光呼吸やっと全てが終わり、タクシーに乗り込み、満を持してスマートフォン、通話ボタンをタップした。
「終わったで、お待たせ」
『…オオ、』
イヤホンの向こう、聞こえる声は低い。
それもそうである、0時はとうに回っている。本来なら電話の相手、簓の愛しい愛しい太陽、盧笙は寝ている時間である。しかし通話を望んだのは盧笙だった。〝ラジオ終わったら電話してこい〟と、レギュラー深夜の生放送のラジオをお送りしていた簓のスマホにそれは届いた。CM中にそれに驚いてスマホを落としてしまったのはご愛嬌。え、何、どうしたん、いい、直接電話で伝える、とりあえずじゃあちゃっちゃと終わらせるわ、あほが仕事ちゃんとやれ、と数回メールリレーをしているうちにラジオは終わった。
そして今。
『西口さんから連絡来てん』
「…西口サン」
て、誰やっけ?と思い簓はメモ帳アプリを開いた。ここに盧笙の口から出た生徒の名前を全てメモしている。西口サン、西口サン…あ、俺のラジオのヘビーリスナーちゃんね。あーなるほど合点承知の助。全て理解。うんやろうね、あの発言ね、いやぁ、ストレートにスグ届いて嬉しいなぁ、おおきにね、西口サン。あと学生ちゃんやのにリアタイ勢なんやね、聴取率もまいどおおきに、と簓は思った。
「盧笙は寝てたん?」
『寝てた』
「先生を起こすなんて西口サンも罪な子やね〜」
『それは注意したわ、流石に明日学校やろって、タイムフリーあるやろ、リアタイはアカンて。』
「いやぁ、俺としては聴取率ありがとぉ、って、西口サンに特別にこんど番組ステッカーとボールペンあげたいレベルやわ、」
『〝メールちょいちょい送ってるのに読まれへんねん〟とは言うてたけどな…、…いや、ちゃうねん、俺が言いたいのはそれちゃうねん』
「あーはいはい、」
簓はスッ、とイヤホンを改めてしっかり耳に入れ直した。
『〝今日は月食やねぇ、ゲッ、ショック〜〜なんちて、まあ俺は太陽がそばにおるんで月食とか関係ないですわ、じゃあここで曲いきましょか〟…やないねん』
「完コピやん…感動したわ俺」
『西口さんが文字起こししてくれたからなァ、今それ読み上げたわ』
「追っかけ再生は?」
『したわアホ、今しがた全部聞き終わったわ』
「ろしょ〜〜〜〜」
簓は嬉しそうに、それでも、しっかりバックミラーを見た。最近はタクシーの運転手も安心できないご時世なので。しかし運転手は乗客に興味なさそうだった。結構お年を召した方。ひょっとしたら簓のことなど知らないのかもしれない。それは大変結構。まぁ、声のボリュームは下げるけども、だって、今から簓は愛を囁くのだから。
『太陽って誰なんや、ってSNSで夜中やのに今えらい話題になっとるで、』
「そうなん。盧笙のことやで」
『…ちゃいますが』
「?盧笙やで?」
『ちゃう』
「俺の太陽は盧笙やで」
一回目はさも当然のように。二回目は天然、あどけなく。三回目はイケボ、カッコめな声で。簓は盧笙の名前を答えた。
『俺はディビジョンラップバトル出場するとはいえ、一般人やねん』
「そんなことは一切関係ないねん」
『ハァ?』
「盧笙は俺の太陽やねん、一生ずっと」
簓がその言葉を噛みしめるように吐き出すと同時にタクシーが高層ビルが立ち並ぶ通りを抜けた。簓はタクシーに乗った時から、窓をずっと見上げていた。やっと見えた、月食。月がうすらぼんやり変な形。まぁ、そんな事簓にとってどうでも良いことだ。
『眠いからかなァ、さっきから一切話が見えへんわ』
「あと15分でそっちに着くからちゃーんと丁寧に話すな」
『ハァ』
簓はケラケラと笑った。
「盧笙」
簓は盧笙の名前を呼びながら、じっと耳をすませる。足音とガチャリと戸締まり、チェーンロックの音。
『…なんや、今チェーンロック掛けたわ』
「盧笙の家な、玄関ドアの横、消火器入れとる赤いやつあるやん?」
『ア?あるな?…なんや急に…』
「そこにチェーンロック切れるペンチ隠しとるから掛けても無駄やで」
『アア!?』
簓はまたケラケラ笑った。
「退去料掛かるなぁ、」
そう言うと、ぷつん、と電話が切れた。
一分後着信、
「あった?」
『嘘つきよって!こんボケが!』
「もいっこ嘘ついててんやけど俺、」
簓は肩と耳でスマホを挟みながらタクシー運転手に財布から取り出した一万円札を渡した。タクシーの窓から盧笙が見えた。やって高速乗ってもろてエエんでなる早でお願いしますわァって運ちゃんに最初に言うたもん、と簓は心の中で思った。
「ヌルデってあるやん」
簓の向かいに座っている盧笙は不機嫌そうだ。そんな顔も好きやなぁ、と簓はその顔を見て思う。
「ア?」
「ヌルデ、俺の名字、や、なくて、ヌルデって植物があんねん」
「あ、ああ、それは知っとる…昔出た番組で紹介された覚えあるわ」
「植物って太陽の光受けて、光合成するやろ」
「あ?まぁな…?」
簓の突拍子のない言葉に盧笙は今度不思議そうな顔をした。真剣にどんな話も聞いてくれるそんな顔もやっぱり好きやなぁ、と簓はその顔を見て思う。
「盧笙はな俺の中であの日喫茶店で話した時から太陽やねん、ヌルデの俺は光合成するねん、それで酸素発生や、で、俺はその酸素吸って生きるから、そういうことやねん。盧笙おらんと俺は酸欠で死んでしまうなぁ。はい説明終わり」
簓は一気にそう言い切ると、立ち上がった。そのまま遠慮なくタンスを開ける。部屋着は一番下の段。
「は?は?」
「盧笙は太陽、俺はヌルデ。まぁ、ヌルデが光合成するか知らんけど〜」
そこはまぁ、オオサカ人のご愛嬌ということで、と言いながら簓はお気に入りのスエット上下を取り出した。
酸素を吸って生きていくために。