ふしぎノクターン簓は時々不思議なことを言う。
その度盧笙はどう答えて良いのか迷い、とりあえずぱっと浮かんだ言葉を返す。スピード感ある会話はオオサカ人のウリやから。いや知らんけど。
そして簓が吐いた言葉は盧笙の頭の中どこかを縛り付けて、『あん時何てコメントすればよかったんやろうなぁ』と盧笙は悩むことになる。
『コンビ組んでた頃はこんなこと無かってん。いつからやろ、あんなん言い出し始めたんは。』と更に悩みは深くなり泥沼化。
一方、簓はその不思議な言葉を言う時も言った後も『え、俺なんか言うた?なんも変な事言うてへんよ、今日も無敵でパワフルなぬるさらちゃんですよ』という態度を取るので、あれかなもうええんかな、と盧笙が忘れたふりをしていると、またそのうち不意打ち、不思議な事を吐くのでまた盧笙はぽけーっとなってしまう。
思い返せば最初は多分きっとアレ、
『MCネーム、えーけーえー、とも言うやつな、俺、トラジックコメディー。コメディアンやし』
うん、多分きっと最初はコレ、
悲喜劇やん、悲しみが最初に来てるねん。盧笙が思い出せる限り、きっとこれが最初。思い返せばすごい最初。
そしてまぁ、そこからまた今度はトリオと言うかお笑いというかヒップホップというか国主催というか結局また〝おんなじの〟になって、そのどさくさに紛れてお付き合いもはじめて、コンビを組んでいた頃よりはるかに何でもかんでもお互い腹を割って話すようになって、盧笙もあの頃よりは大人になって、簓はピン芸人になって有名人になってリーダーになってシビアになってあまえんぼになって道化になってニヒルになってアホになってよくわからない生き物になった。特に盧笙の前では。なんというか、簡単に言えば、今まで見せてきていた『お笑いの天才』というキャラを簓は盧笙の前で演じるのを止めた。
なので、時々不思議なことを言うようになった。
それは大変喜ばしい嬉しい話だが、一方、じゃあその言葉に対し、何、どう答えを返せば、どうそれに応えたらええんかな、というのが盧笙の新たな悩みである。
ただ一番良くないのは〝盧笙が悩んでいる〟その事実が簓にバレてしまうことだ。
なにせ簓は頭の回転が異様に早く、人の顔色に目敏く、バレてしまえばきっともう何も言わなく。
簓とお付き合いというものをはじめて早もう1、2、…ここまで気付けるようになった俺エライわ…と盧笙は簓の自宅の風呂場の天井を見上げながら思う。
そう、盧笙や零が簓の家に気軽に行けるようになるまでがまた長かった。色々あったような、なかったような、いやあった。『なんなんやコイツ、あれや、ナウシカ、あのシーンや、俺、こいつに指ガブウッてめっちゃ噛まれた気ぃするわ』と盧笙がぼやいたら、横に居た零はしみじみと『やっぱ猫派だわ俺』と言った夜の事を覚えている。酔い潰れた簓の顔を二人で眺めながら。in 超高級タワマン簓ハウスにて。
『盧笙ピアノ弾けるんや、え、めっちゃ聞きたい。やったら俺適当な女と結婚するから披露宴の余興で弾いてもらおかな』
さっき簓が吐いた不思議な言葉に対する回答をずっと盧笙は考えている。
答えが出なさすぎてもうかれこれ盧笙は湯船に30分は浸かっている。追い焚き機能ええな、家にはないから羨ましいわ。ずっと湯温かいのはええ、と現実逃避は2回済。
テレビを見ながら、デリバリーした四種のクアトロフォルマッジピザを二人でつまみながら、ただずっと他愛ない話を二人でしていただけなのに、そこでズバンと例のセリフだ。こうやって簓は急に不思議な言葉をぶっこんで来るから、盧笙も困る。そんな事言う時の簓は相変わらず盧笙の顔を見ずに、それでも笑っているから盧笙は読み解けなくて困る。
