災いあれふ、っとスマホを操作していた向かい側に座る盧笙の雰囲気が一気にわああ、と〝喜〟に変わったので、簓は んー?と眺めた。瞳が爛々と、唇がむにむにと、何より優しい顔をしていたので、ああ、生徒ちゃんね。と納得した。もうそういう躑躅森先生の顔も見慣れてしまって、ぐび、とぬるいビールを一口。簓は盧笙がそういう顔をした時は話を振ってやらないことにしている。執念深いのではなく心が狭いのだ。あー。ウンウン、わかるわ、オトンとオカンが破滅した訳が。と毎度のことながら今日もどこかぬるっと仄暗く、手持ち無沙汰に自分もスマホに触れた。
「…生徒の子が、」
「ウン」
「告白成功したんやって」
「……ぬるさらもおめでとうって言うてたって言っといて」
が、簓を仄暗い気持ちのままにさせないところが毎度毎度の事ながら盧笙のすごいところである。校則違反ちゃうのとは思うがおめでたい話に水を刺すのは野暮。
「うん、」
いそいそとおそらく祝福メールを書いている盧笙を眺めながら簓はまたビールを口にした。先生が応援したらあかんのちゃうかなぁ…何年の子か知らんけど、もし若気の至りで中出しして生理来うへんねん…って妊娠騒ぎになったら一緒に偉い人に怒られるんちゃう盧笙…とまで簓は考えたが、まあそれも野暮、あー…でも、『ロショセンにしか頼めへんねん…』って生徒ちゃんに言われてある日帰ってきてテーブルの上に中絶の同意書?置いてあったらどないしょ…、いやでも、その場合生徒ちゃん産みたいって言いそうやな、で、盧笙も盧笙で応援するわ言うて、うーん…それ美談に見えるけど退学やん、……とぼーっと一瞬でそこまでの筋書きを考えた自分に対し、簓は我ながら気持ち悪いなと思った。いや、ちゃうくて。こないだの番組、あのVのせいや、俺のせいやない……と、簓が思わず無表情な一方、向かいで盧笙はメッセージを書き終わったのか嬉しそうに送信動作、そしてスマホを置いた。
そのタイミングを見計らって簓は自分のビール缶を盧笙のビール缶にカツンと当てた。まあ良いことが起きた時には乾杯すべきなのだ。知らんけど。
「半年ぐらい相談乗ってて、」
「恋の?」
「おん」
それは、その分野だけに限って言えば相手ミスチョイスすぎへんせーとちゃん…、と思いながらやっぱり簓は黙っていた。今日は野暮だらけ、あれやね、話題が悪いわ。
「どんな風に?」
いやでも聞けるならお聞かせ願いたいわ、逆に。とジッと簓が盧笙の顔を見れば、ギロッと据えた目で見つめ返された。
「ラジオで言わんか?」
「生徒ちゃんのプライバシーは守ってきてるやん」
「危ういとこある」
「言わん、即忘れる」
「…。」
「…。」
「…、まあ、ええか、ホンマに忘れそうなとこあるしお前」
「ウン、ロショセンの恋愛アドバイスのとこ聞きたいだけやし」
「…最初、俺のこと好きやってんこの子。」
「話変わってくるわ。」
「……アホちゃう?」
「アホやけど。」
「…、」
はー、と盧笙がため息を吐いて、後ろ手で自身の体を支えた。ゴツン、とテーブルの下で盧笙の足と簓の足が当たる。
「ま、ええわ、ウン。で、まあ、話聞いてると、なんとなく、別に俺の事そんなに好きやないなあ思って」
「はー…一体いつの間に恋愛詳しくなったん」
「足触んな、こしょばい、…で、まあ、簡単に、端折って言うと、あー……忘れるか?ほんまに誰にも言わんな?言ったら分かってるやろうな」
「言わん言わん」
「……その子、ずっと好きな人がおって、でも脈なさそうやから、俺にしたんやって」
「盧笙の使い方が贅沢すぎる…」
「先生なんて時と場合によっては生徒の踏み台みたいなもんやろ。」
「で、躑躅森先生アドバイスとしてその本命?真実の愛?信じいって?」
「お前が〝真実の愛〟とか言うと一気に胡散くさなるな」
「連ドラ俳優にヒドい…」
「第五話ゲストモブやろ」
「で?上手くいったと、その本命サンと」
「うん」
「改めて、ぬるさらがおめっとうさんって言ってたって言っといて」
「さっき送った。……あれやって、俺を諦めた理由の一つにお前のラジオもあったらしいで」
「あー、あー。あー…」
「どういう顔やねん」
「粗塩みたいな粗い内容のラジオやけど続けててよかった」
「あー…それ、いつやったっけ、公開収録?、とんでもない空気なったのは覚えてる」
「気のせーや」
「あの回リアタイしてたって言うてたでその子も」
「ふぅん」
どうでもよさげな顔をしながら簓はそろりと盧笙のスマホに手を伸ばした。寸前で気づいた盧笙が取り上げる。
「直接送ったろ思って。リスナーちゃんなら優しいで俺」
「ウソつけロクな事ならんわ」
