〜終幕・後編〜些細な幸せ「あれ、早苗ちゃん一人?」
「あ、おはようございます、さっきまで一松お義兄さんいたんですけど、私の代わりに買い物行ってくれて…お義兄さん起きてくるまでお留守番頼まれました。ご飯、どうしますか?」
「マジかー。んー、ごめんだけどコーヒーだけもらえる?…どう、体調。しんどい事ない?」
「はい、元気です!私もこの子も」
「そっか、そんなら良かった。…早苗ちゃん」
「はい。あ、コーヒーどうぞ」
「あ、ありがと。…十四松の事、ずっと支えててくれてありがとね」
起きるのが遅かったせいか珍しく早苗ちゃんしかいなくて、そう言えば二人きりになるのは久しぶりだなって思った。
彼女は覚えていないらしいけど、それでもずっと続いていた強い想いはなかなか消えないのだと、もうすっかり大きくなったお腹を見て思う。もういつ産まれてもおかしくないほど、真ん丸な。女の人って凄いよな、お腹の中で人ひとり育てちゃうんだぜ?
きっとこの世界ではバラバラに産まれたオレ達でも、どこか体の深い深い所に六つ子の遺伝子とかが残ってて、それが引き合わせてくれたんじゃないかって思う。そして、そんな六つ子の遺伝子を持っているかも知れない、十四松の子供。オレ達がこれから先、護っていく小さな存在。その子をこの世に送り出そうとしてくれている彼女に、オレはどんなに感謝したら良いのかな。
「お義兄さん…」
「アイツ馬鹿だけどさ、すっげー優しいんだ。人の痛みと気持ちが分かる奴でさ。だからアイツと一緒にいれば早苗ちゃんもその子も間違いなく幸せでいられるから、だから、十四松の事もこれからずっと幸せにしてあげて」
「…はい、約束します!」
「ありがとう。そんで何かあったら兄ちゃん達に頼ってよ。何も遠慮する事ないからさ」
「ありがとうございます。でも私、十四松くんに会えた事もそうですけど、お義兄さん達に会えたのもすっごく嬉しくて幸せなんです!だから…これからもよろしくお願いします!」
「ははっ、もちろんこちらこそ」
本当に良い子。さすが十四松が好きになった子だけあるよな。出来ればオレ、この子には前世の事は思い出して欲しくないな。だってさ、思い出したくない嫌な事も思い出しちゃうかも知れないじゃん?そんな記憶はない方が良いと思うし、それだったら今のままで幸せを掴んでて欲しいんだよね。
「っ…、」
「…早苗ちゃん?どうしたの?」
「…っ、あ、少し、お腹…張って、」
「えっ!産まれる?赤ちゃん、産まれるの!?」
「大丈夫です、…そんなすぐには…陣痛、10分間隔になったら、病院…」
「いや、何かあったらどーすんの!さすがのオレでも赤ちゃん取り上げる自信とかないからね!荷物は?纏めてある?」
「離れの、居間に…」
「持ってくる!車出すからすぐ病院行こう」
「お義兄さん…」
「十四松にも連絡するから心配しないで。今は赤ちゃんの事だけ考えるんだよ」
「はい…ありがとう、ございます…」
すっげー汗、めちゃくちゃ苦しそう。子供産む時ってあんなに辛いもんなんだ。そりゃそうか、人が産まれて来るんだから。
離れに飛び込んで掴んだ荷物を車に放り込み、苦しそうな早苗ちゃんになるべく刺激を与えないようにして車に乗せ取り敢えず全員にメッセージを送る。
途中止まった赤信号、スマホを片手に走ってくるトド松を見付けた。
「トド松!乗れ!」
「おそ松兄さん!良かった、擦れ違いにならなくて!義姉さん大丈夫?もう少しだからね!」
「ありがとう、トド松くん…大丈夫」
後部座席に飛び乗ったトド松は、苦しそうな早苗ちゃんの手を握って汗を拭いてやってる。良かった、一人だけでも掴まって。
「十四松から何か連絡来た?」
「ちょうどお昼休みだったみたい、兄さんと連絡取れないからってボクのとこにメッセージ来たよ。上司の人に言って早退させてもらうって」
「そっか、じゃあ直接病院って伝えて。みんなにもトド松から連絡頼む」
「うん、分かった」
苦しそうな呼吸音。さっきより明らかに間隔が短くなってる。信号ってこんな多かったっけ、なんて思う程度には焦ってる。落ち着け、落ち着けオレ。こんな時に頼りになる長男でいなくてどーすんだよ!
