君のテレフォンナンバー♡0466-XX-XX00「ゴホン、えぇっと……夜分にすみません、み、水戸と申しますが、、、みみみみついさんはいらっしゃいますかっ?」
おいおい、声が裏返ってるぞ? 盛大にどもってるし。それにな、仮にミツイって奴の家にかけるのであれば、それじゃあダメだろ。
「あっ! ダメじゃん三井さんちだ! …え、名前で呼ぶの…? ひ、ひ、ひさし、さん…?」
そうそうその通り。ミツイさんちにかけて「ミツイさんいますか?」じゃダメだよな。さすがウチの坊っちゃん、気付いてよかったぜ。
もう何度目か分からない予行練習に、いいから早よかけろとつっこみたくなる。でも悲しいかな、言葉を発することが許されない俺は、目の前で呪文のように「水戸と申しますが」を繰り返す我が家の坊っちゃんを冷やかすことも励ますこともできないのだ。あーあ、焦れったいったらねぇぜ。
え、俺は誰かって?
よくぞ聞いてくれた。俺は坊っちゃんが生まれる前から水戸家の居間に鎮座する黒電話。相棒とも言えるタンス野郎と隣り合わせ、この家の日常と坊っちゃんの成長を見守り続けてきた。俺の仕事の9割は母ちゃんの長電話だが、たまにこうして坊っちゃんの声をダチのハナミチやらチュウやらに届けることもある。
だがしかし、今夜の坊っちゃんは様子が変だ。いつもなら片膝を立ててタバコをふかしニヒルな笑みをこぼしているというのに、今日は礼儀正しく正座で背筋を伸ばし、あーでもないこーでもないと電話の挨拶を繰り返し練習している。そして『ミツイヒサシ』という新キャラ登場ときた。まぁ、水戸家に来る以前の家から数々の名(迷)言を伝達してきた俺にはすべてお見通し。これは『恋』ってやつだろう。女1人この家に呼んだこともないし、母ちゃんに「○○さんって子から電話よ」と言われても居留守を使うようなガキんちょだった坊っちゃんが、今日は電話ひとつでこんなにも緊張しているらしい。こりゃあ相手が気になるところだ。
「9時に電話するって言ったけど、ぴったりじゃ気合い入りすぎかな…ちょっと過ぎてからかけた方がいいかな…」
なんだと? 9時までまだあと2分もあるじゃねぇか。何度練習したって変わらねぇし、8時58分は9時みたいなもんだろ? もういいから、早よかけろ。
「あぁぁぁ緊張する…ひ、ひ、ひ、ひさし、さん…?うわぁぁぁ言えねぇよぉぉ」
顔を真っ赤に染め、頭を抱えてジタバタする坊っちゃん。だから早よかけろっての! かけちまえばコッチのもんだ! 俺はたまらず、一瞬受話器を浮かせてリンッと音を立ててやった。声を発することはできない俺だけど、これくらいなら許されるだろう。案の定、坊っちゃんはハッとして正座し直し、ポケットから取り出した紙切れを俺の前に置いてフーッと素早く息を吐いた。紙切れには名前と数字の羅列。この番号にかけるのか。ずいぶん綺麗な字を書くんだな、ミツイヒサシって奴は。
「よし…」
ジーーーー、ツーーーー、ジー、ツー、ジーー、ツーー、ジーー、ツーー……0466…? っておいおい。うちと同じ藤沢市内にかけるなら、市外局番いらねぇぞ? 相当緊張してやがるな。ゼロにたどり着き戻るまで、ダイヤルはほぼ一周。行って戻るその時間すらも焦れったいが、若干震える指からは坊っちゃんの緊張が伝わってくる。あぁ、なんか俺まで緊張してきたじゃねぇか。その上、最後の2桁が『ゼロゼロ』なんて、ミツイヒサシの電話番号は焦らし魔だ。
ツーーーー、とダイヤルが戻ると同時に、ついに発信された……プル、ガチャッ! うおっ、早ぇな!
「もっ、もしもし、夜分にすみません、みとと申しますがっ」
『…おう』
「ひ…みついさん…?」
ひさしさん、と言いかけて言い直したなコイツ……まだ名前を呼び慣れていない仲らしい。ほう、付き合いたてか?
