オグリ(概念18)×酔っ払いタマおねぇちゃん(概念24)のオグタマ家事を済ませると時計はいつもなら布団に入っている時間を差していた。自炊をすると、どうしても大量の食器を洗うのに時間がかかってしまう。
食洗機を買うべきか、次にタマが部屋に来た時に相談してみよう。そう考えながら台所から部屋に戻ると机に置かれていた携帯がけたたましく鳴った。
オグリの生活リズムを知っている友人や家族はこの時間に電話をかけてこないので、誰だろうと思って画面を覗き込む。タマモだった。
こんな時間に電話なんて。首をひねりながら通話ボタンを押すと、いつもの『ウチやで』というあまり役に立たない名乗りもなく、タマモの声が聞こえた。
『あ!出た!なあオグリ、ウチ、今どこにおると思う!?』
声も口調もタマモそのものだが、明らかにテンションがおかしい。
「――本当にタマか?」
大音量から思わず携帯を少し離すと、『ウチ以外に誰がおんねん!』と鋭い声が返ってきた。
このツッコミはタマだ。確信はするものの、まったくオマエは……とブツブツ漏らす調子が明らかにふにゃふにゃとしており、ひとまずいつものタマモではないことは窺い知れた。
確か今日は久々に同級生と飲みに行くと言っていたはずだ。二人の部屋は歩いて通える距離にあるため、オグリは当初、駅まで迎えに行こうかと申し出た。前にタマモが夜遅くにランニングをしていると、中学生と間違われて警察に補導されかけ、えらく憤慨していたことを覚えていたからだ。しかし逆にそっちが迷うやろとあっさり断られてしまった。
一人暮らしを始めて数カ月も経たない自分と違って、彼女はもう何年も一人暮らしをしている。夜遅くまで飲むことも今までにあったことだろう。だからそう心配もいらないのだろうか。タマモに断られてから、オグリはそう思い直していた。
「酔ってるのか?」
『酔ってへん』
「酔ってるだろう、これは」
『うるさいな。お酒飲んで楽しなってるだけや。まだ酒飲まれへんオグリに言われたない』
それを酔っていると言うんじゃないのか。
と思ったが、まだ飲めないくせにと言われると返す言葉がない。年の差なのか、そもそもの頭の回転の違いなのか、会話の応酬でオグリは一度も勝てた試しがなかった。二人がこういう関係になってから、お互いに年齢の差でどうしようもないことについては言及しないようになっていた。けれどもひさしぶりに、痛いところを突かれると、悔しくなってしまう。
『で、ウチ今どこにおると思う?』
まだ諦めていなかったらしい。あてずっぽうでも答えないと永久にこの問いに戻ってきそうだ。声の向こうから、かすかに車かバイクのエンジン音が聞こえる。むっとした気持ちを隠して尋ねた。
「外にいるのか?」
『えらいざっくりしてんな~。まあ合ってんで。今家の近くの公園におんねん』
タマモの最寄り駅と家の間にある、小さい公園を思い浮かべた。そこなら自分のランニングコースでもある。この時間に出掛けたことはないが、まだ太陽の出ていない朝方と思えばなんとかなるだろう。
今から行く、と告げると先日の断りはどこに消えてしまったのか煽るようにタマモが言った。
『ほんまに来れんのかぁ~?』
はっきり言って面白くない。けれどもこうして通話ボタンを切り、財布と携帯だけポケットに入れていそいでシューズを履いてしまうのは、きっと彼女への想いのせいだった。
公園へは、オグリが少しだけ急げばすぐだった。住宅街のせいか人気はほとんどなく、時折自動車だけが細い道をライトで照らしてオグリの傍を通り過ぎる。
入り口には街灯があるだけで、中はかなりの暗さだ。夜道で街路の木が風に擦れる音を聞くだけで、少し足早気味になる気の小さいタマモが公園に居座っているのがオグリにはあまり信じられなかった。
「あ、ほんまに来た」
