燕と悪魔は夜を飛ぶ2「ぐああっ……!」
どっ、と足元に倒れた盗賊の手から武器を蹴り、ベレトは辺りを見渡した。これで三人目。どうやら全員、先ほどの宿場にいた男のようだ。
(ふむ、蠍の刺青……奴らの仲間で間違いないようじゃな。油断するでないぞ)
ソティスの声に頷き、月から身を隠すように移動する。街道の方へ戻らなければ。彼は無事だろうか。
(ジェラルトの言葉を思い出せ)
あの子から目を離したのは間違いだったろうか。いや、しかし。
(確実に敵を減らす。……必ず、守ってみせる)
『ベレト、護衛をする時はな』
父の声が蘇った。戻った街道には血の匂いが充満している。そのまま足を止めず、ベレトは戦いの気配がする方へと走った。
『護衛対象から片時も離れちゃならねえ、と思うだろう?』
少し開けた場所にユーリスがいた。手傷を負った仲間を庇って、戦っている。
『けどな、そうじゃねえ。時には護衛対象を信じて、背中を見せることがあったっていいんだ』
ベレトは斬りかかってくる盗賊たちを一閃に伏せ、ユーリスの背に襲い掛からんと斧を振り上げる盗賊に狙いをつける。
「ユーリス!!」
「うおおっ!!」
ユーリスの部下の一人が雄たけびを上げ、斧を振り上げた盗賊に体当たりした。ベレトはハッとして周りを見る。数は減ったが、『燕』の部下たちは頭領を守るために集まりつつあった。地面に転がった盗賊がユーリスの部下に馬乗りになろうとするところを、後ろから斬り捨てる。
「出て来いよ、蠍!!」
『燕』の鳴き声は闇を裂いて響き渡った。
「狙いは俺だろう!? これ以上余計な血を流す必要はねえはずだ!!」
剣を振って血を払い、ユーリスはさらに怒声を張り上げた。ビリビリと空気が震える。彼の怒気が伝わってくる。ベレトはこちらを窺っているいくつかの気配を素早く数えた。片手では足りない数だ。
「クックッ……なかなかの腕だなあ、人食い燕よ」
月明かりの下に姿を現した大男は、大蠍の刺青を胸元に誇っている。
(あれが頭目か)
「闇討ちを仕掛けてくるたあ、交渉決裂ってこったな……残念だぜ」
「残念がるこたあねえよ。なに、ちょっと挨拶しただけだ……力の差を分からせてやる必要がありそうだったからな」
いやらしい視線をユーリスに投げかけ、大蠍は曲線を描く大剣を軽々と扱い、べろりと刃を舐め上げた。
「俺の下に入れ、『燕』……そうすれば、良い目を見させてやる」
「なに……?」
「お前の部下も、お前の体も悪いようにはしねえよ。いいから黙って俺の下に来い。そうすれば命は助けてやる」
「はっ……ごめんだね」
ユーリスは流れるように剣を構え、大蠍をキッと睨みつけた。
「遊びは終わりだ……こうなりゃ、全員ぶっ殺す……!」
「ユーリス、落ち着け」
「落ち着いてられるかよ……蠍の隣にいる、あいつを見ろ。……あれが裏切り者だ」
「……!」
ベレトは大蠍の隣で嘲笑を浮かべている若い男を見た。そうか、あれがユーリスの財産を盗んだ男か。
「平静を失うな」
「うるせえ……! 仲間を殺されたんだぞ!」
「ユーリス」
今にもベレトに殺気を向けて来そうな青年に、ベレトは静かに声をかけ続ける。
「きみの部下は傷を負ってる」
「……引けってのか?」
「いいや。……きみはどっちをやる? 裏切者か? 蠍の頭目か?」
「はあ?」
まるで昼食のメニューを訪ねるかのような口調に、ユーリスは一瞬気抜けした。
「俺……俺は、」
「……きみは裏切者と話す必要があるだろう。部下と共に、右手から回り込め」
「あんたは」
「俺は蠍の頭を」
ユーリスは一瞬、ベレトの眼をじっと見つめた。先生の表情はいつも静かだ。激して生徒を叱ることもないし、楽しいことを見つけて大笑いすることもない。それ故に苦手だ、と言う者もいる。だが、今のユーリスにはこの冷静さがありがたかった。
「気は変わらんか、燕」
そうこうしている間に、蠍は自分の部下たちに周りをぐるりと囲ませたようだった。見ようによっては絶体絶命だ。だが、虫のように灯りに集まって来てくれた方がベレトには都合が良かった。だってその方が、全員狩ることができる。
「変わらねえな。……今ここで、あんたをぶっ潰す」
「そうか」
じゃあ、死ね。蠍の短い指示に、蠍の部下たちは一斉に襲い掛かった。
(本気で全員を守る気か!?)
