地中海の中央に位置する島のなかで最大の広さを持つシチリア島。イタリアのブーツの先端のすぐそばにあるその島は、要衝とし様々な時代、様々な人種がその覇権を競い合った美しい島である。古代遺跡や歴史ある礼拝堂、自然も豊かなその島は、故に争いの歴史もまた数多く残っている。今、青い海を臨み漂白されたギリシアの街並みが美しいその島に一人の男が遠路遥々到着したばかりだった。長いフライトを終え、漸く到着した男――三毛縞清虎は彼の秘書である朝日奈らむの大荷物を手配された車に積み込むと、革張りの傷一つない一級品の家具さえ紛うようなシートへ飛び込むように座り込んだ。今この瞬間、運転手が許されるのならば最も残酷な方法でこの無礼な男を葬ってやりたいと睨みつけていることさえ気づかないまま、ネクタイを緩める三毛縞は全身ひび割れそうなほど窮屈でただただ仕方なかった。
廊下のほうが騒がしい。黒柳はその騒々しさにいよいよかと眉間をきつくも見込んだ。黒柳の隣に侍る凛は相変わらず何を考えているのか読ませない冷めた目つきで、扉の方をじ、っと見つめている。ノックなどないだろう。黒柳の予想は外れることがない。突然はねるようにひらいた扉の前に、黒柳さえ超える大男がニヒルな笑みを浮かべ立ちはだかっている。
「ノックくらいしたらどうだ」
「おれとお前の仲だろ?」
それともソッチのお嬢さんとイケナイことでも? もう何度も繰り返されたやり取りだ。それでも黒柳にとっては何度目だろうが慣れない、心臓に悪い〝アクシデント〟でしかない。そも、三毛縞が黒柳に会いに来るときは大抵〝よくないこと〟がおきたというサインだ。そんな〝災悪の象徴〟でもある三毛縞の来訪は、いつだってできれば回避したいような、悪夢でしかなかった。部下を下がらせ、ついでに凛にも今日はもう帰っていいと下がらせた黒柳に、部下はいつだって半信半疑、三毛縞の来訪に気を張り詰めた鋭い視線が招かれざる客人を睨みつける様に出ていく。三毛縞もまた、朝日奈に今日の宿へ帰るよう指示した。
「凛、朝日奈譲の護衛を」
「承知いたしました」
凛は去り際黒柳に挨拶すると、朝日奈とともに退室した。部屋には三毛縞と黒柳しかいない。窓辺に臨む地中海は静かに水面を闇夜で揺らめかせ、物寂しい美しさに満ち満ちている。三毛縞は部屋をぐるりとまわって物色すると、用意されていたティー・ポットから二人分の紅茶をのなみなみと注ぐと、一つを黒柳に、もう一杯は勢いよく飲み干した。
「你想见面(あいたかった)?」
挑発するような目つきはまるで、飢えた虎が獲物を見つけた時を彷彿とさせる鋭さがあった。黒柳には早急に片付けねばならない問題が、三毛縞がシチリア来訪さえ余儀なくされる程度には山積みになっている。それでも、一年はゆうに超えてしまっただろう長い長い年月の間、一時たりとも忘れられなかった、忘れることさえ許されなかった男を前に、彼の厚い理性の仮面がほどけていくのを感じた。