タマモは公園のブランコを座ったままこいでいた。息がかすかに切れるまで走ったオグリにおつかれさんとひどく軽い労わりの言葉を投げ、数度高くブランコをこぐと思いっきり遠くにジャンプしながら降りた。ふらつくまでもなく、すとんとオグリのすぐ近くに着地するのはさすがウマ娘、なのかもしれない。
「……そんなにたくさん飲むぐらい、楽しかったのか?」
「別に。全然おもんなかった。あの店員、ウチだけ身分証見せてとか言うてくんねん。アイツらも何や、何がドンマイや。腹立つことばっかりや、もう慣れてもうたけど」
返す言葉が見つからずオグリが黙ると、何神妙な顔しとんねんとタマモがオグリの背中をバシバシと叩き、歩き出した。
さっきのいら立ちの様子はどこへやら、今度はゲラゲラと笑いブランコの傍にある平均台を渡りだした。あまりにも感情の幅がありすぎる。
見た目も声も、確かにタマだ。幼く見られると怒るのも、確かにタマだ。お酒を飲むと人は変わるというけれど、これはいったい誰なのだろう。
「どうせウチのこと小うるさいチビやと思ってるんやろ~?」
平均台からオグリを見下ろし、タマモが言う。これはまた答えを聞くまで動かないやつだな。そうオグリは直感し、どう答えるべきか考えた。何故だか取り繕った答えをしてもバレるような気がした。目の前にいる彼女が本当のタマモクロスであったなら。
「……思ってない」
「あん?」
「……思っているけど、思ってない」
「どういうこっちゃ」
「その、タマが小さいのは事実だから、そうは思っているが、小うるさいとは思っていない」
その答えにタマモはフン、と鼻を鳴らし、平均台から軽く飛び降りた。納得したのかどうかはわからなかったが、とりあえず帰るつもりにはなったようだった。どうやら目の前のタマモはオグリの知っているタマモクロスで間違いはなさそうである。
一度誰も通らない道路に寝そべって「轢けるもんやったら轢いてみい!」と大の字になられたときはさすがに血の気が引いたが、なんとかタマモの部屋まで帰ってきた。歩いても10分もかからない距離のはずなのに、ハラハラして何時間も経ってしまったような気がした。
昔幼かったオグリと外に出るとき、すぐ迷子になるから気が気じゃなかったと言っていた母親の言葉を、ふらつきながら部屋の鍵を小さなバッグから探っているタマモの背中を見ながら思い出していた。
お酒は大人が飲むものが、もしかすると大人はお酒を飲むと子どもに返ってしまうのだろうか。まだ飲めないオグリは、今夜は真相にたどり着けない。
玄関で別れてもよかったが、もう一波乱ありそうでそのまま部屋に上がった。部屋に戻ってきてタマモは機嫌が良くなってきたらしく、バッグをその辺に放り投げると鼻歌を歌いながらぽいぽいと服を脱ぎすてていく。さすがにぎょっとしたがタマモはすっかり下着姿になってから着替えの入っているチェストから寝間着を引っ張り出してTシャツを被った。以前オグリがこの部屋に泊まった時に置いて行ったものだ。この調子だとオグリがいないときにも勝手に寝間着にしているのだろう。
別にそれは構わなかったが、下に響くのを気にしていつも音をたてないように暮らしている彼女が、着替え終わるなりぴょんぴょん畳の部屋を飛び跳ねているのだから、もう意味がわからない。
ひとまずタマモの脱ぎ捨てた服を脱衣かごに入れてバッグをいつもひっかけている場所に戻す。なんやアンタがオカンみたいやな。ジャンプに飽きたらしいタマモはオグリが働く姿を見ながら喉の奥から声を出して笑った。
喉乾いたと漏らしタマモは自分で冷蔵庫まで行って麦茶を飲んだ。酔いが醒めてきたのかとオグリが期待すれば今度は「トイレ」とわざわざ宣言して、そちらの方にパタパタと走っていく。
