「ねぇ本当に、どこで買うの、そんなの」
ロナルドの手のひらに収まるのは、今しがたドアノブから引き抜かれた事務所の鍵がぶら下がる、仏像のキーホルダーだった。どこからどう見ても悪趣味なそれを指差しながら、エコバッグを抱えたドラルクが顔を顰めている。
「……買ったやつじゃない」
「え、なに、まさか万引きでもしたの?」
「するわけねぇだろ馬鹿野郎。貰いもんだよ、貰いもん!」
「嘘だろう、君、こんなハムカツとどっこいどっこいのもの貰うなんて、どうかしてるよ」
エコバッグがテーブルに置かれたのを確認してから、ロナルドは丁寧にドラルクを砂にした。ざらりと足元に砂山が出来たので爪先を捩じ込んでは踏みしめる。今日は卵が安く、ロナルドは夜食としてオムライスをリクエストしていた。二パック購入した卵は全て無事だった。
「いや本当、誰から貰うのこんなの。托鉢僧にでも貰ったの?」
「……多分、吸血鬼……?」
歯切れの悪いロナルドの答えに、ドラルクは首を傾げた。多分って何、と尋ねれば、子供の頃だったから覚えてないと返される。
「えっ、これを子どもの頃から使ってるの?本気で?お兄さんや妹さんに心配されなかった?」
ブェー、と短い悲鳴を一声上げ、ドラルクは再度塵になった。手にしていたキーホルダーをテーブルの上に置けば、ごとりと重たい音が響く。これくらいの重量感がある方が、子供だったロナルドにとって紛失の恐れは少なかった。どこにどう置いていても、どのポケットに押し込んだとしても、有り余るほどの存在感がある。絶対無くさないだろとロナルドが胸を張れば、それはそうだろうけど、と砂から実体を取り戻しながらドラルクが溜め息をついた。
「流石に物持ちが良すぎるだろう」
「だから買い換えようとしただろうが」
「あぁ、あの、ホップステップ絡ませて」
「芋づる式に要らんこと思い出すんじゃねぇよ」
脈絡の無さすぎるロナルドのメモが元凶となった事件を思い出しながら、ドラルクは年季の入った大仏を指先でつつく。買い替えるつもりだったはずがそのままのところを見ると、余程愛着が湧いているらしい。
「ところで、何でこれを吸血鬼から貰うわけ?」
「あぁ、子どもの頃に兄貴に連れられて、ギルドの慰安旅行連れてって貰ったことがあってよ」
椅子に座り込み、頬杖をつきながら話し始めたロナルドの様子に、ふんふんと相槌を打ちながらドラルクはエプロンに腕を通した。どうやら長い話になりそうなので、ドラルクは調理を進めながら金の大仏キーホルダーとの逸話を聞くことにした。
ロナルドがギルド慰安旅行に連れて行って貰ったのは、その一度きりだった。なにせ退治人が全員で新横浜の街を離れる訳にはいかないため、幾人かずつのグループが数日に分けて一泊二日の温泉旅行に赴くことになっていた。兄であるヒヨシ、ヴァモネ、ギルドマスターでのグループ割りに、まだ幼かったロナルドとヒマリとが加わるものとなった。
「おふたりがいた方が、お兄さんがふらふらしなくて安心でしょうしね」
子どもたちの荷物を運び入れてやりながら、マスターはちらりとヒヨシを見遣る。ぎく、と肩を揺らすヒヨシは、旅館に到着するなり浴衣姿の女性たちをしっかりと物色していたのだ。悪くないのう、と呟いた声も聴き逃さず、出る杭をしっかりと打ち付けたマスターは、ロナルドとヒマリを浴衣へと着替えさせる。女性の保護者がいないため、ヒマリは兄弟たちと共に客室露天風呂を利用することになっていた。それぞれも着替えを済ませたマスターとヴァモネは、連れ立って大浴場へと向かったらしい。
