花盗人は愛を詠う 3話「ふ、ううん……はっ。」
司が息苦しさで目覚めると、ギラギラとした若草色の瞳と目が合った。キスされていると気づいて抗議しようと開いた口に舌が侵入する。逃げようとしても肩と顎を掴まれているし、下半身は体重をかけられていて動けない。昨日、ダメだと言ったはずなのに、と心の中で抗議しながら、せめて創が部屋に入ってくる前に終わって欲しいと願った。
ようやく解放された時には口から溢れ出た唾液で顎は濡れて、上手く飲み込めずにむせてゴホゴホと咳き込んでしまった。はぁはぁと荒い息を整えながらレオを睨む。
「スオ〜の寝顔見てたらキスしたくなっちゃった☆それでさ、ここ収めるの手伝ってくれない?」
グイグイと司の太ももに固いものが押しつけられる。
「あ、挿れないから、太ももかお口か手貸してくれたらいいよ。」
次いで言った言葉で何を要求されているか理解した司は顔を真っ赤にして叫んだ。
「朝からなに盛ってるんですか!この変態!」
ペシィっと小気味良い音を立てて、司のしっぽが鞭のようにレオの顔面を叩く。
「痛った〜!何すんの!」
「それはこっちのセリフです!昨日、王妃教育があるので控えて欲しいとお伝えしましたよね!?」
「えーー、このくらいならいいじゃん。」
まるで子供のようにぶうぶうと不満を言って頬をプクッとふくらませたレオに司は呆然とする。
こんな人が一国の王。あの森で圧倒的な剣の実力を見せつけ、司をこの国に攫った挙句、純潔まで奪った人と本当に同一人物なのかと疑った。
強請るように腕に巻きついてくるレオのしっぽに絆されそうになる自分に苛立ちを覚えて、今度は脳天をかち割るつもりで叩いてやろうかと思った時、トントンと扉がノックされて、創が部屋に入ってきた。
「おはようございます、朱桜く...、すみません!お邪魔しました!」
レオが居るのを見て立ち去ろうとした創を慌てて呼び止める。
「創くん、待ってください。この人を部屋から追い出すのを手伝ってくださいませんか。」
「へ、陛下を追い出すだなんて僕には恐れ多くてできませんっ。」
「むむ、おれを追い出すなんて酷いぞスオ〜!」
「あなたが変な要求してくるからでしょう!」
ぎゃいぎゃいと言い合いを始めたレオと司に戸惑って創はオロオロとしてしまう。
「なに騒いでるわけぇ?」
「瀬名先輩!」
「げっセナだ。」
「ゴキブリ見つけたみたいな反応やめてくれる?」
「自己紹介か?」
「はっ倒すよぉ?」
「え、だってセナこの前ゆうくんに『俺を一匹見かけたら、三十匹いると思っていいよぉ』って言ってたじゃん。」
「『いつもゆうくんのことお兄ちゃんは見守ってるよ』っていうものの例えでしょぉ」
開いたままの扉から瀬名が部屋に入ってきて、そのまま遠慮なくベッドの側まで来てレオの服の衿台を掴んだ。ひょいっとまるで子猫を移動させるかの如く持ち上げて、ベッドから引きずり下ろす。
「ったく、このバカ王が迷惑かけてごめんねぇ、かさくん、紫之くん。」
「あ、はい。助かりました。」
「今度からかさくんが無体働かれそうになってたら遠慮なく引っ剥がしていいからねぇ。」
「ふ、不敬罪になりませんか?」
「ならないならない。こいつに不敬とかっていう概念ないから。何より俺が許可してるから大丈夫。」
「わ、分かりました。」
司と創が顔を見合せていると、瀬名はしっぽを大きくバタバタ動かして怒りながらべしべしとレオの頭を手に持っていた紙束で叩く。
「ほら王さま、さっさと立つ!もうそろそろ朝食の時間だし、朝食終わったら即政務だよぉ!」
「やだぁぁ、もっとスオ〜と一緒にいるぅ!」
「そのかさくんが出て行って欲しそうにしてるの理解しな!」
「おれは好きな子と一緒にいたいだけなのに〜〜、ぐすん。」
「大の大人が泣くな!子供じゃあるまいし、駄々こねてどうすんの!2歳も年下の子達の前でみっともない。」
「うぐぅ。だってようやくスオ〜と暮らせるようになったんだぞ?浮かれて当然だろ?」
「浮かれて周りに迷惑かけてどうすんの。ただでさえアンタところ構わず作曲し始めたりして迷惑かけてるってのに。」
「それは霊感が湧いちゃうからで……。」
「それで毎回掃除させられてる使用人達の身にもなりな。外面だけはいいから民たちからは賢王って慕われてるけど、1歩プライベート空間になったらこんなアンポンタン。かさくんに見捨てられても知らないからね。」
「えっ、やだ。」
「嫌ならちゃんとする!」
「うぅ……。はぁい……。」
