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    健気大好き

    @kenageuke_kawai

    @kenagesyousetu
    オリジナル小説書いてます。
    健気受けBLを専門に取り扱ってます。小説はこちらです。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14359183

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    健気大好き

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    中華風ファンタジーBLです
    ラブコメです。
    執筆途中です。

    #BL

    禁を犯して追放されたので子育てしてたら片思いの人と再会できました泉にちゃぷんと手を入れた。

    すくって口元に近づけようとした時、ズキンと背の傷が痛んだ。十分に口の中へ水を流す前に全てが指を通り抜け、こぼれ落ちる。もう一度やってみも同じだった。背が痛み、水を両手で溜める動作ができない。すくって飲む事はあきらめる。
    指についた水滴をなめ、それを繰り返した。ある程度喉が潤ってきたところでフウと息を吐く。

    「ぅ…ッ」

    呼吸を深くすると背中にできたいくつもの傷が刺すように痛む。血を吸って重たくなった衣服を脱ぎ棄てた。白い絹のような素肌には不釣り合いな、おびただしい傷が現れる。

    傷の状態を指先で触って確かめた。森で手に入る薬草を塗ってはいるものの、傷は一向に回復せず悪化するばかりだ。

    追放されてから五日。高熱が続いて、いつしか目がかすんでハッキリとモノが見えなくなった。そのせいか傷に効く薬草かどうかの判断も難しく、適切な傷薬が作れない。

    行く場所もなく、体は弱っていくばかり。
    気づけば右手の指先がツルになり始めていた。体が葡萄の木の妖精だった頃に戻ろうとしている。

    (ここに根付く事になるのか‥‥まだ、師匠にお礼を言えていないのに)

    心や体が弱ると、妖精は人の姿を保てなくなり、元の実態へと戻る。一度完全に葡萄の木に戻ってしまえば数百年は人間の姿には戻れず、運が悪ければ二度と人間の姿にはなれない。

     ――――もう会えない。

    一滴の涙がツゥと葉泉(ようせん)の頬を流れる。


    ザ、と深紅の衣が目の端に入る。ぼやけて誰かがわからない。

    「どなたですか?」

    深紅の衣を身にまとった人は名乗らず、ただ黙って葉泉の鼻に何かを近づけた。特有の香りにピクリと葉泉は眉を上げる。

    「この香りは‥‥塗り薬ですか?」

    葉泉の左手を取り、「そうだ」と書いてくる。

    「あなたは、声が出せないのですね?」

    また手を取られる。
    「そうだ。背中の傷が酷い。この薬を塗るぞ」と返ってきた。

    その人物は名乗らず、ただ黙って葉泉の傷を手当してくれたのだった。ぼやけていて、彼が深紅の衣服を身にまとっている事しかわからない。

    (――あ、この香り)

    ヨモギの香りがした。葉泉の師はヨモギを使った菓子を作るのが趣味だった。

    (ああ‥‥会えた‥‥)

    目がかすれ、ハッキリその姿が見えないのは惜しかったが、木に戻る前にもう一度会えたのだ。思い残す事は無いと思えた。

    傷薬を塗られても、すぐに治るわけではない。痛みは続いている。けれども、葉泉は幸福だった。

    追放された者を助ける事はご法度だ。だから葉泉は助けてくれた彼の名を最後まで呼ばず、気づかないフリをしていた。


    ****

    【数年後】


    大蛇から全速力で夏音(かいん)は逃げていた。

    「どぅわぁあぁぁぁぁぁあ!しっ死ぬぅぅぅぅぅ!たすッ、助けてぇ――――!!」
    「そんな弱い妖獣、怖くありませんよ。喉を狙うんです。喉!」
    「喉?!先生、喉って言った?!あんな遠いところに俺の腕が届くと思ってんの?!翡翠(ひすい)!翡翠はどこ?!あ、いた…お前――――!」

    どうやればあの家10個分の大きな妖獣の喉を狙って攻撃できるのかと必死で考えながら走っていたら、翡翠が高木に上り、避難しているのを発見した。

    自分だけラクをしようとしている。

    「先生!どうやったらいいか教えてよ――!」
    「考えるのです。あなたは賢いですが、他人の力に頼る癖があります。あなたもですよ、翡翠!」
    「先生!ソイツ蛇だからどこからどこまでが喉かわかりません!」

    翡翠が言い訳混じりに叫んだ。

    「あッ…えっと‥‥アゴの下の事です!アゴのすぐ下あたりを狙うのです」
    「先生!俺たちまだ剣で飛びながら戦えないって知ってる?!」
    「知ってますよ。それを戦いながらどうにか考える修行を今あなた達は実践で学んでいる最中なのです!」

    どうも大蛇退治に集中できない様子だと感じた葉泉は弟子達に今日の夕飯について教えてやる。

    「その大蛇の腹の中には宝石が入っています!退治できれば、今夜の夕食はごちそうです!たくさん肉のおかずを買えますよ!」

    この時、夏音と翡翠の反応は違った。
    翡翠は「ムリです~!」と半泣きで木にしがみついていたが、夏音は逆だった。

    (ごちそうだって?!しかも肉!!)

