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    しらい

    mhyk | 主にネロ晶♀

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    しらい

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    ネロが実家を出て盗賊団に入り、そして去るまで。
    主に捏造でできている。名前のあるモブもいます。
    ネロとブラッドリーは+の関係(×ではない)。
    この後、魔法舎でネロ晶♀に。

    「600年目の初恋」前日譚Episode.0 永久凍土の若葉


    「いらっしゃいませー」
     おずおずと開けた扉。カランと控えめに鳴ったベルの音に素早く反応したおばさんが店の奥から顔を出す。
    「丁度いま、焼きたてのを出すとこよ。ちょっと待ってなね」
     オレンジ色のライトが照らす温かな店内によく似合う、春の太陽みたいな笑顔の店主だ。一年の大半が雪に埋もれるこの北の国には眩しいほどの光を感じて、思わず反応が遅れる。
    「……いや、あの」
     いますぐに欲しいわけじゃなくて。そう伝えたかったのに、もともと大きい方ではない声が更に小さかったからか、俺の声が届かず、彼女はまた、サッと姿を引っ込めてしまった。
     おばさんを見かけるのは彼女が店の外を掃除している時くらいだったから、面と向かって接客してもらうことにだいぶ違和感がある。
     落ち着かなくてそわそわ辺りを見渡すと、精巧な作りの時計とか、町のパン屋にしては高価そうな装飾品がいくつもあることに気付いた。どうやら、この町を取り仕切る魔法使いがオーナーだという噂は本当らしい。
     そして極めつけは、室内の焼きたての小麦の甘い香り。こんな豊かな空気はほとんど初めて知る。
     店内の何から何まで、今の俺の日常にはないものばかりだ。客として来店していて後ろ指をさされるはずはないのに、自分に不釣り合いなことをしていると勝手に感じて居心地が悪くなる。
    「はいよ、おまちどうさん」
     再び現れたおばさんは、やっぱりにこにこと満面の笑顔だったから、更に気まずくなる。そして、俺がどう切り出そうかと考える傍で、彼女は鼻歌まじりに出来たてのパンをカゴに並べていった。
    「あんた、最近よく店の前を通るだろ? 今日はお使い? 朝早いのにご苦労さんだ」
     急に話しかけられて、ビクリとした。この辺りをウロウロしてたのは知ってるよ、と暗に言われた気になる。彼女に悪意がこれっぽっちもないことは伝わっているのに、だ。そして、自分がここにいる理由も、お使いと言われればそのような気もして、何て答えようか迷う。
    「その髪の色、晴れながら雪の降ってる朝みたいで綺麗だなってずっと思ってたんだよ。来てくれてありがとうね。好きなの選んでってね」
     たぶん、俺が悩んでることに気付いたんだろう。温かい言葉に胸がチクリとした。
     これだから優しい人は少し苦手だ。親にだってこんなに大事にされたことないのに。嫌なことで傷つく時と同じくらいの大きさの傷を心に残された気がした。
     そして、おばさんはくるりとこちらに背中を向けて厨房に戻ろうとする。だめだ、ここで声を掛けなきゃ。
    「あ、あの!」
    「わ!」
     思ったよりも大きな声が出て、自分で驚いた。おばさんは大きな瞳を更に丸くして驚きながら振り向く。そして、あー、びっくりした、と半分笑いながら、向かい合ってくれた。
    「なに? なんか気になるのあった?」
     すぐ目に入ったのは、林檎みたいに真っ赤なまあるい頬と、お団子に結ばれた黒々とした豊かな髪。泣いてもいないのにきらきらと光る瞳は、店のライトによく馴染む、オレンジがかった茶色。そして、ふくよかな身体はどんなものでも受け止めてくれそうだ。
    (やっぱり、この人ならきっと大丈夫)
     何度も考え、幾度も練り直した言葉を伝えるために、すうと息を吸った。
    「これからうちの下のきょうだいがこの店に来たら、このお金が底をつくまではパンを食わせてやってほしいんです」