それが簓の"甘え行為"もしくは"試し行為"なのは盧笙にも分かる。で、別に盧笙がそれに対する答えをしくったところで別に簓が自分から離れていかないのも盧笙は分かっている。分からされた。自分でも努力した。いや、でもいまいち未だ、全部は分からない。そうやってこうやってきっと死ぬまで盧笙は簓の事を全ては理解できないまま生きていくんだと思う。それも分かってる。
それはそれとして、やけどなんて答えればよかったんやあん時、と盧笙はやはりどうしても思う。
『言うて久しく弾いてへんし嫌や』
という回答をミスったのはわかる。なんて言うてええか分からんかってん。でも『そんなん奥さん可愛そうやろ』って答えるよりかはマシやったとは思う。やけど己のピアノの腕を伝えるのもちゃうかったと思う。なんて言えば良かったんや。『お前が結婚する相手は俺やろ』アカン歯が浮くセリフそんなんよう言えん。いや言うべきやったんかな、『ピアノ用意してくれれば弾くで』?いや多分ちゃう、重要なのは後半の台詞や。アイツ俺のピアノが聞きたいだけであないなこと言ったわけちゃうと思うねん、いやでもアイツアホやからその可能性も否めへんからほんま怖、どないすれば良かってん。
と盧笙は葛藤しながらなんともなしに己の両頬を両手でむにと揉んだ。
『余興なんてなんでもええやん、弾いて、あ、盧笙それ、俺のやつや!アカンて、俺食べたい、盧笙のんは隣』
咄嗟に件の答えを返した盧笙に対し、簓は盧笙が手にとったピザを指差したので、結局その話はそこで終わってしまった。そのまま盧笙は簓の言う通り触れていたピザから手を離し、隣のピザを取って、食べて、食べ終わって、見ていた番組も終わって、なんとなくチーズ味なキスをして先風呂どーぞ、と言われ、おお、そしてそのまま髪洗っているときに、…ン?と。
悔しい。時うどんテクニックや。まんまとやられた。それを見越してアイツアレか、アソートのピザ頼んだんか、ホンマに俺、簓の分のピザ手に取ってたんやろか、そもそも『一種類一人二切れな!』なんて普段気にするタイプちゃうやろあいつ、マジで時うどん、見事に話逸らされた。こっわ。
風呂に入るということは次に待ってる展開はまぁ、セックスである。
となるといよいよあの簓の発言はなかったことになってしまう。セックスは気持ちいいものだが頭がパーになってしまうという欠点がある。
簓は別にきっと、あの時、ただぼやいただけで、盧笙に答えを求めていなかった。
不思議な言葉を吐く時の簓はいつだってそうだ。
そして簓は盧笙のピアノが聞きたいからという理由で偽装結婚するような馬鹿でもない。
それも分かっている。盧笙は分かっている。分からされているし、盧笙も盧笙なりに頑張って理解した。
やけどそれは、寂しいやんか、好きやもん俺、あいつのこと。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜のぼせてきた。
「じゃあ、プロポーズん時、ノクターンな。」
やっと風呂から上がり、顔、いやのぼせたのか全身真っ赤な盧笙が言い張った言葉の意味が理解できず簓は思わず絶句した。
「の、……ノクターンってなんやったっけ…」
いやその前にプロポーズ云々なのだが簓の中でプロポーズとノクターンがイコールにならない。そもそも何が〝じゃあ〟、なのか。
「ショパンのノクターン第2番や。あれ華やかやし、先生に褒められたことあるし俺」
「あ、曲、クラシックな…はぁ…?」
どん、と盧笙は座った。なぜかどこかドヤ顔だ。そして簓が冷蔵庫に冷やしていたビール缶を開け飲みはじめた。
相変わらず美味しそうに飲むなぁ、そこらへんの女優より絶対盧笙の方がビールのCMにぴったりやと思うわ…と思いながら簓は先程の盧笙の言葉の意味を考える。
盧笙は時々不思議なことを言う。
こういう時なんて答えたらええんや?と簓は思う。