    葉泉先生は貧乏な上に料理が下手だ。自分たちでなんとか作っているものの、店の味とは比べようもない素人料理。美味しいものを食べる機会がそう多くない夏音は俄然やる気が出たのか、キラリと目を光らせ、倍以上の速さで走り始める。

    木に登り、あっという間にてっぺんにたどり着く。

    「わわわっ、兄さんこっち来ないでよ、蛇来ちゃうじゃんか!」
    「うるさいっこの軟弱もの!」

    枝を蹴り、大きく口を広げる大蛇に向かって剣の切っ先を向け、落ちていく。

    「兄さん?!」

    バクリと口の中に入っていった兄に、弟は驚愕して目を見開く。そして涙目で「兄さん兄さん!」と叫びながら蛇に剣を向けた。

    同時に、一筋の閃光が現れる。その光は大蛇の喉から腹をぶち抜いた。
    大蛇の喉ぼとけあたりから夏音が出てくる。

    「兄さん!」

    蛇の血でドロドロになった兄が現れ、翡翠はホッと胸をなでおろす。葉泉は夏音が大蛇
    の口に飛び込んでいった時から何をするつもりなのかわかっていたので、木の枝に腰を下ろしてのんびりとこちらを観察している。

    「ハーッハーッ」

    剣を地に刺し、片膝をついて呼吸を整える。

    拍手をしながら葉泉が近づいてきた。

    「先生…今夜は…ごちそう?」
    「ええ。そうですよ」

    翡翠は「ワーイ!」と楽しそうに大蛇の腹から出てきた宝石類を拾っている。
    夏音はその様子にハハ…、と笑い、葉泉の胸の中で気絶したのだった。





    ****


    「クゥゥ~…!美味い!」
    「染みるねぇ、兄さん」

    真っ赤な麻婆豆腐に程よい塩味の豚足、甘辛く煮た無錫排骨にキクラゲと卵の旨味が際立つ木須肉。そして濃いめの味を楽しんだ後に優しい及第粥を喉に流し込むのだ。

    「最ッッッ高!」
    「こらこら、店の中では静かにしなさい」

    夏音が嬉しそうに食べてくれるのは嬉しいが、躾も大事だと葉泉は考えている。
    葉泉が食事中は静かにしなさいと注意すると、夏音は素直にごめんなさいと謝って頭をかいた。
    普段は家でしか食事をしないから、このように人が多い場所ではどのように過ごさなければならないのかあまり教えてこなかったのだ。

    息子も同然の弟子が可愛くて仕方ない葉泉は、つい食事中なのを忘れて夏音の頭を撫でてしまう。嬉しそうに夏音は目を閉じた。翡翠も僕も、僕もと頭を差し出してくる。
    あとでね、と葉泉が言うと、翡翠は頬を膨らませた。

    「もう12歳でしょう?」
    「違います。僕は11歳です」
    「ああ、そうだったね」

    ハハハと三人が笑う。暖かく、家族のような空気感だった。
    葉泉はあっさりとした味つけの青菜野菜炒めと桃を注文する。どちらもこの店では安い方の品だ。めざとい夏音がそれを見て、「貧乏癖が出てますよ」と言い豚足を小皿に置いて渡してくる。
    葉泉は苦笑し、豚足を少しかじった。

    たらふく食べたあと、夏音は背筋をピシッと正して葉泉と向き合う。甘豆腐を食べていた翡翠も夏音の様子に気づき、背筋を正した。今夜の夕食のあと、一緒に先生にお願いをしようと二人は事前に話し合っていのだ。

    「葉泉先生!お願いがあります!」
    「はい、なんでしょう」

    新しい靴のおねだりかな、と葉泉はいつもの柔和な笑顔を弟子に向けた。

    「俺たち、仙界へ修行に行きたいんです!!」

    夏音の言葉の後に続き、僕も!と言う。葉泉は目を丸くした。

    「仙界へ修行に?翡翠まで?」
    「「はい!」」

    子どもたちがどんな道を選ぼうと、それが本人のためになるなら応援しようと決めていた。もしからしたら、いつか仙人になりたいと言い出す日がくるのではないかと考える日もあった。しかし、いざ言われてみると、多大な喪失感と寂しさを感じた。

    「君たち、本気なのかい?」
    「「はい!」」

    まだ子どもだが、大人顔負けの顔つきだ。二人とも顔が整っている分、迫力もある。
    結丹し、剣で空も飛べるようになった。まだ戦いないながら飛ぶ事はできないが、山よりも高い仙界へ行く位であればそう難しくない。
    何より本人の意思だ。止める理由など無い。

    「わかった。応援しよう」
    「本当ですか?!」
    「やったね!兄さんっ」

    二人が嬉しそうに両手を上げ、抱き合っている。
    まるで本当の兄弟のようで、葉泉は微笑ましく感じた。

    「で、実は…試験を受けにもう一回行ってて…」
    夏音の言葉に葉泉と翡翠は驚く。

    「えっ、それ知らない。ぬけがけなんて、ずるいよ」
    「まぁ慌てるな。それで、試験は受かったんだけどさ。『やるな、誰の元で修業をしてきた?』て聞かれたんだ。だから‥‥俺‥‥」

    続く言葉がわかって、葉泉は申し訳ない気持ちになった。

    「先生の名前言ったらそのあと落とされたんだ‥‥」

    葉泉は額に手を当て、「でしょうね…」とガクリと肩を落とす。
    もしあらかじめ夏音が試験に行くのだと知っていたら、絶対に葉泉の名前をは出さないように注意していたはずだ。

    「先生、仙界で何したの…?」

    翡翠が静かに問う。
    言うべき時が来てしまったかと葉泉は息を吐いた。

    「私は元来、道士として仙界で修業をしていました」
     ※道士=仙人を目指す修行者の総称

    「うん、薄々わかってたよ。先生って、書で読んだ道士と同じことが全部出来るんだもん。俺、先生の背中見て、道士になりたいって思えたんだ」

    夏音の頭を撫で、葉泉は微笑む。

    「今から本当の事を話します。どうか、私を嫌いにならないでくれると嬉しい」
    「嫌いになんか、なるもんか!な!翡翠!」

    ウンウンと翡翠が大きくうなずく。

    「先生みたいな優しい人、誰がきらいになるもんかっ」

    葉泉に撫でられ、翡翠はニヘラと笑った。

    「君たちと出会う前、私は仙界で二人の妖族を魔界へと逃したんです。人間に危害を加えたことのない子供たちでしたし、処刑される予定になっていましたから、それがあまりに可哀想で‥‥」
    「それで、何をしたんだ?」