「こ、こんばんは」
『…おう』
「何してたの?」
『えと…メシ食って…テレビみてた』
ははーん、嘘ばっかり。ミツイヒサシはテレビを見るどころか、9時前から電話の前で待ち構えていたに違いない。でなければ、あんな瞬速で受話器を取れるはずがねぇ。
「へぇ、何食べたの?」
『ハ、ハンバーグ…』
「いいなぁ、おいしそう」
『……みとは?』
「え? おれ? えっと、、俺もごはん食べてテレビ見てた。今日は豚汁作ったんだ」
嘘つけぃ! いや半分ほんとだけど! 母ちゃんが仕事で遅くなる日にメシを作るのは偉い息子だと、俺はお前を誇らしく思うけども。でも緊張して何も喉を通らねぇって、テーブルのメシは手付かずじゃねぇか! テレビなんて付いてねぇし、ずっと俺の前で「水戸と申しますが」って何度も何度も繰り返していたくせに。この意地っ張りカップルめ……いやそれより坊っちゃん、ここからが勝負だぞ? 分かってるな?
『えっ…水戸メシ作れるのか?』
「うん、母さんが遅い日は作ってるよ」
『へぇ…………』
「…………」
『…………』
おいおいおい、なにやってるんだ? ここが勝負だって言ってるだろ いや、言ってないけど。あぁぁぁもどかしい! いけ! 坊っちゃん! 男だろ!
「………こ…今度たべにくる?」
『いっ、いいのか……?』
「うん、おいでよ」
よっしゃあぁぁぁぁ! よく言った! それでこそ水戸家の一人息子! これで恋人の初訪問が叶いそうだ……よかったよかった。
「じゃあ……明日予定聞かせて?」
『おう……』
「……………」
『……………』
だぁぁぁもうこのなんとも言えない間が焦れったいというか初々しいというか……こっちが恥ずかしくなるじゃねぇか……こんな初恋のように純粋な会話、久しぶりすぎて居たたまれない。少なくとも水戸家に来てから15年以上は、一度も経験したことがなかった。坊っちゃんも大人の階段をひとつ上ったんだな……なんか、泣きそう。俺、目とかないけど。
「ただいまぁー洋平? いるのー?」
「やべっ、母さん帰ってきた…ごめん、またかけるね!」
『おう…じゃあ、明日な』
「うん、バイバイ」
『…みと…』
「なぁに?」
『す、すき……』
「おっ、おれも!」
『じゃーな』
ガチャンッ! ガラララ……
「あら、いるじゃない。まだ帰ってないのかと思った」
「おー、おかえり。うたた寝してた」
「………ふーん」
「…………なんだよ」
「べっつにー」
俺の前で目がギンギンに冴えているのに「うたた寝してた」なんて言い訳、この鋭い母ちゃんに通用するわけねぇだろうが。そんなの、坊っちゃんだって分かってるくせに、素直じゃねぇなぁ。それにしても、なんだかちょっと嬉しそうな母ちゃんの顔といったら。そうだよな、俺も同じ気持ちだよ、母ちゃん。しかし坊っちゃんは、大人ぶっててもしょせんはまだ15歳のガキンチョだな。本物の大人になれるのは、まだまだ先の話のようだ。
そして翌週。坊っちゃんはこの家にミツイヒサシを連れて来て、2人で豚汁を食べてニコニコ笑っていた。あんなにデレデレ嬉しそうにしている坊っちゃんは初めて見た。坊っちゃんは5回目の電話で、市外局番は不要だとようやく気が付いた。その後の2人はだんだんと電話に慣れてきて、焦れったい沈黙がほとんどなくなった。それから坊っちゃんはミツイヒサシをちょくちょくこの家に連れ込んでは、襖の向こうで甘い時間を過ごしているようだった。青春っていいよな。母ちゃんには内緒にしておいてやるからな。(何も言わなくてもバレていると思うけど)
時には喧嘩をすることもあるけれど、ミツイヒサシと電話越しに話す坊っちゃんの顔は、俺の黒電話人生至上、一番の幸せ者に見えた。俺がこの家からいなくなるのと、坊っちゃんがこの家を出るのと、どっちが先だろうか? いずれにせよ、俺はただただ二人に幸あれと祈るばかりだ。