そんなの聞いてない「土方……もしかしてちゃんハジの彼氏って土方歳三?」
そうなぎこさん――僕のゼミ教官の清原なぎこ准教授――から聞かれて、心臓が口から出るかと思った。
なぎこさんはマシンガントークだけの人ではなく、相当の聞き上手でもある。おかげで、僕は『彼氏』の存在と人となり、どんな生活を送っているのかなど、あらかたの情報を巧みに吐かされた。さすがに性生活までは勘弁してもらったけれど。
名前を聞かれなかったのは、ある意味なぎこさんが引いた境界線のようなものだと思う。他のゼミ生で積極的に吐いた者は何人かいたが、僕は聞かれなかったから答えなかった。
それが今日、他のゼミ生と離れてなぎこさんと二人で話していた時、
「今日は土方さんが早く帰る日で――あっ、土方さんは僕の彼氏です」
と、うっかり漏らしてしまった。
なぎこさんならスルーしてくれるかな、と思ったら冒頭のような反応をいただいた。
どういうこと?
確かに、土方さんはなぎこさんを知っていた。けれどそれは、学内から輩出したベストセラーエッセイストとしてなぎこさんが有名だったからだ。
逆の立場から見たら、土方さんはただの学部生で、キャンパスも違う。有名人で多忙だったなぎこさんに、土方さんを知る機会なんてない――ように思える。
「アレだろ、土方歳三ったら、十年前の『隠れミスター』。あんまり聞かない名字だから覚えてた。年恰好も、ちゃんハジの自白と同じだし」
かくれみすたぁ?
聞き慣れない単語に、僕は思わずおうむ返しをしてしまう。
「うちの学校、毎年文化祭でミスコンとミスターコンやってるじゃん。それには出なかったけど、出たらぶっちぎりで優勝間違いなしって言われてたんだぜ、ちゃんハジの彼氏」
僕は恋人の知らなかった素顔を聞かされて――実はそこまで意外とも思わなかった。
土方さんは恰好いい。彼氏の僕が言うのも何だけど、顔はいいしスタイルはいいし性格にも雄みがあって魅力的だ。キャンパスを歩いていたら、学生の耳目を惹いたに違いない。
「実は当時のあたしちゃんのゼミにもいたんだ、土方推しが。片方は一週間、片方は三週間半だけつき合って、どっちがよりカノジョにふさわしかったかってキャットファイトしてさ」
当時から遊んでいたのか――いや、想像の範囲内だけれど。
「はぁ……それにしても世間は狭いなぁ。ちゃんハジ、大丈夫? 浮気されてない?」
なぎこさんの言葉も、的外れではない。そんなエピソードを知っていたら、ひよっ子の僕を心配したくなるだろう。
「いや、今は僕だけだと……思います。土方さん仕事で忙しいし」
「男ってのは――いや、人間ってのは、やる時はどんな環境だろうと浮気するんだよ」
なぎこさんは言い切る。
不安になってきた。
土方さんは、なかなか愛の言葉はくれないものの、僕のことをよく見て、ねぎらって、甘やかしてくれる。そんな人が他の人に目移りしている――信じたくないけれど、ありえない話ではない、と感じてしまう自分が嫌だ。
「いい男だからこそ、そこは見極めようぜ」
「はい……」
ちらりと横目で見れば、クリアファイルとタブレットを持ったゼミ生が、なぎこさんと僕の会話の終わりを待っている。僕はなぎこさんを譲って立ち上がり、廊下に出て、メッセージアプリを立ち上げた。
『土方さん、隠れミスターだったんですね』
校舎を出て、校門への坂道を下っている途中で、通知が来た。
『あぁ、そんなこともあったな』
土方さんにとっては、完全に過去の話のようだ。
僕は少しだけいらついて、
『女の子も取っかえ引っ変えだったとか』
と、棘のあるメッセージを送ってしまう。しかし土方さんは棘をスルーして、
『まぁ、あの頃はな。来る者拒まずだったな』
『今は僕だけですよね』
『心配すんな』
メッセージではそう言ってくれるものの、僕はいまいち信用できない。
今度、ベッドで身体に聞いてみよう。本当に僕だけを愛しているのか、他の女や男の匂いをつけてはいないか。
……この発想、おっさんくさくない? と自分が不安になる。
「お前はセックスのことしか頭にねぇのか」
ってまた叱られるんだろうなぁ。
そんな気持ち悪いことを思わせるくらい、土方さんの魅力はカンストしているのだ、と思うことにしたい。