    夏音が早く早くと催促する。

    「それだけです」

    弟子二人は同じ表情をして、「ハ?」と同じ角度で首を傾げた。

    「それだけ?ねぇ、先生。それだけで追放されたの?逃がしただけで?」
    「え、本当に、それだけ?なんでソレで追放されるんだ?俺、もしかして頭が悪い?」

    葉泉は小さく頷き、話を続ける。

    「この世には、あなた達のいる人間界、仙界、神界、魔界の四つに分かれているのは教えましたね?そのうち、魔界と人間界の扉は開きやすく、仙人が開かないように術で封じ込めています。なので、魔界への入口を意図的に開く事は禁忌とされているんです。ですが、私はその扉を意図的に開けて二人の妖族を逃がしました。これが、追放された理由なのです」

    なるほどとやっと弟子が納得した。

    「それに、処刑されるはずだった子ども二人は魔界の長の血縁者でした。私の罪はとても、とても、重いのです」

    ぶんぶんと夏音が首を振る。

    「俺が仙界の長老なら、ぜったいに先生みたいな人を追放させなかったよ!よし、決めた。俺が仙界の長になって、先生を仙界へ戻す!」
    「あ!じゃあ僕は兄さんの手伝いをするよ」
    「よし、約束だぞ!翡翠!」

    ガシ!と力強く手を繋ぐ弟子を目の当たりにし、胸が熱くなった。

    (この子たちは、私の知らない内にこんなにも成長していたんですね‥‥)

    もし、戻れたら…と考える事が無かったかと問われれば、嘘になる。住む事はできなくても、あの人にまた会えたらと考える日はあるのだ。
    大事に育ててきた弟子たちは、そんな葉泉の思いを知ってか知らずか、叶えようとしてくれている。

    葉泉の心には今もなお、一人の男性を想い続ける気持ちが残っていた。それは消える事なくずっと。またあの師の元で生活が出来るなら、どれほど嬉しい事だろうと目頭が熱くなる。

    「頼れそうな人が一人います。その人に手紙を出して、入門できるよう取り計らってもらいましょう」

    夏音と翡翠の実力なら入門試験はなんなく合格できる。あとは人脈でなんとかすれば、きっと二人を仙界で修業させてあげられるのだ。
    弟子のために、まず葉泉はしなければならない事がある。

    「翡翠、夏音、どちらか字の練習に付き合ってくださいませんか?」

    弟子二人はなんとも言えない顔をした。葉泉は強く、今まで出会ったどんな妖獣をも簡単に蹴散らし、どんな難解な事件もその聡明な頭脳で解決してきた。人徳があり、温和で誰からも好かれる、まさに天女のような人物なのだ。

    しかしそんな彼にもいくつか欠点がある。
    とても字が汚いのだ。まっすぐに書いていても、どうしても葡萄のツルのようにへにゃりと曲がる。

    「先生、まだ字を綺麗に書くって夢、あきらめてなかったんだ?俺、もうとっくに諦めたと思ってたよ」

    恥ずかしそうに葉泉は下を向いた。慌てて夏音は責めるつもりで言ったわけじゃないから!と先生の手を握る。

    「代わりに僕が書くよ?」

    葉泉は首を横に振る。

    「相手は私の師匠なのです。違う人に書いてもらってしまえば、すぐに気いてしまうでしょう。手紙とは、気持ちを伝えるものなのですよ。私が書く事が重要なのです」

    ふーん、と子どもたちはちょっと心配そうな顔で納得したのだった。


    ****


    「師匠、手紙が届いています」

    受け取った手紙を開き、紅希(こうき)は一瞬息が止まった。
    ザッと目を通し、一番弟子、冬蘭(とうらん)に言う。

    「人間界に行ってくる。留守は頼んだ。会議はお前が代わりに出ておいてくれ」

    冬蘭が返事をする前に剣に乗り、目にも止まらぬ速さで人間界へと向かった。

    このあと、仙界で大事な会議が開かれる予定だった。ここの長の息子である紅希も重要な立ち位置にあり、必ず出席しなければならない。
    残された冬蘭は顔を真っ青にしたのだった。



    ****

    「先生…掃除をしているので…」
    「あっ、ごめんなさい」

    今日の落ち葉掃除は夏音が当番だ。家の前には紅葉やイチョウが色づき、目を楽しませてくれる。何本もそれらの木があるおかげで、その分落ち葉の量も半端なものではない。

    5日に一度は客人が来る。みっともない家だと思われないよう、三人は落ち葉掃除を交代で担当していた。

    手紙を精霊に頼んで送り届けてもらったのが今朝方だ。昼頃に精霊から「読んでもらったよ」と報告をうけてからずっと、葉泉の様子はおかしかった。

    家の中や外をウロウロと歩き、落ち着きが無い。爪を噛んだり、顔を赤くしたり青くしたり、いつもの穏やかな先生はどこに行ったのやらと夏音はその様子を見ていた。

    「お?先生、空から人が」
    「あ、えっ、も、もう来たのですね…!」

    葉泉は胸に手を当て、スーハーと息を整えた。
    ッザ、と地に着地した男性の迫力に、夏音は圧倒される。男性が欲しいものを全て兼ねそろえた男だった。葉泉は顔が整っているが、どこか女性的であまり男らしくない。たまに町へ出向けば女性に間違えられる事があるくらいだ。
    目の前の深紅の衣をまとった精悍な男性をまじまじと夏音は見る。

    「葉泉。来てやったぞ。変わりないか」
    「はい。来て頂きありがとうございます。どうぞ、中へ」

    さきほどの挙動不審な先生はもういなくなっていた。夏音は安心して二人の後ろに続いて家に入る。

    (あ、)

