『僕のサンタ』 ポイントは目に涙をためること。
さも「事実」を知って傷ついた子どものふりをする事だ。
僕たちには親がいないからサンタさんも来ないんですよね、だって、サンタさんの正体は、
親の成りすましだと暴くもよし。言葉を濁すもよし。養護施設の職員をまごつかせる遊びだった。サンタクロースを信じる子どもが職員にまとわりついている時を狙う。眼を張り、耳を傾け、大人の機嫌を乗りこなす正しい方法を懸命に探りながら、大人の語る欺瞞を信じて握る小さな手。その矛盾に譲介は耐えられなかった。期待は裏切られるために在る。早く「真実」を知るべきなのだ。
だから今年も譲介は、目覚めのプレゼントを投下した。
高校入学前に移った施設の食堂で、くしゃくしゃのピンク色の画用紙を譲介は拾った。引き裂かれ、棚の裏に隠された悪意の花びらを案内の職員に渡す。ひどいやつがいますねと眉をひそめて見せた。みつけてくれてありがとうと顎の位置で髪を切り揃えた職員は微笑んだ。こちらに同調して世話してるガキ共を腐さなかったなと譲介は胸中に記録した。
紙の桜の本来の居場所は掲示板である。案内人が巡らせた視線の先には補修の跡残る季節の飾りつけ。今年のお花見はね譲介くんが来てからだってみんな楽しみにしているわ。戻された眼の奥の、不屈の明るさに譲介は如才なく応えた。僕を待っていてくれたんですかありがとうございます。
それからあれやこれや挙げられる行事の予定を聞き流す背筋を誇らしげな一言が打ち据えた。
うちには本物のサンタさんが来てくれるのよ。
どうせあんたらが裏で買ってるだけのくせに。
譲介は「分かってる」苦笑で相槌を打った。でも僕もう高校生ですから。けれども善意の設定はしたたかで、高校生向きのプレゼントをサンタさんに相談してみるわねと奮起されてしまった。
しかし約束の季節が訪れるよりも早く譲介は施設を出ることとなった。
扱いづらい年齢の男のガキが今さら貰われるとはつゆ思いもしなかった。だが扱いづらさなら引き取り手の方が上である。左胸をナイフで抉った子どもを死の寸前まで脅し、大怪我の事由に気を揉む入院先を言いくるめ、法的に疑いようのない保護者欄を数日で獲得した、職業医者を名告る男。
彼の卓絶した手術により流失を止めた命の、消しきれなかった傷痕に、服の上から手を当てる。触覚は、寒さを防ぐ服の厚みに阻まれた。脱げばすべてを確認できたが、それはあまりに大仰で感傷で億劫だ。いったい譲介の手はクリスマスケーキをこの家から消し去るので忙しくなるのだから。
リビングの壁掛け時計がメリークリスマスを報じる。冬休みの課題をテーブルの隅に寄せて立ちあがる。続きの台所の冷蔵庫から一度封をやぶった箱を取り出して、ケーキを皿に載せ、フォークを添えて席に戻った。本日中にお召しあがりくださいと申し渡された期限は昨日だったが、数分で腐敗が極まるはずもない。ちょこんと小さな円形のてっぺんを彩る三つの苺。白さ輝くクリームの層は薄く、スポンジを上下に分かつ中心部に敷きつめられた赤が酸味を発揮。宣伝どおりに甘すぎないショートケーキだったから、二個目も飽きずに食べられた。
