この恋に気づかないで「僕はキミよりもうんと年上だよ?ぴちぴちでもないし・・・」
「年上だけど、見た目は俺の方が年上ですよ。あと、ピチピチって言葉、日本では古い言葉だと思う」
「えっ」
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【この恋に気づかないで】
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キュッ、キュッ、とダンス用の靴を履いた10代~20代が集うダンススタジオ。
ここにはダンス練習生以外に数名のカメラスタッフとダンスコーチがいた。
日本語と韓国語が飛び交うグローバルな環境だ。
「姉さんから最高のときめく壁ドンってやつ習ったことあるよ」
練習生実力ナンバーワンの桃矢が片手を軽く上げて言う。
日韓合同アイドルプロデュース番組が始まり早3カ月。そろそろデビューする最終メンバーが確定するころ、事件は起こった。
「へえ、桃矢(とうや)、やってみろよ」
桃矢の次にダンスの実力を誇る押切がニヤニヤしながら言った。
ここはアイドルを目指す練習生たちのレッスン室。レッスン内と廊下には数名の練習生がどうすればもっと技術をあげられるのか研鑽しあっていた。
この3人、押切(おしきり)、桃矢(とうや)、郷(ごう)をのぞいて。
もし休みの日でもなければこのレッスン室でおふざけなど言語道断なのだが、今日は日曜日である。休みであれば話は別なのだ。
息抜きの大事さをコーチは全員知っている。番組スタッフ以外の大人たちは全員見て見ぬフリをしてくれていた。
何やらおもしろい事をこの三人がやらかしそうだと感じたカメラマンの糸(イト)が数名のスタッフに声をかけ、音声や照明を三人に向けるように支持を出した。
この番組は休みであろうとなかろうと、24時間カメラに映される
プライベートなど皆無だ。
「いいよ、じゃあ、そこのドアから入ってきて。俺の姉直伝の女子がされたいカベドン見せてあげるよ」
押切と郷はヒューと口笛を吹いて桃矢に言われた通り練習部屋を出る。
「なあ、どっちから壁ドンしてもらう?」
日本と韓国のハーフの郷(ごう)がカタコトに近い日本語で押切にワクワクしながら聞いた。
韓国にもカベドンはあるが、元祖日本式の壁ドンを見るのが楽しみのようだった。
「あ、じゃあオレからやってもらおうっと」
押切がドアノブに手をかけ中に入ろうとしたとき、ちょうど同じタイミングでプロデューサーであるミン・ジュンウがレッスン部屋へ入ろうとドアノブに手をかけた。
「「あ!お疲れ様です!!」」
二人はプロデューサーに元気よく挨拶をした。
「うん、お疲れ様。先に中入らせてもらうね」
「はい!・・・え、あっ」
押切がミンを止めようとしたが遅かった。中へ入った瞬間、桃矢の腕が伸びてミンの左腕を掴んだのが見えた。
あまりの速さに目で追うのがやっとの動きだった。
そしてミンが押切と郷の視界から消えた。
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ドアから入ってきた影が見え、瞬時に桃矢は相手の左手首をひっぱり、鏡が背になるように位置させて、自分の左手を相手の目にかぶせるように添えた。
一瞬視界を奪った瞬間に右手で腰を抱き寄せる。
そして左手で鏡の方にカベドンをして終了・・・となるはずだった。
「ッジュ、ジュンウさん」
まさかカベドンの相手がミン・ジュンウプロデューサーだとは思わず、「え?!え?」と慌てる。
レッスン室に入ってきた男性は栗色の少しウェーブがかかった短髪で、黒のパーカーだった。
押切と特徴が似ていたから疑うことなく腕を引っ張ってしまったのだ。
そしてポカンとしているジュンウに「すみませんでした!」と頭を下げた。
ジュンウはずるずると鏡にもたれながら腰を抜かして尻もちをついた。
ジュンウは驚きで開いた口がふさがらず、茫然としていたが、壁一面にある鏡の自分の情けない姿に気づいてハっと我に返る。
「いや・・・いいよ。なに、してたんだい」
練習生やカメラマンがいる中でやっていた行動というのであれば、何かおもしろい事でもやらかそうとしていたことは大方検討がついた。
ジュンウが謝っているということは、相手を間違えて失敗してしまったのだろうと予測がつく。
一応、ジュンウは事の真相を問うことにした。
「いあ、その、姉に教えてもらったカベドンを二人に教えるはずだったんです」
押切と郷が同じくスミマセンと謝った。
「止めようとしたんですが、間に合わなくて・・・」
押切が再度頭を下げてジュンウに謝る。
