知覚過敏にひぃひぃ言う太陽光に容赦なく炙られているアスファルトが目に痛い。平年では、まだこの時季は梅雨でじめじめとした日が続いているような時だ。今年は異例の早さで梅雨が明け、一足早くに夏が来ていた。
志摩は陽射しを遮るように、手のひらを瞼の上に翳すと、アスファルトに落ちて風に揺れる木漏れ日を目で追った。じっとりとシャツが張り付くほどに暑く、こめかみから汗が滴るほどなのに、指先は驚くほど冷たい。ここが日陰でよかった、と志摩に寄り添うように隣に座っている相棒のことを気遣いながら、それでも気休め程度にしかならないだろうけれど。それほど今日は暑かった。
「しまあ、しまちゃん」
「ああ?」
「今日、何食いたい?」
「…素麺、」
「ええ、なんともっとゴーカなものにしろよ」
つまらなそうに上半身を小さな子どものように揺する伊吹に、志摩はふはっと吹き出すように笑う。その振動のせいで、じわりと体から少しだけ命がこぼれ落ちたように感じて、こりゃどうしようもねえなあ、と息を詰める。それを敏感に察知した隣の番犬は、志摩の肩を抱き寄せて、自分にもたれかかるようにさせてくれる。
「犬の体温、癒やされるなあ」
「犬じゃねーし」
「暑いからな、散歩は夜にしような」
「だーかーらー」
犬じゃねえし、と大げさに喚いてから、小さな声で、でも散歩は夜でいーよ、と言うからいじらしいなあ、思う。
「んで、なに食いたいの?」
「…べつに、なんでも。お前の食いたいもん食いな」
「それじゃダメっしよ。今日は志摩の食いたいもんだよ」
「…え、なんで?なんかあった?」
もたれかかっていた伊吹の肩がひくんっと揺れる。あれもしかして今日約束していたんだっけか、と記憶を辿ろうと思ったが面倒で早々に止めてしまう。よっぽどのことがなければ先の約束を取り付けるなんてことはしない。特に大層な理由があるわけではないが、なんとなく。今日行くか〜くらいの方が気楽で良い。
「誕生日だよ、志摩」
「は?」
「たんじょーびおめでとーめでてぇなあってことで何が食いたい?はい、セイ」
「あ、ハイ、どーも」
そうか、誕生日か。すっかり忘れていた。あまりに夏が早くに来たものだから。マメなやつだなあ、と志摩はくすりと笑い、眩む視界を遮るように目を閉じた。
隣で身じろぐ気配がして、志摩、と伊吹が吐息のような心細そうな声で名前を呼んだ。
「しま、しんどいと思うけど目、開けてて」
「情けない声出すな、バカ。眩しいんだよ」
そうは言いながらもぺしょんとしょげ返った犬耳が容易に想像出来てしまえば、志摩は多少無理をしてもその願いを叶えてやらねばと思う。は、と浅い呼吸を呑み込んで、志摩は気怠げに目を開けた。
「…すき焼き」
「え?」
「すき焼きがいい、な。実家を出るまでさ、誕生日っていつもすき焼きだったから」
「…!う、うん!いいね、すき焼き!ちょっといい肉買っちゃおーと」
「うん、兄弟多いとさ、肉、争奪戦になんの。でも、誕生日だといつもよりちょっと優遇されんだよなあ」
「ふふ、いいなー。楽しそう、志摩家のすき焼き」
「今度、来れば。お前の、肉は俺が確保してやるからな」
「お兄ちゃんか」
「飼い主だからな」
そっちかー、と伊吹がケラケラと笑う。無理して笑っているなあ、とわかるほどに覇気のない声だった。志摩はそっと目を伏せると、いよいよ感覚の無くなってきた真っ赤に染まった脇腹に目を向けた。止血してくれている伊吹の角張った大きな手も真っ赤に染まっている。まるでその手のひらから命がこぼれ落ちていくようだ。志摩は再び目を閉じると、ぐったりと伊吹の身体に寄りかかった。少し強めに伸して取っ捕まえた犯人がいなければ伊吹は今すぐにでも志摩を背負って病院まで駆け出して行きそうだった。それほど取り乱したように志摩の傷口を止血してくれた伊吹の顔と声は必死だった。
そういえば、いつも以上に朝からどこかソワソワと落ち着きがなかった伊吹の姿を思い出して、志摩はふはっと笑う。誕生日、何か考えてくれていたんだろうなあ、と思うと、初めての己の運の悪さにうんざりとしてしまった。
「伊吹」
「うん」
「…すき焼き、今日は無理かもだけど」
「…っ、うん」
お前が望むならいつだっていいよ。正直祝われるのは苦手だが、まあ、仕方ない。この相棒が悲しむ姿はもう見たくないなあ、なんて思ってしまったのだから仕方ないのだろう。好きなだけ、盛大に祝ってくれ、と神妙な声で言うと、伊吹はぶはっと吹き出して、いいね、と笑った。ケーキはアイスのやつが食べてみたいんだけど、と強請ってみてもいいかもしれない。歯に染みないといいなあ、とどう考えてもおっさんが強請るもんでもないだろうと思ったけれど、そんなことにも喜ぶのかもしれないこの相棒は、と思うとやっぱりそれもいいかもしれないと思うのだった。