これは期待ではない。と、譲介は念じた。深夜まで起きていたのは宿題をやっつけるためだし、ケーキを二個買ったのはひとつきりでは注文しづらかったからだ。預かった財布からレシートを抜く必要もない。それっぽい食事を好きに買えと命じたのは向こうで、従った結果のケーキなのだ。オレは今日帰らないがダチとのパーティー会場にするんじゃねぇぞ?と言い残してひらりと去った背中を思い出す。驚くことにクリスマスイブを一緒に過ごす相手がいるらしい。皮肉や嫌味以外の言葉を知らない人を浮かれ騒ぎの相手に定めた女?、男?、はどれだけ変わり者だ。もしかしたら、相手を怒らせて早々に追い返されてくるかもと、甘すぎない、だけど十分それっぽいケーキを買ってみたけど、こんな小さなケーキなんてパーティーに呼ばれるあの人にはきっと小ばかにされたろうから、見つかる前に片づけられてよかった。あの人が僕に金を使うのは、僕の心身を向上させて学業に邁進させるためだ。僕の優秀さに金を払っているのだ。そして彼がとうとう決着をつけられなかった男のクローンの優秀さを同い年の僕が凌駕して終止符を打つ。あの人はそのために僕と暮らしている。
こんなことは期待されていない。こんなことは褒められない。
別の腹に入るはずだったケーキをすっかり食い尽くし、皿とフォークを洗って布巾で拭きあげ棚にしまい歯を磨いて就寝した。
朝、枕元には箱があった。濃い藍の包装紙に赤と緑を重ねたリボン。クリスマス・プレゼントを宣言してはばからぬ細長い箱を摑んでもなお、夢の中だと思われた。もつれた頭をさわって寝ぐせの有無を確かめ、枕辺に浮きたつ長方形から目を離さずに着替えながら、譲介は唐突に理解した。
あっ なら、帰ってきてるんだ
お礼を伝えなければ。お帰りなさいとおはようございますの挨拶をして。
朝の支度を完成すべく箱を携え自室を出る。年の瀬の冷たい廊下をぱたぱたぱたと。三歩でたどりついた洗面台にその人はいた。譲介は、用意ができていなかった。ふたり一緒に暮らしている。当然、鉢合わせは稀なことではなかったのに。
洗顔の滴をぬぐったタオルを洗濯籠に放りこみ、振り向いて、開けっぱなしのドアを通らぬ足に寄せられた眉が、譲介の胸に抱きしめた箱に向くやいなや、仰々しく孤を描いた。
廊下との境にその人は立ちはだかった。
「よう」
「おはようございます」
「空いてるぜ」
「はい」
「使わねぇのか?」
「あの、ぶつかるかもしれなくて」
「ああ。狭いか。悪かったな」
「ありがとうございます」
ドアのふちより大きな背丈がのいて、再びひらけた通い路に、今度こそ譲介は踏み入れた。
さて、箱をどこに置こう。床は論外。備え付けのタオルラックが頼もしい。濡れない場所に託せたことにほっとした瞬間、安堵は掻っ攫われた。あやういところで驚愕を呑み込む。隣に立ち、譲介の箱を鷲摑んだ長い指が乱暴にリボンをはじくものだから、漏らせぬ悲鳴で喉がつまった。
「サンタさんからのプレゼントか。良かったじゃねぇか」
しらじらしいと譲介は思った。実際は自分で置いたくせに。されど、質して白状する対手ではない。だからお礼も縮こまってしまった。嬉しかったのに。嬉しいと思ったことを伝えさせてもくれない大人を相手どって少年は、もし、と口火を切った。
「もしそうだとしたら、不法侵入ですよ。そんな甘いセキュリティでいいんですか」
「道理だな。来年は部屋に鍵を掛けておけよ」
「それより玄関の警備レベルを上げたらどうです? 虹彩認証とか」
「あのなあ譲介。サンタの野郎は煙突から侵入してくるんだぞ」
「……煙突、ないですけど」
「無い場所から部屋に入ってこられるってこった」
「……鍵をしたって無意味じゃないですか」
「そうかもな」
「そうですよ」
「おい、開けねえなら開けてやろうか」
「やめてください」
「自分で開けたいって?」
「というか、サンタさんからのプレゼントなんでしょう? 未成年の僕が開けるのが筋ってだけです」
「ふん。中身くらいは教えてくれよ。気に入らねえものだったら、突き返してやらなきゃな」
サンタクロースへの返品ってできるものなのか?