「あー・・・ハハ、カベドンね。一時はやったよね。いいよ。怒ってない。ああ、それにしても驚いた。ちょっと立てないや。あと何か言いに来たんだけど忘れちゃったな」
桃矢が謝りながらジュンウの両脇に手を入れた。
「立つの手伝いますよ」
「はは、は・・・だいじょうぶだよ。丁度いいからこのまま座ってみんなのダンスの練習の成果見せてもらおうかな。桃矢、廊下にいるみんな、呼んできて。どうせみんなレッスン室に来てるんでしょ」
休みの日でも練習を欠かさない練習生の性格をよく知っているジュンウは桃矢に指示を出した。
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「びっっっくりした・・・」
ダンスの成果は上々で、何の指摘も出す必要もなかった。これなら全員羽伸ばしをさせて、カメラマンが喜ぶようななにかネタでも撮らさせた方が番組の視聴率が上がりそうだとジュンウは計算をした。
そして、日曜日なんだから午後からは好きに遊びなさいと指示を出し、練習生をレッスン室から追い出した。
全員追い出したはいいものの、未だにジュンウは立つことができない。完全に腰を抜かしてしまったのだ。
「えっと・・・確か、デビュー組の新しい曲が決まったから聞きたい子おいでって言いに来たんだっけ・・・」
韓国人ではあるが、日本の大学を卒業しているため一人言もたまに日本語でつぶやくことがある。
プロデューサー兼、現役アイドル32歳のジュンウが「よっこらせ」と言いながらゆっくり立ち上がる。
ぜったいにファンには見せてはいけない姿である。
「かっこいい男だとは思ってたけどここまでとは・・・」
先ほど突然に腰を引き寄せられ、ドアップで見た桃矢の顔が頭からはずれない。
「ああ・・・8歳も年下に何考えてるんだ僕は」
今まで好きになった相手は女性のみ。男性にここまでドキドキと意識するのは初めてだった。
「吊り橋効果って・・・日本の大学で学んだけど・・・ソレかなあ・・・」
突然引き寄せられ視界を奪われたとき、恐怖心に似た感覚を感じた。
そういった一瞬のどきどきとした恐怖心が恋に似たものなのだと勘違いしてしまうことが人間にはあると心理学で学んだ。
「吊り橋効果?」
ひょこっとドアを開いて顔を出した桃矢に驚き、「わあ!」と年甲斐もなく叫んだ。
「あ、すみません。もう立てるようになったか心配で戻ってきました」
「だ、大丈夫だから、遊んできなさい・・・」
今は桃矢の顔を見たくなかった。
せっかく落ち着いた心臓がまたバクバクと動き始める。
「遊ぶって言っても、プログラミングしかすることないし」
桃矢は情報大学を卒業し、プログラマーの内定を蹴って芸能界の道を選んだ。
しかしパソコンが好きで、基本は休みの時間はいつもプログラミングをしている。
「プログラミングでもいいから、自分の時間を大切に使いなさい。今日はソレを宿題にします」
「・・・わかりました。」
ひとつ頷き、好きなように過ごしますと言い、桃矢はしゃがんでおんぶの姿勢をとった。
「桃矢?」
「おんぶしてご自宅まで運びます」
「そこまでしなくていいよ、ほんとに。帰んなさい」
「でも、ジュンウさん目の下クマすごいじゃないですか。心配で俺がゆっくり休めないです」
「・・・・」
そういえば午後から友人の犬を預かる約束をしていたことをジュンウは思い出した。
もうあと数分、もしくは数時間座っていれば治るであろう感覚ではある。
夕方まで時間はあるものの、できれば余裕を持って家には帰っておきたい。
なるべく早く帰宅できるに越したことは無かった。
今のところ立つことはできるが、まだ腰に力が入らない。まさか一度腰を抜かすと歩くこともままならないほどになるとは思わなかった。
ダンスコーチまで帰らせてしまったことは実をいうと後悔していたのだ。
「・・・お、お願いしようかな・・・」
ニ!と笑う桃矢が笑った。
その笑顔に「うっ」とときめいた自分に嫌気をさしながらジュンウは素直に桃矢の首に手をまわした。
情けないことにジュンウは嬉しいと感じ、さらに自分を叱咤する。
「さすがに家まではいいから、タクシー乗り場までお願いしていいかい」
「ええ、もちろんですよ」
「ありがとう・・・」
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タクシー乗り場まで運んでもらい、降りようとした時だった。
「ありがと、もうだいじょう・・・っ!!!」
「ジュンウさん!!!」
桃矢の背中をトントンと叩いて降りようとしたらまだ足に力が入らずカクンと膝からコンクリートへ崩れ落ちてしまった。
