暗黒竜回避朝、鳥の鳴き声で目が覚めた。
ここは紺碧さんが店主を務める店の2階。
俺がここに住まわせてもらうようになってしばらく経つ。
木造の素朴な部屋には簡単な家具だけが置いてあり、クローゼットには少しの衣服と、師匠のテント、ハンモック、紺碧さんから借りているケープが数着。
ここに来る前は各地を転々とする日々だったので、俺の荷物はそんなに多くない。
ベッドから降りると素足に木の床のひんやりした感触。
窓を静かに開けると怖がる様子もなく小鳥が数羽舞い込んできた。
「毎朝起こしてくれてありがとな」
椅子やベッドの縁にとまって小刻みに首を動かす彼らは、休日だろうとお構いなしに起こしに来る。
昔から光の生物に好かれるんだよな・・・
エナジーが足りないときはとてもありがたいが、草原などは蝶々が集まって着地できず困るときもある。
鏡を見ながら今日も盛大についている寝ぐせを直し、お店用の白いシャツを出して袖を通す。
細身のパンツを履いてギュッとベルトをしめると気持ちが引き締まる気がする。
ベッドの横に置かれたサイドテーブルの引き出しを開け、師匠からもらった耳飾りを少し見つめてから部屋を出た。
紺碧さんはこの店の他にも仕事をしていて、自宅にいたり居なかったりとかなり不規則だ。
そして店主とは名ばかりで、店のほとんどを三姉妹の雀さんたちが取り仕切っている。
紺碧さんは自宅にいるときは本を読んでいたり、楽器を練習していたりして、時折ピアノの音が部屋から聞こえてくる。
テンポの速い曲が多く、なんというか・・・感情をぶつけているような弾き方だと思った。
彼の部屋へは、ここにきたばかりの頃に案内してもらってからは一度も入っていない。
大きなピアノが窓際に置かれていた記憶があり、楽器が全くできない俺はうらやましく思ったものだ。
キャンドルの火を集めに行くときは一緒に行くことも多々あり、情報収集のためメセボの伝言チェックは欠かさない。
お店に来る客からはやはり「原罪から帰らない子がいる」という噂は聞かれるが、具体的な情報はないに等しかった。
やはり自ら原罪に赴いてみないといけないかもしれない。
幾度もひとりで行ってみたものの、ケープレベルが低い俺では行ける場所が限られてしまう。
ただ、師匠が原罪で行方不明になってかなり経つ。
・・・もしかして原罪にいる可能性は低いのではないだろうか。
原罪にいるとして、では、どのように生き延びているというのか。
俺は頭を振って考えを追い出した。
しっかりしろ。
できる事は少ないが、やれることを端からやっていけ。
紅藤師匠なら、そう短く一喝するはずだ。
俺の仕事はまず店の掃除をすることから始まる。
店の窓やドアには扉がなく、いつでも誰でも利用出来るようになっている。
時々店内にはそのまま寝てしてしまった星の子がいるけれど、今日は誰もいなかった。
焚火の灰や燃え残りを片付けて、新しく薪を組み、床はほうきで掃く。
そろそろ薪が終わりそうだったかもしれない。
そんなことを考えていると階段の上から足音が聞こえて、紺碧さんが降りてきた。
今日は店で着る白いシャツではなく、飛行用の衣服を身に着けケープも手にしている。
どこか外出するのだろうか。
「おはよ」
眠そうに言って、彼は店の椅子に長い足を投げ出して、腰かけた。
背に流れた長い銀色の髪に少し寝ぐせがついている。
「雪白くん、髪しばってくれる?」
いつもは自分で一つに結ぶのに、面倒くさくなったのだろうか。
紺色の紐を差し出して自分の頭を指さしている。
「俺うまくないですよ」
「いいの。というか、まだとかしてもいないから、とかして?」
時々彼はこんな風に俺に甘えてくるような素振りを見せる。
