幕間〜色松『っっっこんのクソ松ーーー!!!!!』
「……い、ちま…つ、こっちは真夜中なんだが…」
『そんなん知るかああああ!!!』
真夜中の部屋に響きそうな程の大声と、電話越しでも分かる照れてどうしようもない顔。
これはチョロ松達、ちゃんと届けてくれたんだなと口元が緩んだ。
「…いちまーつ?」
『…チョロ松兄さんと十四松にめちゃくちゃ揶揄われた…』
「いいじゃないか、本当の事だろ?」
『…馬鹿』
時刻は夜中の二時を少し過ぎたところ。日本は昼の同時刻を過ぎた辺りか。わざわざこの時間を狙って電話してくるのが一松らしいと笑ってしまったら、電話の向こうで拗ねる声が聞こえた。
『何だよ、こんな事して…会いたくなるじゃん…』
「一松…」
『お前、隣にいないのに…』
「ごめんな、一松。寂しくさせて」
『じゃあ今すぐ帰って来てよ、ぼくの隣で寝て』
「…一松」
『…ごめん、嘘。カラ松頑張ってるのに、夜中にごめん』
「大丈夫、なるべく早く帰るよ。寂しくさせて済まない」
『平気…その代わり帰って来たら離れてやんないから』
「ああ、俺も離れる気はないから覚悟しとけよ?」
『っ…馬鹿でしょ。…明日も早いんでしょ?』
「そうだな、少し」
『じゃあもう休んで。…声聞けたし、大丈夫。おやすみなさい』
「おやすみ…あ、一松」
『何?』
「早く顔を見て言いたいな。愛してるぞ」
『っ馬鹿!早く寝ろ!ぼくも愛してる!』
怒鳴り声で投げ付けられた愛の言葉と同時に、勢い良く通話が切れた。本当に可愛いな、一松は。
見付けたのは偶然に過ぎなくて、受けた仕事がビルから飛び降りるスタントだと聞かされて下見に行ったその屋上。高さ的には五階建てだからそんなでもないけれど、スタントの仕事と飛び降り自殺では意味合いが全く変わって来る。
ふと目を向けた先、今にも飛び降りそうな後ろ姿が目に入った。一松だとは思わなかったし、誰かなんて確認する余裕もなかった。気付いたら体が動いていた。落ちる寸前で腕を掴み引き上げる。引き寄せた体がまた落ちないよう抱き抱えたまま後ろに下がった。
──なんで、助けたの…!
悲痛な叫びだった。どんな名優でも出せない程の絶望の声。俯いたまま涙を落とす顔を覗き込んで固まった。
それが一松だった。俺の記憶の中にいた二つ下の弟。前世からずっと、告げられない恋心を抱いていた想い人。
「…から、まつ……?」
一松の口から俺の名が聞こえた瞬間、体中の血が逆流して骨が軋む程に強く抱き締めた。
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本当に死ぬ気だった。
ぼくにあった前世の記憶は楽しい事ばかりじゃなくて、どうにもならない諦めすら感じていた。
この世界でのぼくは暖かい家庭なんて縁がなかった。父親は誰か分からない。夜毎に男を取り替える母親に捨てられたのは中学に上がる年だった。子供が一人で生きていける程甘い世の中じゃない。食べていくためなら何でもやった。そのうちこんな体でも売れば金になるって分かって、知らない男達と寝た。そんな時、記憶の中にいる兄弟達の顔が浮かんで、どうしようもないくらい申し訳なくなって泣きたくて、それでいつしかどうしてぼくはこんな思いまでして生きなきゃいけないんだろうって思うようになった。
思いを実行に移したのは五年前。中学を卒業する年。って言っても殆ど学校なんか行ってなかったけど。
たまたま見付けたビルの屋上に上がれた。少し高さが足りない気がしたけど頭から落ちたら死ねるかなって。
…そこでぼくの世界は終わるはずだったのに。
「──何やってんだ!馬鹿!!」
そんな焦り声が聞こえたのと同時に体が引っ張られた。
どうして…なんで、死なせてくれないの…生きてたって良い事なんか何一つないのに。
なんで助けたの!そう叫んだぼくのぼやけた視界に入って来たのは、忘れる事なんて出来なかった、驚いた顔のカラ松だった。
「一松…?」
ぼくの名前を呼んだカラ松は、泣きそうな顔で痛いくらいに抱き締めて来た。会えるなんて思ってもいなかった。この世界で生きてる事さえ信じられなくて、死ぬ事も忘れて泣きながらカラ松に縋った。こいつの記憶にぼくがいた事がどうしようもなく嬉しかった。
それからカラ松はぼくを家に連れて行き、一緒に暮らそうと言ってくれた。暖かい布団とご飯と、たくさんの愛情をくれた。…昔むかし、ぼくがどれだけ邪険にしても諦めずに与えてくれた優しさを、今のぼくにも惜しみなくくれる。そんなカラ松に恋をするのは必然で、でも怖くなった。ぼくは綺麗な体じゃないから。だからカラ松に好きだと言われた時も散々悩んだし、ましてや付き合い始めてそう言う関係を求められた時には後悔しかなかった。
今までぼくがして来た事全てをぶちまけ、カラ松自身さえも拒絶して拒絶して、それでも真っ直ぐな目でぼくが欲しいと言われた時、もう無理だと思った。もう逃げられないと。ぼくが生きて来た意味がカラ松に会うためだとしたら、もっと綺麗なままでいたかったと泣いた。汚い自分じゃ愛せないと、大好きな人を拒絶するような嘘を吐き続けて来た自分の気持ちを時間を掛けて全部剥がされた。そうして身包み剥がされたぼくの心と体は、全部カラ松のものになった。だから今は素直に愛してるとも言うし、寂しいと伝えられる。今はそれが嬉しくて仕方ない自分が時々恥ずかしくなるけれど、心の底から生きてて良かったと思えた。
ぼくの過去はカラ松しか知らないし、他の誰にも教えてやるつもりもない。それが例え兄弟だったとしても。
「…一松?どうした?」
「チョロ松兄さんや十四松もいたなんて思わなかった」
「ああ…良かったな、一松」
「え?」
「お前、一番兄弟の事好きだったもんな」
「…それはあんたも一緒でしょ」
「そうだけど、俺はお前が一番好きだったぞ」
「っ、ばっかじゃないの!」
「ああ、馬鹿だな。前世からずっとお前が好きで、生まれ変わってやっと手に入れたんだ。逃がさないからな」
「…逃げるつもりなんかないよ」
どこへ逃げろと言うんだ、ぼくのいる場所はもうカラ松の所しかないのに。そんな事、言わなくても分かってるはずでしょ。
「ぼくは前世からずっとカラ松ボーイズだよ」
そう言ったら酷く嬉しそうに笑う顔が近付いて来たから、そのまま目を閉じた。