バカ息子の話をしよううちの息子はバカである。中学時代にバスケバカとして名を馳せたと思ったら、膝の怪我を機に不良になり果てたバカ息子。それをフォローできなかった私は、さらにバカな親だと思う。
何事も経験、なんて言うけれど、さすがにあの怪我には親子共々疲弊した。親の慰めなんて素直に聞くはずもない思春期であり反抗期。何を言っても何をしても、息子は心を閉ざしたままだった。口数が減り、笑顔が消え、背中を丸め、長い前髪で顔を隠す。まるで自分の存在意義を見失ったようだった。
やがてバスケから離れた場所で新しい友達ができたようで、制服を着崩すようになり、外泊が増え、顔に傷を作るようになった。最初は心配したけれど、目も合わせようとしない息子に私はだんだんと何も言えなくなっていった。きっとこの時、諦めずに話をするべきだったのだ。
背と共に後ろ髪も伸びて、いやさすがにみっともないと久しぶりに注意をした。その日、外はザンザンと激しい雨が降っていた。もちろん息子が私の注意を聞き入れるはずもなく、「うるせークソババァ」と見下ろされたときの冷えた瞳に何かの糸がブチ切れて、息子の長髪を引っ掴んで大喧嘩をした。なんで俺を産んだんだ、産んでほしいなんて頼んでない、そんなことを叫ばれた。本音ではないことくらい知っている。でもそんなことを口にする息子も、すべての原因である膝の怪我も、そして何より無力な自分も、すべてが嫌になった。はらわたが煮えくり返って、もう二人で死ぬしかないと思った。涙でグシャグシャになりながら、はじめて息子を殴った。包丁を取り出した。すると息子は雨の降る中走り去った。まだ前歯がなくなる、ずっと以前のことだった。
それからというもの、息子の外泊がさらに増えた。夕飯がハンバーグのときだけ素直に帰宅するくせに。いったい何のつもりなの? 許せなかった。許せなかったのに、私は週に2回、毎回ソースを変えてハンバーグを作るようになった。唯一、息子が私を母親だと認識してくれている瞬間に思えた。衣服からタバコの匂いがしたけれど、本人がヤニ臭くないことだけが救いだった。
「ただいまー」
再び玄関からその声が聞こえるようになったのは、去年の5月から。
息子の誕生日の、少し前のことだった。いつもより派手に殴られた顔を見て、いよいよコイツは終わったなと思った。そうしたら生き返ったように強い瞳で「バスケ部に戻る」と言うものだから、天地がひっくり返るような衝撃を受けた。もちろんひっくり返ったのは、三井家の中に限ったことだけれど。
息子は髪を切り、差し歯を入れた。私は毎日練習着を干すようになり、でっかい水筒を洗うようになり、白米を炊く機会が増えた。急にガラリと変わった生活にしばらく理解が追い付かなくて、やがてジワジワと現実味を帯びてきて、18歳おめでとうと伝えたその日に、ようやく息子が戻ってきたと実感した。
息子が最後の喧嘩をしたあの日に何が起きたのかなんてことは、結局かいつまんでしか教えてくれなかったけれど、どうやらヒーローが現れたらしいことをカタコトの外国人のようにたどたどしく話していた。ヒーローくんの話が出て3回目、息子が恋をしているのだと直感した。かわいいとこ、あるじゃん。
「おかえりなさい」
「今日の晩飯なに?」
「ハンバーグ」
「お、やった!」
息子の笑顔が戻って約10ヶ月。今ではハンバーグは週に1回である。けれど、何でも「うまい」と箸が止まらない息子に、私は現実のありがたさを噛み締めている。
息子は4月から東京で一人暮らしをはじめる。バスケ部に戻ってからはトントン拍子すぎて怖いほどであった。インターハイ出場を決め、なんとあの山王工業に勝利し、冬の大会にまで出場させてもらって、大学の推薦をいただいた。私の前では見せないけれど、きっと本人的には順風満帆ではなく、悩みや後悔を抱えながら頑張ったのだろうと思う。でも、今バスケができるのは本人の努力だけでは決してない。周りに感謝しながら生きていきなさいと、強く強く言い続けている。息子はその言葉を「うるせークソババァ」と突っぱねたりせず、「わかってる」と、いつも深く頷いて聞いていた。
「なぁ、おふくろ……」
「んー?」
「何かほしいもん、ある…?」
「……へ?」
ハンバーグを頬張りながら、目の前の息子はいきなりそんなことを言い出した。頭でも打ったのだろうか?