盧笙はそっとスマホを尻の後ろに置いた。〝先生のことはええから。改めておめでとう〟と送っていたのでもうメールは今日来ないだろう。あとはまあ、明日進路指導室ででも。
「逆にリスナーちゃんなら言うてあげたほうが喜ぶ思うけどなあ」
「……。」
ジッ、と無言で睨みつけた視線に対し早々に簓は両手を上げた。
「冗談やって」
「お前の冗談は時に冗談にならん、この際俺のことはええ、…ようないけど」
「いうて、いたずら?なりすまし?も よう来るで、〝某Gから始まる学校の生徒〟ちゃん達から。住所オオサカやなくて、……もうコーナー作ろうかな思うレベル」
「作んな」
「こないだの少女漫画セリフ解説回は手応えあったなあ、やっぱ天丼って強いわ」
「あれのどこが天丼やねん、全部に〝いやようわからん、ええから寝えや〟って返しとっただけやろ」
「元を正せば26の男の教師にいろんな布教しまくっとるGから始まる学校の生徒ちゃん達が悪いやろ、ネタにするやんそんなん」
「お前本当にうちでの評判悪いからな、今日のは絶対言うな、フリちゃうぞ」
「んー…」
「返事、」
「まあ、長年の恋が成就するのはええことやね、」
「うさんくさ。」
「本音の惚気」
「もはやダジャレでもないやんけ」
「んー…」
するっと簓は盧笙の右足の靴下を脱がした。そして人差し指ですっと指のラインをなぞる。
「こしょばい!」
「相変わらずそちらさんは心が洗われる話ばかりで何より。」
盧笙は無遠慮に触れてくる指を蹴ろうと思ったが急に向こうが暗い空気を醸し出してきたので黙った。
「相変わらずこちらは汚い、ハニトラやら浮気やら離婚やら芸の肥やしやら」
「……お前は、クリーンやん」
「ぬるさらは絶賛恋煩い中やからね、まだまだこじらせ、片思い中やわ」
「…ア?」
思わず体を起こし変な声を出した盧笙を見て簓は笑った。そのまますぽ、っと盧笙の右足親指と人差し指の間に自分の人差し指を突っ込んだ。
「こしょばい言うてるやろうが、…片思いってなんやねん」
「聞いてロショセン、ぬるさら、ずっと好きな人おんねんけど、その人な、めっちゃ鈍いしJK共にモテモテやし、昨日なんてぬるさらちゃんほっぽってボイラー?っておっさんが美しいってアヤシイ詐欺師のおっさんと盛り上がっとって…」
「言い方…、ボイラーって誰や、オイラーな、そもそもなんちゅう誤解しとんねん」
「そういや今日なんや楽屋でつまらん話聞いたわ、わーわー騒いどってんけど」
「話聞け」
「なんて名前やっけ、青の…、青いあの…変な衣装着とる、…ま、ええわ」
「お前は…」
盧笙は諦めて素足になった右足の指をぐにぐにと動かした。俯いて勝手に雰囲気醸し出した簓をなんとなくあやそうと思ったからである。簓はまんまとその手に乗って盧笙の左足の靴下も脱がした。
「彼女と生活リズムが合わんでフったんやって、武勇伝みたいに、耳腐るか思た」
「最低やな、名前覚えんでええわ」
なははと笑って簓は盧笙の足の親指を掴んだ。
「生活リズム合わんでもそこはパワーで乗り切るもんやろ、好きやったら」
「お前は乗り切りすぎや」
「言うて、カモフラで本命いるんでしょってよー言われる、キャラチョイスミスったなあとかも」
「……少なくとも、うちの学校の子らはお前の事だいたい敵視しとるし、そもそも、お前そういうの気にするタイプちゃうやろ」
「もしぬるさらが、…」
そこまで言って、簓は〝あ、ツマランこの話〟と咄嗟に口を閉じた。ミスった。リカバリ、…リカバリ、あの青、近距離、カモフラ、下卑た声、あと6時間後にはここを出てタクシー拾って東都、
勿論、簓は盧笙のことを諦める気などさらさら無いが。
「なんや、もし、何、」
「…恋って難しいなぁロショセン」
「それようみんな言うけど正直…そう言われても…返答に困るわ」
「ロショセンに恋愛相談とか一番したアカン相手やろ」
「ア?」
「相談は早々に撤退、英断〜」
「…それでも、一つ思うんやけどな」
「何ぃ」
「悩みなんて言わな分からんやろ。特に1人でするもんちゃうやろ、恋愛は」
「やっぱ、向いてないわ、恋愛相談、ロショセン。したら惚れる」
「おおきに。」
そう言いながらぎゅっと盧笙は足の指に力を込めて足の間に入った指を今一度強く挟んだ。
痛いと笑いながら簓は自分の代わりにさっき叶ったという盧笙の生徒の恋がさっさと破滅すればいいと思った。盧笙を慕うのだって自分だけでいいと簓は思う。心が狭いのだ。あー。ウンウン。
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タイトル:わくせいちゃん(お題bot様/フォロー中)様