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    凛潔ワンドロ/『雪/聖夜』

    Petit papa Noël 鼻筋に当たったしずくの冷たさに、思わず頭上へと視線を向ける。
     群青色の空から降り落ちる雪片はまだ小さいものだが、次々とその数を増しているようだった。
     ドイツ国境にほど近いフランスのアルザス地方にある街、ストラスブール。
     フランス国内で最古のクリスマスマーケットが開かれていた土地なのもあり、クリスマス期間中のストラスブールはこの寒さでも驚く程の賑わいを見せていた。
     熱に浮かされたようにマーケットが開催されているクレベール広場の方向へ一斉に向かう人々の間を、サッカーで培った回避テクニックですり抜け、表通りから一本入った路地へと進む。
     子供の頃から敏感な五感は今でも自分の武器になっているが、こういう状況下では無駄な疲労を溜めないように出来るだけ刺激を避けるようにしていた。
     けれど、道を一本挟んだ程度ではクリスマスを楽しむ人たちの興奮や喜びは、空気を伝って体に染み込んでくる。
     それ自体が嫌ではけして無い。むしろ、こういう特別な夜は好きだ。
     漏れ聞こえるクリスマスソングと街を彩るイルミネーションを横目に、自分でも浮かれた気分を隠せない足取りで石畳の上を歩く。
     目深に被ったニット帽と口元までグルグル巻きにしたマフラーの隙間から滲む呼気は、降り始めた雪同様に白かった。

     雪の結晶はひとつとして同じ形は存在しないが、大きく八種に分類出来るらしい。
     かつて"青い監獄ブルーロック"でチームメイトだった雪宮がそんな話をしていたのが、ぼんやりと浮かび上がる。
     自分の名字に【雪】と入っているから、子供の頃に興味本位で調べたのだと言っていた。
     そんな雪宮とは現在違うチームに所属していて敵同士ではあるものの、同じドイツ国内に住んでいるのもあって、会う機会は多い。
     だから今も良好な関係を築けている──と俺自身は思っている。
     昔を思い出して口端から勝手に流れたもやを無視しながら、目的地までの最短ルートを通る為、十字路になっている道を左折する。
     人の気配と降りかかってくる雪が確実に増えてきているのを実感しつつ、さらに素早く足を動かした。

     日本で暮らしていた頃、そこまでの大雪に見舞われた記憶は無かったが、ドイツに本格的に移住してからもそこまで雪が降っているのを見た事は無い。
     それから、近頃よく行くフランスも気温は東京よりも低い場合が多いものの、雪が降るのは稀なようだった。
     ちょうど二年前の今頃、俺がパリへと足を運んだ際に珍しく雪が降った夜、凛がそんな事を言っていた。
     心底嫌そうな表情で天を睨みつけていた凛の横顔はパリの街並みを飾るイルミネーションに照らし出され、相変わらず皮肉なくらいに整っていたのをよく覚えている。
     そうして、いつも以上に光を透かした碧色へきしょくの瞳はどこか遠い過去に怒っているように見えた。
     たぶん、雪が嫌いなのだろう。その時に何となく検討がついたものの、あえて理由を聞いた事は無い。
     お互いに言葉に出してはいないが、長年の付き合いで向こうが踏み抜いて欲しくない地雷は何となく察してしまう。
     試合中ならまだしも、プライベートでは凛の機嫌をわざと損ねるつもりは無かった。

     曲がった道をさらに進むと広い道路に出て、その奥にあるクレベール広場の入り口周辺は一気に人の流れが多くなる。
     大きな広場の中央には、下手な合成のように見えるくらい巨大なクリスマスツリーが設置されており、取り付けられた色とりどりのオーナメントはまるで夢の世界への道しるべの如く盛大に光り輝いていた。
     誰もが楽しそうに笑いながら、ツリー同様に飾り付けをされたマルシェやシャレーに立ち寄ったり、ライトアップを施されたストラスブール大聖堂を背に写真を撮ったりとそれぞれにクリスマスを楽しんでいる。
     天から降り注ぐ粉雪も相まって、非常に幻想的な景色に年甲斐もなく心が弾む。
     それから、鼻先をくすぐるシナモンの利いたヴァン・ショーやサンドイッチの匂いにわざと減らしてきた腹もぐぅと小さな歓声を上げた。