「えっ、と……なに、いきなり?」
「いや…明日、たんじょーび、じゃん…?」
「………あぁ」
息子は目線をチラチラ、私とハンバーグを交互に見て3回ほどで、照れ臭そうに頬を掻いた。対する私は、自身の誕生日なんてすっかり忘れていた。息子関連のイベントと大切な会議以外は、ほぼゴミ収集カレンダーで曜日感覚を得る生活である。まさか息子が私の誕生日を覚えていたなんて、軽く衝撃……ううん、とても嬉しいのだけれど。
「ほら、俺冬休みからバイトはじめたから、少し金あるし」
「……」
「迷惑…かけたし…」
あんまり高ぇもんは無理だけど……そう呟いて、気まずそうに目をそらす。へぇ。迷惑をかけたことについては、一応気にしていたらしい。あれだけ激しくグレていたくせに、素直さとか純粋さは捨てきれなかった。やっぱりかわいいとこ、あるじゃん。
でもね、私はね……
「プレゼントなんていらないよ。お金は大切に貯金しておきなさい」
「え……」
「寿が毎日楽しければ、それでじゅうぶん」
「………」
「その代わり、明日は一日なーんにもしない日にしたい」
「は?」
「ごはんも、洗濯も、掃除も、ぜーんぶ寿がやって」
「はぁっ!?」
「もうすぐ一人暮らしするんだから、修行もかねて」
面倒なことになった……目の前で呆然とする顔に、そう書いてある。分かりやすいんだよね、ほんとに。でも、なんか大人の顔つきになったな、この子。そりゃそうか、もう大学生だもんね。ちょっとだけ、鼻の奥がツンと痛い。
「だってほら、料理は寿のヒーローくんが教えてくれてるんでしょ?」
「……は?」
「あ! ねぇねぇ、明日つれてきて! 紹介してよ」
「はぁぁっ!?」
あんたさっきから「は」しか言ってないけど、大丈夫? なんてどうでもいいことに笑いそうになる。
息子は初冬の頃からまた外泊をするようになった。またかと少し心配になったけれど、どうやら『ヒーロー』が『恋人』になったらしいと、すぐに気がついた。それからというもの、毎日がより一層楽しそうで。本人は必死に隠しているつもりのようだったけれど、幸せオーラが駄々漏れであった。だから、この子のヒーロー改め恋人はいったいどんな子なのかと、気になってしょうがないのだ。ケーキもプレゼントもいらないから、ぜひご挨拶をさせてほしい。息子を救ってくれてありがとう、これからもよろしくね、と。
「あーめっっっちゃくちゃ最高な誕生日プレゼントだなぁ」
「バッカじゃねぇの…」
「バカで結構~♪ あー楽しみ!」
ブツブツ言いながら席を立ち、食器を下げてスポンジに洗剤をたらし泡立てる息子。なんだかんだ言いながら、皿洗いや風呂掃除くらいは毎日やってくれるのだから、やっぱり素直な子なのだと思う。バカだし生意気だけれど、ちょいちょい垣間見える素直さはグレてたときも変わらずかわいかったなと、今だから思える。そんな一面があったから、ほんのわずかな希望を捨てずにいられたのだと思う。
翌日。朝食を作り皿洗いも洗濯も掃除も終わらせた息子は、穏やかな晴れ空の元、ちょっとオシャレをしてそわそわと出掛けていった。唇を尖らせる寿の横で、ケーキの箱を持ったイケメンリーゼントが「はじめまして、水戸洋平と申します」と頭を下げ、私のテンションが爆上がるまで、あと1時間――