「じゃあこれ、お小遣いな。無駄遣いしたらいかんぞ」
「はーい!」
湯上りの子どもたちは、揃ってジュースを飲みたがった。普段は麦茶などを飲ませているところではあるが、ヒヨシはロナルドに小遣いを持たせ、ヒマリと共に買い物に行かせることにした。幸い、客室のすぐ側に自販機があり、一階のロビーに向かえば売店で土産品なども購入することが出来る。子どもたちは初めて訪れる温泉宿というものにきらきらと目を輝かせており、ヒヨシが買い物に行っておいでと言わなかったとしても、自分から行きたがることが容易に想像がついた。
兄と妹とは連れ立って部屋を出ると、近くにあった自販機を素通りし、エレベーターへと乗り込んだ。ふたりは既に知っていた。ロビーには売店があり、その隣には小さなゲームセンターがあったのだ。エレベーターが一階に到着すると、ふたりは真っ直ぐにそのゲームセンターに向かった。少し古ぼけた雰囲気でどうやらメダルゲームは無いらしく、壁に向かって並べられたアーケードゲームの機体には客が座っておらず、そのどれもがデモ画面を映し続けている。
「これ」
「おう、いいぞ、やるか!」
ヒマリが指さしたのは、クレーン状になった爪でキャンディを拾って落とし、スライドする台座から滑り落ちたものを獲得するタイプのプライズ機だった。ロナルドはチャリン、と百円玉を投入し、ボタンを押下した。クレーンがぐるぐると回るキャンディの山に爪を立てるが、掬い上げられたのはふたつだけだった。それを台座へと落とし込むが、何度スライドしても何も獲得することは出来なかった。隣で小さな妹がしょんぼりしているのが分かり、ロナルドは大いに焦った。妹に良いところを見せられなかったのが悔しかったし、また子どもながらに、折角の旅行先で妹に嫌な思い出を残すようなことはしたくなかった。
もう一度、と首から下げたヴァモネ型フェルトポーチに突っ込もうとした手を、色味の悪い細い手によって阻まれた。止めといた方がいいよ。聞いた事のない声だった。
「折角のお小遣い、吸い取られちゃう。クレーンの動きちゃんと見てた?ぶれてキャンディ拾わない仕様になってるよ、これ」
「……お前、誰だよ」
「君たちと一緒、このお宿のお客さん。ところでふたりとも人の子だよね、良かったらこれ、貰ってくれないかな」
上背のある男だった。しかしながらその身体は酷く痩せぎすで、まるで枯れ枝のようだった。ピンと尖る耳は吸血鬼のもので、吸血鬼退治人であるヒヨシを兄に持つロナルドは、反射的に目の前の男を睨みつける。しかし男はその視線を、見知らぬ大人からの声掛けに子どもが警戒した、と判断したらしく、さっと手を離すとただの宿泊客であることを明かし、もう片方の手に持っていたやたらと大きな菓子の箱を差し出してきた。ゲームセンターの景品でありがちな、スーパーには並ばないであろう特大サイズの箱には、可愛らしい動物のイラストとそれらを象ったビスケットが描かれている。
「楽しくて取っちゃったんだけど、私食べられなくて」
要らないなら返そうかなと思ってるんだけど、とガサガサという音を立てながら箱を振る。ヒマリの視線はその大きな箱に釘付けになっていて、小兄、と呟いた声に、ロナルドはその両手を突き出して貰ってやるよ!と声を荒らげた。嬉しそうなヒマリとは対照的にむっつりと機嫌悪そうなロナルドの表情に、何となく事情を察した吸血鬼は顎に手を当てる。差し出しかけた菓子の箱をひょいと持ち上げ、ロナルドが手を伸ばしても届かない位置にまで掲げ、にんまりと口角を引き上げた。