    夏音は気づいた。先生の足が小刻みにガクガクと震えている事に。
    自分の先生がこんな風になってしまうほど、この男性は怖い人なのだろうか。
    夏音も少し緊張してきてしまったのだった。

    その時だった。

    「キャー!」
    「蜜柑ちゃん!」

    甲高い声と、翡翠の声が聞こえた。急いで三人は家の外へ出る。

    虎の妖獣が女性を襲わんとしているところだった。葉泉と男性が攻撃を仕掛けようとしたその瞬間、白い閃光が獣の腹を貫いた。

    妖獣がドサリと倒れる。翡翠はそのあと妖獣が二度と立ち上がれないように何度も差し、肉が粉々になるまで剣で粉砕していた。
    こんな翡翠を見るのは初めてで、夏音は身を震わせる。

    「はぁ!、はぁ!」
    「ひ、翡翠‥‥?」

    翡翠が息をきらしながら背中にいた夏音や葉泉を振り返る。

    「兄さん、いたんだ…はー、怖かった!」

    「…合格だ」

    ぼそりと言った師の言葉に、葉泉は「ありがとうございます」と感謝の意を伝えた。



    ****


    込み入った話になる。二人で話すべきだと紅希が言うので、葉泉は弟子達に金を渡し、外で食べてくるように促した。

    二人きりだ。風で葉の擦れる音だけが聞こえる。

    「葉泉、弟子の事だが」
    「はい」

    先に静寂を切ったのは紅希だった。

    「二人の事は俺が………」
    言いかけ、顔をしかめる。茶を一口飲んだのだ。

    「なんだこの茶は」
    「え?ま、まずかったですか?」
    「飲んでみろ」

    グイ、と一口飲んでみる。あまりの苦さに葉泉は顔をしかめた。

    「まだまともに茶も入れられないのか」
    「すみません‥‥・」

    弟子達に見張られ、徹底的に茶を入れる練習もした。しかし緊張でまともに頭が働かず、めいっぱい茶葉を入れてしまったようだ。

    シュン、と肩を落とし、下を向く。師の息を吐く音が聞こえ、葉泉はビクリとする。
    ちらりと見ると、微笑んだ顔が見えたので葉泉は目をぱちくりとさせた。

    「まだお前、体に制限がかけられているのか?」
    「え?はい。‥‥おそらく、一生解かれるものではないかと思います」
    「‥‥そうか」

    結丹に成功した葉泉はかつて食事をとらなくてもいい体になっていた。しかし禁を犯し、人間界に追放される際に、門派の長老より二度と仙界に戻ってこれないように金丹を制限する術をかけられたのだ。

    力は昔の5分の1程度しか発揮できず、長時間剣で空を飛ぶこともできない。
    そして体は仙人とはかけ離れた作りに変わってしまった。傷の治りは普通の人間より遅く、年も取る。食事をしっかり食べないとすぐに風邪を引いて弱ってしまうのだ。
    葉泉について、紅希は事細かに知っていた。なんといっても、術をかけたのは紅希の父親だったのだから。
    もしかしたら制限は自力で解除できるかもしれないと父がぼやいていた。だから葉泉なら自力でなんとか解除の道を探すのだろうと思っていたのだ。

    「解除をする努力はしているのか」
    「いえ‥‥金丹の制限は私が受けた罰ですから、


    自然となくなるまでそのままにしておくつもりです」

    そのまま、通常の人間と同じ寿命で死んでしまったとしても、仕方がないと葉泉は思っている。これまで素晴らしい師と愛らしい弟子の傍で生きる事ができたのだ。それ以上は望まないようにしてた。
    部屋がシン…となる。虫がリンリン鳴く音と、葉の擦れる音だけが再び聞こえてきた。

    「夕飯は私が作ろう」
    「えっ」
    「今夜は泊まらせてもらうぞ。仙界の門限時間はとうに過ぎてしまったからな」
    「あ…」

    すっかり忘れていた。仙界と人間界の門の開閉時間には決まりがある。朝から昼までしか開かないのだ。さらに言えば人間界の扉からここまでは数千キロの距離があり、仙人である紅希であっても8時間は剣を飛ばさないとここにたどり着けない。

    「はるばるお越しいただいた客人に、お料理を頼むわけには‥‥!私が用意します」
    「いーーや。結構」

    勝手に台所の方へ行き、乾燥物や干した肉をかき集め、調味料に漬け込み始めた。
    紅希も食事をしなくとも、永遠の若さを保つ事ができるほど修位が高い。ただ、食べる事は嫌いではなく、むしろ料理は好んでやっている。

    ジャッジャッ、と手際よくショウガやニンニク、調味料を鍋に入れ、火に通す。
    それを茹でた緑黄色野菜にかけて、塩をかけて味見をしていた。

    一体何を作ってくれるのだろうと葉泉はワクワクとした。葉泉は肉や魚が好きではなかった。紅希は葉泉の好みを熟知している。なぜならこの家で、暫く葉泉の食事を用意していたのは、紅希だったのだ。

    料理をする後ろ姿を見ていると、7年前の事がまるで昨日のように思えてくる。



    ****


    【 - 7年前 - 】


    「ありがとうございます…」

    木に変化しかけていた手はいつのまにか人間の手に戻っていた。
    礼を言い、葉泉はフラリと立ち上がる。手探りで前を歩き出した葉泉を紅希は追いかける。手を取り、「どこに行く」と書いた。

    「少しでも、澄んだ霊脈が流れる山を探そうと思っています。私は葡萄の木の妖精なんです。今は助けていただきましたが、次に同じように弱ってしまったらきっと私は木に戻ります。でも、霊力が高い山へ根付けば、いつかまた人間に戻れる日が来るかもしれないのです…助けて頂き、ありがとうございました」

