君のための誕生日 Repriseジョンは困惑していた。
目の前にある、緑色のインクで印刷された書面。
テレビの中などでよく見るが、現物を見るのは初めてだったし、できればこの状況で見たいものではなかった。
「ど、どうかな?」
ロナルドが、照れ照れとした顔でジョンの様子を伺う。
「ヌヌ(却下)」
書面……婚姻届(夫の欄はすでに記入済み)をびりぃ!っと容赦なく破り捨てて、ジョンは却下した。
がーん、とショックを受けるロナルドを前に、ジョンは深いため息をついた。背後で、キンデメや死のゲームも「これはだめだ」と呟いている。メビヤツだけが、大好きなロナルドをどうフォローしようか焦っていた。
もちろん、これはロナルドがジョンに結婚しようと頼み込んでいるわけではない。
明後日に控えた、ドラルクの誕生日。
その誕生日プレゼントにどうだろう、とロナルドが出してきたものなのだ。
恋人がいたことがなく、贈り物に関するセンスが全くないロナルドは、ドラルクに渡す誕生日プレゼントに悩みまくり、結局恥を忍んでジョンたちに相談をした。
事前に相談してくれて助かった、とジョンやキンデメは思っている。なにしろ、ロナルドが上げてきた誕生日プレゼント候補は、難ありすぎたのだ。
さすが、トマトピューレを買ってきた男。まさか初手で婚姻届を出してくるとは思わなかった。
まぁ、恋人の誕生日に合わせせて婚姻届を提出しに行く、なんてことはよくある話だろう。結婚を視野にいれた恋人同士であれば。
そう、せめて「恋人同士」であれば、今は提出しなくても、いつかは出そうね♡なんてイチャイチャのスパイスになること請け合いである。
しかし。だがしかし。ロナルドとドラルクは、残念ながらまだ付き合っていないのだ。
「流石にステップが早すぎる。ブレーキの代わりにアクセルしかついてないのか、お前は」
キンデメの言葉に、ロナルドがえーんと慌てる。
「やっぱり重いかなぁ!? メビヤツもそう思う?!」
「ビッ!?……ビ……?ビビ……!!」
フォローに慌てるメビヤツに、キンデメが「困らせるな」と突っ込む。
それを横目に、死のゲームが言葉を選ぶように悩みながらロナルドへ語りかける。
「重いっていうか……ロナルドさんが師匠を好きなのはわかってますし、多分師匠もロナルドさんのこと憎からず思ってると思いますけどね。流石にまだ付き合ってすらいないのに誕生日に婚姻届を渡すのはちょっと」
「け、結婚を前提にお付き合いって意味で……」
「それにしたって婚姻届渡すのは早すぎるし怖いわ」
キンデメの言葉に、ぴえっと涙を流すロナルド。
「うう、俺は満足にプレゼントも選べない、野菜室に入れっぱなしで忘られた萎びたにんじん…」
落ち込み始めたロナルドにそれまで沈黙を保っていたジョンが声をかける。
「ヌヌヌヌヌン」
「ジョン?」
ーロナルド君は、ドラルク様の誕生日、どんなお祝いしてあげたいの?