「ねぇ、人の子たち。今、おヒマ?」
そう笑った吸血鬼に、子どもたちは顔を見合わせる。見知らぬ大人、しかも相手は吸血鬼である。何かあれば鳴らすようにとヒマリの首には防犯ブザーがぶら下げられていて、ロナルドの手は咄嗟にそこに伸びた。
「わ、ストップストップ。少しだけでいいんだよ、私のこと構ってくれないかな」
ね、と再び細い手がロナルドの腕に添えられた。睨みつけるように見上げた先、細面の吸血鬼が妙に淋しげに笑んでいるので、ロナルドは僅かの逡巡の後、ブザーの紐から手を離してやった。構うってどうすればいいんだよ。ぽそりと呟けば、吸血鬼の大きな口が、それこそ耳の下にまで大きく裂けるように広がり、笑みが深まった。
「いいのかい?うふふ、あのねぇ、エアホッケーってやつ、やってみたかったんだよねぇ」
「やりゃいいじゃん」
「ひとりで?寂しすぎやしないかい?」
「……確かに」
じゃあ決まり!と手を打って喜ぶ吸血鬼は、踊るようにするするとプライズ機の間を進んでいく。寂れたゲームセンターの片隅に設置されたエアホッケーは、ロナルドの目にも随分と年季の入ったものに見えた。では私が奢ってあげようじゃないか、と吸血鬼が細い指で摘んだ硬貨を投入する。デモミュージックが派手なものへと変化し、機体の盤面に空気が噴出される。ロナルドが取り出し口から転げ出たパックを盤面に滑らせてみせれば、吸血鬼はぼそりとホバリングだ、と呟いた。
「ほばりんぐ」
「触ってごらん、薄ら空気の膜があるでしょ。これでパックを浮かせてるんだよ」
「へー……」
盤面に手をかざす吸血鬼の真似をしながら、兄妹も同じように手をかざす。軽く手を押し上げるような風の感覚にふたり揃って、おお、と感嘆の声を上げれば、吸血鬼が微笑ましそうに目を細める。
「さーて、どっちが相手してくれるの?」
使い込まれ細かな傷だらけのスマッシャーを構える吸血鬼を前に、ロナルドはその対面へと回り込むとぐっと浴衣の袖を捲り上げた。
「がんばれ」
言葉少なに応援してくれる妹にアイコンタクトを返すと、ロナルドは速攻と言わんばかりに鋭いスマッシュを繰り出した。ガタンと大きな音を立てながら、パックは一直線に吸血鬼側のゴールへと吸い込まれる。その勢いを目の当たりにした吸血鬼は、びっくりした、と呟いてその半身を砂にした。ロナルドとヒマリはその姿を見て声にならない声をあげた。なにせ生まれて初めて吸血鬼が砂になる瞬間を目撃したのだ。砂の塊から実体を取り戻しながら、吸血鬼はごめんねとふたりに向けて謝罪した。
「子どもにはなかなかショッキングだったよね。私、もの凄く死にやすくて……」
浴衣の襟を正しながらそんなことを呟く吸血鬼の表情が酷く哀しそうに見えて、ロナルドとヒマリとは顔を見合わせる。退治人業だけでなく、自分たちの世話を焼き家事をこなす兄を慮る子どもたちは、同じ年頃の子どもよりもずっと、察するという能力に長けていた。ゲームセンターで出会ったひとりで遊ぶ吸血鬼。その吸血鬼は、エアホッケーすらしたことがないと言い、死にやすい特性を持っている。もしかしたら、こうやって外に出ることすら稀なのかもしれない。ひょっとして、これが最初で最後の旅行なのかもしれない。子どもたちの想像はどんどんと膨らんでいく。
「えーと、次は私の番でいいのかな、それっ」