    師である事はわかっている。けれど明かせないのだ。
    気づかぬフリをし、その場を立ち去るに限る。塗ってもらった薬のおかげで幾分か痛みは引いている。

    背中に響かないよう少しずつしか前に進めないが、先ほどのように一歩も前に歩けなかった時よりはずいぶんとマシだ。

    とつぜん、手を引かれた。

    「あっ!」
    「‥‥ッ!」

    痛みで声が出てしまった。相手も驚いた様子だ。

    「驚かせてすみません、少し、背中に痛みが…」
    『すまない』
    手に触れるその指は先ほどよりも優しく、少しくすぐったく感じた。

    「いえ、どう、されましたか?」
    『剣に乗れ、お前の生まれ故郷に連れて行ってやる。どこだ?』

    「生まれ故郷‥‥あ、そうだ‥‥」

    そうだ、自分には生まれた場所があった。葡萄の木として過ごした故郷が。
    何百年もの年月があそこに居たはずなのに、すっかり忘れていた。
    「保山地帯が‥‥私の故郷です。葡萄の産地の」
    『わかった』と手に書いた後、腰を支えられる。赤ちゃんをだっこするように抱えられ、ふわりと浮いた。

    「ひ、ひえ‥‥!」

    背中に響かないように抱えているのは理解していたが、あまりの恰好に葉泉は恥ずかしさを感じた。

    目がかすむが、至近距離ならなんとなく相手の顔がわかる。目をぎゅっと閉じた。

    「あの…、ありがとうございます。飛べるという事は、道士の方という事ですよね」

    師は今、目の見えない相手を運んでいると思っている。あくまでも知らぬフリを通さなければならないのだ。本当は遠慮すべきなのだが、あの霊脈の通りが少ない森で葡萄の木に戻ってしまえば、二度と師と会えなくなる。そんな結末を迎えるくらいなら、図々しい事この上なくても、人間に戻れる可能性がある場所で木に戻りたいと思った。



    葉泉が落ちないように両手で体を支えている。『そうだ』と返事を使用にも、両手が塞がっていて何もできない。紅希は沈黙を通した。

    「あ、すみません」

    途中で気づいた葉泉は話すのをやめ、ドキドキと高鳴る鼓動がばれないようにと祈るばかりだった。

    疲れていたのか、いつのまにか眠っていたようだ。目を覚ましたら、木造でできた家の中にいた。自分の体に敷かれている布の素材が気持ちよい。一体どんな素材だろうと掴んだり撫でたりしてみる。何度か同じ事をして、やっと気づいた。ぼやけて色しかわからなかった。この紅の衣服は、師のものだ!

    「アッ、こここ・・・・ッこの衣服って‥‥‥!」

    両手に鍋を持ってやってきた紅希が眉を寄せた。

    「目が、見えるのか?」
    「色だけわかります。これ、あなたが着ていた服ではありませんか?!」
    「そうだ」

    葉泉は急いで服を感覚でたたみ、両手でソレを差し出した。

    「ありがとうございました…すみません…」
    「気にするな。桃と粥を用意した。自分で食えるか?」


    その後半年かけて背中の看病にあたってくれたのである。目はすっかり回復したが、少しでも傍にいてほしくて、見えないフリを続けていた。
    背中の傷に薬を塗る必要が無くなってきた頃、事件は起きる。

    看病を長く続けてもらい、大切にしてもらってきた。師を好きだと思う気持ちが高ぶっていたのだ。そろそろ仙界へ帰ると昨日言っていた。言うなら今しかないと葉泉は思った。

    「あなたの朝食を、毎日作らせてください」

    葡萄の木だった頃の記憶がまばらにある。葉泉が葡萄の木として過ごしていた時代、近くには結婚の義を執り行う大きな建物があった。
    そして、妻が必ず夫に言う言葉がある。それは、相手の朝食を毎日作らせてほしいというものだ。木だった頃、何人もの女性がこの言葉を男性に伝えていたのを覚えていた。

    少し考えてから断られるか、もしかしたらOKをもらえるか…そのどちらかだと葉泉は思っていたら、答えは悲惨なものだった。即答で「いや、結構だ」と言われてしまったのである。


    ****

    いらない事まで思い出してしまい、泣きそうになった葉泉であった。

    一方、料理を作りながら紅希は胸がうるさい理由がわからず頭を悩ませていた。弟子二人は仙界へと連れて行く方針で話を進める。たったそれだけの事なのに、なぜ葉泉と顔を合わせる度にバクンと信じられないほど鼓動が大きくなるのか、理解できない。

    思えばこの胸の患いには以前から悩まされていた。今に始まった事ではなかったのだと紅希は思い出す。
    自分の留守中に弟子が禁を犯し、罰を受け追放されたと聞いた。傷薬だけを持って人間界へ急いだ。会ってはならないという規則があるのは知っていたが、どうにか人づてにこの薬だけでも渡してやりたいと思ったのだ。

    久しぶりに見た弟子の姿は散々だった。背中は血まみれで、目が見えないのか、手探りで森の中を彷徨っていた。会う事は規則違反になるが早く処置をしてやらねばならない。誰か人を呼んでくるべきかと悩んでいた。

    そこで、一つの案が浮かんだ。目が見えないのなら、自分だと明かさなければいいのだ。誰にもばれなければ、それは破った事にはならない。その答えが出てすぐ、紅希は葉泉の目の前に降り立ったのだった。

    その後、長から聞いた通り体は普通の人間と同じくらいか、それ以下の治癒力になっているようだった。仙人であれば薬を少し塗ってやれば、ものの数分で傷は癒える。
    それなのに、葉泉の背は血すら止まらない有様だった。