レオはしっぽも耳も下げて、しょぼんとした。さながら母と子のような会話に司は呆気に取られつつも、王と騎士という関係以上の気兼ねのなさと仲の良さに少し心がモヤモヤとする感覚がして首を傾げる。
「朱桜くん、いかがなさいました?」
「あぁすみません。大丈夫ですからお気になさらず。」
(先程の違和感は一体……。気のせいでしょうか。)
司が曖昧に笑いかけると、創は心配そうな顔をそのままに、
「もし何かあればお申し付けくださいね。」
と自らの胸に手を当てて言った。
「あぁそうだ。」
瀬名が司たちの方に振り向く。
「今日から食事は王さまと一緒に摂ってもらうからね。紫之くんはかさくんを着替えさせて、食堂まで連れてきて。」
「承知致しました。」
「今日は食事マナーの確認もするから、気引き締めてよね。」
「はい。」
「着替えるならおれが着替えさせ……。」
「アンタも着替えないといけないんだから、ほらさっさと行くよぉ!」
衿台を持って瀬名がレオを引きずって部屋から出ていく。
扉が閉まってからしばらくは2人黙っていたが、司の着がえましょうかという言葉で創は着替えの服を持ってきた。
「それでは、何かお手伝いすることがあればお呼びくださいね。」
ぺこりと頭を下げて創は扉の方を向く。今、創が司の着替えを手伝っていないのは、昨日の夕方、創が司の着替えを手伝おうとした際に、司がそれを辞退したからだ。司は鏡で自分を見た時、体中に鬱血痕と噛み跡が残っているのを発見し、これは人には見せられないとなり、自らの手で着替えることを決めたのだ。ドレスを着る女性であれば手助け必須であっただろうから、自分が男性でよかったと司はつくづく思った。ちなみにその時にお互いのことを「創くん」「朱桜くん」と呼び合うことになった。
「創くん、終わりました。何かおかしなところがあれば教えてください。」
「はい、大丈夫ですよ。ではご案内しますね。」
司はこの国に来てから初めて部屋の外へ出た。隣国とはいえ、信仰する神も気候も文化も違う。物珍しそうに司がキョロキョロとしていると、創が「気になりますか?」と声をかけた。
「ええ。ここは朱桜家の屋敷とも、やたらと派手なニャフラの王城ともTaste...雰囲気が違うので、本当に違う国に来てしまったのだなぁと思いまして。」
「朱桜くん……。ここで働き始めて2年経つ僕でもまだかんぜんには慣れてませんから、ゆっくりと慣れていけばいいんですよ。これから朱桜くんが陛下を支えて暮らしていく場所なんですから。」
「確かにそうですね。」
王妃としてこれから長い時間を過ごしていく場所。この後宮の新たな主となったからには守っていかねばならない。瀬名達に王妃になると宣言した以上、その言葉に反することは司のプライドが許さない。なにより、司の母がレオの元で幸せになることを願っているのだから。
渡り廊下の先の宮殿に入ると、ちらほらと創とは違うメイドの格好をした女性達が目に入ってきた。皆、創の後ろにいる司に気づくと慌ててお辞儀をした。司はこういう風に使用人に対応されるのは慣れているので気にせず通っていたが、創は初めての経験だったのか恐縮していた。
司はそのメイドの中に1人、明らかに敵意を持って見ている人物を見つけた。司は敵国の人間であるからそういう目で見られるのも仕方ないと思い通り過ぎたが、司が曲がり角を曲がった時ひそひそと話し始めるのが聞こえた。
「ねぇ、あれが新しいお妃様になる人なの?」
「そうみたいよ。女じゃなくて男だなんて。ビックリしちゃった。」
「そうよねぇ。まさか陛下まで男色の気があったなんて。」
「ホント信じられないわよね。ミレイ様が今まで頑張ってこられた意味ってなんだったのかしら。陛下の妻となるべく教育を受けてらしたのに。」
「きっと元老院にいらっしゃるお父様も怒ってらっしゃるでしょうね。」
「ミレイ様……お気持ちお察し致しますわ。」
「きっとすぐに男の身体に飽きてミレイ様をお選びになります」
「皆様……。わたくし、絶対あの方に負けないですわっ。陛下の妃はわたくしがなってみせます!」
「ミレイ様、これからも私どもはご協力いたしますね!」
彼女たちの会話はよく聞こえる司の耳には全て入ってきていた。ミレイという女性は、おそらく高位の貴族の女性で、レオの妃となるべく育てられ、見初められるためにこの宮殿で働いているのだろうと司は推測した。それであれば、あの視線の理由もわかる。レオは黙っていれば気品を感じさせる美形で、まだ妃のいない王なのだから、国内の女性達が自分が妃になりたいと望むのは当然だ。もしレオに見初められ、子を産めば側妃であってももはやされることだろう。たとえレオに見初められなくとも、宮殿でメイドをしていたという箔も着く。ここで働いておいて損は無いのだ。