カン、と吸血鬼の手によって弾かれたパックは、ロナルドの打った速度とは比べ物にならないほどに弱々しいものだった。思わずふたり揃って「えっ」と声を上げてしまったほどだ。そのせいで、子どもたちの想像は更に解像度が上昇していく。こんなに細くて顔色が悪いのは、きっと病弱だからに違いない。道中マスターたちが話していた内容をヒマリは思い返していた。この温泉には多くの効能があり、疲労回復や打ち身、捻挫にも効き目があるのだと楽しげに話していた。きっと、少しでも体調を良くするためにこの温泉を訪れたのだろう。
「小兄」
わかってるよね。
大きな目で妹に見つめられ、ロナルドはそれを無視することは出来なかった。ノロノロと滑るパックを見定めながら、スマッシャーを軽くぶつけてやる。縦のフレームにカツンカツンと衝突しながら、ロナルドの返したパックが滑っていく。
「あはは、楽しいねぇ」
忖度しながらのラリーが続き、ロナルドと吸血鬼との点差は拮抗していた。手加減を続けていてもじっとりと汗が滲んでおり、湯上りで血行も良くなっていたため、ロナルドは滴る額の汗を手の甲で乱暴に拭った。向かい合った先、吸血鬼もそれは同じのようで、色味の悪い肌が薄く赤らんでいるのがわかる。そんなに動いてもいないくせに、身体が細過ぎるせいだろうか、帯が緩んでしまっているらしい。浴衣の合わせが随分とだらしなく広がっていて、肌着をつけていない胸元があらわになっている。前屈みになった吸血鬼の、骨が浮かぶ胸。その先端に目が釘付けになった。青みがかる肌とは対照的に、薄く桃色に色付くそれが何であるかなど、ロナルドだって知っている。それなのに、視線がそこから離れない。
「……!?」
「隙あり!イェーイ!」
カコン、とロナルド側のゴールにパックが飛び込んできたところで、機体のBGMが変化し、それぞれの得点が点滅する。点差は一点、勝者は吸血鬼だった。
「ふふ、ありがとうね、楽しかった」
疲れた、顔周りを手で仰いでいた吸血鬼は、ようやく乱れた浴衣に気が付いたらしく、おっと失礼とその合わせをきっちりと直してしまった。ロナルドには、それが何だかとても残念でならなかった。その理由はよくわからない。わからないものの、そのわからないでいることが何だか悔しくて、じっと吸血鬼の後ろ姿を睨み付ける。
「わぁ、久々に汗かいちゃった」
吸血鬼はそう呟きながら汗の浮かぶうなじにその細い指を滑らせた。蛍光灯の光を受けてきらりと煌めくその汗が、何だか見てはいけないもののようで、しかしロナルドは目が離せないでいた。しっとりと汗を含んだ黒髪が濡れて束になって張り付いているのが見えると、むず、と下腹の辺りがざわめいた。
「……?」
それが一体どういった類のものであるか、まだ幼いロナルドにはわからない。混乱する兄をよそに、妹は吸血鬼の袖を引きながら、今度はクレーンゲームを吟味しているようだった。
「うーん、さっき幾つか挑戦したけど、ここ、結構アーム緩いんだよねえ」
「お菓子」
「あぁ、このお菓子?これはね、前にプレイした人が中途半端にしたままだったからね。ハイエナして上手いこと出来ただけだよ」
自分の中で会話を完結しがちな妹と、どうやら意思疎通が行えているらしい。連れ立ってクレーンゲームを眺めていたふたりは、これなら何とか出来るかも、と吸血鬼が指差した機体の前で立ち止まった。小さな台が縦にふたつ並ぶそれは、手のひらに収まる程度の小さなポーチが詰められた上段と、金の大仏キーホルダーが詰められた下段とに分かれている。
「さーて、どんなもんかなぁ」
百円一枚ではなく、吸血鬼は上段の投入口に一気に五百玉を投入した。そうすることでプレイ回数は一回分が追加されての六回となる。ごく小さなアームがぶらぶらと揺れながら動き、ピンク色のポーチを掴む。掴んだ先からつるりと滑り落ち、妹が小さくあぁと残念そうな声を上げた。