混乱する両手に戻された箱を抱え、譲介はいったん自室に引き返した。朝食の席に持って行けばまた揶揄われそうであったし、万が一にも開けられては堪らない。与えられた部屋の、買ってもらった机の、預けられた財布の隣に、そっと箱を置いて、同居人に不審がられないほどの少しだけ、眺める時間を自分に許した。
中身はなんだろう。薄い長方形だ。財布、手帳、ブックカバー、手袋、ハンカチ、櫛、図書カード、新しい詩集。なんでもいいと譲介は思った。これまで暮らした施設でのクリスマスプレゼントは、中学生なら中学生、低学年なら低学年と、数歳をひとくくりに、皆同じものを配られた。公平を期してである。一応ツリーは飾ってあって、根元に並んだ箱から自分の名前が書かれたシールを見つけては、サンタさんの字って××さんのに似てるねと譲介は無邪気な笑みを披露した。プレゼントをめぐる会話も、我先に蓋を開けた瞬間からぎごちなくなった。他人と同じものを渡されれば当然すねる子どもも出た。でもこれは、きっと僕だけの特別なプレゼントだ。
十五年も生きてきて、中身を想像するだけで嬉しいなんて知らなかった。さっきの、どうでもいい会話にあの人が付き合ってくれるなんて思いもしなかった。クリスマスに目覚めることが楽しいなんて。
みんなこんな嬉しさを?
みんなこんなに嬉しくて、僕はそれの邪魔をした。
譲介は落ち着かなくなった。悪い子はサンタからプレゼントを貰えないのがルールである。あの人は僕の悪さを知っている。ナイフで他人を脅迫し、恐怖を煽る道具として動物を殺めた事実を。譲介は落ち着きを失くした。両手に箱を掬い、己に満ちる感触を諦めた。
開ける前でよかった。お店に返品できる。
こうして譲介は箱と財布を大人に差し出した。
「サンタさんに返します」
リビングの椅子に腰かけ、広げた新聞から上げられた眉根が疑問を呈した。
「気に入らなかったか?」
開けてもいねえのに、返しちまったら代わりはないぞと面白そうに嚇す声。とても嬉しかったから受け取れないのだ。想いと行為の順接を伝えあぐねる間に、リボンがほどかれ、テープが剥がされ、包み紙は平らになった。現れた箱は穏やかな褐色で、枝葉繁れる印影が中央に捺してあった。いよいよ蓋に手がかかる。中身を知ったら欲しいと口走りかねない。焦りに衝かれて譲介は顔を逸らした。もちろん何の解決にもならず、何やってんだと呆れた口調に腹をつつかれた。未開封の箱のやわらかな辺で。
「ほらよ。気に食わなかったら、それでいい。サンタ側の選択ミスだ」
譲介は指を伸ばして、テーブルに広がる新聞紙の波の向こうを差し示した。そっちの紙とリボンをもらえないかと。一般的には役目を果たしたゴミ。でも譲介にとっては特別の欠片だ。
保護者の喉から軽々しさが消えた。
「紙もリボンも、元からおまえのもんだよ。だが見てもいない中身を拒否する理由は何だ、譲介」
失望されたくない。軽蔑されたくない。クリスマスを楽しむこの人に。クリスマスを台無しにしていたことなんて話せない。話せば、罪を認めたことになる。悪事を働いたと理解している。分かっていてやった。何度も。故意が有った。ゆえに、話すことは、罪を手放すことではないか? 春の施設の裏庭でナイフを向けた僕をこの人は赦した。はなして、ゆるされて、僕の感情の土台は楽になる。罪悪感でも後ろめたさでも自責の念でも、名付けようと思えば名付けられるそれを放り出して、寛恕を乞うため悪事を知られて、嫌われたくはない。こんなに自分ばかり優先する僕は所詮罪を認めてやしないと、譲介は自嘲した。
沈黙の幕を箱がはねあげる。斜めに動かされた箱の中でことんと動く音がした。
