中途採用の男 中途で入ってきた五条さんは大層仕事のできる人だった。
入社したばかりですぐに仕事の流れを覚えてしまったし、書類整理なんて入社三年目の私よりずっと早い。
聞けば以前は外資系の会社に勤めてたのだとか。正直よくわからないから、仕事バリバリ出来ないと大変なんだろうなとだけ漠然と思った。
うちの部署は前職に比べればずっと楽であろう一般事務だ。こんなに仕事が出来るなら引く手あまただろうに、よりによってなぜうちに来たのだろうか。謎である。
ところでここからはとても下衆な話になるが、五条さんはとても顔がいい。
というより、容姿が社内の誰よりも洗練されている。
理知的な雰囲気を際立たせる、整然と並べられた顔のパーツ。
すらりと伸びた背丈とびっくりするような位置にある腰。
それでいてひょろ長いのではなく、スーツの上からでも見てとれる恵まれた体躯。
つまり何が言いたいかというと、要するに五条さんは大層モテた。仕事に対して誠実な点もそれに拍車をかけた。
左手に光るものがないとわかっていれば当然である。
男女問わず、連日代わるがわる食事に誘われるも、五条さんは全てをはね除けた。そこに男女の差はなかった。
たった一人の社員のために、社内は混沌と化していた。
そんなある日、社内に衝撃が走る。
五条さんの左手薬指に銀色の光るものが装備されたのだ。
とりわけ頻繁に彼を誘っていた女性社員が恐る恐るそれについて聞くと、彼は照れ臭そうにうっすら笑いながら答えた。
「皆さんが入社したての私を気遣って食事に誘ってくださる話を伴侶にしたら、何を勘違いしたのかこれを着けていくようにと聞かなくてでですね。あまり傷を付けたくなくて普段は着けないようにしてたんですが」
やれやれという風に溜め息を吐いているが、その表情からは伴侶の嫉妬が可愛くて仕方ないという感情しか読み取れなかった。
表情筋なんて顔面の皮膚を支える以外に使ってませんと言わんばかりに常日頃ピクリとも動かなかったのに、この時初めてお目見えした五条さんの明らかすぎる表情の変化に、みな一様に心臓から血を流しつつも胸をときめかせた。
一ヶ月ほど経った頃、五条さんに転勤の話が出た。
まだ研修も終わっていないのに何故・・・しかしもう決定事項らしく、五条さんも研修途中なのに申し訳ないとデスク周りの後片付けをしながら謝ってきた。ひと月程度ではまだデスクも綺麗なものである。
最終日だからとお菓子の箱片手に挨拶回りをすれば、みな揃いも揃って今からでも転勤を止められないのかと食い下がった。五条さんも残念そうに、しかしきっぱりと上の指示ですので、とバッサリ切り捨てた。
なおこの時も表情に変化はなく、一ヶ月指導役として付いてなんとなくわかったような気になっているだけである。
最後まで諦めの悪い先輩達は、彼を会社の入口まで見送りに来た。上司の定年の時ですらこんなことしなかった。
ありがとうございますと最後に挨拶をして入口に顔を向けた五条さんの目が見開かれた。
「五条さん?」
五条さんの口から思わずといったように漏れた言葉に、はてこの人は一体どうしたのかと、彼の視線の先を追う。
はたしてそこにいたのは、まさしく人知を超えた存在だった。
第一印象は白い、だった。
白髪というにはあまりにも艶やかで、透き通ったように白い肌は、ガラス張りの入口から降り注ぐ太陽光を一身に集め、その存在自体を光り輝かせている。
真っ黒なサングラスの隙間から僅かに見える真っ青な瞳も、それ自体が発光しているかのようである。
そして何等身あるのかもはや考えたくもないほどに長い足と、信じられないような位置にある腰。そしてそれら全てを構成する完璧と呼ぶに相応しい体躯。
何の変哲もない会社の入口が、突如として宗教画の一場面と化した。
非現実極まりない存在は五条さんの小さな声を拾ったのか、こちらをしっかと見つめ、正しく花がほころぶような笑みを浮かべて口を開いた。なんだったら受付横に飾ってある花も今朝より若干色づいて見えた。
「ななみ!」
ナナミ?誰のことだ?その場にいた人間は一人を除いて一斉に名前の主を探す。周囲を見渡しつつ、私はそれが誰であるのか薄々理解していた。
案の定、それに近付いたのは五条さんだった。
「家で待っていてくださいと言ったでしょう」
「だぁって、お前のリーマン姿見てみたかったんだもん」
非現実実体のしっかり節くれだってるのにどこか細く透き通って見える指先が、彼の首もとにするりと撫で、肩甲骨の辺りまでゆっくり滑り落ちていった。五条さんのくすんだ金髪とそれの白髪が混ざり合う。
「紹介が遅れました。こちらが以前お話した私の伴侶です」
彼は伴侶の好きにさせたまま、顔色ひとつ変えることなく紹介した。
となると先ほど呼んだのはやはり彼だったのだろう。しかしそうなると彼の名は、そこまで考えているのが表情でわかったのだろう、いつぞやに見たような、照れ臭そうな顔で疑問に答えてくれた。
「入り婿でして、旧姓は七海と言います」
余談だが、社内で彼の転勤先を知る者は誰もいなかった。