咲也の頭を撫でるとき、シトロンにツッコミを入れるとき、真澄を羽交い締めにするとき、茅ヶ崎を引きずるとき。春組に限らず、あの子は躊躇いもなく相手に触れる。ぽつりとそれを漏らすと、大家族だからだろうと答えたのは茅ヶ崎だった。何人もの兄弟に囲まれたからきっと人との距離が近いのだ、そう手元の端末を操作しながら片手間に言っていた。なるほど、と納得すると同時にひとつ気になってしまった。ならば、ほとんど触れられた記憶のない自身は彼にとってどんな存在なのだろうと。
ほとんど、と言うのも舞台上では触れられているのだ。そういう演技なのだから、当然と言えば当然だ。だが幕が下りてしまえば俺と綴の接触はゼロになる。おそらく、嫌われてはいないはずだ。話をふれば笑顔で答えてくれる。仮にも作り笑顔のエキスパート、相手がそうかどうかくらい見極められる、はずだ。
「えらく弱気ですね」
「……綴みたいなタイプはあんまり接したことなくて」
「あ〜分かる。先輩って分かりやすく面倒なタイプにからまれてそ〜」
画面から顔を動かすことなくのたまう後輩に一言物申したい。しかし、上手く言葉になることはなく俺は深く息を吐くしかできなかった。
「そもそも綴が見た目に反して難解ですしね」
「難解?」
「忘れたんですか? うちの劇作家様ですよ。初めましてから数週間しないうちに当て書きしてきて、それが割と的をえてたりする。ぶっちゃけ天才だと思ってますよ、俺は」
「それが難解なのとどう関係があるんだ」
「分かってないなー。そうやって人の本質を見抜くあいつが、先輩にだけ対応が違うってことは先輩の方になんかあるんでしょうよ」
「俺?」
全く心当たりがない。そんな俺の内心を見抜くように、赤い目がこちらをようやく見た。
「先輩が触られたくないって思ってる、と綴は思ってるんじゃないですか?」
「えーっと、なにかご用で?」
扉のノック音に応え、出迎えた先にはつい先日入団を果たした新メンバーが何やら深刻そうな顔をして立っていた。挨拶もそこそこに要件を聞いたのだが、なぜか歯切れが悪く話が進まない。
「……中に入ります?」
「いいの?」
「ダメだったら聞きませんよ」
どうぞ、と促し千景さんを引き入れる。クッションなんて気の利いたものはないので床に直で座ってもらうしかない。真澄の椅子? 後から何を言われるか。
「それで、どうしました?」
「…………」
問いかけてもウロウロと目が彷徨うだけで口は開かない。何しに来たんだと思うものの、その様子が言い出しにくいことを伝えにきた弟たちに似ていて、無理やり聞き出す気にはなれなかった。自慢ではないが、これまでいく人もの弟たちを相手してきたのだ。最年長の新人さんくらい根気強く待ってやろうじゃないか。そんな決意が伝わったのか、千景さんはようやく口を開いてくれた。
「その、俺は綴に家族として認められてないのかな?」
「………………は?」
突拍子もない発言に俺は言葉を失った。どうしてそんな発想にいたったのか、なんて現実から目を逸らしたくなりつつも、七人の弟たちから得た経験値が綴をギリギリ引き止めた。
「そんなことは無いですけど……、どうしてそんな考えに?」
「綴は、俺に触ろうとしないから」
触る?
千景さんの言葉に自分の手のひらをにぎにぎと動かし、開いた手のひらを見つめてみる。うん、いつもの俺の手だ。
「咲也の頭を撫でたり、茅ヶ崎を引き摺ったり、綴は人に触れることを躊躇わないだろう? なのに俺は綴にそういうことをされた記憶がなくて。茅ヶ崎に相談してみたら俺が原因だろうからって」
経緯を説明してもらったが、どうして結論が家族として認められていないななんだろうか。話が飛躍してないか??
……それはそれとして、確かに思い返してみれば自分は良く他人に触れている。そのことについては全くの無自覚なので千景さんに触れていないことについて他意はない。
「じゃあ、俺は綴の家族でいいのかな」
「いいも何も、千景さんは俺の家族ですよ」
思ったことをそのまま伝えると千景さんは目に見えてほっとしたようだった。その姿もまた弟たちを彷彿とさせ、これまた無意識に俺の体は動いていた。
ぽふっと千景さんの頭に手を乗せる。髪を梳くように手を滑らすと、見た目通りにサラサラの髪が指の隙間を流れていった。それを数回繰り返したところで、ハッと我に返る。俺、何した?
「す、すみません! なんか弟たち似てて……! じゃなくて!!」
全くなっていない弁解をまくし立てている間も、千景さんはポカンと口を開けたままで状況を呑み込めていない。これはどうすればいいんだ。
「……もう一回」
「へ?」
「せっかくだから、もう一回お願い」
ようやく動いたかと思えば正気を疑う一言。せっかくだからってなんだ。困惑する俺をじっと見つめる千景さん。この目も知っている、お願いことを聞くまで絶対に動かない目だ。こうなってしまえば俺に出来ることは一つである。
先ほどと同様に頭の上から下に撫で下ろす。それを何度も、何度も繰り返した。千景さんがいいと言うまで何度も。二十は優に超えたころ、俺の手は千景さんに掴まった。
「満足しました?」
「それなりに。ありがとう」
「どういたしまして」
腑に落ちない回答ではあるが、納得できたのなら良かった。掴まれた手も千景さんの好きにさせて俺はひとつ息をつく。
口を開けば嘘ばかりで、何を信じればいいのか分からなかった。それも、様々なトラブルを乗り越え公演を終えた頃にはなりを潜め家族と呼べる程度に落ち着いたと思っていた。だが、そうではなかったのだろう。この人の変化に、俺の方が着いていけていなかったのだ。
「綴?」
「なんですか? 千景さん」
「……なんでもない」
第一印象は嘘つきの掴みどころのない人。でも今は、年上なのに弟のようで放っておけない大事な家族だ。