
「知らなかったんですか? 男は女と、女は男とセックスすると猫耳と猫尻尾が取れるんですよ」
「知らなかった」
「まぁ、最近は整形手術で取る人や、逆に偽物の猫耳を付ける人もいますけど見た目だけ誤魔化しても意味ないんですよね。フェロモンで分かっちゃうんで」
「そうなの?」
「はい」
紙パックのお茶にストローを刺して飲んでた葵っちが手の平を前へかざした。
「ストップ。そこまでにしろ。昼飯が不味くなんだろ」
「気付いても気付かなくても聞かないでおくのが一般的なマナーですよ」
瞬ピーが葵っちの言葉に補足説明するかのように付け足す。
「えーっ、早く言ってよー!。正ピー、ごめーん」
「いえ。俺は平気です。何も隠すようなことはないですから」
堂々としてる正ピーを見た三年の先輩たちは恥ずかしそうにこそこそと話す。
「滝くん、オトナだなぁ」
「ねー。こういう話はドキドキしちゃうよ」
「僕たちにはまだそういう縁ないしね」
「ところで、来週の練習試合のことだが……」
智将が切り出し、野球部らしい話題へすぐ変わったから照っちがおれと智将を見てちょっと動揺していたことにおれは気付かなかった。
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昼食後、一年の教室へと戻る途中の廊下にて。陽ノ本と滝の会話。
「要先輩、えげつないマーキングされてたな」
「他人のフェロモンあんま分からないんだったか。知らぬが仏ってやつだな」
「あれくらいが丁度いいのかも。あの人男なのに可愛くて女子よりいい匂いするし」
「結構危ないぞその感性。逆鱗に触れないよう気を付けろよ」
「当たり前だろ。尊敬してる人に変な気起こさねェよ」
「どうだか。所詮、俺たちは男だからな。好きな女性が誘惑フェロモン出してたらどんなやつでも抗えないと思うぞ」
「要先輩は男だからフェロモンの心配はいらないだろ」
「普通はな。男は男のフェロモンに誘惑されたりしない。なのに、上書きするかのように満遍なくマーキングされてた。異常だよ、あの凶暴なフェロモンは」
「……智将の方の要先輩、だよな。マーキングしたの」
「そうだな。セックスでもしない限りああはならない」
「言うなよ! 考えないようにしてたのに!!」
「照夜は憧れの人が兄弟でセックスしてるからって嫌いになったりしないだろ」
「そうだけど、流石にショックではあるよ」
「まさか照夜の大好きな要先輩が、“男二人”に抱かれてるとはなぁ。……大丈夫だ、照夜は要先輩にとってただのいい後輩だから智将の方の要先輩と清峰先輩から睨まれたりはしないさ。良かったな」
「オレの傷抉って楽しんでないか正雪」
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常に共にあったとはいえ、別の個体として智将と一緒に学校通って、一緒に授業を受けて、一緒に野球しているのって変な感じだ。脳内に直接響く声ではなく、空気を震わせて聴こえる音にも慣れるまで多少かかった。
兄弟として一緒に過ごすのも悪くない。むしろ同一体だった時よりも自由に動けて不便じゃない気がする。妙な世界に戸惑いはあったが、智将がいるという安心感でおれはすっかり忘れていた。おれのいるべき場所はここじゃない、ということに。
放課後、小腹が減ったので葉流ちゃんと智将と一緒に買い食いをする。近くの惣菜屋で売ってるコロッケは安いのにデカくて美味いのでお気に入りだった。
公園でホクホクのコロッケを頬張る。先に完食した葉流ちゃんが生垣の横をてててて、と歩く三毛猫を見付けた。かぎしっぽだった。思わず追いかけようと足を踏み出したところで、智将に腕を掴まれる。
「何処に行く気だ。もう寄り道するな」
「でもおれ、帰らないと……」
「奎ちゃんの家あっちだけど」
「そうだけど、違くて」
「気にするな葉流火、またコイツの駄々っ子が始まっただけだ」
「ああ。また寂しくなっちゃった? 可愛いね奎ちゃん」
愛おしそうに目を細めた葉流ちゃんに唇にキスされる。
「えっ、何で葉流ちゃんちゅうしたの」
「? 恋人だから」
「おれ、葉流ちゃんと恋人だったの!?」
「何で驚いてるの、アホすぎる。でもそういうとこも好き。もっとキスしよ」
「ぁ、葉流ちゃ……」
二度目のキスは唇ではむはむするキスだった。はむはむチュッチュッされたあと、するっと葉流ちゃんの舌が入ってきて、反射で口を開けてしまう。ねっとりと舌を絡められて、葉流ちゃんに尻尾の付け根を撫でられた。力が抜ける。
「は、ふ……、はるちゃ♡」
くてん、と葉流ちゃんに寄りかかった。キスされてトロンとなったおれを智将がじっと見てる。
にぃにはちゅうしてくれないのかな?
