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    水野しぶき

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    水野しぶき

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    【ミスオエ】僕を××してください ※学パロ

    #ミスオエ
    misoeye

    ミスオエと自殺志願者 靴箱を開けると、一枚の紙が入っていた。
     ぼくを殺してください。
     たった一言、やけにていねいな字で書かれたそれをミスラは当然のごとく無視した。差出人の書かれていない手紙に返事を出すことはできないし、相手がわからなければどうすることもできない。
     また、それ以上にさして興味の持てるものではなかったからだ。果たし状やラブレターならまだしも、この手の手紙をもらったのははじめてのことだったので、対処のしようがなかったというのもある。
     手紙は、翌日も翌々日も、そのつぎの日も靴箱に入っていた。
     そこにはあいかわらず、〈ぼくを殺してください〉とだけ書かれており、いつものようにていねいな字で綴られ、さらにはぴたりと折られていた。だれの仕業かは知らないけれど、きっと几帳面な人物なのだろうと思った。
     しかし、日ごとに増してゆく一枚の紙がとうとうはらりと床に落ちたとき、ミスラははじめてこの手紙の差出人に対して興味を持った。
     殺してやりたい、と思ったのだ。
     そもそも、これは果たし状やラブレターの類にも言えることなのだが、勝手に靴箱を開けられて、勝手に物を入れられている時点で不愉快である。ミスラはがんっと靴箱を蹴ると、溜まりにたまった紙の束を抜きとって、生徒会室へと向かった。
     途中絡んできた生徒を二名ほどしかばねに変えても、なかなかきぶんは晴れなかった。


    「なあに、これ」
     来客用のソファに寝転がったまま、オーエンが一枚の紙を手に取る。それはミスラが今朝、生徒会室に持ちこんだばかりの例の手紙の山だった。
     あのあとどうにも苛立ちが収まらなかったミスラは、めずらしく授業に出ていたオーエンを生徒会室までひきずってきたのである。途中何度も喚かれたり抵抗されたりしたのが鬱陶しくて、彼の後頭部をつかみ、額のあたりを壁に打ちつけた。
     その結果、彼はあっけなく意識を飛ばして、ただの荷物へと成り果てた。
     そのせいで喧嘩こそできなかったが、どういうわけか彼とセックスをすることになり、今に至るというわけだ。
     ひさしぶりに抱いた男の体は、あいかわらず細くて白くてきつくてあつくてせまくて、ミスラは三回弱ほど、オーエンの中に精を吐いた。その結果が、現在男の尻から垂れている白い粘液の正体である。
    「ぼくを殺してください」
    「あとにしてください。いまはちょっと、ねむいので。さすがにつかれました」
    「ちがうよ。これは僕の言葉じゃない」
     ひらひらと一枚の紙を翳しながら男は言う。
     ミスラは机をはさんで対面に配置されたソファの上に寝そべり、大量の紙をたぐってゆく男をただぼんやりと眺めていた。オーエンは口元にうすらと紙のような笑みを浮かべながら、例の手紙を見分している。
    「で、どうするの。殺してあげるの?」
    「さあ。気分次第ですかね。そもそも靴箱に勝手に入れられただけなので、相手もわからないですし」
    「気になるなら、靴箱で待ってればいいじゃない」
    「なるほど」
     ミスラは頷いた。その発想はなかったからだ。
    「いいですね、それ。いい加減、邪魔になってきました」
     オーエンは紙の束をめくりながらつづける。
    「それにしても、ずいぶん熱烈なラブレターだね」
    「ラブレター? 怪文書のまちがいでは?」
    「ふふ、そうかもね。でも僕はおまえに殺されるなんて、心底いやだよ」
     殺されたいほどきみのことがすきなんじゃないの? とオーエンは軽やかな口調でつづける。