「いやぁ緩いなぁ。……うぅん、ひとつくらいは、どうにか……」
二回目、同じく掴み、持ち上げたところで滑り落ちる。三回、四回と同じようなことを繰り返した五回目、ポーチ上部のボールチェーンの輪にアームが引っかかり、どうにかひとつポーチを獲得することが出来た。やった、と妹と吸血鬼とがハイタッチし、その流れでロナルドもハイタッチの輪に加わった。触れた吸血鬼の手のひらは骨ばっていたものの大きなもので、冷ややかでありつつもしっとりと潤いのあるものだった。残り一回で、再び吸血鬼はポーチを獲得することが出来た。パステルカラーの紫色のそれを一旦受け取った妹ではあったものの、少し考えたのち、吸血鬼に向けて突き返した。いらなかった?と少し寂しげに笑う吸血鬼に、
「お揃い」
とヒマリは実に端的に返す。面食らった吸血鬼は、しかし嬉しそうにそれを受け取ると、大事そうに浴衣の袖へとしまい込んだ。
「うふふ、いいねぇ、お揃い。いただいておこう。じゃあ次はお兄ちゃんに……、と、あれ、あと百円かぁ」
どっちがいい?と吸血鬼がクレーンゲームの機体を指差す。上段のポーチ、下段の大仏。選択肢としてなかなかに厳しいものがあり、ロナルドは散々に悩んだ結果、下段の大仏を選択することにした。じゃあ頑張ろうかな、と吸血鬼が腕を捲り上げる。浴衣の下から現れた腕があまりに細くて、ロナルドは息を飲む。自分の小さな手でも一周出来てしまえそうな細腕を剥き出しにしたまま、しゃがみ込んだ吸血鬼は同じくしゃがむヒマリと頭を寄せ合うようにしながらアームを操作していく。前のめりになったせいで、吸血鬼のうなじがよく見えた。汗が引いたらしいそこに、ぽこぽこと首の骨が浮かんでいる。その膨らみを、たまらなく触りたくなった。そろ、とロナルドの手が揺れる。吸血鬼もヒマリもアームの動きに夢中になっていて、ロナルドの様子には気が付いていなかった。少しずつ指先を近付ける。ぴんと立った耳の下から伸びる首の筋がくっきりと浮き上がっていて、それも目を引いた。すん、と鼻を鳴らせば自分とも妹とも違うシャンプーの香りがして、頭の奥がぼんやりと痺れを覚える。じりじりと近付けた指先は、あとほんの少しでうなじに触れるところまで辿り着いていた。ロナルドは再び息を飲む。もう少し、というところで、目の前のふたりが歓声をあげた。次いで、カタン、と取り出し口に何かが落下する音が響く。
「いやぁ~、さっすが私!一発でいけちゃったよ~!はいお兄ちゃん、どうぞ」
「あッ!?あり、ありがとう……っ!?」
「おっといけない、そろそろ戻らないと。構ってくれてありがとうね。お菓子もどうぞ、持っていっておくれ」
くるりと振り返った吸血鬼が、伸ばしかけたロナルドの手を取る。ひょいとひっくり返された手のひらの上に、ぽとりと金の大仏が乗せられた。思ったよりも重みのあるそれを、ロナルドの手のひらごとゆるりと握り込んで吸血鬼が笑う。じゃあね、と機嫌良くゲームセンターを後にする吸血鬼に手を振って、ふたりは揃って自分たちの部屋に戻った。結局ジュース買わんかったんか、と笑う兄は、既に弟たちの動向を予測していたらしく、自らで購入したジュースのペットボトルを渡してくれた。楽しそうで良かった、と笑う兄が嬉しそうだったので、ロナルドもヒマリも嬉しくなる。ただ、退治人を生業とする兄に、ゲームセンターでの出来事はなんとなく話しづらかった。それはヒマリも同じだったらしい。
そうしてロナルドの手には金の大仏が齎され、今の今まで鍵を守り続けていたのだった。
