「では皆さま、よいお年をお過ごしください」
「ああ、皆もゆっくり休んでくれ」
昼過ぎ、黒柳家の使用人たちは皆一斉に大荷物を抱え三者三様に挨拶を済ませ屋敷を出ていく。クリスマスから年末年始にかけ、半ば住み込みも同然で尽くしてくれる使用人たちに与えられた年末の休暇が始まったのである。彼女らは三毛縞の離脱にも動じず黒柳邸をきっちりと掃除しつくし、本日の三毛縞、黒柳両名の昼食まで用意して帰っていった。最後の最後まで尽くしてくれるいい人ばかりだ、と黒柳は言う。三毛縞にはそれが少し目新しかった。彼が面と向かって素直な表情で誰かを褒めたりすることなど、職場や学校ではまず見てこなかったから。きっと、黒柳にとって彼らは血の繋がりを超越した家族なのだろう。
「なんか、余計広く感じるな」
黒柳家にあふれていた活気は、人の気配とともに消えていく。照也のように騒がしくする人がいたわけでもないというのに、なんだか三毛縞には黒柳邸がいつもよりずっと広く感じた。
「――そうだな」
だから、隣でほんの僅か声に寂しさのような弱さを滲ませた黒柳に、三毛縞はらしくなく、どうしようもないほど動揺していたのだ。
一昨日負傷した三毛縞には未だ黒柳からの絶対安静が言い渡されており、さすがに最後の一日とくれば三毛縞も初日よりずっとおとなしく黒柳に従っていた。それに普段こうも世話を焼かれることなどまずなかった三毛縞にとって、誰かに面倒を見られるというのは恥ずかしくもあり、少しの気まずさもありながら、どこか楽しかったこともまた事実だ。残り少ない箱の中から、黒柳が淹れる最後であろう紅茶を、三毛縞は隣で見守っていた。
「明日から飯ってどうすんだ?」
「明日の分は作り置いてくれているし、二十四日は昼に何か食えば夜は予約してあるからな」
彼女たちの仕事は完璧だったようで、料理の経験が乏しい男ばかりが残るこの家に少しでも何かを残そうとしてくれていた。正月には、三毛縞が絶対に必要だと言ってきかなかった御節料理が急遽注文され、年越しの蕎麦の準備は三毛縞が担当する。食材も、崇彦のアドバイス通り用意してある。問題はクリスマスから正月までの六日間だった。
「お前がいいってんなら準備するか?」
できるのか? 黒柳が意外そうに振り返った。
「そりゃ、お前さんとこへ来る前は照に飯食わせにゃなんねえからなあ……」
「――意外だったな」
「ハハ、まあ野郎飯だけどな」
いや、助かる。そう言う黒柳に驚いたのは言うまでもない。断るだろうと思っていたのだ。三毛縞の作る食事より、黒柳が知る店に行くだけでその数倍、数十倍はうまい飯が食えるだろう。ただどうしてだろうか、面倒なことになった、とは思わなかった。
「たまには照と業にも手伝わせるかあ」
あいつら小学校ンなった時家庭科なんざできるのかね、と呟く三毛縞に、蒸らし終えた紅茶を引き上げながら黒柳は思わず笑みを殺し損ねた。何を隠そう、紛れもなく〝家庭科目などやったことのなかった〟男が、今は自分の被保護対象にその心配をしているのだから。
「そうだな、野菜を切らずに火にかけるかもしれんからな」
「げ、お前…… まぁだ覚えてんのかよ」
おそらく烏丸も覚えているだろうが、アレはアレで随分無茶なことをしたからな…… トレイを持つ黒柳に、三毛縞は率先しドアを開ける。こんな何気ないやり取りでさえ、あの頃はけして〝あたり前〟ではなくて。何事も大抵は恙なくこなしてきた三毛縞、黒柳、烏丸の三人組が唯一、教師に目をつけられたのが家庭科目の授業だったことも、今はもう思い出さねば記憶の箱にしまわれたままだ。
「ま、そんなわけでだ。アイツらにも、ちったあ家事ってのをな。教えとかねえと」
こういうのも悪くねえだろと頷く三毛縞に、いつも刺すような静寂に包まれた黒柳邸の年末が今年は何か違うのだと、そんな予感はなんだか黒柳の胸を躍らせるようなものだった。