    「おまえに送られてくるラブレターはいつもくだらないけど、これはちょっと気になるもの」
    「はあ、そうですか。俺には、よくわからないですけど」
     字のていねいさだけは評価するものの、手紙の内容自体はまったく響かない内容だった。それでもオーエンはぱらぱらと紙をめくり、ときおり、なぜかたのしそうに肩をゆらして笑っている。
     よくわからないけれど、あいかわらずにこにこと笑ってばかりの男を眺めながら、ミスラはふぁあとあくびをこぼした。


     待ち伏せする件についてはすっかりわすれていたが、意外にも、犯人はすぐに見つかった。
     そのまま生徒会室でたっぷり寝てしまい、オーエンどころかほかの生徒の姿もほとんど見えなくなったころ、ひとりの男子生徒がミスラの靴箱を開ける、決定的な瞬間を目にしたのだ。
    「ちょっと」
     後ろから近づいて、細い手首をひねりあげるようにつかむと、男は情けない声を漏らした。やはりというべきか、手には例の手紙がにぎられており、いまさら言い逃れできるような状況ではなかったと思う。
     男は背が低く、痩せっぽちで、なんだかものすごく弱そうな感じだった。
     男は観念したのか、ミスラの視線から逃れるように顔を背け、か細い声で言う。
    「あんた、強いんだろ」
    「はい」
    「ひととか、平気で殺せるんだろ」
    「造作もないですね」
    「親がマフィアで、ひとを殺しても、罪には問われないんだろ」
    「親じゃないですけど。まあ、死体のひとつやふたつくらいなら処理してくれそうなひとはいますね」
    「死にたいんだ」
     男はそう言って、ぐっと下唇を噛んだ。
    「ひどいいじめに遭ってる。だから、もう死にたいんだ」
    「へえ、そうなんですか」
    「相手はおなじクラスの奴らだ。名前は――」
     男はまったく知らない人間の名をひとりずつていねいに声に出した。そのことになんの意味があるかもよくわからないまま、ミスラはぼんやりと男の姿を眺める。男はなぜか上靴を履いておらず、白い靴下が黒く煤けていた。
    「だから、死にたいんだ。もうつかれた。今後もこんな目に遭うくらいなら、もう死んだほうがましだ。現に、俺は何度も死のうとした。そのたびに死ねなかった。だから、あんたにこの手紙を書いた」
    「はあ。正直、靴箱に入れられるのは迷惑なんですけど」
    「それは……悪かったと思ってる。でもこれ以外、あんたと接触する方法が思いつかなかった」
     男はすこしだけあたまを下げると、そのまま踵を返そうとする。
     ミスラはあまりにも情けないうしろ姿を見て、はじめてこの男に情を抱いた。他人どころか、自分すらも殺すことのできない男がひどく憐れに思えたのだ。
    「……まあ、考えておきます」
    「え?」
     男は足を止めて、顔だけでこちらを振り返った。
    「金曜の夜あたり、俺の興が乗ったら、やってあげてもいいですよ。場所はあの、ここの近くにある……なんとかって倉庫でいいですよね」
     それだけ言って、早々に踵を返そうとしたミスラに男はちいさくあたまを下げた。



     その話をオーエンにしたら、
    「なにそれ。つまんない」
     となぜかため息をつかれた。
    「ずいぶんおやさしいんだね、うちの生徒会長様は。自殺の手伝いまでしてあげるなんてさ」
    「はあ……どうも?」
    「ほめてないよ」
     オーエンは再度ため息をつくと、先日からほったらかしにしていた紙の束に視線をすべらせる。
    「死にたがってる相手を殺しても、ただ退屈なだけ。ねえ、きみもそう思わない?」
    「まあ、やりがい的なものはこれっぽちもありませんね」
    「でしょ? 北高のミスラが、そんなことに手を貸すなんて馬鹿馬鹿しいよ」
     オーエンの言うことはじつに的を射ていた。喧嘩の延長ならばともかく、無抵抗の相手を殺したところで、そこにはなんの感慨もない。そのへんの虫を殺すよりもあっけない仕事である。
    「でも、あまりにも憐れだったんですよ。あのひと」
    「へえ。どのへんが?」