    「えっ……」
     今度は真顔で目を見開いたおばさんの目の前に、手に持っていた袋の中から取り出した布袋をかざした。ジャリジャリと品のよくない音を立てる袋は、生まれたての赤ん坊と同じくらいの大きさで、パンパンに太っている。中に入っている金額は、俺みたいないかにも裏路地で暮らしているような見た目の十四の子どもが持つものとしては普通に想像されないものだろう。
    「どうしたの、これ」
     責めるでもなく落ち着いた声が上から降ってくる。単純に事情を知りたいから教えてほしいという気持ちがこっちに伝わるみたいだ。この人は、一体どこまで親切なんだろう。
    「俺、働き口が決まって。先に二年分の給料もらったから、一年分持ってきました。俺は一人で出てくし、欲しいもんも特にないから……、だから、あいつら——ターナーって苗字なんだけど、あいつらのメシだけは、何とかしてから出ていきたくて。腹が減ったらここに来るよう話してあります」
     ああ、というため息が、視線から零れたみたいだった。眉が瞬時に下がり、輝いていた瞳が困惑に揺れている。
    「お願いします。おばさんの店、外から見てて凄くいいなって思ってたから。だから、お願いします。足りなかったら、また持ってきます」
    「ちょ、」
     了解の返事は待たなかった。袋をおばさんに押し付けるようにして、店外に飛び出す。硬く踏みしめられた雪道を滑り止めなんかない靴でひた走る。何度も転びそうになりながら、前に出ることをやめない。
    「待って!」
     後ろから、おばさんの声がした。追いかけてくるとは思わなかったから、ぎょっとして振り返る。どたどたと、恐らく久し振りに走るであろう姿は不格好で、見てられなかった。
     断ち切るようにすぐに前を向く。でも、はあはあと大きく聞こえる呼吸音と、それに交じって時折聞こえる「ま、」とか「ちょ、」とかいう声にもならない音が気になって、すぐにまた振り返り。段々遠ざかる音を振り切りたいと思いながら、それを二、三回繰り返したところで、観念して足を止めた。
     俺は転んでもいい。でも、俺を追いかけているおばさんが転んで怪我をするのは胸クソが悪くなりそうで嫌だった。
    「わ、かったよ」
     俺に追いつくことを諦めなかったおばさんが、ぜーぜーと荒れる息を整える間もなく言う。そして、その一言じゃ足りない、と言わんばかりに、すーはー、と大きく息を吸って吐いて。彼女は、俺の両手を清潔で大きくて皮と脂肪の分厚い両手で包みこむ。パン屋に行くからと魔法で綺麗にしておいて良かったと思った。
    「何があったか詳しくはわからないけど、でも、あんたの願いはわかったよ。だから、安心していきな」
     おばさんへのお願いが約束になったらどうしよう、本当は働き口なんか見つかってないのに、魔力まで失ったらこの先きっと生きていけない、それでもどうしてもあの家から出ていきたいのに。そう考えていた過去の自分を殴られた気がした。多分、おばさんは俺が魔法使いだと何となく察して、言葉を選んでくれている。
     そして、握られた両手に更にきゅっと力が加わって。おばさんの瞳がゆるい三日月になり、眉が下がった。
    「それでさ、帰る前に、店のパン食べてって。美味しいって知らなかったら、あんた心配だろ?」
     そんなの食べなくてもわかるけど。あったかくて甘いものを口に入れられたってだけで数日は生きていけるようなやつもこの世の中にはいるんだけど。でも、今まで出会ってこなかった、そしてこれからも出会えないような優しさをくれる目の前の人の好意を無下にできるほど、俺は悪くはなりきれないし、断る理由も見つからない。
    「……ありがとうございます」
     何も口にせず、おばさんはただ、うんと頷いた。
    「あんた、名前は?」
    「ネロ。ネロ・ターナー」
    「ネロ。勇猛果敢な男の、いい名前だ」
     親に名前の由来なんか聞いたことがなかったうえ、名前をほめられたのも初めてだ。撫でられた肩が熱をもつ。
     気付けば、おばさんの背後の太陽が、白く辺りを照らしていた。朝が花開くようだ。でも、今の俺にはおばさんが作る影の分さえ輝いている自信がない。