単純に面倒くさいのか、コミュニケーションの一環なのか、子供というより大きな犬のような、人懐こい動物を連想させるのだ。
「はいはい。 じゃあお店では何ですから、洗面所きてください」
「はーい」
素直に返事をしてのっそりと立ち上がる姿に、俺は思わずくすりと笑ってしまった。
細い髪は絡まって大変だ。
サラサラとした髪に櫛を通しながら、痛くないようにそっと絡みをほどいていく。
彼の髪は、左右対称にひと房づつ青色の髪の束があるのが特徴だ。
「ふふ。雪白くん優しいね。痛くない」
鏡越しに微笑む彼に、俺は髪に視線を落としたまま黙々ととかしていった。
「今日どこか行くんですか?」
「うん。身体なまっちゃうからね、時々トレーニング」
そう言って「旋舞の師匠」のケープを取り出す。
やはり飛行の練習をしていたのか、どうりで飛行もエナジー管理も上手なはずだ。
そして髪に色々なもの・・・小鳥や小さなマンタなど、をくっつけて帰ってくる理由も何となく分かった。
「ちょっと戦闘モードで行ってくるよ」
旋舞の師匠のケープは、首元と裾に黒い毛皮がついていて布地は暗い赤。
なかなかゴージャス(と雪白は思っている)なケープだ。
いつか俺も手に入れてみたい。
それにしても戦闘モードとはあまり紺碧さんらしくない単語だ、どんなトレーニングだろう。
一緒に行ってみたい気持ちが湧いてきた。
「朝食はいいんですか?」
「食べていくと体が重くてね。雪白くん先に食べててくれるかな」
髪を一つに結び終え、ふわりとケープを羽織ると彼は手を振って店を出ていった。
掃除も終わった。
三つ子の雀さんたちが来るまで時間もある。
静かな自室で過ごしていると、紺碧さんのトレーニングが気になってきた。
俺も早く上手に飛べるようになりたいし、一緒にできないかな・・・
戦闘モード。 その言葉に、むず、と闘争心のようなものが反応する。
突然押しかけたら迷惑だろうか。
嫌がられるだろうか。
しばらくためらい、考えたのち、俺は彼のところへ行ってみることにした。
いま俺のケープは修繕に出しているから、彼から借りているケープを身に着ける。
俺のケープは「記憶の語り部」の真っ白なケープなのだが、手入れを怠ったために傷んでしまい、今は修繕に出していて手元にはない。
何着かの中から「隠れ潜む生存者」の真っ黒なケープを選んだ。
店用の服から外出用に着替えてケープを羽織り、鏡の前で長い裾を少し持ち上げて広げてみる。
普段は白いケープを着けることが多いから、こういう黒いものもいいかもしれない。
ワープしてみるとそこは捨て地。
強い風に砂が巻き上げられ、空は暗く視界が悪い。
独特の重い風のなか、紺碧さんはどこかを飛んでいるらしい。
「紺碧さん?」
呼びかけると反応があった。
なにか焦っているような、そんな声色だ。
「今来ちゃだめだよ!」
その忠告は一瞬遅く、手つなぎした後だった。
手をつないだ瞬間に肩が外れるほど強く引っ張られる。
只事ではない衝撃に、何が起きているのかと驚く。
ものすごい速度で飛ぶ彼と合流してしまったらしい。
「来ちゃったね」
いつものような優しい笑顔ではなく、余裕のない笑顔。
こんなに焦っている彼を初めて見る。
「す、すみませ・・・」
言いかけたが、全身を赤い光で照らされたことに気づいて言葉を飲み込んだ。
次いで耳をつんざくような暗黒竜の獰猛な鳴き声。
竜に追われている最中に俺が飛び込んでしまったようだ。
「もう喋っちゃだめだよ」
口のなか怪我するからね。
そう言って紺碧さんは手つなぎではなく、俺を自分の胸に引き寄せ、強く抱きしめた。
そうか、手つなぎでは飛びづらいんだ。