    「ちっぽけで、やせっぽちで、なんの役にも立ちそうにないところが」
    「ふうん。だから、わざわざ殺してあげるの?」
    「さあ。そのへんは俺のきぶん次第ですかね」
     オーエンは腑に落ちないような表情を浮かべたまま、手近にあったスイーツに手を伸ばした。さきほどミスラが購買部のドライブスルー(と言っても、乗り物はバイクである)で奢ってやったものである。
    「他人の願いを叶えるなんて、どうかしてるよ」
     言いながら、彼がプリンにスプーンを立てる。
    「俺は俺の好きなようにやるだけですよ。あなたに指図される覚えはないです」
    「しってる。僕にも、おまえみたいに野蛮なけものを飼い慣らすような趣味はない」
     飼い殺すならまだしも、と彼がプリンを口に運ぶ。
     プラスチックのスプーンが彼の口内に呑まれた瞬間、オーエンは満足げに笑うと、あっというまにプリンを平らげてしまった。それから今度はドーナツの袋に手を伸ばす。
     この男もまた、ちっぽけで痩せっぽちな男なのに、憐れみを抱いたことがないのはなぜだろうか。やはり、いつもたのしそうに笑っているからだろうか。ミスラ同様、好き勝手に生きているように見えるからだろうか。
    「そうだ。僕もついていっていい?」
     そのままドーナツにかぶりついたところで、オーエンが突如あらたな提案をしてきた。さきほどまでは、つまらない、と一蹴していたというのに一体どういう風の吹き回しなのだろう。
     顔を覗けば、色違いの瞳がにやりとたのしげに細められるのが見える。
    「はあ。べつにいいですけど、今回は退屈なだけだと思いますよ」
    「そうかもしれない。でも、万が一ってこともありえるでしょ」
    「俺が当日ドタキャンしても文句言わないでくださいね」
    「いいよ。そのときは、僕が手紙の彼と遊ぶから」
     最初の不機嫌そうな表情から一変、すっかり上機嫌になった彼がにこりと笑う。
     正直めんどうくさがって行かなくなるか、うっかりわすれるのがオチだろうと思っていた。しかしオーエンがそう言った瞬間、こころの中でちりりとなにかが燃える音がする。まるで自分のために用意された肉を横取りされたときのような、そんな不快な感情が胸にひろがっていくのに、そう時間はかからなかった。
    「ちょっと、勝手に盗らないでくださいよ。頼まれたのは俺です」
    「そう思うなら、おまえが行けばいいじゃない」
     ぱくり、とドーナツを食みながら男が言う。
     猛スピードでスイーツを消費していく彼を見ていたら、めずらしくあまいものが食べたくなってきた。
     テーブルに放置されたクッキーに手を伸ばすと、「ちょっと」と彼が目くじらを立てる。ミスラはそれを無視したまま、封を勝手にやぶり、一枚のクッキーを口のなかにほうりこんだ。
    「殺すよ」と殺気を露わにした彼に、
    「見物料ですよ」と返す。
     オーエンはうらめしげにこちらを睨んだまま、「クッキーだけだからな」と渋々引き下がった。
     思い返せば、このクッキーを買ってやったのもミスラなのだから、そんなことを言われる筋合いはないと思うのだけれど。そこまで熱烈に食べたいわけでもなかったから、ごくりと咀嚼するだけにとどめた。



     金曜日、約束通り、男は倉庫の前でまっていた。
     この倉庫を選んだのにはいちおう理由がある。ここらへんはマフィアやギャングが懇意にしている土地で、この薄暗い倉庫に関しては、だれのものともわからない大量の血が染みついた場所だったからだ。汚れも目立たたないし、街の不良もこわがって立ち寄らない場所だし、ひとを殺すには恰好の場所である。
     オーエンは当日になって、「迎えにきて」などと最悪なことを言い出したが、「あとで後悔するのはおまえだよ」というさらに最悪な脅し文句まで添えられていたので、しかたなく、ミスラは彼をバイクの後ろに乗せて倉庫までやってきた。
     到着早々、彼には、「気にしないでください。ただの野次馬です」と説明を済ませてある。
