槍よりも早く、あなたを貫く 島から出て、解放軍を率いて、巨悪を討ち滅ぼす運命の船を漕ぎ出して……いつの日か子供たちの寝かしつけのためのおとぎ話になる旅路、されど今は単なる現実、アレインが覚えることは山程ある。他の仲間たちが寝静まった後、天幕からこっそりと抜け出し月の明かりで軍術の指南書を読む。指南書は島で繰り返し読んだものだが、知識として知っていても、実際に体験してから読み返すと知識でしか知らなかったのだと思い知らされる。1ページ、また1ページと捲りながら、この時間が明日の礎になると信じて目を擦る。足りないのだ、何もかも……。
「殿下、そろそろ中に入りませんと」
ふ、と顔をあげると、月よりも青白い顔でルノーが立っていた。
「ルノー……すまない」
「いえ、それよりも御身の心配をなさってください」
鎧を脱いで寝巻き代わりの柔らかなシャツを素肌に直接着ているだけのアレインの身体は冷えていて、ルノーはそれを確かめるように、肩を掴んだ。
「いけません。無理をなさっては」
「心配をかけてすまない。だが大丈夫だ」
「ですが」
アレインはルノーの手に自分の手を重ねる。ルノーは昼の間、アレインの傍になかなか近付かないために触れられる機会もほとんどない。鎧を脱いで寝巻きの姿の彼を見たのも初めてだ。
「大きな手だ。そうだ、ルノー……貴方の槍があれほど力強く見事なのは、何か秘訣があるのだろうか」
膝の上では開いたままの指南書の騎槍のページが開かれたままになっている。アレインは剣を振るっても槍は扱ったことがない。ましてや馬に乗りながら槍を突くことなど。
「ルノーの槍は、クライブの槍ともまた違う。彼のものとはまた別の鋭さと重さがあるように俺は感じる。これは経験の差がそうさせているのだろうか……」
ルノーは、年若い王子が自分の手をさするのを好き勝手にさせていた。重々しく瞼を閉じて、息をつく。溜息ではない、心を決めねば漏らせぬ言葉だ。
「イレニア様をお守りするために、日夜訓練に励んだ月日がそうさせているのでしょう……」
手がゆっくりと、離れた。アレインが心配そうにルノーを見る。ルノーはほとんど泣き出しそうな顔で、吐き出した言葉に己の無力さと後悔を感じている。ふるり、と震え、アレインの肩から手を退けた。胸元に手を重ね、祈るように続ける。
「けれど守る為に奮った槍は力及ばず、イレニア様を失ってしまった。殿下、私の槍が鋭く重く見えるのならば、それは私の罪なのです。クライブの槍は切り開く槍。軽く、熱い、良い槍です。若く力強く、信心深く、自分の芯があり、忠義にも厚い。あの槍が新生コルニアにとっての正しい槍です」
懺悔だ、とアレインは思った。ルノーの瞼がぶるぶると震え、涙が頬を伝う。アレインはぽかんと口を開けたまま、頭の中では卵を産む時の雌鳥みたいだなと考えている。震え、命掛けで、糧を産む。ルノーの涙は誰の糧になるだろう?
「ルノー」
立ち上がり、胸元に組まれた手を強引に引き寄せた。ルノーは驚き、離れようとしたがアレインはそうさせない。もう二度と離れることを許しはしない。
「俺は騎士のあなたを知らない。みんなが言う、誇り高い領主であった頃のあなたを知らない。俺が知っているのは、今も魂からコルニア王家を想ってくれている、気高く頼もしい仲間のあなただけ」
引き寄せる。アレインが転ばないように、ルノーが前に出て、アレインに近付いてくれる。
「クライブには護るべき領地と誇りがある。彼のことは敬愛しているけど、だからこそ俺の……新生コルニアの王宮に、もう呼びはしない。でも」
「……でも?」
「あなたには傍にいて欲しい。……あなたが、嫌だと言っても」
ルノーの髪が夜風に揺れる。アレインはルノーの瞳を覗き込んだ。映っているのが母なのか、自分なのかが気になって。
「俺はあなたに相応しい王に成る。ルノーも俺に相応しい騎士になって欲しい。……母の騎士ではなく、俺の騎士に」
ルノーの瞳が潤んで揺れる。あっという間に瞳に生まれた湖が、零れ落ちて地に落ちる。アレインは笑った。湖の底からはアレインが見えた。今この瞬間は彼の目に映るのはアレインだ。今この瞬間から、彼はアレインの騎士だ。
ルノーが反応する前に、彼の胸に顔を埋めてしまったから、結局ルノーが頷いたかどうかは、アレインも知らない。彼がどう在っても結果は今、決まった。アレインが、決めた。