      *

     家族を捨てるその日に食べた焼きたてのパンは、それはそれは甘くて美味しくて、どうしようもなかった。それから、「いま食べた分のお代はもらうよ。でも、きょうだいの分はちゃんと食べたってあんたが知ってからでいいから。あんたは、これでご飯食べてちゃんと働くんだよ」と言ってくれたおばさんに返された袋を抱えて店を出たのだった。
    (その後、金は賊にぜーんぶ盗られちまったけどな)
     まあ、元々正当なやり方で手にしたもんじゃなかったし、と回顧した自分ごと、はん、と鼻で笑う。すると、カラカラ、パチパチと油のはねる好い音がほんの少しくぐもる瞬間も一緒に耳に入ったから、慌てて手元に視線を戻し、フライドチキンを鍋から出した。
     こんがりとしたきつね色。くん、と匂いをかいだ時に微かに香る、新しく仕入れたスパイスも具合がよさそうだ。会心の出来に心が浮き立つ。
    「なーに鼻歌なんか歌ってんだよ」
    「ボス! 帰ってたんスね!」
     程よく背後から聞こえた声に、いきおい振り返った。自分の表情が明るくなったのが自分でわかる。待ち人が現れたからだ。賊に身ぐるみを剝がされて売り飛ばされそうになってた俺を拾ってくれた、このフライドチキンを今から食うひと。
    「おっ、美味そうだな! 今日はチキンの気分だったんだよ。お前、やっぱ分かってんな」
    「ちょ、ガキじゃねえんだからやめてくださいよ」
     ぐりぐりと押さえつけるように頭を撫でられて、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
     こちらの気分を理解し、はは、と片方の口端を上げて笑ったボスは、これで仕舞いと言うようにポンポンと二度大きく撫でて椅子に腰かけた。長い足を組み、ひじ掛けにゆるく腕をもたれさせ、所在なげに好物の出来上がりを待っている。
     そんな何気ない行動ですらどの瞬間もキマっているから、うちのボスは凄い。男の俺から見ても惚れ惚れしてしまう。
    「今日の戦果は?」
    「見ろよ」
     そう言って、胸元から大事そうに取り出した球体を、ボスは明かりにかざす。フライドチキンを全て鍋から引き揚げて火を消した俺は、ボスの隣に並んで同じ方向を眺めた。
    「うわぁ、綺麗……」
     親指の先ほどの黒い球には小指の先ほどの穴が空いていた。中を覗くと様々な色のついた細やかな光が浮いていて、光同士は繋がり合い、幻想的な形を作っている。石を軽く傾けると、その動きに合わせて光がチカチカと輝きながら移動し、光同士の繋がりがつくる図形も姿を変えた。
    「万華石(ばんかせき)。同じ形を二度とは見れねえらしい。いつまでも見てられんだろ」
    「はい。ほんとイイっすね……」
     鼓動が命を刻むように変形する図形。美しいものを手中に収めながら、所有者さえ気に入った形を永遠にはしておけない。そういうままならなさが良いと思った。隣の男も、そういうところを堪らないと感じているんだろう。
    「……お前、次から一緒に来るか?」
    「へ?」
     思いがけない提案に自分の耳が信じられないまま、ボスを見た。
     ここ——死の盗賊団に来て一年、厨房で献立まで任されるようになって三カ月。「仕事」にはまだ同行したことがない。
     ボスの瞳は、獲物を狙う計画中の時みたいに燃えるように輝きながら、同時に俺を慈しむように照らしている。その眼差しに飛び込んで受け容れられたい、そう思いながら、「本当に?」が止まらなかった。
    「嫌ならいい」
    「! いや、嫌じゃない‼ 行きたい、連れて行ってください!」
    「お、おう、わかった! わかったからちょっと離れろ」
    「す、すいません!」
     無意識に掴んでいたボスの袖をパッと離し、大きく一歩離れた。他人に触れていた手を隠すようにもう片方の手でくるむ。思いがけなく自分の気持ちが行動に現れてしまい、照れくささと居心地の悪さを感じた。
    「あはは、なんつーツラしてんだよ。喜んだり悩んだり、忙しいヤツだな」
     腰を上げたボスは、歩きながらポンと俺の肩を叩き、調理台へ。そして、皿に盛られていたフライドチキンに手を伸ばした。いただきますから間を置かずに躊躇なく開かれる大口。ガブリ、と音がしそうな風体で、チキンにかぶりついている。
    「うめえ。この前のと何か変えたか? 今日の方がイイ」
    「新しく仕入れたスパイスを試しに。口に合ったみてえで良かったっス」
     照れくささに照れくささが重なって、脇目でしかボスの方を見られない。ただ、今度の照れくささには、少しの誇らしさもあった。
     ふ、と笑ったボスが、真っすぐな視線でこちらを射抜く。
    「お前の作る飯は、俺様が食って来たモンの中でも抜群に美味い。もともと器用なのもあるだろうが、それだけじゃねえ。お前は、料理を作るときに手を抜かねえ。仕事が丁寧だし、食うヤツのこともちゃーんと考えてる。当たり前のことを毎日当たり前にできるヤツは早々いねえからな。俺は、お前のそういうとこを買ってるんだ」
     カッと顔が熱くなって、「う、」とか「あ、」とか単語にならない言葉が口から漏れていく。ようやく言えた「ありがとうございます」は、自分からしても頼りなくて。それを聞いて、ははは、と豪快に笑ったボスは、また美味そうにフライドチキンを頬張った。
    (このひとには欲しいもん全部手に入れてほしいな……)
     そして、あわよくば、満足そうな笑顔を近くで見ていたい。
     この先ずっと、世話になるならボスのところがいい。その分、飯の世話や、「仕事」のサポートには、応えられるだけ応えて。
     そうしたら、俺は誰からも傷つけられない。そんで、うまい飯を作って、魔力を鍛えて、使える魔法使いになって、俺だってボスを傷から守れるくらいに。
     家を出てから初めて、未来に希望を持てた。こんな夢らしい夢を見られたのは、生まれてから初めてかもしれない。
    「ボス。俺、頑張るから」
    「……お前、たまに言い方が重いんだよ。まあいいや。しっかりやれよ」
     貰ってくなー、とフライドチキンを皿ごと抱えたボスは、キッチンを去っていった。
    「俺のこと、買ってる……」
     一人になったキッチンに、さっき与えられたものを大事になじませるように呟く。
    自分がいまここにいる意味を与えられた事実を反芻して、口がにやけるのを抑えられなかった。