俺はなるべく体を縮め彼の背に腕を回し、しっかりとしがみつく。
お互いの体内をエナジーがものすごい勢いで行き来するのを感じ、一気に胸の核(コア)が熱を帯びて明るく輝いた。
竜が攻撃態勢に入った。俺たちも突撃に備えて距離を取りながら真っすぐに高速で飛翔、エナジーの消費を抑えるため羽ばたくのをやめる。
その飛び方で、竜から逃げ切るのではなく攻撃を避けるんだ、と気づいた。
勝手に合流したことにとても申し訳なさを感じる一方で、俺は気分が高揚していくのを感じていた。
飛行中の暗黒竜の回避、そして紺碧さんの本気の飛翔。
見たい。
見るだけではなく、体験できるなんて。
ぞくりと背筋が震える。
風が吹き狂う音と俺たちの荒い呼吸の他は何も聞こえない。
緊張が高まっていく。
ひときわ俺を抱きしめる力が強くなった瞬間、ぐん、と回転するのを感じ、紺碧さんの腕から放り出されそうなほど重力がかかる。
竜の攻撃を避けるには突撃される瞬間に身体を回転させて一気に左右どちらかへ方向転換する。
背に回した手が外れないように強くしがみつき、俺は恐怖で閉じそうになる目を必死で開けていた。
俺たちの足元すれすれを、竜の咆哮と黒い巨体が通り過ぎていった。
成功だ。
しかし俺はまだ自分たちが赤い光で照らされていることに気づく。
新しい竜が首を左右に振りながら、威嚇するようにこちらを睨んでいた。完全に攻撃の射程内で逃げ切れる距離ではない。
彼はどうするのだろう。俺は焦った。
「まだまだぁ!」
しかし、心底楽しそうに紺碧さんは吠えた。
「5匹目いくよ!!」
連続で竜の攻撃をかわしているらしい。次が5匹目か。
1匹避けるだけでもかなり消耗する。
おまけに攻撃をかわしながらのエナジー精製、管理、風も読み味方につけなければ。
しがみついた胸も背も燃えるように熱く、全身汗をかいている。
星の子は体内で火をエナジーに変え、飛ぶ。
感情の高ぶりに合わせて胸の光も明るく強くなる。
「たくさんエナジーもらうけど、よろしくね」
好戦的に青い瞳を輝かせながら紺碧さんが言った。
獰猛な笑顔。普段穏やかな彼はこんな顔もするのか。
俺は頷いて体内のエナジーの流れに集中すると、急激に吸い取られていくのを感じた。
紺碧さんのエナジー精製は、素人の俺から見ても信じられないほど早くて、思わず感嘆の声が出てしまった。
肌がピリピリするほど彼が集中しているのが伝わってくる。
俺のエナジーを使い切ったっていい、成功してほしい。
それに俺も楽しくなってきた。
竜は星の子にとって絶対的な捕食者。
でも戦ってやるんだ。
体勢を整えて羽ばたくのをやめる。
捨て地に轟く咆哮のあと、迫る竜の黒い角と赤い目。
その直前で避けようとして、紺碧さんの喉から呻くような声が漏れた。
タイミングがずれたようだ。
身体を襲うのは、巨大な棒で殴られたような衝撃と胸の光を貫かれる痛み。
紺碧さんの身体から羽根が何枚も散る。
俺を抱きしめる腕から力が抜け、2人は宙に放り出された。
視界がぐらぐらと揺れ、どちらが天か地か分からないほど翻弄される。
俺は力なく落ちていく彼の手を咄嗟(とっさ)に掴み、歯を食いしばり必死で地に落ちた羽根の1枚に急降下した。
竜の赤い目はまだ俺たちを捕捉している。
なんとか1枚だけ羽根を回収すると、砂の上を転がるように岩に開いた穴に滑り込む。
遠くで羽根が切り裂かれる無残な音がした。
俺たちを襲った竜はしばらく名残惜しそうに上空を旋回していたが、やがて諦めて去っていった。
「ごほっ」
口の中にまで砂が入り、二人でせき込む。
すっかり光を失った紺碧さんは汗で顔に張り付いた砂も髪も払うこともなく、仰向けで荒い息をついている。
