NUJV スマートフォンに吹き込まれた声は、そのままではなく、似た音声に置き換えられて電波に乗ってくるらしい。耳元に響くこの声は持ち主のものそのままじゃない、感情も……そう思おうとしたところで、キンキンと響く金切り声は俺の鼓膜にそのまま響く。二万ヘルツにも近いんじゃないか。頭が痛くなってくる。
『約束を破るつもり!? こっちは一ヶ月近く待たされてんのよ!』
「ごめんって。俺も色々忙しいんだから……」
『一ヶ月前の約束より大事な用事って一体何なの!?』
教えなさいよ、と迫る声が、俺の良心を切りつける。彼女の言うことはごもっともなのだ。このところ疎かになっていたクラブのイベントへの出演を求められ、じゃあ月末に、と適当な返しをしたのがおよそ一ヶ月前のこと。丁度ハロウィーンの準備をしていた時期で、とてもそれどころじゃなかったのである。流石に十一月末にもなれば都合はつくだろうと、それは事実だったのだけれど、多忙に紛れて口走った日程は忘却の彼方。当日の夕方になって怒りの連絡を頂戴し、すっかり丸腰で途方に暮れている。
どうしたもんかな、と腰に手を当てた。雑音を垂れ流すスマートフォン。きっともうクラブには客が入り始めているんだろう。物理的に赴くことは不可能ではないけれど、準備の疎かな取り繕ったプレイをすれば、自分が一層不快な気分になることは目に見えている。かといってでっち上げの用事を作り上げても、ファンの情報網とは恐ろしいもので、嘘がばれればただでは済まされないことが予想できた。本当にどうしたものか。
と、談話室の向こう側、観葉植物の隙間から、ぴょこぴょこと跳ねるオレンジ色の頭が覗いているのに気がついた。パトロールから戻ってきたところだろうか、グレイと話をしながら歩いていく。このままではエレベーターホールの方に行ってしまうだろうから、癪ではあるがこの状況、もう便利屋に縋るよりほかはない。
スマートフォン耳から離し、両腕を大きく広げた。ゴーグルの面がこちらを向いて反射する。手旗信号 “N” “U” “J” “V”……即ち “HELP”! ビリーはすぐさまサムズアップで応えた。お助け可能な情報屋を名乗るなら、このくらいは解けてくれなきゃ困ってしまう。
グレイの背をポンと押して向かってくるビリーを、電話の向こうに生返事をしながら眺めていると、大分手前で耳元に指さされた。小首を傾げているから、頷いてやる。両手の人差し指を上下に向けて、下の指を右回りにぐるりと一周させた。極めつけのウインク。ビリーが口角を上げる。
「フェイスさん!」
足音を立てながら近づいてきたと思えば、急に腹から声を出す。スマートフォンを少し離した。
「何、オスカー」
「そろそろ支度をしないと、パーティーに遅れますよ。ご両親もブラッドさまも、もうお待ちです」
「はいはい、分かってるってば……」
笑いそうになるのを何とか堪える。ビリーの表情筋も震えている。肉声はあまり似ているとは言えないけれど、少し離れたマイクなら、似た音声を電波に乗せて届けてくれるはずだ。電話やラジオを介して聴けば、充分オスカーに聞こえただろう。
「ね、そんなわけで、家の都合ってヤツ……じゃあね、本当にゴメン」
通話を切って、息を吐く。肺から空気が抜けると、横隔膜が痙攣して、笑い声が勝手に溢れ出た。
「アッハハ、助かったよ、オスカー」
「ンフフ、俺っちにかかればこのくらいは朝飯前! どう、大正解だったでしょ?」
「はいはいっと……で、今のはいくら?」
「DJは話が早いナ〜!…… じゃ、俺っちのおかげで手に入れた自由、俺に頂戴?」
ええ、と文句を言おうとしたところで思い留まる。どうせ外にも出られないし、面倒事を避けてはみたけれど、結局暇を持て余すだけの空き時間だ。
「ノンバーバル・コミュニケーションはベスティにだけの専売特許……なら、DJにしか無いもので支払ってもらうしか無い、よネ?」
言いながら見せてくる卑猥なハンドサインに、言葉は無くとも真意を推し量ることができてしまう。経てきた月日の長さをひしひしと感じながら、俺は一発友人の頭を殴りつけた。
Fin. 2021/11/29