BADモード「嫌じゃボケ。」
と、簓がそう、ぽそ、とボヤいた時、『光栄やろうが』とか『言われるうちが華やろ』とか、そんな言葉が盧笙の脳裏を過ぎり、実際言おうかと、すっ、と口を開き酸素を吸った。が、結局盧笙は言葉を掛けるのを止めた。そのままなんとなしに右手を口に当て、向かい、テレビを見てる簓を見た。……なぜだかじんわり〝嬉しい〟という気持ちが盧笙を包んでいた。
一方簓はぱっ、と反応が無いことに気づき慌てて盧笙の方を見た。
簓としては、怒られるかもしれん〜ハハ、みたいな、そんなつもりで言ったのであった。なのに盧笙から何も返ってこなかったので慌てた。喜怒哀楽のうち、哀だけは盧笙にさせたくない簓である。引き当ててもうたか哀、と焦ったのであった。
22時台、つけていたテレビからはトークバラエティ番組が流れていた。簓は話の切れ目や息継ぎなど、生きている以上どうしても発生するしぃんとした静寂が苦手なのである。しかも盧笙と居る時に不意に発生するそれなんてとてもとても、まだまだ大嫌いだ。だから適当に8チャン、自分が出ていない番組を流していた。……ら、不意に薄型テレビから〝白膠木〟と簓の話。ん?と二人はピタッと話を止めた。液晶の向こう、簓が何度も共演している芸人、タレント、芸能人、フリップボード、黒マジック、ぬるさらという文字、
『やっぱここは安牌で白膠木簓、』
お〜という声。
簓の預かり知らぬところで著名人達が〝ぬるさら〟を評価していた。
簓は中指の爪先を自分の下唇に刺しながら『あ〜…だる。』と思った。こういう事はまあある。何パーセント、数字を持ってるか否かでコロコロメンツが変わる芸能界を生き抜くには運と才能、頭脳と努力と根性、あとズル賢さ、そして覚悟。簓は全部持っているのでこういうこともまあ、ある。アンパイ、どうもおおきに。こちらとしては使いにくいけどなアンタ。
で。それはそれとして、このところはもう簓は盧笙に〝どや、俺、すごいやろ、やから俺を誇らしく思て〟とドヤ顔を見せるフェーズも終わってしまっているので、んー…、と、だから、『いやじゃぼけ。』と素直に言ってみた。
ら。
「……ど、どういう顔…?」
盧笙の表情仕草の意味を読み解けなかったので簓は素直に聞いた。
「あ〜…」
人差し指で盧笙は自分の唇をなぞった。あ〜…。ん〜…。
ジッ、と向かいから簓の視線を感じる。穴が開くほどの。…糸目のくせに。
「あ〜…」
なんと言ったものか、と盧笙は思い、そのうち『誤魔化そう。』という考えに至り、目の前の糸目から視線を反らしつつ『せや、心を落ち着けるには掃除や』とその辺に置いているコロコロを取ろうとポンポンと後手 手探りでラグを探り始める、と、簓は立ち上がって、盧笙の隣に座った。で、ギュ、と盧笙の腹にしがみついた。
「……ぐえ」
「ぽんぽんしてたからお招きちゃうの」
「んな訳あるか、コロコロ掛けたかったんや。……あーでも、あれやな、もうこのラグ買い換えた方がええかもしれん、ラグの毛なんか髪の毛なんか、」
その言葉に簓は少し顔を動かした。
「イヤイヤ、簓さんの方が鮮やかきれいなグリーンや」
「いやこのへんは似てるんちゃう」
盧笙は指先で少し、簓の毛先、色素の薄いところを軽く摘んだ。……ラグにコロコロを掛ける度、粘着シート、ラグの色とはまた違った緑色の毛がくっつくようになってもうかれこれ久しい。
テレビの向こうの誰か達は別の誰かの名を挙げワイワイにぎやかだ。すうはあと簓がその位置で呼吸をしている間に〝ぬるさら〟の話はサラッと終わったらしい。一方簓は偶発的ではないタイプの静寂は大丈夫なので今やもうどうでも良くなっていた。
盧笙はなんとなくチャンネルを変えた。すると別のチャンネルでは天気予報が。明日は初夏を感じる陽気だとか。
「もう初夏やて、早いなあ」
「で、何、さっきの。」
「空気読め」
「…美味い」
「吸うな変態」
盧笙はコロコロを探すのはもう諦め、腹にくっついている簓の髪に触れた。白髪あったりしてなあ。実際こないだ見つけたし。
簓は無抵抗、されるがままだ。深呼吸をしながらただ盧笙の言葉を待っている。
「………………い、…いっつも前通ると吠えてくる近所の犬が、ある日塀の間から普通に顔出してきてくれた…時、みたいな…。」
「俺盧笙に吠えたこと一回も無い。」
盧笙は手を止めて、簓の肩の近くに手を用意した。
「お手。」
そう言えば仰向けの手のひらに拳が乗った。
盧笙はよしよしと雑に空いている左手で緑髪をぐしゃぐしゃと混ぜた。
簓の左手が変な体勢でお手をしているせいで少しがプルプルと震えているのもひっくるめて愛おしいと思った。
「思うんやけど、さっきの、例え的には猫の方が近いと思うで」
「俺あんま猫に懐かれたことないねん」
「こないだの喫茶店、リンちゃん?」