「要件の確認だ、譲介。おまえはこいつがサンタのプレゼントだから受け取れない」
譲介は肯いた。
「もしも、オレからのだってことになりゃあ、受け取れるか?」
譲介は首を横に振った。
なおさら無理だ。プレゼントは寿ぎで、同時に彼の資産への侵食である。ただでさえ一個余分にケーキを買ってしまったのに。
「つまり、おめえは、これがプレゼントだってことに耐えられないんだな。分かった。オレが捨てといてやる」
無造作にテーブルに放された長方形は、しかしやはりどうしようもなくプレゼントだった。
欲しい/悪さの責任もとらずに/手に取れない
幕の奥の奥からのぞいた声は、幽かな息だった。
「ど、どうしたらいいか、分からない――」
鼠と雀と兎、三頭の血を流した裏庭に仆れながら、次に続きそこねた朧の夜、譲介に新しい人生を与えてくれた人は、箱の蓋に平たくのばした手を載せた。譲介に知識があれば誓いの仕種と映ったであろう。
「なあ譲介。受け取れない理由をおまえさんが喋らなきゃ、オレから言えることもない。だけどおまえは初手から強情っぱりだ。話さないことを選んだんなら、貫けばいい」
とうとう箱は開かれた。
白布の薄靄が払われて、銀色のふちどりがちかりと光る、木製のペンケース。磨きこまれた表面は見た目にもしなやかだった。
高校生向きのプレゼントだ、と譲介は直観した。繕い直された春の掲示の前での会話がふと浮かぶ。あのままあの施設に籍を置いていたとしても、約束は叶えられたのだろう。喜びを信じる子どもを守る大人によって。
いい贈りものですねと子どもは言った。
そう思われたんならサンタのやつも成功だなと大人は言った。
強情なのは僕よりこの人だ。絶対に。失敗も功績もサンタの「手柄」として語る男は、語り続けた。譲介に受け取らせるために。
「サンタは罰を与える存在じゃない。“悪い子”の所にサンタは来ませんじゃ、存在が罰の一種になっちまう。周りの影響をモロに受ける年代のガキを良し悪しで淘汰するのは周囲の大人だ。譲介、おめぇなら解るだろ。なにせ学校では“優等生”だからな。まあ、今日は家でも優等生みたいだったな。こっそり捨ててよかったのに、バカ正直に返しに来てよ」
心外だったので言葉も返すことにした。
「確かに、ドクターは僕をよくご存じです。僕はこっそり捨てるやつです。でも、返品できるだの言い出したのはあなたの方ですよ。僕に“良い子”の行動を取らせたのはご自分でしょう?」
相手の口角が吊り上がり、譲介は失言を察した。
良い子にはプレゼントの出番だな。
「サンタはガキを淘げない。おまえも未成年なら、サンタのプレゼントを受け取るのが筋ってもんだぜ。それに今日くらい、大人に言い負かされとけ」
口で勝てたためしのない男が開いた箱から遂に譲介は受け取ってしまった。
つやつやの感触を。
喜びを。
持った拍子に開口部を押しこんでしまったようで蓋がぱかんと持ち上がる。そのまま広げたケースの内側には己の名前が彫られていた。
和久井譲介は名前ごと捨てられた。馴染みはあれど、好きではなかった。氏名が変わっても支障はなかった。実の親が改悛して“我が子”を捜す手間を省いてやりたかった。見つける気もない親に向かって見つけて!と叫ぶ、忌々しい、稀な綴りの名前。
けれど今はこの人が探せる名前でいたい。
僕のサンタ。
僕の心臓。
ドクターTETSUの横顔に報告する。
「名前が入れてありました。返品はできませんね」
「ああ。サンタも困っちまう」
この話題は終いとばかりにTETSUは財布を開くと、昨日のレシート(逐一見せる必要はないって言ってるだろ)に目を通し、屈託なく笑った。
「同じケーキを二個? よっぽど好きなんだな」
譲介は胸を張った。
「そうなんです」