ソティスが焦ったように言う。ベレトはユーリスに背中を預け、まずは一人斬り捨てた。矢が降ってくる。剣でガードし、横から掛かって来た相手を斬る。
「ガッ……!」
これで二人。ユーリスの部下たちが連携して裏切り者を追いかけているのをちらと確認すると、ベレトはいよいよローブに隠していた天帝の剣を抜いた。
「え、英雄の遺産……!?」
光る刀身はそれだけで効果絶大だ。一瞬のざわめきを見逃さず、ユーリスがまた一人斬り捨てる。彼の背が離れていく気配。ベレトもまたその隙をついて剣を振るい、離れた場所にいた弓使いの息の根を止めてやった。
「灰色の悪魔をやれ!! 首を取った奴には褒美を出すぞ!!」
蠍の指示に、数人の盗賊たちはベレトへと目標を変える。それでいい。ベレトは蠍の方へと真っ直ぐに走った。逆方向で、ユーリスが裏切者を誘い込んでいるのが見える。
「英雄の遺産とは恐れ入ったな、思わぬ収穫だ」
「…………」
言葉を交わす必要はない。ベレトは蠍の前を塞ぎ、ユーリスの方へ行かせまいと立ちはだかった。
「いくらで雇われた? それとも、燕とはもうヤッたのか?」
「…………」
また一人、ベレトに短剣で斬りかかる者を返り討ちにしてやる。蠍は上着を脱ぎ捨てると、湾曲した剣を振りかぶり、ベレトを真っ直ぐに見据えた。
「その澄ました顔、ズタズタにしてやる!!」
力では押し負ける。瞬時にそう判断したベレトは、どうにか半身を翻して攻撃を避けた。ヒュン、と闇を切り裂く厚い刀身にやられたらひとたまりもないだろう。普段扱っている鋼の剣よりも、天帝の剣は重く、長くは扱えない。それを相手に悟られたらお終いだ。
負けるわけにはいかない。ここでやられたら、ユーリスはどうなる? それに、学級の生徒たちは。父はどう思うだろう。
(必ず、導いて見せる)
ベレトは胸に熱いものが埋まっているような心地がした。この気持ちは何だろう。戦闘への昂りだけではない。なにかが違う。戦況は苦しい。なのに、心地の良い感情が溢れ出るようだった。ユーリスのために戦えるということ。大切なものを守るために、剣を振るえるということ。それを想うと力が湧く。
(ベレト、天帝の剣が)
ソティスの声。まるでベレトの想いに応えるかのように、天帝の剣は蛇腹を自在に伸ばし、敵を撃破してゆく。まるで剣が体の一部になったかのように軽々と、ベレトは襲い来る敵を斬り続けた。
「クソッタレめが……!!」
「……ッ!!」
返り血に濡れてゆくベレトの気迫に押され、蠍は後ろに一歩たじろいだ。悪魔の異名は伊達ではないということか。
「お、お前、傭兵だろう……! なら、燕の倍額出すぞ、今からでも俺に……!」
(違う、俺は……!)
「はあああっ!!」
それで終わりだった。ベレトの渾身の破天が空を切り裂き、蠍を袈裟懸に斬り伏せた。
「な……馬鹿な、俺が……」
新たな血がベレトの頬に飛び、大蠍はゆっくりと地面に倒れた。それを見て、周囲の盗賊たちは戦意を喪失し逃げ惑う。
「俺は……俺は、あの子の、……」
(教師、として、これは手本になるかのう……ほれ、小童らの方へ行ってやらんか)
ベレトは大蠍に止めを刺すと、ユーリスたちがいる方向を振り返った。
「………」
「ユーリス」
裏切者の死体のそばで、ユーリスは屈み込み、何かを回収しているようだった。
「よお先生。……終わったな」
「ああ、蠍の頭は討ち取った」
「あー、それなんだが……」
ユーリスはポリポリと頭を掻いた。
「こいつが吐いたんだが、奴は本物の頭領じゃあなかったらしい。おかしいと思ったんだよなあ……刺青の位置が微妙に違ってたしよ」
つまりは影武者か、適当な幹部をあてがわれただけのようだ。
「だけどこれで俺の方はすっきりしたよ。あとはまあ、なんとかなるだろ」
どうやらユーリスの方は荷物を全て取り返すことに成功したらしい。敵は大組織だ、もともと今夜討滅できるわけがなかった。
「報復される前に手は打つよ。とにかく、今日のところは帰るぞお前ら」
獣に食い荒らされる前に、仲間の死体も運ばなきゃならねえ。と、ユーリスは悲しそうに呟いた。
「悪いが先生、俺は今夜アビスにゃ戻れねえ。……あんたは一人で士官学校へ帰ってくれ」
「ユーリス……俺に手伝えることがあったら、」
「ありがとな、先生。……礼はまた今度、ゆっくりさせてくれよな」
返り血に塗れてもなお、ユーリスは美しく笑う。それは賊の頭領としてではなく、生徒としての言葉だったのだろう。ベレトもここが引き際と悟り、頷いた。
月明かりの下から闇に紛れて消えていく背中を見送って、ベレトは自分の頬をぐいと拭う。
『誰かを守るためには、そいつを信じることが必要だ。無論、信じられねえなら依頼は受けるべきじゃねえ』
ジェラルトの声が蘇る。
(ユーリスを死なせることなく、一夜を過ごすことができた)
これは依頼ではない。仕事、とも違う。それでもユーリスを守りたいと思った。守ることができて安堵した。
(教師というのは、不思議だ)
(やれやれ、本当に教師としてだけの気持ちで動いておるのかのう)
どういう意味だ? ベレトはソティスの眠そうな声に首を傾げる
(それよりもおぬし、早う帰らぬと夜が明けてしまうぞ。その服をなんとかせねば、授業にも出られんぞ)
言われて空を見上げれば、東の空は白々と明け始めている。慌てて歩き出した。こちらの方向で合っているはずだ。
ユーリスも、この空を見ているだろうか。彼のことばかり考えてしまうのは、きっと心配だからだろう。帰路を急ぐベレトを、ソティスは大あくびをして見守っている。ようやく温まり始めてきた彼の心に、感情に、彼女はひっそり微笑んでいた。