    葉泉に罰を与えたやつが憎らしかった。
    本当は傷薬を塗ってすぐ、仙界へ戻るつもりだったが、放っておけば葡萄の木に戻ってしまいそうだったのだ。手放すわけにはいかなかった。
    その日から毎日共に寝て、料理を作ってやった。その時間がもしかしたらこの世で最も幸せな時間だったかもしれないと今更ながらに思う。

    葉泉と会う事は規則違反である事は今も変わりないが、仙界は常に人手不足だ。将来に大きな期待が出来る子どもがいるのに、それを見過ごすわけにはいかない。
    決して、自分が葉泉と会いたかったからではない――――。料理を作りながらそのような自問自答を紅希は続けていた。

    あっという間に青菜炒めは完成した。

    「葉泉、皿を」
    「はい!」

    青菜炒めの他、芋の汁や辛みの無い麻婆豆腐、小籠包が次々と出来上がっていく。
    卓に全てならべて、葉泉は拍手した。

    「素晴らしいです。さすがです」
    「――弟子二人の件だが」

    箸を持ち、いざ食べようとしていた葉泉は背筋を正し、箸をおいた。

    「俺が責任を持って明日仙界へとつれていく」
    「ありがとうございます‥‥!」


    ****

    食事を済ませた頃に弟子達は帰ってきた。

    「帰ってきましたね、二人とも。朗報です。明日、あなた達は仙界へ行ける事となりましたよ!」

    予想通り手放しで喜ぶ弟子達の撫で、葉泉は紅希を見上げる。紅希は小さく口角を上げ、笑っていた。

    (ん?あの人の深紅の衣の素材‥‥)

    夏音は目が知っていた。先生はよく空を見上げ、懐から深紅の布を取り出してソレを大切そうに撫でている事がある。まれに、「師匠‥‥」と呟き、涙を流している時も。

    (あの布‥‥先生の師匠のモノだったのか!)

    大切な人からもらったものだと先生は夏音話してくれた事があったのだ。

    さらに夏音は二人を観察した。
    葉泉は紅希と顔を合わせる度に恥ずかしそうに下を向く。そして紅希は常に葉泉を見ていた。目的は弟子二人を仙界へ連れて行く事なのだから、見るべきは葉泉ではなく子ども二人の方であるべきだ。
    この様子に、夏音は違和感を感じていた。


    親睦を深めるため、四人で茶を飲む事になる。

    「きちんと挨拶をしていなかったですね。こちら、仙界の統治者の一人、紅希殿です」
    「君たちが仙界に来る事になれば、俺が師となる」

    子どもたちは頭をさげ、よろしくお願いします!!と元気に挨拶した。
    「俺は夏音です」
    「僕は翡翠です」

    簡単な自己紹介と雑談を終え、葉泉は本題に入る。

    「それで、明日の事ですが」
    ゴクリと夏音と翡翠は喉を鳴らす。仙人への第一歩を進むのだと実感がわいてきたのだ。

    「修行を始められるかどうかまだわかりません」

    ガクリと二人は肩を落とした。

    「えー!先生、どういう事??」

    夏音が少し半泣きになっていた。もう自分達は仙界で修業できるものだと思っていたのだ。

    「二人は試験を通っています、そして、合格しました」
    「僕、受けてないです…」
    「さきほどの妖獣の件で、師匠があなたを合格としました」
    「えっ そうなんですか?ヤッター!」

    「ただ…本当に、本当に申し訳ないのですが…あなた方は私の弟子という事なので、仙人議会において協議される事となります」
    「何を会議されるんですか?俺、修行させてもらえるなら真面目に取り組むつもりです」
    「わかっていますよ。きっと、大丈夫です。ね、師匠」

    紅希は小さくうなずいた。

    (この人‥‥ずっと先生の事見てる‥‥)

    夏音は察しの良い青年だった。いちはやく葉泉と紅希が実は両思いだったのだと気づいたのである。

    (これを利用しない手は無い)

    目の前にいる男は仙界で高い権限を持っている様子だ。紅希を手ごまにできれば、自分達が仙界で修業できる確率が上がると算段する。
    夏音はずる賢い少年だった。

    「先生!お風呂、作りましょう!」
    「そうですね」

    夏の間は泉に入り、身を清める事ができていたが、寒くなると泉の水では冷たすぎるのだ。
    元来葉泉は潔癖なところがあり、毎日泉に入らないと気が済まないたちである。
    そこで葉泉が作り出したのが火に耐えられる鉄風呂と、木製の樽だ。

    術で水を出し、そして火を起こす。大きな鉄の入れ物に溜まった湯を樽に溜めた水に足していくのである。

    この術は葉泉だけでなく弟子二人も自在に使えるものだった。なんの苦も無く術で水を出し始めた翡翠、そしていとも簡単に符を火に変えて薪ごと鉄風呂の下に放り投げる夏音。まだ11歳と12歳という若さで、ここまで出来る事に紅希は静かに驚いていた。

    そして紅希の驚きは続く。

    「先生!お風呂の用意ができました!」
    「ありがとうございます。では、師匠もどうぞ」

    三人は外へ出て、慣れた様子でポイポイと服を投げ捨てる。

    突然裸になった葉泉に、紅希もさすがに声を出して驚く。

    「よ、葉泉、何をしている」
    「何って…お風呂に入るのです。とても大きい樽ですから、全員で入れますよ。ちょっと窮屈かもしれませんが。師匠も脱いでください。気持ちいいですよ」

    ごく、と紅希は喉を鳴らした。仙人となってから300年の月日が経っている。長らく人間としての欲求は忘れていた。胸が煩い。

    「師匠?入らないのですか?」
    「‥‥・入る」




    ****

    楽しい時間はあっと言うま間だった。

    わが子のように育ててきた弟子は二人とも紅希と共に仙界へと向かった。この家にいるのはただ一人、葉泉だけである。

    窓から紅葉が入ってきた。

    「今日は、翡翠の番でしたね」

    翡翠が愛用していた机を見て、ポツンと小さく呟き、微笑んだ。まだ彼が字がうまくかけない頃、彼はこの机で正座をし、先生、先生と何度も葉泉を呼んでは書き順を確かめていた。

