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PeteをHUM BAR近くの路地まで送ったVegasの胸に微かな振動が伝わり、着信を報せる音楽が鳴る。車内に響き渡ったこのHard Rock調の音楽はKwangの着信音。勝手に人の電話をいじくり回し、自分専用の着信音を設定するような奴。何でもテーマ曲らしいが、誰の曲なのかすら俺は知らない。
内ポケットを探ってCell Phoneを取り出す。最近Handsfreeの調子が悪い。路肩へと寄せた車を停車させ、そろそろ替え時かと考えながら通話ボタンに手を掛けると、"Hey Vegas!"と聴こえてきた声の様子は相変わらずHighだ。だが珍しく、18時半にXXXレストランへ予約を入れたからな!と簡潔に要件だけを伝えて電話を切られた。時間が迫ってるからだろう。時計に目を遣り時刻を確かめる。今いる場所からなら飛ばせば30分で行けるはずだ。
二時間程度、食事をして解散が20時半。そこからHUM BARまでは同じ道を辿れば、21時過ぎにはPeteと合流出来る。そう思っていた。
先方の進み具合によっては、もっと早く切り上げてもいいかもしれん。どうせ今回の商談は纏まってる。打ち合わせというのは名ばかりで、Tankhunの目を掻い潜るためだけに無理やり取り付けた会食でしかない。
steeringに手を掛けたまま、先程までPeteが座っていた助手席を見つめて動きを止める。
『早く来てくれたら、嬉しい』
『Vegasが嫌じゃないって言ってくれて嬉しいんだ』
彼が紡ぐ言葉には裏も表もない。ただ心に思ったことを言葉にして伝えてくる。はっきり言って誰かが"嬉しくても"俺には関係がない。気持ちを汲めない。汲んでやりたいとも思わない。だから他人が俺に何かを求めてきても、それに対して主体的に叶えてやりたいと思ったことはない。もちろん打算的な目的があれば別の話だが、血の繋がりがない人間ではPeteだけ。
Peteだけが俺の心を動かす。別れた途端、らしくない不安を抱え、早く行ってやりたいと思うぐらいなら、初めから会食なんて計画しなければよかったと後悔する。
なあなあに引き伸ばして最終的にPeteだけを回収しようと思っていたが、先ほどのPeteの様子を見てしまえば、その計画は白紙撤回するしかない。
揶揄ってやるのも面白そうだと悪戯心が顔を覗かせる一方で、心を傾ける奴らに囲まれて幸せそうにしているPeteの姿もきっと悪くないと想像してみる。あいつが、そこに俺を含めているなら、尚更行ってやらなければと思ってしまう自分がいた。
(元分家のVegasもPeteにかかれば、カタなしだな…)
自嘲気味な笑いを浮かべ、車を発進させる。次の瞬間、すっと笑みの消えた顔は懐旧に引きずられ、ほんの数年前のことをまるで大昔でも思い出すかのような表情で記憶を探った。
まだ自分が分家でPeteが本家のBGだった頃、Porscheが来るもっと前。仲間同士で連んでいるところを何度か見かけたことがある。当たり前の話だが出迎えの時のような張り詰めた空気感はなく、遠目で見た限りでは仲が良さそうだった。
片やTankhunが俺を殴った、あのレストランではPeteを含めBGたちの顔は全員引き攣っていた。それこそ、お出迎え時なんて目じゃないくらいにな。まぁあんな空気にしたのは間違いなく俺だったが、護衛対象であり雇い主との食事じゃ味もしないだろう。
Peteと別れる前、ふと今日はどうなのかと疑問が湧いた。もちろんTankhunも護衛対象ではあるだろうが、周りのBGたちの態度はKinnに対峙する時に比べて大分ゆるい。今日の集まりにTankhunがいるのは確定事項。BG達も既に慣れたものだろうが、Kinnはどうなんだ…?来るのか、来ないのか──…?