「しけたツラしてんな。どうしたよ」
「いや…ちょっと……」
事務所から場所を移し、ここは新横浜の吸血鬼退治人が集うギルドである。
ゲームレビューのためオータムに連行されていたドラルクが帰ってくるのと入れ違うようにしてロナルドは事務所を飛び出てきた。
「ドラルクは今日いねーの?」
「お、おう。クソゲーレビューの脱稿明けだから、今日は来ないぜ」
ロナルドの脳内を占める人物の名前をだされ、びくりと体を震わせるロナルド。
ふーん、と納得したショットを横目に、ロナルドは先ほどジョンに言われたことを考えていた。
どんなお祝いをしてあげたいのか、と問われた、その意味を。
(そうだ、俺。あいつのことが好きだって自覚してから、そればっかり考えてた。あいつが本当に欲しいものとか、考えてなかったな…)
ドラルクをそう言う意味で好きだと気づいたのは、つい最近…数ヶ月前の自分の誕生日だった。
去年の自分の誕生日に引き続き、ロナルドの好物ばかりを並べてくれた食卓に、ロナルドが大切だと思っている人を呼んで開いてくれたパーティ。ロナルドが欲しかったものを、ジョンと一緒に選んだんだよと、とても楽しそうに微笑みながら渡してくれた、その時に。
ああ、と納得したのだ。
昨年からずっと心の奥の柔らかいところにあり続ける、ドラルクという存在。心底厭いながら、心底愛おしいと思ってしまう、その理由。
(あー、俺、こいつのこと好きなんだなぁ)
すとん、と答えが胸に落ちてきたようだった。それに対して、本来なら生じそうな葛藤も疑問も、何もなかった。ただ、ドラルクが好きだなぁという気持ちがあるだけだった。
そして、その瞬間から、ロナルドの心はふわふわ浮き足立ってしまった。
ドラルクの師匠から、ドラルクは嫌いなことは死んでもやらないと聞いていた。それは、普段のドラルクを見ていればわかる。たくさん甘やかされて、自己肯定感が高く、そして享楽主義である彼は、自分が好きなことしかやらない。苦手や嫌いと思うことからは全力で逃げる。
そんなドラルクが、よく喧嘩してよく殺してくるロナルドのところに住み続け、食事などの身の回りの世話もしてくれているのだ。
もしかして、ドラルクも俺のこと、す、好きだったりするのかな、なんて。所詮、恋愛経験値ゼロルドの名前を恣にするロナルドは、浮き足立ったまま、だんだんと思考が飛躍してしまった。
暴走列車の如く妄想と現実と理想が突っ走った結果、最初はどうやって告白しようかと悩んでいたものが、ロマンチックな告白にしたいと言う考えから、誕生日に告白したらどうだろう、そういえば恋人の誕生日を記念日にする人って多いよな、ああそうだ…結婚記念日にしちゃえばいいのでは!と、飛躍してしまったのだ。
今から思えば、論理破綻もいいところだ。ロナ戦のプロットにこんな書き方したら、フクマさんにばっさりきられたことだろう。
恋に浮かれた頭って恐ろしい、とロナルドは思った。
事前にジョンたちに相談しておいてよかった。暴走して婚姻届渡して「付き合ってください」とか、末代までの語り草だ。ドラルクには一生揶揄われるだろう、いや、あまりの押しの強さにドン引きされて振られていたかもしれない。危なかった、と胸を撫で下ろすロナルド。
ジョンがいうことが正しい。28日はドラルクの誕生日で、決してロナルドの思いを成就さえる日ではないのだ。ドラルクの誕生日を純粋に祝ってあげる日にしなくてはならない。
だがそうなると。
「…あと3日しかねぇのに」
何を贈ればいいかわからない。どうしよう。
ぼそりとつぶやいたロナルドに、隣りにいたショットが片眉をあげる。
「なんだよ、まだドラルクの誕生日プレゼント決まってねーの」
「ミ!! な、なんで…あ、俺いま声にだしてた?!」
「おう。そんな悩むもんか?血液ボトルとか吸血鬼用のワインとかでいいんじゃねーの?」
「それは…前にも渡したことあるし……今回はちょっと、もうちょっとなんかイイ感じのを渡したいっていうか」