俺も汗びっしょり、砂まみれだ。
「許可なく来てしまってすみません」
邪魔しなければ5匹目も成功したのではないだろうか。
小さい声で詫びると、彼は握手するかのように手を出してきた。
その手を握る。じんわりと光が広がる。
「回復が足りないから、ハグしてくれる?」
俺は素直に彼の胸に頬をあて、腕を体にまわす。
先ほどより光の奔流が強くなり、全身にあたたかい光が広がる。
「楽しかったねぇ」
失敗しちゃったけどね、と紺碧さんは岩の天井を見つめたまま言った。
「雪白くんのせいじゃないよ、むしろエナジーもらえて助かったし。羽根も拾ってくれたし」
よしよし、といつものように頭を撫でられる。
頭から落ちてくる砂が目に入らないように目を閉じ、光のあたたかさを味わう。
「俺も楽しかった。それに竜回避も、紺碧さんの飛び方も経験できた」
まだ興奮が冷めやらない、いつもより声が弾んでいる。
「紺碧さん、4回成功したんだよな。俺も挑戦してみたい。1回なら出来るかな」
だんだん脈拍も整ってきて、耳をつけた紺碧さんの胸から規則正しく少し早めの鼓動が聞こえてくる。
全身にエナジーを送り出す鼓動の音。
「まだ雪白くんには早いかな」
くぐもって聞こえてくる笑いを含んだ声に、俺はちょっとムキになって言い返す。
「失敗してもいいので、挑戦します」
軽く上目遣いでにらむと、穏やかに俺を見おろす青い目と視線が合った。
紺碧さんの腕が俺を抱きしめる
されるがままになっていると、その腕に強く力がこもり、捕まってしまった。
「その前に僕から逃げられなくちゃ、竜からなんてとても逃げられないよ?」
しまった、からかわれている。
手足を突っ張り脱出を試みるが、全く力が緩む気配がない。
さきほど竜に羽根を散らされたばかりだというのに元気なものだ。
くすくすと笑う声が頭の上から聞こえて来る。
「紺碧さん、離してください」
もう、羽根ひろいませんよ!そう言うと、彼はゆっくり上体を起こし、はいはい、と俺を軽く受け流しながら向かい合うように座った。
「また俺のところ子供扱いして!」
その様子に抗議すると、すっと彼は目を細めた。もしかして怒らせてしまったか。
「ふぅん? 子供じゃないの?」
面白そうに挑むように聞いてくる。
俺が何か言うより先に、ごく自然な動きで紺碧さんは片手の指先で俺の顎を捕えた。
そして視線を逸らすことなく、真剣な眼差しで顔を近づけてくる。
な・・・に、を・・・
薄暗くてもエナジーで輝く鮮やかな瞳から目がそらせない。
予想外の動きに固まっていると、砂だらけの頬を、俺の頬に擦り付けてきた。
「い、痛っ!俺で拭かないでくださいよ!」
「ふふふ、このくらいで固まっているようじゃ、まだまだお子様だね。何されると思ったの?」
「別に、びっくりしただけです!」
何、何をされるかって。
何をされると思ったんだろう。
意地悪な顔で笑う様子に腹が立ち、俺は勢いよく立ち上がった。
その腰に、紺碧さんがしがみついてくる。
「あーもう疲れちゃったよ。雪白くん、お店までキャリーして。あと今日お店休みたい」
「どっちが子供ですか!キャリーはしますが、お店はちゃんとやりましょう」
「帰ったら朝ごはんにフレンチトースト食べたい」
「開店までそんなに時間ないですって。帰りますよ!」
もう、言っていることが子供っぽいんだ。
竜と対峙した時の好戦的な横顔と、いま俺にしがみついてぐったりしている紺碧さん。
この差は何なんだろう。
「さっきは恰好よかったのに」
ボソ、というと、しっかり聞いていた紺碧さんは、もう一回!もう一回言って!大声で!と言ってくる。
それを今度は俺がはいはいと軽く受け流し、彼の手を引くと急いで店へ向かった。