「すぐ逃げられたやろ俺は。」
「〝あーはいはい来たん、あそー、〟ってお互い干渉せえへんスタイルがコツ………」
そう言いながらいよいよ腕がしんどくなったのか簓は腕を降ろした。
それを見計らって
「俺犬派やねん」
と盧笙は鼻で笑ってやった。
「いやいや俺忠犬も忠犬やろ。」
「どう見てもでかい猫や、で、なんや俺は縁側の婆さんみたいになっとる」
「あー…来世それえ、………ア、待って、俺来世の予約今何個目?」
「知るか」
盧笙は少し腕を伸ばして缶を取った。そのまま中のビールを飲み干す。
「この……内臓がダイレクトに動く感じ、ええ」
「キショ…」
わああ、と急にテレビからにぎやかな音。盧笙は時計を見た。23時。はじまったのは深夜バラエティ、毎度おなじみご長寿番組。………昔盧笙も出たことある、…でももうそれは過去のオハナシ。
盧笙は空き缶からリモコンに持ち替えてニュース番組にチャンネルを変えた。速報、どこぞの芸能人が離婚したとか。チャンネルを変える、あー…、ここも、あー…。
……結局盧笙はHDレコーダーに切り替えた。録画していたドキュメンタリー、オープニング、穏やかな音楽が流れる。
まあ、本日どうやら悲惨な凶悪事件などは無かった一日のようで何より。
「…………あの人、事務所、強くて結構番宣来んねんけど、…イジってええと思う?」
「知らん。」
「ぬるさらもイジられたい…」
「お前クリーンすぎて逆に怖いってみんな言うてるわ。」
「力と金。」
「怖っわ。」
「バックに怖いやつもおるしなあ、ぬるさら。」
「…あの男か」
「そうやあの人。…まあ、あるで実はちょいちょい、スキャンダル、」
「そうなん」
「打ち上げ終わり撮られてエエ感じにトリミングされたり、楽屋挨拶ん時撮られたり、あー…なんやっけ、マンション同じってのもあったなあ、過去」
「ふうん」
「でも一番HOTな、お忍びで通っとるとこはな〜んでかどこも報道してくれへんから、もうこっちから発信する始末」
「…冬、」
「冬?」
「…こたつ布団、特定されたのはちょっと恥ずかしかった…。〝うちのばあちゃん家のと一緒〜〟って、2年の子に…」
「ラジオで言うていいソレ?」
「言うな。てかアレ、そもそも何いっつも勝手に本人の許可なくプライバシー侵害しとんねん、出るとこ出てもええねんでこっち」
「やったらスペシャルウィーク、ゲスト来て」
「行かん」
「リスナーからメール募集して噂の真相本人の口から直接聞くねん」
「答えません」
「ウィズダムそろばん10段ってホンマ?」
「嘘」
「円周率100桁言えるのはホンマ?」
「それも嘘」
「ぬるさらとセフレってほんま?」
「…。」
盧笙はジッ、と簓の後頭部を見、また頭蓋骨、地肌を撫でた。相変わらず熱い頭だ。本日もどうやら白膠木簓の脳はフル回転しているようで。
「嘘かなあ。」
「…嘘なん」
まあ、それ以外の理由な熱も発生したけど今。
「セックスだけの仲でもフレンドでもないんちゃう。」
「……え、英検10級落ちたってホンマ?」
「逃げたなヘタレが。あと英検10級なんてないわ」
ワシャワシャと盧笙は両手で簓の髪を今一度ぐしゃぐしゃに混ぜた。じわじわと籠もりはじめた熱がなんだか気持ちよかった。
が、それもそのうち飽きて、すとんと盧笙は両手を後ろにつき、ぼぉっと天井を見上げた。開けていた窓から入ってくる春の風がひんやりと心地よい。
「……同性愛者ってほんま?」
「分からん。まずそもそもちゃんとした恋愛がわからん。」
「ぬるさらと付き合ってるの後悔してるってほんま?」
「どこ情報やそれ、……まあ、…いっこ、献血出来へんのは…」
「ア?盧笙の血液輸血された人間がこの世におるってこと?」
「急に変なとこ食いつくな、あと人間の血は約120日で入れ替わるからもう、…そもそも探しよう無いやろ、使われたかどうかも分からんわ。」
「…保険証の裏とかに、あの、ほら、臓器提供云々〜ってあるやん」
「急になんやねん、あるけど」
「あれブブー、提供しません、にして。」
「嫌や。もしそういう事なったら何かしら誰かの役立ってほしい思てる俺は」
「絶対嫌、ムリ、耐えられへん。」
「…じゃあ生きて見張っとくしかないなあ。」
「……我ながら長生き出来るビジョンが見えん」
「諦めんのはまだ早い、日々こつこつ確実な生活習慣、」
そう言いながら盧笙は体を少し右に傾け 軽い伸び、ポキポキと関節が軽く鳴った。あー、と首も少し回す。
今二人は普通にダラダラと話をしているが明日も健やかに平日。晴れやかにお仕事の二人である。
よ、っと盧笙は手を伸ばしてリモコンに手を伸ばし停止ボタン、電源オフ。
そして腹にしがみついていた体をそのままジッと見る。と、そのうち見えた表情に盧笙はまた〝嬉しい〟と思ったのであった。