「お、なんだ。ついに腹括って告白すんのか?」
「ミー!!! なななん、なっなに?!なんで?」
ショットの言葉に、びっくりして数センチくらいとびあがってしまうロナルド。動揺でどもりながら尋ねれば、ショットとカウンター内にいたマスターが視線を交わす。
「いやお前……ここ最近、かなりバレバレだったぞ…?」
「ええ、前からバレバレでしたけど、ここ最近は顕著でしたからね」
「え、うそ、そんなに!?」
「おー。お前、今度ドラルクが他の奴らと絡んでるのみてるときの顔、鏡でみたほうがいいぞ」
人殺せそうな顔してるときあるし、とショットがいう。
「ま、まじ…?」
冷や汗をたらすロナルドに、マスターたちは頷く。
「というか、ロナルドさん。婚姻届はまだ早いと思いますよ」
「ぴゃぎゃあ!!なんでそれを!!!」
「ははは、ロナルドさんはご自身が有名人なことをもう少し自覚されたほうがいいですなぁ」
元々が目立つ容姿のうえ、有名な吸血鬼退治人にしてベストセラー作家だ。
そんなロナルドが役所に婚姻届をとりにいったら、噂にならないわけがない。
「お前…さすがにまだ付き合ってないのに婚姻届は重すぎるだろ。どうするつもりだったんだよそれ」
「た、誕生日プレゼントに……?」
「バカなの?」
忌憚ないショットの言葉に、ロナルドはうわーんと涙を流した。
「ああ、それでプレゼントをまだ悩んでたんですか」
「はい…というか、俺、俺がドラルクのこと好きだって気持ちでいっぱいになっちゃって、全くアイツの誕生日だってこと考えてなくて…どうしよう。こんなじゃおれ、付き合うとか以前に人として終わってる…」
うじうじと悩み始めるロナルド。どう答えていいかわからないショットが困ったようにマスターをみれば、彼はふむ、と顎に手を当てて少し悩んでから、じゃあもうドラルクさんに聞いてみたらどうです?といった。
「え…?」
「別に、サプライズにする必要はないでしょう?ドラルクさんに喜んで欲しいなら、彼が一番欲しいものをあげればいいわけで、その欲しいものがわからないなら、聞いてしまったほうが早いですよ」
「まぁ、それもそうだな。変なの贈って相手に嫌われるよりはいいかもな」
「き、嫌われ…!?」
血の気が引いた顔をするロナルドに、ショットが慌ててフォローする。
「だから、そうならないために聞くんだって!」
「そ、そうだよな……」
どこか納得しきってない顔をしつつも、ロナルドが頷く。ちょうどその時、からん、とドアベルがなり、パトロールにでていたハンターたちが帰ってきて、代わりにロナルドたちの出番になったことをしらせた。
「とりあえず、パトロールしながらどうしようか考えようぜ」
「おう!ありがとな、ショット!」
11月28日。
まぁ、分かってはいたことだったが、この日も騒がしい一日となった。
吸血鬼リンボーダンサープリテンダーがでたり、Y談おじさんとへんな動物の害悪コラボが再演されたりなどは序の口で、ドラルクの誕生日ということで張り切ったご真祖の来訪により、新横浜の夜は騒々しく過ぎていった。
最終的にはご真祖がいつの間にやら事務所をパーティ会場にセッティングしており、人間や吸血鬼がみんな入り乱れて楽しんだ。そう、楽しんだ。
……終わったのだ。28日が。騒々しいうちに。ドラルクの誕生日が終わってしまった。
新横メンバーの中では、ツッコミ役に回ることがおおいロナルドは、おポンチ吸血鬼や御真祖の無茶振りに振り回されているうちに、気づけば29日の朝焼けを迎えていた。
たくさんの人にお祝いされ、プレゼントをもらったドラルクは、疲れた顔をしつつも嬉しそうな顔をして、先ほど棺に入ってしまった。
ドラルクに「おめでとう」も何もいえないままのロナルドをおいて。
一日中突っ込みやら無茶振りに耐えてきた体と心が疲労に喘いでおり、11月下旬の寒気が骨身に染みるのだが、ロナルドは眠れずにぼんやりとドラルクの眠る棺桶を見つめていた。