『PorscheはKinnのことを言ってたか?』
『あれ?そういや、なんも言われてない』
『Kinnは何故来ない?(そもそも本当に来ない …のか?)』
『坊ちゃんがいるから?』
『Porscheが来た当初、一緒に馬鹿騒ぎしたと言ってなかったか』
『あー…確かに』
Kinnの性格上、俺が行くと分かっていて黙認するとは到底思えない。だが俺がいると分かっていて平然と店に来るとも思えない。
『まさかKinnに内緒なんてことは、ないだろうな』
『ないない。ない…よね?え?ある!?』
『知らん。俺が聞いてるんだ、Pete…』
BARに着くまでの間に交わされた会話。不安になったPeteはすぐさまCell Phoneを取り出しPorscheに確認する。え〜どうしよう…と独り言をつぶやきながら最初は電話をしていたようだが、Porscheは出なかった。
『Vegas、もしかして行ったらKinnさんもいるってオチかな?え、怖いんだけど…それとも出張でいないとか!?Porscheのヤツなんで出ないだッ!』
何故大事なことをはじめに訊かないんだと呆れてしまうが、Peteを責めるのはお門違い。喉まで出かかった言葉を已で呑み込んだ。
助手席の方を一瞥すれば液晶画面に文句を言いながら高速で動く指先。Porscheへのメッセージでも打ち込んでいるのだろうか。そうこうしている内に目的地付近に到着してしまった。
『店に着いたら連絡をくれ。もしKinnがいるなら、何か別の案を考える』
結局Porscheからの返信も折り返しもないままPeteを車から降ろした。後ろ髪を引かれ車を発進させるのを躊躇ったが、今から行かないなどと言い出したら、流石にKwangの血管が切れてしまうと思い直して車を走らせて数分後、レストランが決まったとのさっきの連絡。"やはり俺は行かない"そう出かかった言葉を発さなかった英断を褒めてほしい。
嘆息したVegasはアクセルを踏み込み、待ち合わせのレストランへと急いだものの予約時間ぎりぎりの到着。既に取り引き相手とKwangの会話が弾む個室の入口へ案内される。
レストランの駐車場へ着いて直ぐ確認したPeteからのメッセージには"着いたけどKinnさんはいない。てか誰もいない…"と書かれていた。
どういうことだ?と首を捻ったが、まぁいい。誰もいないならいないで構わない。開始が遅れてるなら願ったり叶ったりだ。Peteの新しい一面が見られないのは残念ではあるが、なんなら中止でもいい。
さて、これも仕事だと仮面を切り替え、取り引き相手へ笑顔を振りまく準備を整えたVegasは扉を開いた。
*
Porscheとの約束の時間、5分前。HUM BARに到着したPeteは恐る恐る扉を開いた。
しんっ…と静まり返った店内に足を踏み入れ、フロアに向かう。この店の開店時間は21時のはずで、本来なら今時間は開店前。普段はボーイですら出勤していない時間だ。
扉の鍵は開かれていて誰かがいるのは確かだったが、明らかに人の気配がない。フロアへの通路を抜け入口をくぐってバーカウンターの中を見ると、黒服のボーイがひとり上半身を屈めている姿が見えた。
「あの…」
「は〜い!あ、Peteさん。いらっしゃい」
顔を上げたのは馴染みの男の子。Porscheの後輩だっただろうか。名前は確か…N'Bai。
「あれ?おひとりですか?」
「みたいだね…おかしいな。Porscheたちはまだ来てない?」
「Peteさんが一番乗りみたいですね!」
そっか…と呟き、促されたカウンター席に腰掛ける。
「先に何か飲みます?」
「いや、もう少し待つよ。Yok姉さんはまだ?」
「店長ならまだ寝てるんじゃないですかね。今日、昼近くまで飲んでたみたいですし」
「そうなの?どうやって店予約したんだ…」
「さあ…俺は先輩から連絡もらって"姉さんには許可取ってるから"って言われて。で、店開けに来たんです」
Baiはゴソゴソとポケットを探ると、Peteの前に電話の液晶画面を突き出した。
「見てくださいよ、これ。めっちゃ怖くないですか!?」
見せられた画面にはHUM BAR従業員用の連絡グループだろうか。Porscheからの連絡があったあと辺りからの彼らのやり取りが表示されている。
"店長、Porsche先輩から連絡来たんですが、これ本当に店開けていいんですか?"
"誰、早出?Memeいけんの?"
"俺、今日休みっす"
"は?出てこい。祭りになるぞ"
"僕、23時予定でしたけど21時に行けます"
"神降臨"
"店開けは自分しますけど、誰か早く出てきてもらえたら嬉しいです"
"早くって何時?"
"18時半とか…"
"無理"
"ごめん、それは無理!"