「着いた。早苗ちゃん、今動ける?」
「大丈夫、です…」
「トド松、荷物頼む」
「うん」
病院に入り受付で名前を言うとすぐに診てもらえる事になった。診察室に入る早苗ちゃんを見送ったら体中から汗が吹き出て力が抜けて、思わず傍にあった椅子にぐったりと座り込んだ。
「はああ〜…良かったあ、何もなくて…」
「ボクも…あんなに苦しそうな義姉さん見たの初めてで心臓ばっくばく…」
一息吐いた時、物凄い汗だくな顔で一松が飛び込んで来た。…うん、お兄ちゃん、お前のそんな顔初めて見たよ。
「兄さん…早苗ちゃんは?」
「大丈夫、今見てもらってる。お前、汗すげーぞ」
「隣町のスーパー…特売で、チャリ飛ばして…」
「おーおーご苦労さん。取り敢えず汗拭いて、トド松タオル貸してやって」
「うん。はい、一松兄さん」
「ありがと…」
カラ松とチョロ松から連絡が来ていた。カラ松は撮影が終わり次第来るとかで時間未定、チョロ松は締め日直前で残業になるかも知れない!って。会社員って大変ね…。
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「松野さーん」
「あ、はい!」
「奥さん、病室入りますね」
「あ、オレ義兄です。弟はすぐに来ますんで」
「あらごめんなさい。取り敢えず荷物お願いします」
「はい。トド松、一緒に来て。一松はここで十四松待って、来たら一緒に」
「ん、分かった」
一松を受付前に残して一緒に病室まで上がる。
さっきより苦しそうで、こんな時男って本当に何も出来ないんだなってつくづく実感したよ。
「義姉さん、大丈夫かな…」
「大丈夫だって。万が一何かあっても病院なんだ、絶対大丈夫だからさ」
「そうだよね…」
一人産むのもこんなに苦しそうなんだ。オレ達六つ子を産むのって、どれだけ大変だったんだろう。今はもう聞けないけど、母さんに聞いてみたかったな。
「義姉さん、苦しいよね。背中とか擦る?触らない方が良い…?」
「ありがと、トド松くん…じゃあ少しだけ、腰…擦ってもらって、良い…?」
「うん。頑張ってね、義姉さんも…赤ちゃんも」
オレ達の中で唯一前世の記憶を持たないトド松。
だからこそなのかも知れない、こんなに必死になるのは。元々気配りは出来る奴だったけど。
「っ、う…はあっ…」
「義姉さん…」
「兄さん、十四松来た!」
慌てて着替えて来たのか、グッチャグチャに服を着た十四松が、さっきの一松以上に汗をかいて現れた。
「おそ松にーさん…」
「…ばっか、お前がそんな不安そうな顔してどーすんだよ。ほら、頑張ってんぞ。お前の宝物達。お前も頑張れ、十四松父ちゃん」
「…ありがとにーさん!早苗ちゃん、遅くなってごめんね!」
「十四松くん…」
「オレ達は出てようぜ」
「そうだね」
「頑張ってね、早苗ちゃん」
「義姉さんも十四松兄さんも頑張って!」
「元気に会えるの待ってるからな」
「ありがとう!」
取り敢えず三人で、病棟の隅にあった椅子に座り込む。…すげーなあ、子供産むって一大事だ。世の中の母親ってホントすげーわ。
「…ねえ、おそ松兄さん」
「ん?」
「ボク達、六つ子だったんだよね」
「ああ」
「ボク達の母さん、本当に命懸けで産んでくれたんだなって思う」
「オレもさっき同じ事思ったよ。すげーって思った。だから大丈夫。きっと無事に産まれて来るよ」
「うん…」
静かな病棟に小さな音が響く。一松は音の出処のスマホを見つめ、そっと耳に当てた。オレはそんな一松を見てから、トド松に視線を移した。
「…カラ松から。今撮影終わったけど、来るの40分くらいかかるって」
「そうか。間に合うと良いな…」
「…にーさん達!おれ、行ってきマッスル!」
白衣を着て帽子を被った十四松が、廊下の向こうから叫んだ。いよいよだ。カラ松とチョロ松は間に合いそうにないかな。でも心配すんなよ、ちゃんとオレ達が迎えてやるからさ。楽しい事ばかりじゃないけど、でも毎日オレ達が楽しくしてやるから安心して産まれておいで。
それからどれだけ経っただろう。不意に静寂を破るような、赤ん坊の泣き声が響いた。
「え…産まれた…?」
「産まれた、よな…」
「十四松兄さん!」