「交尾、したくなっちゃったね。オレの家行こっか」
「ん♡ にぃにも来て♡」
葉流ちゃんに尻尾の付け根をスリスリされながらぎゅ、と智将の裾を掴む。
「いいぜ、見ててやるよ」
生垣の影からおれの様子を伺っていた三毛猫が「ナーウ」と鳴いた。おれの猫耳がそれを人間の言葉として拾う。彼女は「そろそろお帰り」とおれに言っていた。
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葉流ちゃんの家で葉流ちゃんと交尾したあと、自宅に帰って智将とも交尾した。昨日一日中交尾したのにまた智将と交尾するとかお盛んすぎる。
この世界のおれ、節操ないな。
おれの恋人は葉流ちゃんなのに、智将とも恋仲のようだ。兄弟兼恋人とはこれ如何に。
二人で一緒にお風呂に入ったあと、智将の腕の中でうとうとする。智将はおれの髪の毛を乾かしたりパジャマに着替えさせたりと甲斐甲斐しく世話を焼いた。こういった所は兄らしいのに、ひとつ作業が終わるごとに顔と体にキスしてくるのは恋人っぽくて照れる。
キス魔なのかな?
交尾後の智将は機嫌が良かった。ゴロゴロと喉を鳴らしてフサフサの尻尾をおれの脚に巻き付けてくる。
器用だなぁ。
おれはまだ自分の尻尾を無意識に揺らすことぐらいしか出来ない。なので、首を伸ばして智将におやすみのちゅうをする。
「おやすみ♡……にぃに♡」
「……おやすみ」
智将は交尾したあと一緒に寝てくれるから今日は寂しくなかった。二人だとやっぱり狭いけど、智将にぎゅっと抱きつけば寝れないことはない。とくん、とくん、と脈打つ心臓の音を子守唄にしておれは眠った。
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目が覚めるといつもの自分の部屋だった。見慣れた家具の配置に、一つだけのベット。おれの元いた世界だ。
夢、か。
頭と尻の上を触っても猫耳と猫尻尾はない。念の為鏡を見たがいつも通りの自分がいた。
ホッとして階段を降りる。日付けは三毛猫を追いかけた日の翌日だった。記憶にないが商店街に行ったあと一人で帰ってきて寝ていたのだろう。
朝、葉流ちゃんと一緒に登校する。葉流ちゃんにも猫耳猫尻尾はない。そこには野球のことしか頭にない、いつもの葉流ちゃんがいた。
おれはちょっと気まずかったが葉流ちゃんには夢のことを内緒にしてけばバレないからセーフだ。問題はおれの思考を読める別人格の方にある。
うーむ、どっちみち読まれるなら考えなくていいように、交代しておくか。
「ちしょー、起きてー」
「……なんだ主人」
「次の授業、英語だから交代して」
「くだらん事で呼ぶな」
「お願い! 今日だけでいいから!」
「ハァ……、しょーがねーな」
精神世界でハイタッチするイメージで別人格と交代する。裏側でおれの意識は保たれたままだ。智将が表側に出ると教室を移動し始める。おれはその様子をボーっと眺めた。余計なことは考えないように。
あっという間に部活の時間になって、智将が部室で練習着に着替えている時、ヤマちゃんが大きな声を出した。
「要くん背中どうしたの!? 凄く痛そうだけど大丈夫!?」
「これか。大丈夫だ。風呂に入る時少ししみるだけで問題ない」
「えぇ?」
背中? おれ背中に怪我なんてしてないけど、と思いながら智将の背中をよくよく見る。そこには朝起きた時には無かった痛々しい赤い線が数本あった。
え、なにこれ。おれこんなの知らない。
「この間、可愛い仔猫がいたから手を出したら引っ掻かれた」
「それはまた随分とヤンチャな仔猫だね」
「意外です。小動物と戯れたかったんですか?」
「どうせアンポンタンの助がやらかしたんだろ」
ヤマちゃんに続いて瞬ピーと葵っちが好き勝手なこと言う。まったく記憶にないことをおれのせいにされて不満だ。
おれじゃねぇし。
ぷくっと頬っぺを含ませていると、おれの思考を読んだ智将がフッと意味深げに笑う。声には出さず思念でおれにだけこう伝えてきた。
交尾、愉しかったな? 主人。
終