「ふぅん、そんな経緯がねぇ」
出来たて熱々の回鍋肉を皿の上に盛りながら、ドラルクは相槌を打つ。正直なところ、料理に夢中になっていたので、話の所々しか聞いていなかった。要するに旅行先の旅館のゲームセンターで出会った吸血鬼に貰ったのがその金の大仏で、それをロナルドは長年大事にしているということらしい。卵スープの器に胡麻油をひとたらししてテーブルに運ぶ。ジョンもテーブルセッティングに協力してくれていて、取り皿と箸の配置も完璧だった。
「それで大事にしてるなら、その吸血鬼も浮かばれるよ」
「死んでねぇよ!!……あぁ、いや、どうだろ。なんか、すっげぇ儚い感じの吸血鬼だったから……」
「もしかすると、もしかするかもね。まぁいいじゃない。君がそれを大切にしてるのに変わりはないんだし」
エビチリに春巻きもテーブルに並べてひと息つく。どんな料理も出来たてが一番だが、中華料理であれば尚更だ。火力を上げ、一気に仕上げなければならない。これがカレーなりシチューなりの煮込み料理であれば、鍋をかき混ぜながらロナルドの話に聞き入ることが出来たかもしれない。しかし話の要所要所は聞き取ることが出来たため、難なく会話を続けられていた。テーブルの端に追いやられていた大仏をポケットにしまい込んだロナルドは、ジョンと向かい合うようにして席につく。
「はいどうぞ、召し上がれ」
「いただきます!」
「ヌヌヌヌヌヌ!」
料理を詰め込み頬を膨らませるひとりと一匹とを暫く眺めてから、ドラルクは調理器具を洗うため再び流しに立った。予め酷い油汚れを拭ってしまってから、丁寧にひとつずつ洗い流していく。ひとつまたひとつと洗いながら、ふとドラルクの脳裏に過ぎるものがあった。ロナルドと同じように、ドラルクにもまた、人間たちとのほんの僅かな交流の経験があったのだ。それもまた同じく、温泉宿でのことだった。忙しい母がもぎ取ることの出来た僅かな休暇を利用し、父が吸血鬼も利用可能な温泉宿を予約した。折角ならば夫婦水入らずで、と暫くの間ドラルクが外をぶらついている間、レトロゲームが並ぶゲームセンターが目に留まり、暫くそこで時間を潰していたことがある。そこで、小さな兄妹と出会ったことを思い出した。兄は警戒心丸出しで、妹は何だかぼんやりしてて、可愛かったなぁ。そんなことを考えていると、ふとロナルドと視線が絡んだ。
「……なんか、お前に似てた気がする」
「えぇ?この最高に畏怖くウルトラキュートな私に似ている吸血鬼なんて、そうそういるものかね?」
「前言撤回」
「ウヴァァ、皿を投げるな皿を!」
ズズズ、と砂になったドラルクの身体に、ロナルドが放った取り皿が突き刺さる。吸血鬼の叫び声をよそに、ロナルドは春巻きに歯を突き立てた。とろりと溢れる餡と皮とを咀嚼しながら、ロナルドは流しの向こうで再生した吸血鬼を見遣る。記憶の中の吸血鬼は、どことなく淋しげで、儚くて、よくよく考えれば同居人とは似ても似つかない。そもそも、どんな顔立ちだったのかすらおぼろげだ。吸血鬼然とした血色の悪い肌に痩躯、黒髪は共通点ではあるが、記憶の中の彼は、目の前の同居人のように暇さえあれば煽り倒すような愚行はしなかった。
「ドラ公、おかわり」
「ヌヌヌヌ!」
「はいはい」
茶碗を空にしたロナルドは、ジョンとともに茶碗を突き出してお代わりを求める。それはいつも通りの日常だった。ドラルクの作る料理は腹立たしい程に美味で、ジョンは可愛らしくて、ポケットの中のキーホルダーは、いつもと変わらない存在感を齎していた。