     ミスラは勝手知ったるようすで倉庫の中に入っていくオーエンの背を見送ったあと、さきほどから、どこかおちつかないようすでいる男を振り返った。
     見物人の存在に緊張でもしているのだろうか。よく見ると、手足が小刻みに震えているのが見える。ようやく望み通りに死ねるというのに、いったいなにに怯えているというのだろうか。
    「ミスラ、ちょっと、」
     壁から顔を出したオーエンがこちらに手を招く。
    「なんですか」
     呼びかけに応じて向かうと、オーエンは、ふところから銀色のナイフを取り出した。
    「はい、これ貸してあげる」
    「……ナイフ? こんなもの必要ないでしょう。ひとぐらいさくっと殺せますよ」
    「まさか殴って殺す気だったの? そんな悠長なことしてたら、あっというまに夜が明けちゃうよ」
     ナイフは薄闇の中でも、ぎらりと鈍いひかりをはなっている。
    「使いかたにもよるけど、これならすぐに終わるから」
    「はあ。ていうか、首でも絞めておけば一発じゃないですか?」
    「だあめ。それじゃあ、僕がつまらないもの」
    「あなたはただの野次馬でしょう?」
     オーエンはにこりと上機嫌に笑った。
    「そう、ただの野次馬。でもすこしぐらいはリクエストしたって構わないでしょう?」
    「俺にここまで送らせておいて?」
    「だから、そのお礼だよ。それは僕のお気に入りなんだ」
     たしかにこの輝きようから見るに、手入れのじゅうぶんにほどこされたものだということはわかる。
     また、人体集めが趣味のオーエンが用いても切れ味を欠かないナイフというのは、多少興味を惹かれるものでもあった。
    「ほら、あとは今日の主役を呼んでこなきゃ」
     オーエンの視線がそちらに流れた瞬間、あいかわらず倉庫の前でかたまったままの男子生徒がびくりと肩をゆらす。オーエンはにこりとつねの笑みをはりつけると、「おいで」とさきのように手を招いた。
     その言葉につられるように、くだんの男子生徒がふらふらと倉庫に入ってくる。
     あいかわらずちっぽけで痩せっぽちでなんの役にも立たなそうな男だったが、前回顔を合わせたときとはずいぶんようすがちがっているように見えた。頬は青ざめ、全身が震え、額には季節外れの汗がにじんでいる。
    「で? どうやって死にたいんですか?」
     ミスラの問いに、男は長い時間をかけて、震えるくちびるを動かした。
    「い、痛くないように。できるだけ、痛く、ないように、してほしい」
    「はあ……なぜ?」
     とくに興味があるわけでもなかったが、なんとなく訊いてみた。先日会ったばかりのほとんど他人に近い男であっても、オーエン曰く、この男は今日の主役であり、ミスラがこれから殺すことになる相手なのだ。
    「だれだって、痛いのはいやだろう」
     男はそう言って視線を落とした。
    「まあ、努力はしてみます。ああでも、そのまえに、ちょっと試してみてもいいですか?」
    「試す? なにを――」
     男が言い終えるまえに、ミスラはさきほど借りたばかりのナイフを、男の腹部にさくっと刺してみた。
     まるで豆腐を切ったような頼りない感覚だった。ほんとうに刺さっているのか、と疑問を抱いてしまうほど、あまりにもあっけない感触に、ミスラはわずかに首をかしげる。
    「っ、あ、あぎゃ、ひっ!」
     しかし男の顔が苦痛に染まり、衣服ににじんだ血がぽたぽたとしたたり落ちるのを見て、ミスラは納得したように頷いた。
     男は言葉にならない悲鳴をあげながら、その場に蹲ると、今度は腹を抱えるようにして地面に寝転がる。また、無個性極まりない顔がなみだとよだれと鼻水でぐちゃぐちゃになっているのが見えた。
     ミスラとしては、試し切りのつもりだったのだが、少々深く切りすぎてしまったらしい。いそいで引き抜いた刃先の大部分が真っ赤に濡れているのを見て、ミスラはおもわず感心してしまう。
    「けっこう切れるんですね、これ。気に入りました」
    「っ、血、血が出て、は、はっ」
    「でしょ? あげないけどね」
    「うう、うう、あ、はぁっ」
