1日目『Can I call you?』 電灯が消えて薄暗い部屋のなか、一つの光源が彰人の憂鬱な顔を照らしていた。時間は深夜二五時になる少し前。辺りはしんと静まりかえっていたが、壁越しにボソボソと何かを話している気配がする。どうやら夜型人間である隣室の住人、姉の絵名はこれから活動を始めるらしい。
彼女が通話で何の話をしているのかまったく興味はなかったが、相手はよく話に出てくるサークル仲間なのだろうと予測は出来た。彼女はよくこうして夜中に通話をしているが、彰人はいつもそんなことは意にも介さず寝てしまう。しかし、今日はそれがやたらと羨ましかった。
光源──、スマートフォンの画面は通話アプリを表示したまま止まっている。そこには相棒であり恋人でもある冬弥の名前と、数時間前に交わした簡潔な業務連絡のメッセージが表示されていた。
特にこれと言って人恋しくなるような原因は、彰人自身が考えても思いつかなかった。何しろ、今日も本人と会って歌の練習に打ち込んで来たばかりだ。今すぐむりやり眠りにつけば、すぐに朝がやって来て学校で冬弥と会うことができる。頭でそう理解していても、どうしてか目が冴えてしまって、眠りにつくことは難しそうだった。
しかし、冬弥と連絡を取るにしても、もう日付が変わってしまっている。きっと夢の中にいるであろう彼を叩き起すほどの理由も、今はない。
諦めもつかないが、行動することもできずにただ画面を眺めるだけの無為な時間を過ごしていると突然、アプリがメッセージの受信を告げた。画面がスクロールし、新しい会話が表示される。
『彰人、起きているか?』
それは、たった今までコンタクトを取るか悩んでいた相手からのメッセージだった。あまりにもタイミングが良すぎて固まっている間に、既読がついたことで冬弥は彰人が起きていることを確信したようだった。続けて新しいメッセージが送られてくる。
『こんな時間まで起きていたのか?』
『そっくりそのままお前に返す』
反射で返事をしてから、これは可愛くなかったなと反省した。せっかく起きているなら、なんとでも理由をつけて声を聞くチャンスだったはずだ。しかし、冬弥は素直で、彰人の皮肉を意に介した様子もない。
『彰人の声が聞きたくなってしまって』
冬弥のこういうストレートなところは、彰人の頑な心を柔く包み込むようだった。今まで自分が悩んでいたのが馬鹿らしくなって、良い意味で力が抜ける。
『オレも』
そのおかげで、普段は素直になれない彰人もつられて三文字くらいなら正直にうちあけることが出来た。
『少しだけ通話出来ないだろうか』
他人から見た彰人と冬弥は、よく勘違いされるところがある。何かを行動に移すとき、考え込んで立ち止まってしまうのは彰人の方だ。冬弥の誘いに、彰人は自分が悩んでいたのはこんなに簡単なことだったのかと得心する。気がつけば、指先は発信ボタンをタップしていた。
「もしもし」
夜も深いからか、電話口で低く抑えた冬弥の声が、彰人の耳をやわらかくくすぐる。その感触はささくれていた心を解きほぐしていくようだった。
「おう」
彰人は意識せずとも自分の声が穏やかになっているのを感じた。さっきまではどこにも見つけられなかったはずの眠気の気配があって、この電話を切ったあとはゆったりと眠れるのだろうと予測があった。