「えっと、朱桜くん。お気になさらないでくださいね。陛下が朱桜くんのこと、愛しておられるのは僕にも伝わってきてます。あの方々を選ぶことはないはずです。」
「気遣ってくださってありがとうございます、創くん。あの程度のこと、私は何も気にしておりませんから。」
司と創はその後会話を交わすことなく、王族専用のスペースに上がり、食堂に着いた。
ニコニコ ニコニコ
「あの、そんなに見られると食べづらいのですが。」
「ん〜。気にせず食べて。へへへ、スオ〜は食べる姿も可愛いなぁ。」
食事が始まるとレオは司をデレデレとだらしない顔をしながら見つめ始めた。司はなんだか恥ずかしくて食べる手がゆっくりになってしまう。
「気にします!それに私を可愛いとはなんですか!」
「そのままの意味だけど?いや〜ほんと美味しそうに食べるよなぁ。」
「くぁあっ。食事に集中できません!というかあなたはお食べにならないのですか?せっかくの暖かいご飯が冷めてしまいますよ?」
「そうだな。でも今はスオ〜を眺めたい気分なの。」
「何言ってるんですか!美味しいうちに食べないと作ってくださった料理人の方に失礼ですよ。」
「かさくんの言う通りだよ。俺がアンタの健康考えて作ってやってるのにさぁ。」
「えっ。瀬名先輩が作ってらっしゃるんですか!?」
「専属の料理人がいるから毎食作ってるってわけじゃないけどねぇ。朝はできるだけ王さまや姫様の分は俺が作ってる。」
「そうなんですね。さすが瀬名先輩ですっ。お料理とても美味しいです♪」
「まぁ俺だから当然だよねぇ。」
司が目を輝かせ、拍手して褒めると瀬名は得意げに鼻を鳴らした。そんな様子を見ていたレオの表情はさっきまでの緩んだものからむっとしたものに変わる。
「おれ、もうご飯いらない。仕事する。」
「王さま?全然食べてないじゃん。そんなんで仕事出来ないでしょ?」
「スープで十分おなかいっぱいになったから大丈夫。」
レオは立ち上がって大股で食堂を出ていく。司は急に機嫌の悪くなったレオに戸惑って創の方を向いた。創も困ったような表情で首を横に振った。
「はぁ……。ほんとアイツはいつまでたっても子供なんだから。マナーの確認は夜にするから、かさくんはちゃんと残さず食べなよ。」
「……はい。」
さっきまで美味しかったはずのご飯が少し味気なく感じた。
その日の午睡時間、司が見たのは優しげな旋律を歌う司の母に抱きしめられながら頭を撫でられる夢だった。いつだったか、司は何の歌か母親に聞いたことがあった。その時彼女は『あなたを想って作られたあなたの専用の曲よ。いつかこの曲をあなたに歌ってくれる人が必ず現れるわ。それまではわたくしのそばでその愛らしい笑顔を見せてちょうだい?』と慈愛の籠った目を向け微笑み、司の頬を撫でた。
この曲を作ってくれた人はどんな人なのだろう。きっとこんなに暖かな旋律を紡ぐことができるということは、とても心根の良い人なのだろうと司は幼心に思った。あの時彼女が言っていた『この曲を歌ってくれる人』は未だに現れないまま、司はそばから離れることになってしまった。
「お母様に、会いたい。」
その言葉は寝言として司の部屋に落とされる。近くにいてそれを耳にした創は目を伏せた。
*****
「ふんふふ〜ん♪」
「アンタいつもその鼻歌歌ってるよねぇ。」
「ん〜?そうか?」
「確かに泉さんの言う通りだなぁ!」
「近くで大声あげないでくれる?で、三毛縞、向こうからは何て?」
「もう少し待って欲しい、だそうだぞぉ。」
「そっか……。できることなら協力してあげたいけど、直接手を貸すことは現状できない。上手くいくことを祈るしかないな。」
「そうだなぁ。ああそうだ。あちら側の使者は随分と司さんのことを心配していたぞぉ。元気にしているとは伝えたが、あれはいつ乗り込んできてもおかしくはないなぁ。その時は俺がどうにかするから、レオさんは心配しなくていい。」
「うん。危険な任務なのにいつもありがとなママ。あとは帝国にいるルカたんとスオ〜の従兄妹達が間に合えば……。」
司が王妃教育に追われる中、現状を打開しようという動きが、司の知らぬところで着々と進んでいた。
(スオ〜、あともうちょっとで全部解決するから、待ってて)