     オーエンは自慢げに笑うと、ひどく痛がっているようすの男に視線を落とした。
     その瞳はなぜか喜悦の色に染まっていて、まるですきな音楽でも聴くように、男の悲鳴に耳をかたむけている。ときおり、とんとんとゆびさきでリズムを刻みながら、彼はうっとりと目を細めた。
     よくわからないけれど、この光景が彼の言う、〈万が一〉の出来事なのだろうか。
     そのうち、痛みにも慣れてきたのか、男がひゅうひゅうとか細い声を出した。
    「なんで、こんな、こと、」
    「はぁ? あなたが言ったんでしょう。殺してくれ、って」
     いったいなにを言われているのか、ミスラにはまったくわからなかった。
     せっかく望み通りに殺してやろうとしているのに、いまさら文句を言われる筋合いはないだろう。
     むしろ、今回ばかりは、感謝されて然るべきことだと思うのだ。無償で他人の願いを叶えてやるなんて、ふだんのミスラならば到底ありえないことである。
    「そ、れ、でもっ、ふつー、は、」
     男はぐっと血の気の失せた拳をにぎり、ダンッと地面を殴った。
    「ぼく、は、おまえが、ぼくをいじめる奴らを、全員殺してくれると思ったんだっ!」
    「……あなた、いじめられてたんですか?」
     ミスラの言葉に、男は目をまあるく見開く。
     それから、なにもかもをあきらめたように男は全身から力を抜いた。口元にはいびつな笑みが浮かんでおり、痛みでとうとうイカれてしまったのか、とミスラは勝手に結論づける。
    「っふ、ふふ……」
     しかし、イカれているのは彼だけではなかった。
    「ははっ、あはははははっ!」
     めずらしく腹を抱えて笑うオーエンに、ミスラは純粋に驚いてしまう。いつもにこにこと愛想のいい笑みを浮かべてはいるのだが、彼がここまで爆発的に笑う姿を見たのは、はじめてのことかもしれない。
     オーエンはそのまましばらく笑いつづけていたけれど、ようやく波が収まってきたのか、男がとうとう悲鳴のひとつすら漏らさなくなったころに口を開いた。
    「ふふ……ねえ、おまえはミスラがヒーローみたいに、都合のいい存在だと思ってたんだ?」
     男はなにも答えなかった。ただちいさな声で、「母さん」と呼ぶのが聞こえる。
    「勝手に期待して、勝手に裏切られて、死ぬんだ」
     オーエンはにじんだなみだを拭いながら言った。
    「こんなにみじめな死に様なんて、はじめて見た」
     ――ねえ、ミスラ?
     と同意を求められたところで、ミスラはオーエンのように笑い声をあげるきぶんにはなれなかった。
     せっかく殺してやろうとしたのに文句を言われ、挙句の果てには意味不明なことを叫ばれ、野次馬が腹を抱えて笑っている。いっそふたりとも殺してやろうか、という思いが芽生えてくるのも無理はないだろう。
     オーエンは男のかたわらに膝をつくと、そっと囁くように言った。
    「おまえはもう助からないよ。血がたくさん出てるからね」
     父さん、と男がちいさな声でつぶやく。
    「今度こそ、ミスラに懇願しなきゃ。殺してください、って。はやく楽になりたいでしょう? 痛くてくるしいのは、もういやでしょう?」
     オーエンの囁きが聞こえているのかいないのか、さきほどから家族の名ばかりをつぶやく男に、ミスラは深くため息をついた。いくら名前を呼んだところで、こんな場所に、家族が来るわけもないだろうに。
    「で? 結局、俺はどうすればいいんですか?」
    「さあ。僕はじゅうぶんたのしんだし、どっちでもいいんだけど、」
     オーエンは立ち上がると、わずかに首をかしげて言った。
    「たすけてあげたいなら、殺してあげれば?」
     たすけたい、とはけっして思わなかった。
     けれど顔中を体液でぐしゃぐしゃに汚して、ちっぽけな痩躯をまるめて、ぶつぶつとここにはいないものにすがりつづける姿があまりにも憐れなものだったから、ミスラはふたたび男のもとへと向かっていく。
     靴先で体を転がし、男の体を仰向けにする。
     そして男の左胸あたりに深くナイフを突き刺した。