結局、満足できるプレゼントは用意できなかった。だから誕生日の時に、おめでとうを伝えたあと、ドラルクが欲しいものを買いに行こう、と誘うつもりだった。
素直に、お前が喜ぶプレゼントを思い浮かばなくて、でもお前に喜んで欲しいから、一緒に買いに行きたい、と伝えるつもりだったのだ。事前にジョンにそう伝えた時、可愛い使い魔は、満足げに頷いてくれた。
そう、28日はドラルクのための日なのだから、彼が喜び、望むものを全て与えたかった。
そのあとに、できれば好きって伝えられたら、というのは淡い希望だったけれど。
はぁ、とため息をつく。
まぁ、誕生日当日じゃなくてもいいだろう。お祝いしたい気持ちが一番なのだから。
「……ロナルド君?」
かたり、と柩の内側から物音がして、小さな声が響いた。
ハッとして、ロナルドは棺桶の横に移動する。
「おう、どうした」
少し離れた籠でジョンが心地よい寝息を立てているので、ロナルドも小声で返す。
「まだ寝ないのかい?」
「ああ、もう少しで寝る…」
「そう。朝更ししないでね、早く寝るんだよ…あと今日は色々と付き合ってくれてありがとう」
楽しい誕生日になったよ。
柔らかい声で告げられた言葉に、ロナルドは息を呑んだ。
「なぁ……少しだけ、棺桶あけていい?」
「ん?いいよ。太陽光が入らなければね」
「ソファまだ倒してないから大丈夫」
ロナルドの言葉から少しして、ことん、と音を立てて棺が開いた。
隙間から、寝巻きに着替え、前髪もおろしたドラルクが覗いた。ひんやりとした朝の気配に、ふるりとドラルクの耳先が震える。
「さっむ…寒さで死ぬ前に用件を言ってくれたま、え……ん?」
「ドラルク」
ドラルクの頬に手を添える。ひんやりとした頬。高い頬骨をロナルドの親指でそっと撫でる。
「一日遅れちゃったけど、誕生日おめでとう」
「ロナルド君…」
「お前が喜ぶプレゼントに思い至らなくて、用意できてないんだ。だから、今夜起きたら、一緒に買い物行こうぜ。その、できれば……2人だけで」
ぱちり、と目を瞬かせたあと、揶揄うように目を細めるドラルク。
「それは……デートってことかい?」
「…いやか?」
ぐ、と唸ったロナルドだったが、すぐにドラルクをまっすぐに見つめて、答える。
そのまっすぐな目をうけて、ドラルクは頬に触れている手そっと手をかさねた。
「ふふ…いやなものか。楽しみにしてるよ。色々買ってもらっちゃおうかな!」
「あ、あんまり高いのは…いや、いいか。お前が喜ぶ顔みたいし。買いたいもんかってやるよ」
「うわ、スパダリ…君、本当にロナルド君?」
「うるせー、正真正銘の俺だわ」
目を合わせ、ふふ、と笑い合うロナルドとドラルク。
「明日楽しみにしてるよ」
「ああ、俺も」
「……で、婚姻届はいつくれるの?」
顔を真っ赤にしたロナルドの人にはできない悲鳴に、睡眠を邪魔されたジョンのローリングアタックが炸裂した。
「ん……ドラ公?」
ふと、浅い眠りから覚めたロナルドの手がシーツの上を彷徨い、先ほどまで腕の中にいた伴侶の姿を探す。
「ああ、すまない。喉が渇いていたから」
ひたひたと裸足が床を歩く音がして、きしり、と軽い音をたててドラルクがベッドに入ってきた。
すぐに腕を回し、ドラルクを自身に引き寄せて抱え込むロナルド。
慣れ親しんだ体温に包まれ、ほう、とドラルクが息をついた。
ロナルドの胸に手をおき、ふとその左薬指に煌めく白金色の指輪に目を止めるドラルク。くすりと笑う雰囲気に、ロナルドが片目を開けた。
「どうした?」
「いや、昔のことを思い出していただけだよ」
結局、二人が婚姻届を提出したのは、あの日から10年近く経ってからだった。
そして、それ以上の年月を、2人は伴侶として生きている。
昨日はドラルクの誕生日であり、そして結婚記念日でもあった。
「ふふ。愛してるよ。私の旦那様。また一年、楽しくすごそうね」
「……おう」
照れたように笑って、ロナルドは愛しい夫に唇を重ねた。