     ついついニット帽の隙間からその光景を楽しんでいると、ポケットに入れていたスマホが振動したのを感じ取った。
     慌ててそれを引っ張り出し、表示された名前を確認後、すぐさま通話ボタンを押すと耳に押し当てる。
     『おせぇ』
     マフラーを押し退け声を出そうとする前に耳に響いた言葉には、確かな苛立ちが混ざっていた。ついでに軽く鼻をすする音も聞こえてくる。
     待ち合わせの時間には遅れていない筈だが、少し前から待っていたのだろう凛の健気さが垣間見えてしまって、自然と笑みが零れ落ちた。
     「もう着いたよ。どこいる?」
     『ツリーの近く。左側にオーナメント売ってるシャレーが見える』
     「オッケ。俺も近くまで来てるから、念のため電話繋いだままでいて」
     『はやくしろ』
     耳元で聞こえる凛の声の背後でざわざわと人々の喧騒が入り込んでくる。
     周囲を見回し、伝えてくれた情報を元にツリーへと近づいていくと、暖かそうなダウンコートを着て若草色のマフラーを巻いた凛の姿を見つけた。
     「今行く」
     それだけを伝えると、通話を切ってポケットへとスマホをしまい込んだ。
     どうやら向こうは俺を見つけられていないようで、辺りを見回しているのが分かる。
     コートを纏っていても分かる体格の良さと艶を帯びた黒髪がツリーに取り付けられたオーナメントの光によって浮彫りになっている。
     フランスサッカー界で期待の新星として活躍している凛に周囲は気が付いているのかもしれないが、こんなにも美しい聖なる夜に絡んでくる厄介な輩は流石にいないらしい。
     そうでなくとも、フィールド上だろうがなかろうが凛はいつだって目立つ。
     その上で、俺はどこに居ようとも凛を一番に見つけられる自信があった。
     「お待たせ、凛」
     「寒い」
     俺が近づいてきたのを察知した凛がスマホをさっとポケットにしまい込む。
     黒いコートの肩先にはわずかに雪が乗っていて、ついつい手を伸ばしてそれを払ってやった。
     しかし何故か目尻を吊り上げた凛が、おもむろに着けていた手袋の片方を外すとそのままこちらの指を握り込んだ。
     ポケットには入れていたものの、寒さによって赤みを帯びてひんやりとしていた爪先に凛の体温が心地よい温もりを与えてくれる。
     「んで手袋してこねぇんだよ」
     「急いでたから忘れちゃってさ。どうせしばらくこっちに居るし、買えば良いかと思って」
     会話の間にも指の一本一本をさするように撫でられ、次第に指先だけでは無く全身がポカポカとしてくる。
     周りの人は誰も自分達など気にも留めていないと分かってはいるが、こうも優しい凛は珍しい。
     つい二週間前までは互いに互いを喰い尽くすような限界ギリギリの戦いを繰り返していたから余計に。

     握られていた指に自然と落としていた視線をもう一度、凛へと向ける。
     ふと、様々な色の光を背負い逆光気味になっている凛の澄んだ瞳に、ひとり置いて行かれるのを怖がる子供のような影を覚えた。
     "青い監獄ブルーロック"を離れてからもなお、常に高みを目指すストイックさを持ち、必要以上に他人と慣れ合おうとしない凛のこういう表情を知る度に、凛の心奥に自分が深く根付いているのを感じる。
     降り落ちる雪は未だその勢いを止めず、白一色の筈の雪に街の明かりが宿って、益々ますますこの場所がいつもとは違う世界のように見えた。

     クリスマス休暇が終われば、俺はドイツに戻って自分が求める最高のサッカーを実現する為に何もかも投げ打って努力し続ける。そうしてそれは凛も同じだろう。
     シーズン中、俺達の最も大切なモノはサッカーになる。さらに言うなら生命活動と同義だ。
     フィールドに立つ事でしか上手く生きられない体に俺も凛もなっていて、それを否定しないでくれるからこそ、俺も凛も一緒に居られる。
     要は、オンとオフの切り替えがお互いに出来るくらい大人になったから、俺達はなんだかんだぶつかりながらも底の見えない大海原に浮かんだ小船を操るように、どうにか上手くやってこれているのだ。
     「人気のヴァン・ショーの店も調べてきたから、行こうぜ、凛」
     掴まれていた手を逆に握り返し、ピタリと身を寄せる。
     そのまま凛のコートのポケットに一緒くたに入れた手の指を絡ませた。
     黙ってされるがままだった凛は溜息を零した割に、絡んだ指には力が込められて笑ってしまう。
     「手袋買うのが先だろ」
     「……手袋買ったら手、繋げないじゃん」
     わざとらしく拗ねた声で囁いてみる。本当に拗ねたワケでは無いが、こう言うワガママに凛がどんな反応をするのかが気になった。
     ピクリと軽く動いた指が手の甲を撫で、真っ直ぐな視線が横顔に突き刺さるのが分かってしまって、慣れない事を言った頬が少しずつ熱くなっていく。
     「ハ、……自分で言っておいて照れんな。タコ」
     マフラーとニット帽でほぼ隠れている筈なのに凛には全てお見通しらしい。
     けれど、暴言に滲んだ柔らかさを隠し切れていない所は、凛もこの状況を悪くは無いと感じている証明に他ならなかった。
     するりと人混みを抜けるように足を動かした凛に合わせて、石畳にうっすらと積もり始めている雪の上を歩く。
     大きさが一回りほど違う足跡が寄り添って刻まれていくのを、この人生の中であと何回見られるだろう。
     またもや零れ落ちた笑みと共に立ち上った呼気も、軽快な音楽に合わせて華やかに点滅を始めたツリーの光によって薄赤に色づいていた。
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