     腹とは違い、たしかに手応えのある感触を触覚がつかまえる。ミスラは素早くナイフを抜くと、何度も何度も、男の体に銀色の刃を突き刺していった。
     最初は魚のように痙攣していた体が動きを止め、勢いよく吹き出した血飛沫が全身を濡らしてゆく。それでもミスラはおもいのほかやわらかい肉へとナイフを突き立てつづけた。まるでけもののような呼気を漏らして、目の前の男が、最早ただの肉塊になるまで、何度も何度も、腕を振るった。
     肉は腐った果実のようにやわらかく弾ける。血は広大な海のように流れつづける。どう見積もってもちっぽけないのちから、こんなにもみずみずしいものが際限なくあふれてくるなんて、ミスラは知らなかった。同時に、もっと知りたい、と感じた。この男の体がからっぽになるのを見届けたい、とせつに思ったのだ。
    「ねえ、ミスラ」
     名前を呼ばれて、顔を上げる。
     視線のさきには、ミスラ同様、血飛沫で全身をよごした男がにっこりと笑いかけてくるのが見える。男はミスラの手のひらをやわらかくつつむと、ゆびさきを解き、ゆっくりと自前のナイフを取り上げた。
     荒い呼気をこぼしながら、ミスラはその光景を他人事のように見つめている。
     オーエンはポケットから取り出したハンカチでていねいに刃先を拭くと、ふたたびミスラの目を見た。
    「いま、興奮してるでしょ」
    「……なんで、そう思うんですか?」
     オーエンの手のひらが頬へと伸びてくる。
    「そんなの、簡単なことだよ」
     血を塗りたくるような手つきで動くゆびさきにおもわず噛みつきたくなるような衝動を覚えながらも、ミスラはいつも通りの笑みを浮かべた男から、視線を逸らすことができなかった。
    「だって、僕も興奮してるから」
     その瞬間、男がぐっとミスラの顔を引き寄せる。
     くちびるとくちびるがぶつかって、ぐにゃりと侵入してきた舌にミスラはおもいきり噛みついていた。男の喉奥から悲鳴が漏れて、すぐに逃げようとした舌にさらに力をこめる。最早だれのものともわからない血の匂いが鼻孔を貫いて、口内をぬめりながら満たしていった。
    「は、っ、あ」
     痛いだけでしかないだろうに、ぼやけた視界の中で男がうっとりと恍惚の笑みを浮かべたような気がして、ミスラは男の体を押し倒していた。ほとんど衝動的なものだった。べちゃっといびつな音がして、真っ赤な肉塊の中に、白くて細い体が沈んでゆくのをミスラはまじまじと見届ける。
     肉のベッドに身を埋めながらも、オーエンはやはり笑っていた。
    「おいで、ミスラ」
     男は口端から真新しい血をしたたらせながら言う。
    「『僕を殺してください』」
     そう言ってけたけたと声をあげて笑う男の口を、ミスラは手のひらで覆った。それから、もう片方の手で細い首に触れる。どくどくと血の流れる感触をたしかに感じながら、ぐっと体重をかけてみた。
    「あっ、はぁ……っ」
     肉塊のなかで、男は一瞬、表情をゆがませたものの、やはり口元には笑みがにじんでいる。たのしげな視線をミスラに向けたまま、酸素を奪われてゆく男の赤らんだ頬に目を奪われた。この下にも血液が流れていて、さきのナイフで切りこみを入れれば、きっと大量の血が川のように流れてゆくにちがいないだろう。
     男は表情をゆがませると、がんっとミスラの体に蹴りを入れてくる。それから腹部につめたい感触を感じた。それは段々とねつを持ち、ゴム風船のように勢いよくふくらんでゆく。
     視線をやると、彼がナイフの切っ先をミスラに向けているのが見えた。わずかに裂けた腹からは赤い血がぽたぽたとしたたっている。おもわず腹部に手をやると、かたわらでオーエンがげほげほと噎せていた。
    「僕を殺して、」
     あやうい呼吸を整えながら、男はミスラの首に手をまわしてくる。それから裂けた箇所をいつくしむように手で撫でつけると、そっと耳元であまく囁いた。
    「なんて、僕は、死んでも言ってあげないけどね」
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