アーリアに立ち寄ると必ず見上げる場所がある。いくら見つめていても、目が合うことは決してないだろう。
あのひとの目に僕は映らない。
頭でわかってはいる。この大陸の端の、とても小さな村、その中でも一番高い建物の上で、今日も彼女は待ち人を探す。心に僅かな希望の火を灯しながら。
村長の家のベランダに出て、美しい青空を焦点の合わない目で眺めるオペラを見ていると、胸が潰れそうになる。
生きている限り、きっと会える。空の先に広がる宇宙のどこかに、きっと。折を見ては、そう彼女の隣で励まし続けている。
大事な人の、大事な人の無事を一緒に信じたい。が、その先に、自分が求める未来があるのだろうか。
クロードは答えが見つからないまま、今日も無言で空を見るオペラをやるせない気持ちで見つめていた。
実家に寄ったついでにアレンにも顔を出しておきたい、というレナの一言で、サルバにも少しだけ滞在することになった。
仲間が散り散りになった後、クロードは酒場に足を向けた。アレンの屋敷の酒はとっくに物色済みだろう。目ぼしいものがなければ、諦めてオペラは町で飲んでいるに違いないと踏んでいた。
みっともなく酔っ払わず、スマートだが豪快に嗜むオペラの飲み方は見ていて気持ちがいい。きっとカウンターに一人腰掛けて、グラスを傾けていることだろう。
頭の中で想像しながらクロードは酒場の扉を開けた。
軋む扉の音とともに目に飛び込んできたのは、カウンターで顔を突っ伏して飲んでいるオペラの後ろ姿だった。グラスは辛うじて手で持ち上げているが、口に運ぶより鼻をすする音の方が目立つ。クロードは入り口に立ったまま固まった。
「…………エルぅ……………」
酒場の喧騒の中、クロードの耳にはっきり届く、涙声。
会いたいの、とくぐもった声が続いた。
「……………」
クロードは俯いて踵を返し、扉を慎重に開けて店を出た。
行く当てもなく町中を歩く。
超えられないのか。ずっと。この状況がいつまで。
「…………僕は……」
動きが止まる。対面から歩いてくる女の子の二人組が、機嫌よい声色で会話を交わしているのが目に入る。買い物帰りのようだ。
「すっごいオトクに買えちゃったね〜! わざわざクロスから来て良かった〜」
「わたしも〜。入荷してきたばっかりって言ってたし、ラッキーだったわよね」
「また絶対買いに来ましょ!」
彼女たちの身につけている、たまにキラリと輝くアクセサリーは新品そのもののようだった。
すれ違った後に二人が来た方向を見やる。宝石屋「フェアリー・ティア」の看板が、自分の歩みを塞いでいるようにクロードは感じた。
諦めと、自暴自棄な気持ちが入り混じった状態で入店する。客は二組ほどの男女がおり、宝石を指差して話し合っていた。
クロードが所在なくショーケースを眺めていると、その中に、ふと目を引くものがあった。ゴールドの金具に通された、淡いブルーのサファイアが美しいイヤリング。
「これ似合いそうだなぁ……」
思わず口に出る。すかさず店員が寄ってきた。
「贈り物ですかぁ?」
「あぁいえ、何となく見てただけで……」
「お客様、お目が高いですね!これ、最後の一点なんですよぉ」
「えっ、もうこれしかないんですか?」
「そうなんですぅ、口コミで若い女性の間で広まって、すぐ出ちゃいまして」
店員の言葉を横から聞いていた男女の女性側が、急にこちらの方に顔を向けて、イヤリングを射抜くような目で見始める。
彼女が男性の肩を叩き、店員に指差す前に、クロードは動いた。
「買ってしまった………………」
中身の小ささに見合わぬ外箱を片手に、クロードはうめき声を上げながら店を出て歩く。
「いつ渡せば……。いや、そもそも恋人じゃない男からの贈り物ってどうなんだ……?」
冷静になってしまった。告白すらしていないのに、急にこんなもの渡されても相手が困るだろうに。
今更返品しに行くのも格好が悪すぎる。
「あっ、クロード! もう用事は済んだの?」
背後から突然声をかけられ、クロードは肩をびくっと震わせた。振り返りざま、慌ててポケットに箱をしまい込む。
「あ、ああレナ。うん、大体は終わったよ」
「私も今済んだところ。ねぇ、セリーヌさんがまだジャム屋さんにいるみたいで、時間かかりそうなの。一緒に迎えに行かない?」
「あぁ、いいよ。もう終わってるといいけどな」