急いで向かった先、分娩室から元気な赤ん坊の泣き声。さすがに入る訳にはいかないけれど、それだけで無事産まれて来てくれたんだと分かった。そこへバタバタと二人分の足音が響いて、汗だくの弟達が走り込んで来た。
「あ、いた!兄貴!」
「兄さん!早苗ちゃんは!?」
「あ、カラ松」
「チョロ松兄さん…産まれたよ!今!たった今!」
「本当か…良かった…」
「この声、そうなの…?」
「ああ」
「元気な声だ…」
「良かった」
みんな揃って少ししてから、隣の部屋のガラス越しにコンコンとノックの音がした。顔を上げると小さな小さな命を大事そうに抱いた十四松が、グチャグチャに泣きながら笑っていた。新生児室から初めての対面。
「あ…」
「赤ちゃん…」
「っ、良かったあ…」
「ちっさい…」
「うん…っ、!!」
「…トド松!?」
がくん、と。まるでネジが切れたみたいにトド松が崩れ落ちる。慌てて支えた体は震えていて、ボロボロと涙を落としていた。
「トド松、どうした…」
「…思い、出した…」
「え、」
「あの子、見てたら…一気に記憶、凄い勢いで溢れ出すように…全部、全部…」
「トド松…」
「…あの子が引き金」
「…あ!」
「どうした、一松」
何かに気付いたように大声を上げた一松の目は、ガラスの向こうに掛けられていたカレンダーに向いていた。
「今日…5月…24日…」
「あ、」
「え、嘘…」
それは前世のオレ達の誕生日で。その日に産まれた十四松の子供が、トド松の忘れた記憶を持って来たとでも言うんだろうか。でもそうとしか考えようがない不思議な現象に、オレ達は誰も言葉を出せなかった。
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産まれた子は男の子だった。
命名を巡って、ちょっとした兄弟バトルも勃発。
名前に「松」を付けるかどうか。いやいや、命名って親がするもんでしょー、って思ってたのに。
「おそ松にーさん!」
「おー、どうした十四松」
「子供の名前、にーさんに付けて欲しい!」
「…はあ?それはダメだろ、お前と早苗ちゃんで決めろよ」
「早苗ちゃんも同じ意見!」
「えー…お兄ちゃん、そんな責任重大な事任されちゃうの?」
「にーさんならきっと良い名前、付けてくれると思ったん…す、けど…ダメ…?」
「…あああ分かった!分かった、兄ちゃんに任せなさい!」
十四松の珍しいお願いに、オレが勝てる訳ないのよ。いつまでも名前もないのも可哀想だし、ここはいっちょ長男の本気出しますか。
早苗ちゃんと赤ん坊が退院して来たその夜。
みんなが集まった居間。オレは名前を書いた紙を片手に、座った家族の顔をぐるりと見回して口を開いた。
「お待たせしました!ただ今より赤ん坊の名前を発表しまーす!」
「変な名前とか付けてないだろうな」
「キラキラネームは就職に不利だよ」
「逆にすっごい年寄りくさい名前とかもなしね」
「だあああ!!うるさーい!もう決めたの!お兄ちゃんの決定は覆らないからな!」
「…どうかこの子が将来泣く事ありませんように…」
「ちょっとお前達、失礼過ぎない?お兄ちゃん泣くよ?」
「いや、別に兄貴は泣いても良いんだけど」
「もう!冷たい!」
「何でも良いから早く発表してよ。十四松、ソワソワし過ぎて鬱陶しいんだけど…」
「あー、それでは発表します!松野家の新しい家族の名前は!」
テレビ番組とかならここでドラムロール入るとこだよね。誰もやってくんないから心の中でやっとくよ!そんな目しなくても分かってるよ!
「じゃーん!《永遠》くんでーす!」
「永遠…」
「へえ、兄貴にしてはなかなか」
「ギリでキラキラネームじゃなかった…」
「とわ…永遠、かあ。ありがとうにーさん!すっげー良い名前!」
「喜んでもらえて兄ちゃんも嬉しいぜぇ」
永遠。その名前に込めた意味を、オレ達兄弟は多分誰よりも知っているはずだから。
いつか自分の名前の由来を知る時が来たら、ぜーんぶ話してやるよ。それがオレから、小さな新しい家族への初めてのプレゼント。
そして、この暖かい笑い声が絶えない時間が、永遠に続きますように。永遠にみんなで笑っていられますように。
オレが願うのはたったそれだけの、些細な幸せ。