綱さんと「ありがとう」
僕の言葉に、綱さんは手を振って送り出してくれる。少し保護者っぽいと感じるのは、生まれた時代の違いのせいだろうか。
副長は、涼しい顔で煙草を吸っていた。マスターちゃんから言われた通り、携帯灰皿に吸い殻を押しつけ、今気づいたという風に僕を見る。
「話は終わったのか」
「はい」
「まさか、あの渡辺綱と話ができるたぁなぁ」
僕らの時代、綱さんは舞台によくかかるヒーローだったのだ。マスターちゃんにはあまりピンと来ないみたいで、「わたしたちの時代だと、新選組の方がヒーローだよ!」と言ってくれる。自分たちがそんな評価を受けているのが、いまいち信じがたい。
綱さんとは、だいたい同時期にカルデアへやって来た縁でよく話させてもらっている。
「何話してたんだ」
「副長でもナイショですよ」
「そうか」
副長は僕の言葉にも特に反応することなく、二本目の煙草に火を点ける。
先ほど、嫉妬のひとつもされたいと愚痴る僕に、綱さんは言った。
「焦ることはないだろう。せっかく信頼されてるんだ、それを崩すことはない」
「でも、少しは進展したいんですよね…」
「口説いたり、身体を接したり、やりようはある。恋愛の相手として意識させるんだ」
「抱きたい 、って言うとか?」
「それは時期尚早だ」
ですよね。
色ごとには敏感な人だが、信頼しきっている部下から手を噛まれることは想定していないだろう。
だからこそ、なんとかしてこちらを向かせたい。あの美貌を間近で見たいし、乱したい。
綱さんの言葉を思い出しつつ、僕もスーツのポケットから煙草を取り出す。
「火、くださいよ」
差し出されたライターの火に煙草の先を近づけ、深く息を吸う。煙が肺に入ってきて、少し落ち着く。
今はこの距離感を保つことだけ考えよう。何しろ今の僕らは人理の影法師、会津にいた頃よりも時間はある。
「何見てんだ」
「いや、副長って顔がいいなぁって」
「当たり前のこと言うな」
こういうところ! 自分の魅力を嫌ってほど知ってるところ!
やっぱり抱きたい。押し倒して僕の感情をわからせたい。
綱さんのアドバイスをいつまで守れるだろうか、と思いつつ、また煙を深く吸った。少しでも己を鎮静させなければいけない。