"ですよね。てか店長返事ください"
"店長"
"てーんーちょー"
"勝手に開けちゃいますよ"
のメッセージの後に続いた、おどろおどろしい "OK"スタンプの連打と20時までは連絡するなの一言。送り主のアイコンはYok姉さんで名前は"夜の蝶(店長)"と表示されていた。
「うわ…なんかごめんね」
Peteは思わず謝った。
「いえ、Peteさん悪くないです」
苦笑いのBaiは水の入ったグラスを差し出す。
「取り敢えず、お水です」
「ありがと」
それから30分経ってもPorscheも坊ちゃんも現れない。送ったメッセージも全く既読にすらならず、何かあったのかと不安が募る。そこへ扉が開く音と人が近づいてくる気配を感じたPeteは入口を振り返る。
「おは〜…っと。あ、いらっしゃいPeteさん。あれ?ひとりですか??」
「みたい…」
デジャブかな。またひとり現れたのはPorscheではなく従業員の子。ぽりぽりと襟足を掻きながらPeteが座るバーカウンターの後ろの通路を通り、カウンター内に入っていく。
「N'Bai、先輩は?」
「まだ来てないんですよね。Peteさん、連絡ありました?」
「いや。メッセージも既読にならなくて」
「変ですね〜18時って言ってたのに」
そんな会話をしているとカウンターに出しておいたCell Phoneが震えてメッセージが浮かぶ。
"悪い、もう直ぐ着くから先に飲んでてくれ"
Porscheからの連絡だった。質問には答えないのかよ、と心の中で舌打ちして返信を打つ。
"了解。飲まないで待ってる"
ちょっとした嫌味のつもりで、送信ボタンを押す。
「連絡来ましたか?」
「もう直ぐ着くって」
と、そこへ従業員がもう一名追加される。
「はよっす」
「お?N'Meme〜結局出てきたのか?」
「はあ、まぁ…」
「おはようございます〜!」
フロアの入口ではなく裏口から顔を出し、二人と挨拶を交わしてる。こちらに気づくと控えめなお辞儀をされたので、俺も頭をぺこりと下げて挨拶を返す。
(見たことない子だ。熱量低そうな子だな)
しばらく来てなかったし、知らない従業員が増えていても不思議じゃない。
「え?マジかッ!?」
何やら話していた三人から喫驚の声があがる。
「SNSに流れてたから、直ぐに客が来るよ。準備したほうがいい」
SNS…?何のことを言ってるんだ。
「なあ、何かあった??」
振り向いた三人中、二人は苦笑い。もう一人はやれやれと諦め顔の植物系男子の新人くん。何か良くないことが起きる予感がした。
嫌な予感は的中する。新人くんに言われた通り「HUM BAR パーティ」でSNSを検索すると内容を確かめている間にも一組、二組と客が来る。時刻は19時前、開店時間にはあと2時間もあるというのに、あれよあれよという間に客が押し寄せた。原因は俺が今見ているSNSに流れた一つの"つぶやき"。
"本日19時より
HUM BARにてパーティ開催♩
参加資格
◼️人間であること(鯉同伴歓迎)
◼️酒好きであること
◼️盛り上がること
☠️薬・危険物の持ち込み、断固お断り
参加費
◼️無料
以上!!!"
ん?無料!!!?二度見、三度見しても参加費「無料」と書かれたパーティの宣伝。しかもどう見てもTankhun坊ちゃんのアカウント。だってアイコンが今は亡きエリザベスとセバスチャン風…──坊ちゃん、、、一体いつSNSなんて始めたんですかッッ!?
あまりの衝撃に椅子から崩れ落ちそうになる。どう考えても、これは危ない。危険過ぎる。マフィア本家長男と分家長男が揃う飲みの場に、誰かれ構わず無料ご招待なんて…何が起こるか分からないだろ!!!
「ちょ、ちょっと外見てくるね!」
忙しく動き回るボーイの子たちに一言声を掛け人を掻き分けて外へと向かう。外に出てもCell Phone片手に入り待ちをする人、人、人。軽く眩暈がして蹌踉めいた身体を夜風で幾分か冷えた外壁で支え、なんとか持ち堪える。
周りを見渡すと明らかに素人じゃない雰囲気の奴らが二、三人。いや…よくよく見れば、十数人単位で紛れてるじゃないか。
「ダメだ。こんな所に坊ちゃんとPorscheを来させられない。電話…そうだ、、、電話して止めなきゃ」
バックポケットに手を突っ込んでみても目当ての感触がない。ぱたぱたと腰の辺りを探ってみてもCell Phoneが見当たらない。
「あ"ーッ!」
SNSを見た衝撃で慌てて画面を閉じ、バーカウンターの上に置いたまま出てきてしまったらしい。余程気が動転していたのだろう。ぐるりと身を返して店内へ戻ろうとした時、聞き慣れた声に呼ばれて抱きしめられた。
「Pete〜!!!」
「Tankh…じゃな、、、坊ちゃん!!」
「どうだ、Pete!凄いだろッ!?」
抱きしめられた腕の中で身を回転させ向かい合わせになると、興奮気味なTankhun坊ちゃんのドアップ。
「Pete、遅くなって悪かったな」
人混みの中から悠然と現れたPorscheの背後には既に疲弊気味のArmとPolが見える。
「Porsche…!これどういうことだよッ!?こんなのダメだ。直ぐ離れましょう、坊ちゃん」
Porscheを睨み、坊ちゃんの腕をやんわりと外す。…──が、また直ぐに肩を掴まれてしまい食い気味に身を乗り出した坊ちゃんの顔がまたぐいっと近づく。
「何を言ってるんだ、Pete?今日のために私が計画して折角こんなに集まったんだぞ?コイツらを置いて帰るなんて、絶対にあり得ない!」
「だって…」
「Pete、大丈夫だ。お前が警戒してる奴らは全員、分家のBGだ」
何人かは本家のBGも混じってるけどな、と身を寄せてきたPorscheが耳打ちしてくる。
全く状況が飲み込めないPeteはArmとPolに助けを求めるように困惑顔を向け、ぱくぱくと口を開けたり閉じたり。
そんな彼を見たPolは申し訳なさそうに眉を八の字に下げ、胸前の合掌を上下させている。そして、その隣では眼鏡の位置を直しながら真っ直ぐ射抜くような瞳でPeteを見つめるArm。
"どうにもならない、諦めろ"
Armの口がそう動いた。