レッスン室にいるときは何かにしがみついていればかろうじて立てたので油断していたのだ。
タクシードライバーと桃矢が心配そうに顔を向けてくるが、ジュンウは羞恥心でもうほっといてほしいという心境だった。
「ご、ごめん・・・年かな。まだ腰に力が・・・」
「ジュンウさん、膝、血が・・・」
「ああほんとだ。かすり傷だよ。運転手さん、血っていっても、ちょっとすりむいただけだからタクシーこのまま乗っていい?」
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「桃矢・・・・帰りなさいって」
「でも、心配なんですよ。聞きましたよ。二日寝てないって。そんな状態が続いたら、最近はやりのウイルスにかかっちゃいますよ」
「大丈夫だって。せっかくの休みなんだから桃矢こそおじさんの看病見てないで遊びにでもプログラミングでもしなさい」
「まだ30代前半だし、ジュンウさんは見た目俺と同い年ぐらいじゃないですか。おじさんは無いと思いますけど」
「はは。ほめても何も出ないよ」
「本当のことですけどね」
自分の家に桃矢がいるのは嬉しいが、桃矢への気持ちが膨らみ始める前に早く帰らせたかった。
正直に言えば一目ぼれに近い体感に近いものだったと、ジュンウは今さながらに思った。
そして練習生とプロデューサーという関係ではあったが、桃矢の人柄に惚れていった。
時折ドキドキとさせられることも多々あった。
たまたま、今日腰を引き寄せられて、恋人のような距離感を体験してしまったせいで自分の気持ちに気づいてしまったんだなとジュンウは自分の感情を整理した。
以前から認めたくないと心のどこかで思っていたが、こうもドキドキしてしまうのだ。潜在意識に勝てる人間などなかなかいない。
ジュンウは桃矢への気持ちを受け入れることにした。
「僕はもうこのまま寝ちゃおうかな。移動手伝ってくれて助かったよ」
「あ、じゃあ俺もここでさっき買ったパン食って昼寝させてもらっていいですか」
「な、なんで。帰りなさいよ」
「トイレとかどうすんですか。腰ヘロヘロだったじゃないですか」
「・・・」
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その後冷蔵庫にあるもので桃矢がオムライスを作ってくれることになり、二人仲良く昼食をとることになった。
そしてやっとジュンウがリラックスし始めたころ、桃矢がとんでもないことを口に出した。
「ジュンウさん、俺のこと意識してますよね?」
「え」
ジュンウは固まった。
腰に力が入り、自らの足でトイレから帰ってきたら桃矢が確信している顔で剣を口から出してジュンウを攻撃したのだ。
もう何を言えば、そしてどんな顔をすればいいかわからなくて固まること以外何もできない。
「あ・・・俺、ジュンウさんをそういう顔にしたいわけじゃなくて・・・えっと」
傷ついた顔をしたジュンウを慰めるために、桃矢がジュンウを抱きしめた。
「ジュンウさんを抱きしめたらどんな感じなのか、ずっと気になってました」
ジュンウの心臓は増すばかりだ。
しかしここは大人の余裕を見せたいと思ったジュンウは努めて平然を装った。
「へ、へえ。どんな感じ・・・?」
「すごく幸せな気分です」
ジュンウは天にも昇る気持ちだった。
ただ、ここで感情に流されてはいけないと理性が働く。
「桃矢。わかっているとは思うけど、デビューしてから一年間は恋愛禁止なんだよ」
「・・・わかってます」
桃矢はゆっくりジュンウを手放した。
「意識をしてるかしてないかで言ったら、しているよ。君はとても・・・魅力的だからね」
「あの、俺に恋愛禁止の話をするってことは、俺はデビュー組ってことですよね?」
「だめだよ。発表はカメラの前でするって決めてるんだから。でも、今は恋愛ダメっていうことだけは君に伝えておく」
練習生の間は恋愛は自由だ。
それなのに恋愛禁止令を出すということはそういうことなのだ。
「デビューして、いつか貴方を迎えに行きます。それまで待っていてくれますか?」
これでウン、と答えたら相思相愛を自分で認めているようなものだ。
魅力的とは言ったが好きとは言っていない。だからと言ってこの質問を無下にできるほど冷たい人間でもない。
「僕は数年は恋人を作らないってきめてるから・・・」
顔を赤く染め、そっぽを向きながらこたえるジュンウを桃矢は再度抱きしめた。
「僕はキミよりもうんと年上だよ?ぴちぴちでもないし・・・」
「年上だけど、見た目は俺の方が年上ですよ。あと、ピチピチって言葉、日本では古い言葉だと思う」
「えっ」
「ほっぺにキスはありですか?」
「・・・アリ」
fin.