Happily Ever After(オベぐだ♀/事後&ごはん企画)「――――」
眼を開けると、手が、指先が伸ばされるところだった。無論、私に向かって。
ぼやけた視界でもわかる、異形の左手。ではなく、ひとの右手だった。私と、同じ。
全然、平気なのに。怖くなんて、ないのに。
「――――」
薄く開いた唇から覗く、牙。きっと、微笑んでくれている。
ああ――どうしてだろう。涙が、溢れて来てしまって。
「おべ、ろん」
頭を撫でてくれていた手が、頬に触れて。
掠れた眼を、昏い青に合わせようとするうちに。
「ㅤㅤ……――」
私は再び、眼を、閉じてしまった。
☆★
「――……知ってるよ」
瞳を開けると、手が、指先が伸ばされるところだった。無論、私に向かって。
ぼやけた視界でもわかる、きらりと光る金色。左の薬指に填められている、指輪だった。私と、同じ。
私と、色違いの、お揃いなのだ。かあっ、と熱くなった頬から、全身を駆け巡って。
「知ってる。わかってる。……ずっとね」
思わず胸に当てた。右手の、銀色へと還っていく。それは、彼への、変わらない想いだった。
「オベ、ロン」
頭を撫でてくれていた手が、頬に触れて。そっと、拭うようにされる。
どうやら私は、泣いていたらしい。また。
「すき」
「……うん」
掠れ気味の告白に、ややあって頷く。
昏い青も、変わらない。私を見つめる眼差しも、変わらない。ただ、
「俺も、きみを愛してるよ」
世界が、私が、あるがままに。彼の瞳へと、映るようになったのだった。
「ごめん、離れて。不安にさせた?」
「え……」
「だから、泣いてたんじゃないの」
ベッドの上。横たわったままの私の、傍らへと腰掛ける。
ぴたりとした黒いパンツが、見えて。そのまま、ゆるやかに視線を上げていくと。
「! ち、ちがっ……」
「じゃあ、どこか痛いとか」
気遣わしげに、私を見下ろしている。彼はその、まっさらな背中を、上半身を、さらしていた。
半端にかぶっていた毛布を、つい胸元まで手繰り寄せてしまう。そもそも自分は、何も着ていない。
「〜〜っ、ちが……違うの。痛いとか、……ない。なかった、から」
「そう? だったら、良いんだけど」
「……う、ん」
にわかにはっきりし、彩られていく。私の視界と、脳裏には。
「き、……きもちよかった」
「……! そう」
安堵したように、はにかんでいる彼との、夜が。鮮明に、映し出されていっている。
「俺も、気持ち良かったよ」
「ほんと……?」
「ああ」
深淵の青が、おもむろに迫る。心なしか鮮やかなそこには、私が、私だけが映っていて。
「――本当」
「! んぅ、ン……ッ」
堪らず両腕を伸ばしたのと、唇が重なったのは、どちらが先だったか。
彼の首へと回した腕を、ぎゅっとする。濡れた唇の狭間で、舌先と吐息が、一緒に熔けていった。
「ふぁ、ァ」
「は……かわいい」
「っ、オベ、ロ、ン」
ちゅく、と唾液が音を立てる。彼も私も、夢中になって啜り合う。
どちらのものかわからない。交ざり合ったそれに、魔力なんて含まれていないけれど。
「可愛い、立香」
だからこそ、私達は欲望のままに。互いを、恋い願うのだ。
「……君は、格好良い」
「マジ?」
「マジ。に決まってる」
こうして、小さく笑っている顔だって。昨夜みたいに、私を貪る、獣じみた顔だって。
「――はい」
私へ、木製のスプーンを差し出す。優しく、穏やかな顔だって。
「……何?」
「だいぶ冷めたと思うけど。んー……」
ふわりと鼻先をくすぐった湯気が、私と彼の間を行き来する。確かめるように口へと運び、半分程、咀嚼して見せた。
ぐっと喉が動き、首を縦に振る。持っていたさじを、彼が再び、差し向けた。
「ほら、あーん」
「っ、あ……」
ん。反射で開き、閉じた口に、特有の食感が広がっていく。
水分を含んだ、ごはんの粘り気。あっさりとした塩味に、ほんのかすかにピリつく生姜。ひと噛みでくずれたのは、鶏肉だろう。
ごくんと飲み込む、ひとすくい。昨夜散々使った喉へ、労るみたいに沁み込んでいくそれは。
「――おいしい」
彼と、今しがた分け合った。ひどく温かな、お粥だった。
「良かった。一応、味見はしたんだけどさ」
「これ、君が……?」
「……うん」
見上げる顔が、ほんのり赤くなる。生姜と肉が、余っていたから。付け足された言葉に、堪えきれず、唇が緩んでしまったのだけど。
「食べてからじゃないと、あの薬、飲めないだろ」
「あの薬?」
「いつも飲んでる、あの、アスクレピオスが出してる……、」
そこまで言って、はたと口をつぐむ。瞬きを、一度。それから、彼は私を、改めて見つめ直した。
「今はもう、大丈夫だよ」
「……っ、悪い。俺、何を」
「謝ること、ないじゃん。オベロン、いつも、ちゃんと飲めって言ってくれてたもんね」
忘れないように、サボらないように。あまつさえ、捨てないように。
私の身体と、心を、ときに私以上に。このひとは、大切にしてくれていた。昔も――、
「でも、あの薬は、いらないの。いらなくなったんだよ」
「……立香」
今も。ずっと、ずっと。“私”を見てくれている。
「あ、けど、あれは飲まなきゃ。ねぇ、鞄、取ってもらっていい?」
「? 薬……? 飲んでるの、あったんだ」
ゆっくりと起き上がり、彼の隣へ移動する。
ベッドの下に置いてあった鞄を、渡された。ポーチを取り出し、今日の分を用意しつつ答える。
「うん、ピル。朝飲むようにしてるんだ」
「へぇ……」
「これから、本当に忘れないようにしないとね」
「……あー……そう、だね」
もう一度、頬をうっすら朱に染めた。彼と再会して、しばらくが経つ。彼と二度目に別れて、ずいぶんが経つ。
今の私を、静かに抱き寄せる。今の彼と、同じ、白い果てに行き着いたのは。
「なぁ、立香」
透明な愛を分け合ったのは、昨夜のことで。
「いつか、指輪……きみの左手に、填めさせてくれる?」
「は、…………」
ひとの左手と、まっさらな右手。指と指を組んで、きゅっと繋いで。
「は、い」
向かい合って、約束を交わす。私達が“永遠”を誓うのは、遠くない、未来の話である。