    Episode._ 燃えない星は光らない


     箸が転んでもおかしい年頃が、若い娘にはあるらしい。
     たまに女と遊ぶ程度の俺にとっては、そうかもしれない位の話だが、「どれだけ酒を飲んで騒いでも底抜けに楽しい年頃」があるって言われたら、ちょっと信じるかもしれない。

    「それで、そん時のヤツの顔がよ、こんな」
    「ブッ、ははは! やめろ、変身魔法の無駄打ちすんな」
    「あ、待て、やっぱこうだったかも」
    「はあ? どこが変わったんだかわっかんねえよ」
    「馬鹿野郎、さっきより鼻の穴がちょこっとでけえだろうが! ちゃんと見ろよ!」
    「ひー、アイツの鼻の穴とか見てねえよ。うわ、馬鹿馬鹿、寄るなって! ふっざけんな、てめえの鼻の穴なんか見たくねえんだよ!」
     「仕事」が大成功に終わった後に呑む酒は、とにかくめちゃくちゃ美味い。
     どこのお子ちゃまだよって話でゲラゲラ笑い転げて、それでまたぐわんぐわんに酔って。ふらふら定めがつかないまま瓶を握って、ボス兼相棒——ブラッドのグラスに当たり前の動作で酒をつぎ足す。呑むことすら、呑んだ酒に決められてる、そんな感じだ。
     ブラッドは、その新しい酒もグイっと一口で呑み干し、満足そうに長くひと息吐いた。
    「はー、あっちいな。ちょっと風に当たろうぜ」
    「ん」
     ここは北の果ての地。一年のうち気温が高めの今でさえ、小さな湖なら凍っているような極寒の地だ。けれど、程よい大きさの洞窟で焚火をすれば十分に暖がとれたし、なにより今はアルコールの効き目が抜群だった。
     ぽっぽと火照る身体をゆらゆら揺らしながら、洞窟を抜ける。壁に遮られていた冷風が急に横っ面を叩いてきて、はためいた自分の前髪に思わず目を瞑った。すると、
    「すげーぞ、ネロ‼」
     冒険の果て、ついにとびきりのお宝を発見した少年みたいな声が目の前からする。
    「な、」
     髪をかきあげながら何だよと言いかけた口は、相棒の視線の先、いや、この目に映るすべてへの感嘆で閉じることができなかった。
    「すっげー……」
     夜空のドームとそれを写す大きな湖面いっぱいの星々。ただ瞬いているだけでも圧巻なのに、それが次から次へと流れていく。まるで俺たちを雨でできた球体に閉じ込めるかのように、けれど、星自身に湿度の高さはひとつもなく、ただ淡々と。隣の星の行く末さえも気に留めず、一心に光って、そして消えていく。緑や黄色にぼうっと光るオーロラが、地上の俺たちと星とを分けるカーテンみたいにゆらゆら揺れているところまで綺麗だった。
    「流星雨かあ! やっぱ今日はツイてるな」
     な、相棒! と笑って、ぐいっと肩を組んでくるブラッド。
    「調子乗んな、まだちゃんと許したわけじゃねえからな」
     ムッとして、狙って殴った左わき腹。「いてえ!」と一声上げたブラッドは、俺の右肩を殴ってきた。だから、ここ一番の「ふざけんな」を乗せて、ヤツの左肩にもう一発。ブラッドは反撃を諦め、「はー、こわ」とわき腹をさすっている。
    「無茶すんのはやめろってこの前も言ったじゃねえか」
     武器を持ってる標的に、鼻の穴の大きさがわかるほど近付いて頭をぶち抜くなんざ、まともなヤツの思考じゃない。