二人が足並みを揃えて歩き出すのと、オペラが酒場から出てきて、その後ろ姿を見つめていたのはほぼ同時だった。
*****
旅を続ける傍ら、彼女の恋人も探し続けて、気づくと惑星ごと移動していた。長いこと隣にいたはずなのに、クロードとオペラの関係は未だ変わらないままだった。ポケットの中のものも、ずっと役目を果たせずにいる。
少しだけ、レナと話している時に視線を感じることはあるけれど、自分の勘違いかもしれないと思って自制している。
今は、ネーデに散らばる四つの場を攻略する指令を受けた中、勇気の場を振り返らずに走り続けているところだ。
ここは、何かあっても戻るとダメージを受けてしまうから。前に進むしかない。
自分の置かれた状態に似ている、とクロードは敵を倒しながら何となく思った。そんな考えを巡らせていたからか、
「───クロード、後ろ!」
レナの声で動く頃には、鎧を纏った人型の魔物が剣を振り下ろす直前だった。間に合わない。怪我する覚悟で受けようと構える。
ぶつかる寸前、紋章銃から放たれた無数の弾が魔物に着弾した。倒れて霧散する。爆発の勢いでクロードは尻餅をついた。
「……っ助かりました、オペラさん」
「らしくないわね、クロード?」
汚れた銃口を拭き上げながらオペラが近寄る。
「…………余計なことを、考えすぎているのかもしれません」
座ったままクロードは答えた。
「あら、あなたの方が弱音を吐くなんて、珍しいじゃない」
近頃、酒場で一人酒をあおるオペラを、隣で励まし慰めるのは専らクロードの役目になっている。それを暗に言っていることに気づき、クロードはふ、と笑った。
「男はあんまり、カッコ悪い所は見せたくないんですよ」
特に好きな相手には、とは続けなかった。
立ち上がって、ズボン周りの汚れを手を叩いて落とす。
返り血のついた剣を振り払って鞘に収めた時、ポケットからころん、と転がり出たが、クロードは鞘の音で気づかないまま歩き出す。オペラがそれを拾って声をかけた。
「何か落としたわよ? クロード」
「あ、すみません……ってあぁーーーっ!?」
振り向いてそれに気付いたクロードは、オペラが今まで見たことのない表情をしていた。焦りと、驚きと、この勇気の場の仕組みのせいで急いで取り戻したくとも後ろに走り寄れないもどかしさと、何より恥ずかしさと。
「私に熱心にアプローチしてくれる割にねぇ……。こんな素敵なプレゼントを、一体どこのかわいい女の子に贈るつもりだったのかしら?」
オペラは笑いながら小箱を掌の上で転がしているが、さすがに付き合いが長くなってきたクロードにも怒りが含まれていることは伝わっていた。テトラジェネス特有の第三の目が、射殺すようにこちらをずっと見てくる。
「こ、これは……」
動揺していたクロードだが、やがて意を決して、唾を飲み込んでからゆっくりと告げる。
「贈る人なんて……オペラさん以外にいませんよ」
「…………………私?」
オペラの動きが止まる。
「レナではないの?」
「どうしてここでレナが出てくるんですか……。本当に、僕の気持ちに気づかなかったんですか?」
「…………」
「開けてみてください。そうしたら、わかってくれると思います」
半信半疑のような表情で、オペラは小箱のリボンを紐解く。開けると目を見張った。
輝くような金色と、透明感のあるブルー。
まるでそれは、クロードの髪と瞳を表しているようで。
「…………僕、けっこう独占欲強いから」
頬の赤みを腕で隠す。その姿に、オペラの胸は苦しくなった。
恋人を求めている間、こんなに強い想いを。
涙が出そうになるのを堪え、俯きつつイヤリングを片方ずつ取り出す。両耳に身につけると、横の髪をかき上げて見せた。
「似合うかしら?」
クロードは笑って頷く。
「とても」
その返事にふふ、と満足げに笑い、オペラはクロードに近づいていく。
「ねぇクロード」
オペラがクロードの手を取り、彼の胸に頭を預ける。
「あの人が、私の心から消えることはないと思うわ。それでも、それごと、私を包んでくれる覚悟はある?」
繋がった手が熱い。クロードは頷きとともに、その手を強く握り返した。
「…………ありがとう。戦いが終わったら、ちゃんと返事をさせて」
オペラは心の中で別れを告げ、その涙をクロードの服に滲ませた。