昼の娘と夜の王2「うん。じゃあ手首出して」
「これでいい?」
「そう」
吸血鬼は頸を噛むと聞いたけれど、吸血する時はどこでもいいのか。またひとつ面白いことが学べて嬉しい。
彼——『D』の二つの牙が、僕の手首にプツリと突き刺さる様をじっと見ていた。ああ、立派な牙。痛みなんて、見惚れているうちに過ぎ去ってしまった。まるで肉食動物のようだけど血の匂いなんかしなくて、寧ろ芳しい。何の香りだろう? 後で聴いてみようか。
「美味しいかい?」
Dは小さく頷いた。まるで乳を吸う子供のようだ。手首にずっと湿った生温かさを感じて、僕は少し落ち着かなかった。そうして、Dの喉元が三回ほど上下した後、牙はゆっくりと手首から離れた。牙の先は、僕の血で少しだけ赤く染まっていた。
「ふぅ、ごちそうさま。すごく美味しかった」
Dの瞳がキラキラと輝いているように見えたのは気のせいだろうか? 顔は怖いけれど、何だか仕草が好奇心旺盛な少年みたいだ。
「こんな美味しい血、初めてかも」
「よかった。こんな僕でも、役に立てたなら嬉しい」
この家の血統を残すだけの存在の僕。
女らしくない頭でっかちで、家族から愛されない僕。
……愛そうとしない僕。
「……ミナ?」
「ん?」
おっといけない。お客人を前に考え事だなんて。
「ミナは私を空腹から救ってくれた。お陰ですごく元気になった。お礼に、何か私にできることはない?」
Dの顔がずい、と僕の目の前に近づく。
「え、お、お礼なんて——」
——ここから、出たい。
いや、でも。でも、ここから、この家から出られたら。
行きたいところがある。海の向こう。山の向こう。深い地下洞窟。氷だけの島。夜空に掛かる虹色のヴェール。砂漠のオアシス。石で作られた王墓。空の上。
今しかないかもしれない。でも、そうすれば僕は、この家を。
「うん。わかった」
「えっ?」
僕の目を見ながら、Dはコクリと、はっきりと頷いた。
「明後日の夜、同じ時間にここで待ってて。迎えに来るから」
「ええっ⁉︎」
Dの口髭と唇が僕の手の甲に触れた。まるで神聖な誓いのように見えた。彼は、吸血鬼なのに。
どうしよう、胸がドキドキする。
「では、良い夜を」
Dは窓辺からフワリと身を投げた。アッと思わず叫びそうになった瞬間、その体は無数の蝙蝠に変化して、僕が呆気に取られている間に、夜の闇の向こうに消えてしまった。
「……え? まさか僕、あいつに心の中を読まれた……?」