    「もうその話は終わりって呑む前に言ったろ? 折角いい感じに酔っぱらってたのによ。ってか、今日の仕事はうまくいった。それでいいじゃねえか」
     なあ? と言ってまた伸ばされたブラッドの腕を、今度は肩が組まれる前にかわした。
     確かに、意表を突いた攻撃が相手の隙を作ったことは間違いない。ブラッドのお陰で、仕事はうまくいった。俺は、相棒の頭も腕も信じてる。でも、成功ってのは、皆で生きて帰って、お宝を楽しむまでがセットなんじゃないのか?
    「あん時もし石になってたら、この景色だってあんたと見られなかった」
    「馬鹿野郎。うまくいったから、酒が飲めて、こうやって外に出てきて、見られたんだろ」
     話の噛み合わなさに、大きな溜息が出る。真冬だったら、吐いた息が目の前で凍って、隣の男に猛スピードでぶつかっていったに違いない。本当、ぶつかってくれれば良かった。
    (どのくらい伝わってんのかね……)
     やるせなさに、天を仰ぐ。
     俺たちの交わらない会話をよそに、星は変わらず淡々と降り注いでいる。星と星の作る美しい平行線。分かち合えないことはかなしいことじゃないと言われた気がした。
    「ほんっと、綺麗……」
    「これ、やるよ」
    「へ?」
     隣の声に従って手を差し出すと、コロンと黒くて丸いものが掌に落とされた。何なのかすぐにはわからなくて、暗闇に目をこらす。
    「これ……万華石?」
    「お前、気に入ってただろ。今日も、お前がいてくれたからうまくいった。また一緒にお宝奪ってやろうぜ、な?」
     がしっと肩を掴まれ、二、三度軽く揺すられて。そして、確かめるように肩をいだかれた。
     「綺麗」って言葉で団に入ったばかりの頃の俺を思い出して自分のお気に入りをくれるようなところがあるからいけないのだ、このボス・相棒は。これで喜ぶだろうと思ってるとこがやべえ。実際に、ちょっと可愛いとこあるよなと思ってる俺が言えたことじゃないかもしれねえけど。
     万華石をぎゅっと握りしめる。
    「マジでこれっきりだからな。次、また同じことやったらほんとに許さねえから。お宝でもごまかされねえ」
    「そうこなくっちゃ! あー、寒っ。どうせだからここで呑みなおすか。結界張れば寒さもしのげんだろ」
     変わり身は変身魔法より早く。肩から手を離したブラッドは、結界を張った後、魔法で酒とグラスを用意していた。
    (ボスからブラッドになっても、)
     すん、と鼻水を啜りながら魔法でブランケットを用意して、星空の酒宴の補助をした。
    (俺はあんたに認めてもらってここにいるって思ってるし、相棒として恥ずかしくない自分でいたいよ。そんでさ、)
     注ぎ交わした酒を、同時にあおる。
    (あんたには生きて、笑っててほしい)
    「最っっ高だな!」
     ブラッドの声が、結界の中で響いた。

     *

     それは確かに流星だった。
     誰のためでもない、自分のために燃えて、鮮烈に光って、注目と感嘆を集め、そしていつかは消えていく。手の届かない、誰にも属せぬ存在。消えるな、近くでそう言ったとしても燃えることをやめない、やめられない。燃える時には既に消えることも受け容れている、そういう綺麗な星。