彼女の姿が見えなくなると一気に疲労と困惑が押し寄せてきて、冷蔵庫から勝手に麦茶を拝借した。いつもオグリの冷蔵庫を食材をパンパンにしていくくせに、タマモの小さな冷蔵庫はすっからかんだ。こういう仲になっても、部屋を行き来するようになっても、知らないことはたくさんあるのだなとオグリは思わずにはいられなかった。
手洗いから戻ってきたタマモはだぶだぶの寝間着姿で目を擦っていた。近くによるとアルコールの匂いがぷんと鼻をついた。子どもみたいな仕草にはそぐわない匂いだった。
「ウチ、もう寝る」
タマモは押し入れから布団を引きずり出し、畳まれたそれを足で拡げた。あまりの行儀の悪さにオグリがぽかんとしていると枕がオグリの頭に直撃した。はっとして顔を上げたら何が面白いのかまた八重歯を見せてげらげら笑っている。もう怒る気すら起きない。あるのは、ひたすらの困惑と、タマモがこのままだったらどうしようと言う少しの不安だった。
タマモは布団の上にぺたんと座り、オグリを覗き込んでくる。オグリは布団の傍に座り込んで、小さく言った。独り言のつもりだった。
「何なんだ……」
「ん?ウチが何やって?え~、オグリのカノジョ~~」
いやそうじゃない、そういうことじゃない。そう首を振りたかったけれど、目を合わせたタマモが目尻を下げてニコニコと笑っているので、もう、何も言えなかった。
こんなアルコール臭い、人に迷惑をかけるタマモでも、やっぱり好きなのだなと思った。
タマが寝たら帰ると告げて布団を肩までかけてやろうとしたら、思いっきり布団の中にひきずりこまれてしまった。アルコールの匂いがきつくなり、思わず顔をしかめると、タマモがオグリの首筋に思いっきり顔を埋めて抱き着いてくる。
「嫌や、帰らんといて」
「タマ」
「なんや、そっちは勝手に来て帰るばっかりで。ウチが向こう行っても引き留めもせんと」
アルコールの匂いで、鼻の奥がむずむずする。引き留めないのは、タマモにも都合があると知っているからだ。そういうことで我がままを言うのは子どものすることで、大人というのはお互いの事情を考慮したうえで、思いやりをもって多少の恋しさは抑えて付き合うものなのだと、タマモとこうなってから、オグリはそう思わなければと考えてきた。
ウチ、さびしい。首筋から聞こえる言葉にオグリが固まると、今度はオグリの顔じゅうにタマモの唇が落ちてきた。気分の悪くなるようなアルコールの匂いの奥に、かすかにタマモの香りが混じると、突き放す前に動けなくなってしまった。さびしいという言葉をオグリは反芻していた。タマモは最中にふふ、と小さく笑って「オグリはかわいいなぁ」と言い、そこからオグリの胸元を枕にして眠りこけてしまった。何がなんだか、さっぱりわからない。
とりあえず食洗機は先を見越してなるべく大きいのを買おう、と掛け布団をしっかり二人の肩までひっぱり上げながらオグリは思った。
翌朝真っ青になって謝罪してくるタマモに、オグリは特に責める言葉を残さなかった。
「ほんまごめん。皆と別れて、電車乗ってる時はまだ普通やったはずなんやけど、なんや一人でおったら気ぃ大きなってきてもうて」
「それは別にいい。……どこまで覚えてるんだ?」
「……正直、オグリに電話したろ!って思ったあたりからなんも覚えてへん」
「そうか」
「なあウチ、どないやった?」
二日酔いで痛むのかこめかみを抑え、タマモがおずおずと尋ねる。正直記憶があったなら、聞きたいことはいくつかあった。最後のアレは本心なのか、とか。
「……恐竜みたいだった」
そう感想を述べると、タマモは今度は真っ赤になり、もう酒はええわと言った。タマのカチューシャと同じだな、とタマモが自身の酔い覚ましに作った味噌汁をすすりながら記憶を飛ばした彼女があちこちに謝罪しているのを眺めていた。
今度は彼女が部屋に来た時、引き留める理由はいらなさそうだ。