いつまでも痛くてうるさくて火を灯すのと、アルミサッシが開けられたのはほとんど同時だった。
キン、と軽い音を立ててライターの蓋を閉めるのと、背にやわらかな髪が触れるのも。
「起こしちゃった?」
「ううん、起きた……」
たばこどうぞ、とまだ眠そうな声がちいさく聞こえてくる。
煙いよと返すも、いい、とそれだけ。
じゃあ遠慮なく、とあらためて火をつけると、すぐに細くたなびいてゆく煙。
無言で背中にはりついたまま、藤丸は動こうとはしなかった。
目覚めてすぐにその寝顔は堪能させてもらったものだが、開いた瞳はまだ見られていない。
振り向いてしまってもよかったが、藤丸がしたいようにさせておく方がいいだろう。
もしかしたら顔を見られたくはないのかも知れないし、と考えていたところに、ぽつりと声が届く。
「昨日、さ……」
「うん?」
ジジ、とたばこの燃える音が聞こえる。
その音ほどの藤丸の言葉を聞き漏らさぬように、静かに続きを待ってやる。
「一ちゃん、なんていうか、すごく慣れてたよね……」
「……そりゃまあ、経験値の差ってやつなんでない? 痛っ!」
ぼすぼすと頭突きなんてされて、痛くもないのに声をあげてみせて。
随分と可愛いことを言い出すもんだからついつい茶化してしまうのだと、告げたところで余計に機嫌を損ねるだけだろう。
わざとらしく咳払いなんかしながら煙を吐いて、もったいないけれど半分をわずかにすぎたところで携帯灰皿の口を開いた。
「うそ。僕も緊張してたんだよ、これでも」
「えー……?」
「そこ疑っちゃう? ずっと心臓痛かったんだよ。どきどきしてさ。触ってくれればよかったのに」
「さ、わるとか……そんな余裕なかったもん……」
ぽそぽそと、ためらいがちに紡がれる台詞のなんと甘いことか。
今すぐにでも振り返って抱きしめたい、キスしたい、撫でてやりたい――
そんなことがいくつも浮かんではきたが、ぐっとその気持ちを押さえ込む。
きっと押せば受け入れてくれるだろう。
けれどそんなガキじゃないんだから、と大人ぶっていたい自分自身が必死に止めに入るのだ。
はじめての朝だ、多少格好つけたい気持ちだってある。
浮かれて落ち着かなくて、頭を冷やすためにこうしてたばこなんて吸っていたとしても。
「立香ちゃん、振り向いてもいい?」
「う……えーと、うん、はい、大丈夫、です……」
「振り向いたら抱きしめるしなんならちゅーするかもしんないけど、いい?」
「そっ……! き、聞かないでよ……!」
ばか、と罵られようとそれすらうれしいだなんてどうかしている。
ゆっくりと振り向いて、手すりにもたれる。
赤い顔はそっぽを向いていて、しばらく待っているとようやくちらりとこちらへ視線をくれた。
「立香ちゃんの嫌がることはしたくないんだよね。こう見えて僕、もうずっと浮かれてんの。笑っちゃうでしょ。だからよければ、抱きしめさせてください」
ずるい言い方だな、と我ながら思う。
こんな風に言われて藤丸が断るはずはないとわかっているくせに。
口を真一文字に結んで、眉間にしわを寄せて。
かと思えば相好を崩して一歩踏み出して。
「もうっ! 仕方ないなぁ!」
「うん、ありがとうね立香ちゃん」
わざとらしすぎるやりとりにお互いに吹き出して、笑う体の振動はどちらのものかわからない。
そうしてしばらくただ抱き合って、とくんとくんとおだやかに脈打つ鼓動に思いを馳せる。
何十分か、あるいは一瞬か、その時間は藤丸のくしゃみで終わりを告げた。
「中入ろう。風邪引いたら大変だ」
「……うん」
名残惜しそうな藤丸の表情は見ないようにしてサッシに手をかける。
こもった空気が多少は入れ替わるだろうか、昨夜の名残を消すように窓は少しだけ開けておこう。
「今日学校は?」
「あります……まだ時間は大丈夫」
「オッケー。無理はしないように……って、いてっ!」
キッチンへと向かいかけていた無防備な脇腹に拳が飛んできて、今回は本当に痛かった。
嘘偽りない本音なのに、と余計なことは言わないように話題を変える。
「朝ごはん、たまご何個がいい?」
「双子の目玉焼き……って、作ってくれるの?」
「もちろん。立香ちゃんはゆっくり座っててよ」
「……それは落ち着かないので、コーヒー淹れます!」
「はは、じゃあよろしくね」
挙手とともにそう宣言し、慣れた様子でカップを二つ用意しはじめて。
もうずっと昔からこうして朝を迎えていたような様子に妙にくすぐったさを感じる。
ああさっきの藤丸の表情はこういうことか、とむずがゆさを感じながらも、斎藤は頬に力を入れる。
せめて冷蔵庫の扉の陰に入るまでは、まだにやけるわけにはいかなかった。