    「ネロさん、具合でも悪いんスか?」
     気遣わし気な様子で隣のルカが声を掛けてくれる。
    「え? いいや、そんなことないけど。何で?」
    「顔色あんまり良くないし、何ていうか、全体的にいつもと違う雰囲気……? こんなこと言うの失礼だってわかってるんスけど、ちょっと休んだ方が……」
     同じ食事係の彼は俺と似たところのあるヤツだと思っている。気になったことに手を出さずにはいられない質。食事係にとコイツを連れてきたブラッドが言ってたとおりだ。
    「気にしてくれてありがとな。昨日、呑みすぎたかも。これ終わってからちょっと休もうかな」
     食器を洗いながら伝えると、ルカはほっとしたように笑う。
    「ぜひぜひ。そうだ、ここはあとこれだけだし、もう部屋に戻っても大丈夫っスよ」
     十枚余りに減った食器の山を泡だらけの手で指さして、ルカは言った。ここが北の国じゃなかったら、シュガーをくれそうな勢いだな、と思って軽く笑う。
    「うーん。じゃあ、折角だから甘えさせてもらうよ」
     ありがとう、ともう一度口にすれば、「いえいえ、お大事に」とルカが心配そうな瞳ではにかんだ。

     一人部屋のベッドに腰かけ、すう、と軽く息を吸う。
    「≪アドノディス・オムニス≫」
     ぽろぽろと掌の上に零れたシュガーは、頭の中で思い描いていた形ではない。いつもなら綺麗に整っているはずの角が、ほんの少し出っ張ったり欠けていたり、不細工だ。
     吸った分以上の息を吐いて、ごろりと仰向けに倒れた。
    (先月……、あの話を聞いてから徐々に、だよな)
     魔法が綺麗に使えない時には、原因がいくつか考えられる。魔力の減少、呪術、薬、そして、使い手の心の問題。魔法使いは、心で魔法を使う。魔法に影響が生じるような出来事には、見当がついていた。
    「おい、ネロ。いるか?」
     そんな時、馴染みのある声が聞こえたのと同じくして、ドンドンと勢いのある音でドアがノックされる。まさに今、思い描いていたひとの登場に、また溜息を吐いた。
    「いるよ」
     ガチャッと勢いよく開いたドアは、バタンと後ろ手で閉じられる。肩で風を切るようにして早足でこちらに歩いてきたブラッドは、身体を起こしたばかりの俺の隣に当たり前のようにどかっと腰掛けた。
    「何だよ、騒々しいな」
    「作戦変更だ」
     俺の小言は聞き入れられることなく、代わりに地図が広げられた。そこには、幾度となく見た場所が描かれている。
    「警備配置について正確な情報が入った。北の城に向かう森、ここの入り口から中央の兵の数が五分の一になる。」
    「五分の一⁈ 減り方が想定外じゃねえか」
    「北の政治組織の矜持が重視されたんだろ。今後仲良くしましょうね、中央からの贈り物も受け取ります、でも、城の周りを大勢の兵にウロウロさせられるほど、成立したてのあんたの国とはまだ信頼関係できてませんってアピールだ。中央はお宝を乗せた馬車分に必要な兵の数だけで城に向かう。それができるかどうかも試されてる」
    「森の入り口からになったのは、何か理由があんのか?」
    「そこなんだよ。中央の警備には魔法使いも絡んでるらしい」
    「魔法使い……!」
     昨日までにはなかった情報だ。ぞくりと身震いがした。ブラッドが、反復した俺を肯定するように頷く。
