小さきいのち「母さんが、うちじゃ飼えないって言うんだ」
少年が大事そうに抱えているのは、二羽の子うさぎが入った小さな箱だった。柔らかそうな布の上で、身を寄せ合っているうさぎは、ふわふわとしていてなんとも可愛らしい。ユーリスは足を組み、公園のベンチで溜息を吐いた。
「妹の咳が酷くなるから、って」
「そりゃあ、お前の母さんの言うことを聞くべきだ」
「咳やくしゃみはつらいからな……」
ベレトは、俯いた少年の隣に腰かける。ユーリスと二人で、少年を挟むような格好だ。子うさぎがひくひくと鼻先を動かして、ピクリとこちらを見上げた。動物を飼うということは、ただ可愛いから、というだけでは済ませられない問題があるものだ。
「学校で産まれちゃったんだもん。僕がもらわなけりゃ、処分されちゃってたかも」
「まあ、子うさぎの肉は柔らかくて旨いと言うし……痛っ」
ユーリスが腕を伸ばして、ベレトの肩を叩いた。確かに、士官学校や孤児院で、鶏やうさぎを飼い始めたのは食糧の確保をするという意味もあったが、もちろん子どもたちのためでもあった。小さな命を慈しみ、優しい心をもつ人間に育って欲しい。そんな願いを込めて、当時の大司教猊下やその伴侶は環境を整えて来たはずだ。
「今のは冗談だ」
「悪いな、こいつは冗談が下手なんだ」
「しかし、飼うとなれば、命に責任を持たなくてはならない」
毎日餌をやり、掃除をして、時には運動をさせる。なにより、変わらぬ愛情を注ぎ続けなくては。そんなベレトの言葉に、少年はますます落胆した顔になって、肩を沈ませる。子うさぎたちは我関せずと言った顔で、少々萎びた野菜くずを食んでいる。ユーリスは大きな溜息を吐いた。
「しょうがねえ……一旦俺たちが預かってやるよ」
「えっ! ……いいの? お兄ちゃんたち……」
「大丈夫か? くしゃみや鼻水が……」
「直接の世話はベレトがやるし、俺も掃除をこまめにする」
いつの間にか自分が世話することになっていたらしい。だがユーリスのためなら喜んでそうしよう、とベレトは黙って頷いた。少年は、ぱあっと笑顔になる。
「ありがとう! たまに様子を見に行ってもいい?」
「いいけど、預かるだけだぞ。お前が一人前になったら引き取りに来い」
「分かった、僕、絶対引き取りに行くから!」
約束する、とそうして指切りして別れたのは、一体何年前だっただろう。少年は約束通り、数年後にベレトとユーリスの家を訪ねて来た。幼い頃は頻繁に様子を見に来ていたが、年相応に忙しくなってからはその回数も減っていた。だが、いよいよ一人暮らしをすることになり、きちんとペットを飼う環境を整えて、約束を守るために戻って来たのだ。
「よう、久しぶりだな」
「ユーリスさん、こんにちは」
事前に連絡してあったおかげで、すんなりと家の中に通してもらえる。それにしても、自分はこんなにも成長したというのに、この二人の容貌はまるで変わらない。大人なんてそんなものだろうか。
「ほら、この二羽だよ」
「わあ……可愛いですね!」
ケージの中に、あの時自分が抱えていたのにそっくりな子うさぎが二羽、入れられていた。つぶらな瞳が青年を見上げている。あなたは誰? とでも言いたげに。顔を上げて。
「子うさぎ、増えちゃったんですね」
「まあ、チビたちを里子に出すのは得意でね」
最初の二羽が番となって子どもを産み続け、ベレトとユーリスは長い間その世話に奔走していたらしい。本当に頭が下がる思いだ。青年は自分が責任を持つことになった小さな命を抱え、二人に礼を言って帰って行った。
「うさぎってのがこうもお盛んだとは知らなかったよなあ……へっくし!!」
「飼い主に似てしまったのかもしれない」
「ははっ……違いねえな」
二人は広くなってしまった部屋で笑い合った。あの少年も立派になったことだし、そろそろこの街を離れてもよい頃合いかもしれない。
「ペットを飼うってのも、悪くなかったな」
「ああ。馬やドラゴンとは違うものだったね」
欠点は、小さな命でも、いなくなってしまった時の喪失感は大きいということだ。そんな別れには慣れているはずの二人でも、やはり寂しいものは寂しい。ユーリスは長椅子に身を横たえて、ベレトの膝に頭を乗せた。よしよしと髪を撫でられると、自分が同じように撫でてやった小さな毛玉たちのことが蘇り、少しだけ目の奥がツンと痛むのだった。
終わり