17時、ブースト、まだ終われない言いにくいんだけど、と上司が手を挙げた月曜日。
憂鬱が打鍵する指先を鈍らせるのに書類は増えていく水曜日。
週末の予定を楽しく話すひとたちの間に見え隠れするもうすべてをあきらめたという表情の仲間たちと静かにうなずきあった金曜日。
そして今日、土曜日。
12月24日。
僕はなぜかいつもよりも早く家を出て、休日ダイヤのせいだけれど、始業時刻にはパソコンを開いて書類と向き合っていた。
オフィス内には数人の有志がいるだけで、やたらと暖房の音が響いて聞こえてくる。
ごめんね、と何度も謝ってくれる上司は眉を八の字に下げていて、もういいですからとみんなでなぐさめていた。
そもそも上司のせいではなく、どこかもっと上流のひとたちのせいだとはわかっている。
年内に、なんてあと何日稼働日があると思っているんだ、ときっと抗議はしてくれたのだろうけれど、だからといって覆るわけでもなかった。
そんなわけで、めでたく休日出勤が決まったのが月曜日のことだった。
降ってわいた仕事に、すでにクリスマスイブの予定を立てていた者は目をそらしたりしていて、そんななかで新人たる僕もそれに倣うことなどできなかった。
ご家族がいたり恋人がいたりするひとたちは、そりゃあもう土曜日のクリスマスイブなんて楽しみでしかないだろう。
僕だって楽しみにしている予定はあるのだけれど、その相手が家族同然の弟分であれば優先度は推して知るべしだ。
軽く息を吐きだして、気合を入れなおす。
嘆き節がいつまでも続いてしまうのはご愛敬。
だけど目の前の仕事を終わらせない限り帰れもしないのだ。
目指せ定時より早い退社、が有志一同の今日のスローガンだった。
「斎藤君もどうぞ」
「あ、ありがとうございます。これは山南さんが?」
「せめてもの罪滅ぼしにね」
「罪って大げさな」
もう一度お礼を言って、きれいにデコレーションされたマフィンにかぶりつく。
星型のチョコレートに赤や緑のクリスマスカラーで飾られたそれは人数分あるようだ。
こんなにかわいいものを、わざわざ買いに行ってくれたのか……
「君もなにか予定があったんじゃないかい?」
「ああ、いえ……毎年幼馴染みと過ごしてるくらいなんで大丈夫です」
嘘は言っていない。
けれど気持ち的には大丈夫じゃないから本当でもない。
今年も幼馴染みのままなのは、本当に大丈夫じゃない。
「それは……!」
口に手を当てて、山南さんはキラキラとした視線をこちらに寄越している。
言いたいことは手にとるようにわかるけれど、上司として言ってはいけないと止めてくれているのだろう。
こういうところが、こうして休日出勤の憂き目に遭っても仕方ないなと思えるところだよなぁ。
「いやまぁ、はい……どうしたもんかなぁってずっと思ってますね」
はっきりと核心を言葉にすることはせず、頭なんかかいてみせたりして。
いやみせたりもなにも、全部本心なんだけどさ。
お隣の立香ちゃんとはずっと家族ぐるみの付き合いで、子どものころから毎年両家合同のクリスマスパーティーが続いている。
僕が高校生になっても大学生になっても参加し続けていた理由はもちろん立香ちゃんがいるからだし、高校生になった立香ちゃんが参加しているのも同じ理由だったらいいなとか思ったりして。
端からみればもう十分に育った野郎が二人でクリスマスツリーの飾り付けなんかしている姿はどうかと思われるのかも知れないが、うちではこれが普通の光景だ。
なんなら親にはいつ立香ちゃんとやるんだって聞かれるし、立香ちゃんは立香ちゃんで楽しそうにやってるんだからたまらない。
今年は仕事で忙しいって伝えたときの落ち込みっぷりったらなかったし、今日だって仕方ないねなんて言いながらめちゃくちゃ沈んでたし。
こんな、これで勘違いするな、なんて言う方が酷じゃないか?!
とはいえ僕も年上として、常識ある大人として、立香ちゃんが大人になるまで待ってたんですよ。
中学生のうちはそりゃ年上に憧れるなんてこともあるだろうし、高校生になったら恋人でも作って家族とのパーティーなんて参加しなくなるかも知れないし、となんやかんやと待ち続けて、気がつけばもう高校三年生になっていた。
18歳なんてまだまだ子どもだし酒も飲めないけど、でももうこれはいっちゃってもいいんじゃないかと思うわけで。
悪友に相談したら、斎藤さんがまだ手を出してないなんて正気ですかって返されたけど、あれは相談相手がどう考えてもまちがってたな。
というわけで、今年だ。
すでに推薦で大学も決まっているからこんな時期に変なプレッシャーをかけてしまうようなこともない。
とにかく一度はっきりと告白しようと、前々から考えていた。
のに、この休日出勤のおかげでどうにも気持ちはそれどころではなくなってしまっている。
がんばって、と拳を握って応援していった山南さんを見送ると、もう一度気合いを入れてパソコンと向きあった。
どうにも全体的に進捗は思うようにいかず、じわじわと残業という言葉が脳裏をよぎっているが、とりあえずは考えないようにして。
待ってろ立香ちゃん、と心のなかで呟いて、次の資料を手にとった。