    「中央は、統制のきいてねえ魔法使いで溢れてる北の国でお宝の警備をしなきゃならねえ。だから、魔法使いの協力が必要だって考えるのは自然だ。これは前にも話したな。だけど、中央では建国直前に魔法使いが火炙りになったって噂もある。それが本当なら、政治に関わりたいと思ってる魔法使いなんかいねえはずだ。俺たちはそう考えて、魔法使い不在の警備計画を想定してた。実際に入手してた計画もそうだった」
     今度は、俺が頷いた。ブラッドが口元をゆがめる。
    「けどよ、いたんだよ。協力してもいいって魔法使いが」
    「どこに」
    「お人良しの南」
    「え⁈ 国の警備に、他の国の魔法使いが関わるのか⁈」
    「南には、代々、先制攻撃を絶対にしないって物心ついたときから約束してる魔法使いの一族がいるらしい。そいつらが政治的に利用されることも多いってさ」
    「はあ⁈ そんなん初めて聞いたぞ。しかも、仮にもそんな約束してるやつに警備させるって……防衛魔法に相当な自信と信頼がなきゃ無理だろ⁈」
     ブラッドリーが、ははっと大きく笑った。
    「その相当の自信と信頼があるってことなんじゃねえの? ただ、他国の魔法使いを使うっていうのはやっぱり好ましい事態じゃねえからな。外から見えにくい『森から』が警備の主担当ってのは、中央の人間の矜持が許した境界ってことよ」
     人差し指で地図上の森をトントンと指で叩いたブラッドの瞳は、興奮でギラギラと照っている。これは「獲りに行く」ことを一番に考えてる時の顔だ。胃が少し重たくなる。
    「それ、誰からの情報だ? 何で今になってわかった?」
    「ルカ。あいつの出身、南だろ。例の一族のこと思い出したらしくて、教えてくれたんだ。偵察に行ったやつらからも間違いなく今回の警備に絡んでるってさっき情報があったばっかだ。計画もこれからまた正しいのを盗めば完璧な裏が取れるじゃねえか。当日までにはまだ時間がある。準備は何とか間に合わせられんだろ。南の奴らの警備なら、絶対にブチ破れるぜ。狙うならここしかねえ」
    「ルカ……。さっき何も言ってなかったのに……。俺は反対だ。今更の新しい情報とか信用ならねえ。ってか、前から言ってるが、国の警備なんか簡単に抜けられるわけねえんだよ。北の国の後ろ盾してる魔法使いもいるだろ? そいつらだって怒らせたらどうなることか。さすがに敵を作りすぎだ」
     ここ数十年、無茶な計画を聞く度に止めてきたけど、今回はマジのマジで本気だった。今まで、国を相手にした盗みはしたことがない。成功した場合にも失敗した場合にも重い痛みを伴う結果が想定されて、考えたくもなかった。一富豪を相手にするのとは訳が違う。最悪、本当に、捕まるだけじゃ済まない。それをどうにかしてわかってほしかった。
    「お宝は他にも山ほどあんだろうがよ……」
    「馬鹿野郎、いま俺様が欲しいのはこれなんだよ」
     だからさ、と言葉が続くのを、耳が拒否している。だって、これ以上聞いたら……。
    「やると決めたらやる。お前ももう計画に入ってっから」
    「やめろ、ふざけんな。俺は降りるぜ」
    「こんな面白いモン、やめられるかよ。日和ってんのか?」
    「ああ、日和ってるってことでいいよ。俺は嫌だ。もう誰かが死にそうになってんの見たくねえ」
    「お前がいなきゃ俺は誰と組めばいいんだよ、ネロ、相棒」
    「誰とも組まなきゃいい。やめろ。俺は行かねえからな」
    「いや、お前は来るよ」
     最後は、また追加の情報入ったら伝えに来るから、と半ば強引に会話が終了させられた。
     ブラッドリーのいない部屋。静かで落ち着くはずなのに、ずっと胸のあたりが重い。
    「≪アドノディス・オムニス≫」
     できたシュガーは、さっきよりも歪な形をしていた。