    カラスが鳴いている。もう夕刻なのだ。そろそろ夕飯の支度をしなければならない。昔と違って、今は食事をしなければ体が弱っていってしまうのだ。

    「野菜炒めをつくろうかな」

    そうしてできたのが、真っ黒な野菜炒めだったものだ。

    「まぁ、味が大丈夫なら‥‥むぐ」

    口に含んですぐに吐き出したくなった。
    誰が食べても「マズイ」の一言が出るだろう。一口で卒倒しそうな味だった。
    料理は弟子二人に任せていて、自分で作るのは久々だったのだ。

    「果物を取りに行こう」

    弟子達が幼かった頃はいつも山から果物を取ったり、寺院から食事をわけてもらっていた。食事には困らないだろうと予想していた。しかし予想に反して、昔ほど果物は実っておらず、そして寺院にはすでに孤児が多くいて、大人の自分が食事を分けてほしいと願えるような空気ではなかった。

    もともと食にこだわりはなく、空腹感もあまり感じない体質だ。二日に一度食べればいいかと思い、料理をサボっていた。そして、作る料理もさほど難しいものではなく、山菜を茹でたものを塩にかけ、食べるという生活をしていたのである。

    弟子はさほど料理が得意というわけではないが、健康に気を付け、いろいろな食材を使用したものを出してくれていた。当時とはまったく違った簡単な料理に切り替わったせいで、体は簡単に不調をきたしてしまった。

    ケホケホと咳込む。

    やってしまったと葉泉は後悔をした。立ち上がれないほど体が重く、声もうまく発せない。

    「お医者様に‥‥ゲホッ‥‥」

    己の体は葡萄の木ではあるが、人間の体でもある。医者でも何か処方できる事があるかと思えた。しかし歩く事はおろか、這いずって医者へ向かう事もできない。

    せめて汗で湿ってしまった衣服を着替えたいと思った。ゆっくりと体を起こし、服を脱いでいく。ぶるりと体が震えた。すっかり季節は秋だ。早く新しい服を身につけなければ風邪が悪化してしまう。ハッとした。まだ新しい服は棚の中だ。
    頭がぼうっとする。

    服を脱いだまま、ぽすんと寝台に横になった。

    それからどれくらいたったかわからない頃、誰かに名前を呼ばれたような気がした。

    「葉泉‥‥葉泉‥‥」

    「師、匠‥‥?」

    想い瞼を開けた。そこには大好きな人が立っていた。なんていい夢なんだろうと葉泉は微笑んだ。



    ****



    「師匠!も、もう休憩しませんか‥‥?!」

    夏音の額からボタボタと汗が滝のように流れ出ている。

    紅希からの返事は無い。ただ静かに腕を組み、弟子3人の様子を見守っている。
    夏音は一度ガクリと肩を落とし、再度剣を構えた。昼食まであと一時間。という事は、最低でもあと1万回は剣の素振りをしなければならない。

    「ひぇぇん‥‥腕痛くなってきたよ~」

    近くで一緒に剣を振っていた冬蘭は翡翠の泣き言にため息を吐いた。片手で剣を振りながら、もう片方の手で袖に入れていたチリ紙を取り出す。ソレをさっきから泣きながら剣を振っている翡翠に渡した。

    「鼻をふきなさい」
    「ありがとう、冬蘭師兄‥‥」

    翡翠は一度剣を置いた。

    「鼻水が剣につきそうだったから」

    翡翠がブーンと鼻をかむ。それを横目で見ていた夏音はどうすれば今すぐ休憩ができるのか、悪知恵を働かせた。

    「先生、どうしてるかな?」

    教えてもらった手順通り剣を振りながら、まるで独り言のように夏音は言った。ピクリと紅希の耳が動く。

    (やっぱり、葉泉先生の事が気になるんだ)

    何をつぶやいても、修錬中はほとんど無視をされる。
    しかし間違いなく今、紅希は反応した。怒られてもいい。今すぐ休憩がしたかった。

    「葉泉先生、俺たちが寺院に泊まり込んでたらいつも料理作るのサボるせいで風邪ひいちゃうんだよな~」
    「どういう事だ?」

    (よっし!かかった!)

    まるで釣りがうまくいった時のような感覚だった。夏音はそのままなんでもない様子を繕いながら話し続ける。剣を振る腕を止めて自然に座り込む。頭の中ではフィ~、天国~と疲れた体を休められた事に両手を上げて喜んでいた。

    「え?あ。話してませんでしたっけ俺たち、定期的に寺院で教養を学ばさせられるんですよ。泊まり込みで。寺院に行く前に、先生のごはん用意してから出るんですけど‥‥俺たち貧乏だったんで作り置きが用意できなかった時もあったんです」

    なるほど葉泉先生の話なら座って喋っていいのかと理解した翡翠もすかさず会話に参戦する。

    「そうそう。先生、強いのにすぐに風邪引いちゃう人なんです。あ、師匠の方がご存じですよね?」
    「‥‥知らなかった」

    本当に知らなかったのだ。確かに葉泉が追放された半年、放っておけばすぐに風邪を引いてしまう状態だった。しかしそれは体の内を回る霊力が急激に減ったのと、背中に受けた傷のせいだと思っていた。その後も風邪を引きやすい状態が続いているとは予想もしなかったのである。無表情を徹していたが、心底驚いていた。

