いつかの君へ 嫌いなヤツがいる。オレん家にいる辛気臭ぇ野郎のことだ。
同情はしてるつもりだ。オレだって、おじさんとおばさん、シオン姉ちゃんがいなくなっちまったことはメチャクチャ悲しいし、それがオレの父ちゃん、母ちゃんだったらと思うとぞっとする。その状況にあるあいつの、レンのことは、かわいそうだしどうにかしてやりたいって、思ってるつもりだ。
けど、あいつはいつまでも暗い顔で、それは仕方ねぇんだけどさ、オレや父ちゃんや母ちゃんやウィルがあいつのためにしてやってることを、その顔のまんまで突っぱねる。こっちが手を差し伸べてやってんのに、はたき落として、そんで自分がこの世で一番不幸な存在だって顔してる。ふざけてんじゃねえぞ、オレはともかく、ウィルの悲しそうな顔が見えねぇのか。お前は確かに不幸に遭ったけど、いま、お前の行動が目の前の、生きてる人間を悲しい気持ちにさせてるって、お前は気付かねえのかよ。
「悪い想像をすれば、有難迷惑ってところかな」
ウィルは、らしくなくストローを齧って言った。そう思ったけれど、そのストローに噛み跡をつけたのはウィルじゃなくてオレだった。今日はオレの誕生日で、庭でバーベキューパーティをしていたのに、レンの野郎は家どころか部屋からも出て来やしなかった。オレたちは、レンのコップに注がれた、腑抜けた炭酸水を分け合って飲んでいた。氷が溶けて薄まり、炭酸も抜けている。けど、普通の水とも味が違う。一度ガスが入ると、もう元の水には戻れないんだろうか。
「アキラだって、ここにもう一枚ステーキが来たら、気持ちは嬉しいけどいらないってなるだろ?」
「いーや、オレは喜んで食べるね。何百枚でも来い!」
「……俺が作ったケーキだったら?」
「それは腹の具合に関係なくいらねえ」
ウィルが拗ねたような溜息を吐く。これも、ウィルの親切をはね退けていることには変わりないだろうが、これには理由があんだ。ウィルのケーキは俺には甘すぎる。気持ちは嬉しいけどいらねえ、そう、気持ちは嬉しいけどってことだ。嬉しくもないのかよ。嬉しくもないのかもしれない。だから、有難迷惑って言えるのか。
パラソルの陰から二階の窓を見上げる。レンの部屋にはカーテンが引かれている。寝てるんだろうか。いや、パーティを断りやがったんだ、あいつ。寝ててくれた方がまだましだ、参加したくもないってはっきりした意志を、今日この日にオレに寄越しやがるあいつ。嫌いだ。あんなヤツ、嫌いで嫌いで、大っ嫌いだ。
「おーい、アキラー!」
通りの方から声がする。前庭越しに、クラスメイトの数人の姿があった。
「誕生日おめでとう! 休みの日だけどわざわざ来てやったぜ」
「おお、サンキュな! いい友達を持ったなぁ、オレ」
手招きをしてバーベキューに迎え入れる。レンが来ないせいで、食べ物はどれも微妙に余っていた。母ちゃんが歓迎して串を新しく用意してくれるのに礼を言って、そいつらはオレにプレゼントまでくれた。ふざけたホットドッグの形のペンケースで、オレは喜んだ。ケチャップを模した赤いファスナーが開けづらくて、オレたちは笑い合う。いいヤツらだ。きちんといただきますを言って肉と野菜とソーセージの串を受け取る。しいたけは無ぇのな、うるせぇ、オレのことをよく知っている。
「あれ、そういやレンはいねぇのかよ」
熱いカボチャを口の中で転がしながら、一人が言った。オレは顔をしかめた。
「いねぇ。アイツ、オレを祝う気なんかさらさら無いらしいから」
「ハァ? なんだそれ、ふざけてんのかよ」
ウィルが目だけでこちらを見た。俺は黙って手の中のペンケースを握る。
「家にいるってことか? 嫌味なヤツだな」
「こんな美味いモン用意してくれてんのに。俺らが食ってやるからいいけどよ」
「自分が辛いのは知らねぇけど、それで場の雰囲気壊してるってわかんねぇのかな。アイツ、学校でもほんと困るよね」
シリコンのホットドッグに爪が食い込む。大人は見て見ぬふりをしている。ウィルが我慢ならないとこちらに来ようとする寸前で、オレは声を出した。
「……いいんだよ。放っとけって」
ヤツらは黙った。胸の奥が痛い。いいんだよ。放っとけって。お前らに口出す権利がどこにあるんだよ。何にも知らないただのクラスメイトのくせに。オレにすら、こんなに近くにいるオレにすら、アイツに言葉を届けてやることができないってのに。
「レンの悪口を言うヤツはオレが許さねえ」
「アキラ……」
「ふん、この鳳アキラさまの誕生日に、つまんねーこと言うとか許さねえからな!」
そんなことを、不意に思い出した。オスカーの焼いた肉を口に放り込んだ瞬間だ。誕生日に何をしたいかと訊かれて、テラスでバーベキューをしたいと答えたときにはすっかり忘れ去っていたというのに、突然記憶がよみがえった。レンが家に来て、その次の夏のことだ。
「なあ、ブラッド」
「何だ」
珍しく空の明るいうちから参加しているブラッドに、俺は話しかけた。この後また仕事に戻るらしいが、オレの誕生日なんだから、もう終わりってことにして酒でも飲みゃいいのに、と思う。
「お前さ、知らねぇヤツがフェイスの悪口言ってたら、ムカつかねぇ?」
オスカーがバッとこちらを向く気配がした。向き合っているブラッドは、何を言っているかわからないというような顔をしている。
「……何の話だ」
「いやさ、自分が嫌いなヤツでも、他の人が悪く言ってるの聞くと違うなーっていうか、そいつを悪く言えるのはオレだけだ! みたいな気持ちになるだろ。お前も」
「おい、アキラ。ブラッドさまとフェイスさんになんてことを……」
オスカーがノシノシと歩いてくる。ウィルがなんとも言えない顔つきで仲裁する。ウィルは憶えているだろうか、あの日のことを。憶えていたにしても、いまオレがその日のことを考えてるとは思わねぇか。
ブラッドは普段の仏頂面を保っているけれど、どことなく苦虫を嚙み潰したような顔をしているようにも見える。ずばり当たったってことだろうか。コイツなら分かるんじゃねぇかなと不意に思って、話してみたんだけど。オスカーの巨躯が影を作る。やべぇ、この存在を忘れていた。ウィルの目も尖って、しまったぜ、オレの誕生日だってのに、オレが怒られそうなこの空気。
そのとき、部屋の方からドアの開く音がした。一番近くに立っていたウィルが、窓を開いて中を覗き込んだ。
「あっ、レン! アキラ、レンが来たよ!」
そう、パッと顔を輝かせて、オレを呼んだ。ラッキー、と、オレは立ち上がって、オスカーの陰を抜けた。
窓とウィルとの隙間に入り込んで、レンを向いた。レンは相変わらずの辛気臭い顔で、暗い部屋の中に立っていた。オレは窓を大きく開いて、レンに言った。
「遅ぇよ、レン!早く来い!」
いつかの君へ 完
2025.7.1