     それから四日後。件の計画の実行の日。
     話に乗るにせよ降りるにせよ、ここにいるからには皆、飯を食わなきゃいけない。だから、今日も変わらず厨房にいる。
    「今日、うまくいくといいっスね」
     まあ、俺は弱いから留守番っスけど、と困ったように微笑むルカと食事の下拵えをしていた。ブラッドを始めとして団の大半は計画のためにすでに外出しているから、食事係の作業は二人いれば十分と、他の係員はそれぞれ好きに過ごしている。
    「……そうだな」
     薄笑いと共に言葉が漏れる。
     ナンバーツーが計画に反対してるって噂ならともかく、こんな下っ端に愚痴るなんて格好つかないことはさすがにできない。でも、機微に敏いルカには、伝わるものがあったようだ。
    「まだ体調悪いんスか?」
    「んー、まあ、計画変更だなんだって色々あったから、疲れもあるのかな。てか、俺、そんなに具合悪そう?」
    「ていうか、最近、極力魔法使わないようにしてま——」
    「それ、誰にも言ってねえよな?」
     思わず胸倉を掴んでいた。まさかそこまでされるとは思っていなかったのだろう。ルカには一瞬で恐怖の表情が宿る。
    「ヒッ、すいません! 誰にも言ってません!」
     両目をぎゅっと瞑りながら、防御の姿勢を取る姿を見て、沸騰した気持ちが急速に冷えていく。今年で十七のヤツだ。何百歳も下の子どもをボコボコにするのは趣味じゃない。
    「あー、悪ィ、魔法がうまく使えねえってのは、俺だけじゃなくてここの皆も危険に晒すことになるからさ。誰にも言ってねえならいいんだ」
    「そうっスよね。自分こそ軽々しく、すみませんでした」
     シュンとうなだれるルカの背中を軽く叩いて作業に戻る。
    「……いつから気付いてた?」
    「えっと、五日前くらい……? シュガーが足りなくなるといつも自分で作ってたのに理由付けて俺に任せるようになったところ辺りから、もしかしてって……」
    「そっか……。そうだよな、今まで黙っててくれてありがとな」
     気を落ち着けた俺に、ルカは安心したように微笑んだ。
    「大丈夫ですよ。二、三日ちゃんと休めば、また使えるようになりますから。取り敢えず今日の仕事は行けないけど」
     一瞬、トマトを刻む手を止める。そして、また刻み始めた。
    「なんだよ、随分わかったふうに言うじゃんか」
    「え、いや、俺も使えなくなった時があって……。その時は祖母ちゃんの薬飲んで寝たら直ったから……」
    「へえ、お前の婆さん、薬師か何かなのか? 俺にも効くのかな、その薬」
    「いえ、薬師ではないんですけど……趣味で……ネロさんにも効くかどうかは、俺、詳しくないしわかんなくて……」
     根が素直なヤツっていうのは、本当、北の国なんかに来るべきじゃない。一気に畳みかける俺に委縮して、次第に小さくなる声、横目に見える、しどろもどろな幼い視線、動きの止まっている手。
    (クロだな)
    「お前さ……え」
     その時、突然力が抜けて、その場にへたり込んだ。
    「ちょ、ネロさん大丈夫スか⁈」
    「触るなッ‼」
     ルカのことを初めて力いっぱい怒鳴った。ただ、その声も、腹に力が入らなくて、押し出せるだけの空気で喉を震わせる、地を這うような音だ。段々、寒気も加わってきた。これは、
    「お前、なんか盛ったな?」
     とうとう両腕で自分の体を支えられなくなり、その場にどうっと倒れた。
    「ひぃっ、すみません、ごめんなさい、ここまでの効果は想定してなくて、おれ、ただ、今日は箒に乗れない程度の魔力にって、それで、前から薬草を——」
    「前、から⁈ いつッ……?」
    「一カ月前……。ああ、もうほんとどうしよう……。そうだ、ネロさん、これ持ってください。俺のこと、もう信じられないかもしれないけど……。あなたのこと死なせたいとは思ってないから……」
     お願いします、と言うこげ茶色の瞳に、涙が溢れて、そして次々に零れて——。
    (パン屋のおばさん、元気かな……)
     脈絡のない思考の中、目を閉じる。手に握らされた固形物の感触も、もうよくわからない。
     涙。目の前に、一筋の光が流れた。鮮烈な流星。
     綺麗だった。幸福だった。傍にいたかった。ずっと光っているところだけ眺めていたかった。できることなら自分も流星になりたかった。そのどれもが本当で、もう現実にはならないんだ。

     次に目を開けた時には、南の国のルカの婆さんの家にいた。
     薬草学を含めた防衛魔法特化の一族の長である彼女は、最終的に倒れたのは薬を盛った孫のせいだが、効果が大きく出たのは魔力を制御できない俺の心も影響していると言った。
     わかっている。全部俺のせいだ。「相棒としてふさわしいヤツでいる、絶対」というある種の約束が叶えられないものだとわかった時点で、俺はアイツの傍から離れるべきだった。

     また、一筋の光が流れる。多分、これで最後だ。
     再びは目の前を流れることのない流星。惹かれるから目を瞑ろう。背を向けよう。窓にカーテンをかけよう。
     ごめん。あんたをあんたのまま大事にできなくて。
     もう二度と、簡単に焦がれたりなんかしないから。
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