    「先生、大丈夫かなぁ‥‥」

    わざとらしくならないよう、夏音は独り言をつぶやく。

    「午後は自由時間とする。各自、己の弱い部分を補強する修練に励むように。明日から数日は冬蘭から気の流れを操り、剣に霊力を込めて攻撃をする方法をびなさい。私は数日で戻る。冬蘭、頼むぞ」

    冬蘭は「ハイ」と答え、頷いた。
    よっしゃ!と夏音は喜ぶ。時刻は昼前。まだ人間界の門は開いているのだ。

    「わかりました。では、本日は術の練習に励みたいと思います」

    夏音は立ち上がり、背筋を伸ばして言う。翡翠も続いて、僕もそうします。と背筋を正した。

    冬蘭はなんとなく夏音の狙いに気づいていて、ハァ、と本日二回目のため息を吐いたのだった。


    ****



    「葉泉、葉泉」
    「師、匠‥‥?」

    目を開けると、そこには少年がいた。

    「あ…、あなたは‥‥?」
    「紅と呼べ。紅希の親戚だ」
    「師匠の?」

    コクリと少年は首を縦に振る。

    門派を追放された者との接触について、よほどの事が無い限り禁止されていた。
    前回は将来が有望な生徒がいるという理由から仙界から人間界へ降りてきたが、今回は完全に個人的な事情で葉泉に会いに来たのだ。紅希はこの問題を解決すべく、信頼できる知人を頼った。丹薬づくりの専門とする、華佗(カダ)老師だ。
    病で臥せっているかもしれない弟子を見に行きたいが、追放された身で気軽に会いに行けない事を相談した。すると、華佗老師は一粒の丹薬を作ってくれたのだ。飲むと、数か月間は16歳の姿に変化できるというものだ。

    紅希は迷わずそれを飲み込んだのだった。
    これを知るのは己と華佗老師だけでいいと紅希は考えていた。ゆえに葉泉には己が紅希の親戚だと嘘をつく事にしたのである。

    紅希が睨んだ通り、葉泉は弱っていた。足の先が木の根になり始めていて、葉泉も紅も慌てふためいた。

    「お前の弟子二人から、面倒を見るように頼まれたんだ。どうして足が変化してしまう状態になっていたんだ。自分の体くらい、自分できちんと管理しろ!」
    「おっしゃる通りです‥‥」

    しゅんと小さくなって葉泉は反省した。
    紅が急いで町まで降りて食材を買い集め、ささっと葉泉の好きそうな味付けの料理をいくつか作ってやったのだ。食欲はあったようで、ぱくぱくと残さず全て食べた。
    すると、足の形が通常の人間のものに戻ったのだ。

    「なぜここまで弱ったんだ?料理が出来ないのなら、町で適当に出来た惣菜を食べればいいだろう」

    寝台の上で座る事もできないほど弱っていたのだ。あと数刻遅れていたら、葉泉は葡萄の木になっていたかもしれない。そうなれば、数百年もの間、人間の姿の葉泉と会う事もできないのだ。そう考えると紅は胸が落ち着かなくなった。

    「はは‥‥実は私、貧乏なもので。あまり食事をしないとこうなってしまうんです」
    「でも、仙界に来たあの二人は毎日腹いっぱいになるまでご飯を食べていたと言っていたぞ」
    「あの子たちは料理が上手ですからね。お金が無くてもなんとか自分達で美味しいものを作れてしまうんですよ。昔は私も自分で料理を作って自炊していたのですが、あの子たちの料理に舌がなじんでしまって。美味しいものしか受け付けなくなってしまいました」
    「マヌケだな。お前」
    「ええ、本当に。私もそう思います」

    それからしばらく、紅と葉泉は同じ屋根の下で眠る事になった。

    時折、赤い布を触り、涙してる葉泉を見つけた。
    ある時、葉泉は夜の月を見上げ、ぼんやりと石の上に座っていた。
    話しかけようとしたら、「また、会いたいです‥‥」と涙を流していたのだ。

    その布には見覚えがあった。紅希が以前持っていた布だ。

    紅希は胸が締め付けられる思いがした。打ち明けようかとよぎったが、追放者との接触は本来禁止されていた事を思い出す。ただ紅希はその姿を見ている事しかできなかった。

    翌朝、紅希は帰る事を決める。弟子が3人もいる。ここに来てすでに10日は経過していた。そろそろ弟子の様子を見なければならない。

    「しっかり飯を食べるように」
    「はい。ありがとうございました。どうか、お元気で」

    それから仙界へ戻ったものの、紅希の常に葉泉の様子が気になって仕方無かった。

    そんな時、人間界に魔界とつながる扉となる境界線が出来てしまったと知らせがあり、紅希は亀裂の修復のため人間界へとまた行く事になる。亀裂の修復が出来る者は少ない。この境界線を修復できれば誰からも認められる存在になれる。それを聞いた夏音は自分も修復の作業を手伝いたいと言い出した。翡翠もならって手を上げる。

    無事境界線を閉じる事に成功した3人は市場へ向かう。ここは葉泉が住まう村から一番近い市場だ。少し紅希はソワソワとした。



    ****

    「あ…!師…ッ師匠!」

    しっかり食事を取るようにと紅に注意され、葉泉は料理に励んだ。どうやっても不味いものしか作れないため、あきらめて惣菜を買う事にした。しかしどの惣菜も葉泉にとっては高く感じられ、占いをして金銭を稼ぐ事にしたのである。

    市場で客を待っていたら、かつての師を見つけた。葉泉は驚く。
    そして紅希も葉泉に気づく。占い、という旗に一度視線をやる。

    「占いをやっているのか」
    「はい‥‥」

    葉泉は緊張で顔を赤くして目線を下にする。
    ドキドキと鼓動がうるさく、体がこわばる。

    葉泉が己を好いている事には気づいていた。薬で10代の体に一時的に変化した時に。
    緊張は紅希にも伝わる。






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